幸せの在処 : 008

幸せはここにある
愛しいファイツが達したすぐ後に欲望を吐き出したラクツは、けれどすぐに彼女の中から自身を引き抜こうとはしなかった。何しろ欲しくて欲しくてもう仕方がなかったファイツとようやくく繋がれたのだ。行為が終わったからといえど、自身をすぐに引き抜いてしまうのは何だかものすごくもったいないような気がしてならなかった。だからせめて自分の呼吸が整うまではこのままの状態でいさせてもらおうと決めて、ラクツは行為の名残りによる荒い呼吸を繰り返しながらファイツを見つめた。自分にとって堪らなく愛しい存在である彼女は、すうすうと規則正しい呼吸を繰り返している。そっと呼びかけてみても、彼女の瞳が開かれる気配はまるでなかった。情事の疲れがそうさせたのか、どうやら彼女は完全に眠ってしまったらしい。

(ファイツには、随分と無理をさせてしまったな……)

そう声に出さずに呟いて、ラクツは眉根を寄せて苦く笑った。初めてだから尚更優しくするつもりだったのに、結局それは叶わなかった。ファイツに乞われたことと、何より自分が我慢出来なくなったことが要因で、最終的には激しく抱いてしまうこととなった。それでも彼女の身体を気遣うことは忘れていなかったから、ファイツが達しそうな頃合いを見計らって彼女の最奥を猛った自身で1回だけ突いたのだ。しかしその1回でファイツはとうとう限界を超えてしまったらしく、達するどころか意識まで飛ばしてしまうこととなったのはまったく予想外だった。彼女自身に頼まれたからとはいえ、初めてなのに随分と飛ばし過ぎたような気がしてならない。予想以上にファイツの中が良かったのが主な原因なのだろうが、それでも次はもう少し優しくしたいものだとラクツは思った。

(……ここに至るまで、本当に長かったな)

彼女との結合部を一瞥して、ラクツははあっと溜息をついた。長かった、本当に長かった。欲しくて堪らなかったファイツの全てを、ようやく手に入れたのだ。ファイツが自分の想いを受け入れてくれた時だって堪らなく嬉しかったものだが、ファイツと繋がれた瞬間の嬉しさは正直言ってあの時以上のものだった。好きな女の身体に触れたい、好きな女を抱きたいと思ってしまうのは男として至極当然に抱く感情で。しかしその欲望を、ラクツは今日まで必死に抑制して来たのだ。自然と脳裏には今までの苦労が蘇って来て思わず苦笑する、彼女からすれば何でもないような行動でも、しかしこちらにとっては必ずしもそうでなかったりするのだ。例えば薄着で部屋をうろつかれたりとか、例えば甘えるように思い切り抱き付かれたりとか。思い返せば色々と、実に無防備な行動を自分はされて来たものだ。そしてファイツがそうする度に湧き上がる、”この娘を押し倒したい”という欲をそれはもう必死に押し殺して来たものだった。先程だって本人に告げたけれど、無自覚だから余計に質が悪い。彼女に自覚があった上でこちらを誘っているというのなら、ラクツだってこんなに我慢しなかった。もっと早い段階で、欲望の囁くままに彼女に手を出していたに違いない。だけど彼女はあくまで無自覚であって、こちらを誘っているわけではないから始末が悪いのだ。本当に、本当に始末が悪い。いったい何度、ファイツの無自覚の誘惑に応じてしまおうと思ったことだろう。いったい何度、ファイツを押し倒してやりたいと思ったことだろう。いちいち数えてはいないものの、そう思った総数は優に10回を超えているに違いない。
現実でそれが出来ない代わりに、ラクツは頭の中でファイツを抱いた。彼女を思いのままに抱く夢を見たのだって、1回や2回のことではないのだ。膨れ上がった欲望を我慢出来ずに処理する際には、決まってファイツの姿を思い浮かべた。そうすることへの罪悪感がなかったわけではないが、そうしなければ本気で手を出してしまいかねなかったのだ。それでも数え切れないくらいにファイツを脳内で抱いていたおかげなのか、実際の行為ではまあそれなりに円滑に進めることが出来たように思う。体質故のことでもあるのだろうが、彼女もこちらが思った以上に感じてくれたようだから、多分それで良かったのだろう。何とも自分の都合のいいように解釈して、ラクツは感慨深げに溜息をついた。まったく本当に、この娘に手を出すのをよくここまで我慢出来たものだと改めて思ったのだ。
現実でのファイツとの行為は、思った以上に気持ちよかった。彼女を想って自分で欲望を発散する時だって大いに快楽を感じたものだが、それとはまるで比べ物にならない程の気持ちよさだったと言っても過言ではないだろう。それに加えてファイツが感じているあの声や、まるで誘うように身体を動かすあの仕草が、自分にとっては堪らなく刺激的だったから。だからラクツは正直余裕なんてまるでなかったし、結構危なかったのだ。ファイツが達するのがあと少し遅かったならば、先にこちらが達していたことだろう。流石に初めての行為でそれでは男としての沽券に関わるからそうならなくて良かったとは思うのだが、それくらい彼女の中は具合が良かったのだ。他の女を抱いたことがない自分には比較のしようがないし、そもそも他の女を抱こうとすら考えたことがない自分には確信が抱けないのだけれど、自分と彼女の身体の相性は悪くはないはずだ。いや、もっと正確に言うならきっと相性がいいのだろう。だからこそファイツは、感じやすいということを差し引いても自分の拙い性技であれ程までに感じてくれたのだろう。仮に彼女との身体の相性が悪かったとして、しかしそれで何がどうなるわけでもないとラクツには分かっていた。ファイツへ抱く愛情は、そんなことでは少しも薄れることはないに決まっているとはっきりと言い切れるのだが、それでも身体の相性がいいに越したことはない。

「しかし……。あれは、すごかったな……」

彼女との行為を思い返して、ラクツは思わずそう呟いた。恥ずかしがりやで控えめな性格をしているあのファイツが、まさかあれ程までに乱れてくれるとは思わなかった。快楽に素直になってくれた方が嬉しいと告げたのはまさしく自分なのだが、いざそうされた際の破壊力と来たらそれはもうすごかった。「いっぱい気持ちよくして」とねだられた時は本気で滅茶苦茶にしてやろうかとも思ったし、「激しくして」と乞われた際にはこちらも限界だったからその言葉を遠慮なく甘受させてもらった。実のところは、ファイツを意図的に焦らしていた時点で既に危なかったのだ。あの縋るような瞳を思い出して、ラクツはまた深く嘆息する。彼女のこちらを誘うような仕草と言いこちらの官能を刺激する艶めかしい声と言い、本当にこの娘は自分を悉く煽る天才だ。彼女をそう評しても、まったく過言ではないことだろう。

「……う、ん……」
「……ファイツ?」

無意識に誘惑されたことを思い出して苦い笑みを深めたその時、ファイツの小さな声が耳に聞こえた。もしかして、意識が覚醒したのかもしれない。そう思ったラクツは小声で名を呼んで、彼女の身体から顔へと視線を移す。

「ん……」

しかし自分の予想に反して、彼女は相も変わらず規則正しい呼吸を繰り返していた。この様子では、どうやらもうしばらくの間は起きることはなさそうだ。考えてみればあれだけ無理をさせたのだから、そうなるのも当然のことだろう。いくらファイツが可愛過ぎたからとはいえ、初めてで3回も絶頂させるというのはやはり度を超えていたかもしれない。胸中でそう呟いて反省したラクツは密着させていた腰をゆっくりと引いた。気付けば自分の呼吸も整っていたし、何よりいつまでもこうしているのは彼女に負担をかけるだけだ。もう少し繋がっていたいというのが偽りならざる本音なのだが、ファイツに無理をさせた事実を思うとそうする気にもなれなかった。自身をゆっくりと彼女の中から引き抜いた拍子に彼女の蜜がシーツの上に零れ落ちたが、ラクツはあえてそれをまじまじと見ないようにしようと思った。あまりに注目していると、また欲望が頭をもたげてしまいそうだ。今すべきことはそれではない、速やかに行為の後始末をしなければいけないのだ。音をなるべく立てないように気を付けながら、ラクツは自身に着けていた避妊具を取り外してゴミ箱の中に放り込んだ。本当は袋ごと捨てたかったのだが、それは別に後でも構わないだろう。流石にファイツがすやすやと寝息を立てている以上は濡れたシーツは取り替えられないからそのままにするとして、互いの濡れた下着だけでも洗濯機に放り込んでおくべきか。

(後は……。ああ、ファイツの身体を拭いておかないとな)

激しく抱いたおかげで、そういえばかなりの汗をかいていたことに今更ながらに気が付いた。自分自身と、何より汗でべたついているであろう彼女の身体を拭いてやりたいと思ったラクツは寝室の扉を静かに開けた。ぐっしょりと濡れているそれぞれの下着を片手に脱衣所へと向かって、他には何も入っていない洗濯機の中へと放り込む。そうしてからタオルを湯で濡らして固く絞り、乾いている別のタオルも一緒に手にして寝室へと戻った。足音を忍ばせたままファイツの元へと歩み寄ると、温かく濡らしたタオルで彼女のそれは見事な裸体を丁寧に拭いていく。好いている娘の、暗闇の中で白く浮かび上がる裸体をあまり見ないようにしながらそうするのは中々に至難の技だったものの、それでも何とか全身を拭き終えたラクツは軽く息をついた。今度は乾いたタオルで身体の水分を丁寧に拭き取ったのだけれど、それでもファイツは一向に目を覚まさなかった。やはり、かなり無理をさせてしまったのだろう。単純に愛しさからと彼女を労る気持ちから、ラクツはファイツの頭を優しく撫でた。もちろんファイツの全てが好きなのだが、その中でも特に髪の毛が好きなのだ。艶やかでいい匂いがする髪の毛を思うままに撫でていると、ファイツが軽く身動ぎするのが視界に映る。

「……ラクツ、くん……。大好きだよ……」

桜色の唇から零れ落ちたのはそんな可愛らしい言葉で、ラクツは愛しさから柔らかく目を細めた。達する直前に彼女が零した”愛してる”の言葉は、まさしく彼女の本心から出たものに違いない。恥ずかしがりや故なのか、滅多に愛してるとは口にしないファイツだけれど、それでも素直に好意を表明してくれるのはこちらとしても嬉しいものだ。彼女の言葉に応えるように額にそっと口付けたところで、ふとラクツはあることに気が付いた。

(……そういえば、まだしていなかったな)

先程は豊満な胸に目を奪われていて正直それどころではなかったが、そういえばファイツの身体にまだ愛の印を付けていなかったことに気が付いたのだ。まずは首に、そして次は胸元に。そのまま彼女の身体の至るところに、情事の痕跡を刻み込むかのように付けていく。程なくしてようやく満足したラクツは、彼女の身体に寄せていた唇を離した。

「ボクもキミが好きだ、ファイツ。ファイツをを心から愛している」

身体に愛の証をつけても目覚めなかったファイツは、愛の言葉を告げてもやはり目覚める気配がなかった。相変わらず規則正しい寝息を立てて、それは気持ちがよさそうに深く眠ってしまっている。そんな彼女の隣で眠ったとしたら、日頃眠りが浅い自分も深く眠れそうだ。そう思ったラクツは乾いたタオルの方で手早く自身の汗を拭き取って、2枚のタオルを乱雑にかごに放り込んだ。とにかく今は、彼女の隣で早く眠りたくて仕方がなかったのだ。音を立てないように気を付けながらファイツの隣に寝転んだラクツは、足元に寄せていた布団を胸元の辺りまで引き寄せた。汗を拭いたとはいっても、流石に布団なしで寝るには少々寒い。自分だけならまだしも、彼女が風邪を引いたなんてことになったら最悪だ。
ラクツは改めて自分の隣で寝息を立てているファイツを見つめた。こうしてファイツの隣で眠るのは幼少の時以来になる。それ自体は実に久し振りだが、互いに一糸まとわぬ姿のまま眠るのは初めての体験だった。彼女が目覚めた時にどういう反応をするのかが何だか簡単に想像出来て、ラクツは喉を鳴らして笑った。あの恥ずかしがりやなファイツのことだから、それはそれは可愛らしい反応をしてくれるに違いない。そんな確信を抱いたラクツは1人笑みを深めた、彼女の反応が今から楽しみだ。愛しくて堪らない彼女に無理をさせてしまったことは多大なる反省点だけれど、それでも彼女と1つになれたことはやはり嬉しい。ファイツも同じことを思ってくれているのだと思うと、更に嬉しい気持ちになった。ずっとずっと欲しいと思い続けて来た、彼女の全てが欲しくて仕方がなかった。欲しかったそれをやっと手に入れた自分はまったく幸せ者だとラクツは思った。本当に、心の底からそう思った。この上なく幸せな気持ちになりながら、ラクツは眠っているファイツに優しく「おやすみ」と囁いて、そして静かに目を閉じた。