春霞 : 002
海よりも深く、夜よりも静かに
「お前の所為で損したぜ、ラクツ」「何の話だ?」
前方を、正確に言うととある人物を見つめながら商店街を歩いていたラクツは、友人が言い放った言葉で首を僅かに傾けた。頭の後ろで手を組んだまま右隣を歩くヒュウは、これ見よがしに落胆した顔をしている。
「お前の進路を3人と賭けてたんだよ。一番遠かったやつが2人にドリンクバーを奢るってやつ」
「……ボクを賭けの対象にするな」
「言い出したのはユキだぜ。ちなみにオレが警察関係で、ユキがコンサル関係だった。ファイツは進路すら言ってねえ。オレの勝ちは堅えと思ってたのによ、オレらと同じとこに行くだなんて誰が予想出来るっつーんだよ?お前の所為で全員自腹だぜ、まったく」
「ボクに愚痴を言われても困るんだが。だいたい、まだそこの内定をもらったわけではないぞ」
「何言ってんだ、お前が通らねえわけねえだろ。他の会社の内定だって取りまくってるんじゃねえのか」
「……まあ、ある程度は」
ヒュウ相手に謙遜したところで意味がないことは分かっている。正直に肯定してみせると、「何がある程度だよ」なんて軽口が飛んで来た。
「むしろ心配なのはオレらの方だぜ。そりゃ全員受かってればいいけどよ、誰か1人が落ちるとか何なら3人ともダメだってパターンもあり得るわけだしな。オレだけ落ちるんならマシかもな」
らしくない弱音を吐いた友人に対して言い返そうと口を開いたラクツだったが、出しかけた音を胃の中に収めた。Bridge Works Solutions、略してBWソリューションズは企業の業務を支えるBtoB企業の事務会社だ。仕事内容は多岐に渡るが、中でも企業の業務改善を発案する仕事内容が自分に合っていそうだと思えたのが応募したきっかけだった。離職率も低めで人を大事にしていそうな社風には素直に好感が持てたし評価制度や福利厚生も良し、更にはそこまで遠くない上に給料も悪くないと、自分が企業選びで重視する点が数多く揃っていた。そんな優良企業の最終面接ははっきり言って手応えがあった。手応えがあるどころかおそらく通ったのではないかと面接中に思える程感触が良かったことは確かだ。そんな自分が大丈夫だと言ったところで、何の慰めにもならないのではないか……。
「……おいラクツ。何押し黙ってんだよ?」
「あ、ああ……」
「もしオレらがダメでもよ、お前は変に気を遣うなよな。内定辞退するなんて言いやがったら承知しねえぞ」
「いや、それはない」
「即答かよ!ま、分かってんならいいけどよ」
「だが、ヒュウ。少なくともキミに関しては通っているとボクは思うぞ」
「はあ!?何でだよ!?」
大声を出したヒュウに釣られてか複数の通行人が自分達を何事かと凝視したが、他人の目線はあまり気にしない性格なので特に動揺はしなかった。しかし、何事にも例外はあるもので。「どうしたの」なんて言いながら駆け寄って来る存在を認識したラクツは、目の前で立ち止まった娘を無言で見下ろした。第三者から注目の集中砲火を浴びた時には露程も意識しなかったのに、彼女の視線にだけは昔から弱いのだ。彼女は不思議そうに小首を傾げているのだが、そんな姿も可愛い。そんなことを思いながら、ラクツは必死に落ち着けと言い聞かせる。
「ヒュウくんの大声が聞こえたけど、何があったの?」
「ああ、悪いファイツ……。いや、こいつがオレは受かってるだろうって言うからよ。おいラクツ、下手な慰めなら要らねえぞ」
「ボクなりに根拠はある。何せヒュウは普段から受け答えが簡潔で余計なことを言わないからな。BWソリューションズは真面目な社風だし、キミの面接受けは悪くなかったのではないか」
「……だといいけどよ」
「ヒュウばっかずるーい!ねえラクツくん、あたしは!?BWソリューションズに通ってると思う!?」
ずいっと詰め寄ったのはユキだ。彼女は例えば明るさだとか周囲とのコミュニケーション能力だとか、自分にないものを数多く持っている人間だ。その積極性が少しだけ羨ましい、そう思ったのは秘密だ。
「そうだな……。ユキくんも通っていると思うぞ」
「ラクツ、無理に言わなくていいんだぞ。はっきり言ってやれよ」
「無理にって何よ!?……ラクツくんはヒュウと違って優しいから、変に慰めたりしないもの!ねえねえ、あたしのどこを見てそう思ったの?」
「社外は言うまでもないが、社内でも人との繋がりを非常に重視している会社だとボクは考えている。ユキくんの明るさはあの会社に打ってつけだ。キミのコミュニケーション能力は高いからな」
「やった!……ほらヒュウ、聞いた?会社に必須な人材だって!」
「過大解釈すんな。そこまでは言ってねえだろ」
「何ですって!?」
「……どうした、ファイツ」
押し黙ってしまったファイツのことが気になったラクツは、腰を屈めると眼前の娘と目線を合わせた。ヒュウとユキには悪いような気もするが、ぎゃあぎゃあと言い合う2人より浮かない顔付きをした彼女の方がずっと気にかかったのだ。
「うん……。ヒュウくんとユキちゃんは受かってると思うけど……。やっぱりあたしはダメかなあ、って」
「……どうしてそう思ったんだ?」
「だって……。最終面接で何回か噛んじゃったし、質問にも詰まっちゃったし……。しっかりしてない子だって絶対思われたと思う……」
「……ファイツ、面接は1問ごとのテストじゃないんだ。一ヶ所言葉に詰まるくらいで落ちるのなら、誰も受からないだろう?」
「でも、でも……。緊張して何回か詰まっちゃったんだよ?声だって震えたし……っ」
「それがどうした?面接官の問いにはちゃんと答えられたんだろう?」
「それは、うん……」
「それなら問題はないだろう。仮にボクが面接官だったら、むしろキミのような人を採るぞ」
「な、何で?」
励ましではなく純粋にそう思ったラクツは言葉を付け加えると、ファイツはずいっと詰め寄って来た。ユキにそうされた時とは比べ物にならない程に内心で動揺しながら、それでもラクツは口を開いた。
「面接の短時間だけでも、キミの真面目さと一生懸命さが十二分に伝わるからだ。真面目に働いてくれそうな人材はどこでも採るだろう」
「…………」
「ん……。どうした?」
「ううん。やっぱりラクツくんって優しいな、って思って」
「そうか?」
「そうだよ。ラクツくんにそう言われたら、何だか大丈夫な気がして来ちゃった!」
一転して笑顔になったファイツを、素直だなと思いながら見つめる。まるで世界に自分と彼女しかいないような、そんな錯覚さえ覚えたラクツは柔らかく目を細めた。そんな空気に水を差したのはユキだった。同性故なのか実に遠慮なく背後から抱き着いたユキは、意地の悪い笑みを浮かべている。
「そうよファイたん!せっかくゲーセンに行くんだし、思いっきり遊び倒さなきゃ!ストレス解消にもなるし!」
「ユ、ユ、ユキちゃんっ!?」
「賭けは痛み分けだったけど、ゲーセンでは負けないからね。3人で勝負しようね!」
「ユキくん。ボクが入っていないんだが」
「あ、ラクツくんはダメ。強過ぎて勝負になんないもん」
「いや、そうでもねえぞユキ。3対1ならギリいけるんじゃねえか?機械相手だしよ」
「……それもそっか。じゃあラクツくんとあたし達3人で勝負ね!負けた方が500円払うの!」
「……一応訊くが、ボクに拒否権は?」
「ない!そうと決まればほら、早く行こ?すぐそこだもんね!」
先程までの空気はどこへやらで、結託したヒュウとユキを眺めていたラクツは、「ラクツくん」と遠慮がちに話しかけて来たファイツを斜め上から見下ろした。「変なことになっちゃってごめんね」と謝ったファイツは、だけど口元を緩めている。
「楽しそうだな、ファイツ」
「だってゲームセンターに行くのって久し振りなんだもん……。ユキちゃんの言う通り、楽しまなくちゃ損だよねって思って……。えっと、ラクツくんには本当に申し訳ないんだけど……っ!」
「うん、それでいいと思うぞ。実はボクも楽しみにしているからな」
「そっか、ラクツくんもそうなんだ!……何か高校3年の夏休みに戻ったみたいだよね。ラクツくんは憶えてる?」
「ああ、確かキミはレーシングゲームに苦戦していたな。開幕逆走する人間を初めて見た所為か、今でもよく憶えているぞ」
「う……。こ、今度はちゃんと走れるもんっ!あの時とは違うんだから!」
「……ああ。そうだな」
”あの時とは違う”、ファイツのその言葉に同意したラクツは、ゲームセンターの入口に向かって駆け出したファイツを見つめながら胸中で呟いた。ゲームセンターでの勝敗の行方がどうなるか、それはラクツでさえも分からない。ただ一つだけはっきりと言えるのは、まだ自分の気持ちがよく分かっていなかった高校3年の夏より今の方がずっとずっとファイツを好きであるということだけだ。ファイツへのこの想いだけは、何年経とうともきっと色褪せないということだけだ。