春霞 : 001

冬の陽だまり
「ファイたん!」

木枯らしが吹き荒れる、とある冬の日だった。ファミレスのドリンクバーで1時間近くも粘っていたファイツはよく通る声で弾かれるように顔を上げた。見知った女の子が颯爽とこちらに近付いて来るのが見えて自然と顔が綻ぶ、高校3年生からのつき合いの大事な大事な親友だ。

「ユキちゃん!」

スマホを鞄の中にしまうのとユキが席にたどり着くのはほとんど同時だった。わざわざ小走りで駆けて来てくれた親友は、マフラーを外しながらはあっと盛大な溜息をついた。

「待たせちゃってごめんね、ゼミの先生が中々帰してくれなくってさー。せっかくファイたんとゆっくり買い物出来ると思ったのに!埋め合わせはちゃんとするからね!」

「せっかくの楽しい気分が台無しよ!」と言って不満そうに顔をしかめたユキは本当に申し訳なさそうな顔をしていた。両手を合わせて頭まで下げた拍子に、ポニーテールにした綺麗な髪がぴょこんと揺れる。就活に不利だからと茶色に染められた彼女の髪の毛はさらさらで、ファイツは謝罪されていることも忘れて感心してしまった。相変わらずユキちゃんの髪は綺麗だよね、努力の賜物だよねと思ったところではっと我に返る。いつまでも返事をしない所為でユキが注目を浴びていることに気付いたのだ。親友の綺麗な髪の毛に見惚れてる場合じゃないでしょうと自分を叱りつけたファイツは、慌ててぶんぶんと手を横に振ってみせた。

「あたし、全然気にしてないから。だからユキちゃんも気にしないでね!」
「……何で文句の一つも言わないの!?」
「え、だってそういう理由じゃ仕方ないでしょ?」

心の底からそう思っているファイツが首を傾げてみせると、ユキはまたしても息を吐き出した。さっきの溜息よりも深いような気がするのはきっと思い違いではないだろう。

「う~……。ファイたんらしいって言えばらしいけど……」

呆れなのか何なのか。今度はコートを脱ぎながら告げられた親友からの指摘は、えへへと笑ってやり過ごすことにした。そのすぐ後で「全然気にしてないよ」と付け加える。1時間近くもテーブルを1人で占領しておいて偉そうに言えることではないけれど、実際本当に気にしていないのだ。ぐぐっと眉間に皴を刻んだユキに向けて、ファイツはにっこりと微笑んだ。

「いつも思うんだけど、ファイたんって心がめちゃくちゃ広いよね。普通は”1時間も待たされた!”って怒るとこでしょ?」
「う~ん……。でもあたし、本当に気にしてないんだもん……。……それにほら、ユキちゃんとはこれから毎日会えるかもしれないし。買い物ならまた今度行こ?」
「……そっか。うん、そうよね!そっかそっか、ファイたんと同僚かあ……」

感情豊かなユキは気持ちの切り替えもまた早いのだ。さっきまでの不機嫌さが嘘のように笑顔になったユキは、うんうんと何度も頷いている。大事な親友が自分と同じ気持ちを抱いてくれていることが嬉しくて、ファイツはその勢いのままにオレンジジュースを飲み干した。

「……あ。そういえば2人はまだ来てないの?」
「うん、もしかしたら2人とも遅れるかもしれないって。だからあたし、どうせなら思いっきりのんびりしようかなあって……」
「確かにそうかもね。今日のファイたんみたいに1時間は長過ぎだけどさ、時間を気にせずにのんびりするのって悪くないかも。……最近は特に忙しかったしね」
「でしょ?仕事が始まったらしばらくのんびり出来ないもんね」
「それは言わないで!?今日は遊ぶことだけ考えよ!!」
「う、うん……」
「……あーもう大声出したら喉渇いた!憂さ晴らしに飲んでやる!!」

言うが早いがさっと注文を済ませてドリンクバーへ向かったユキの背中を、ファイツは頬杖を付きながら見送った。ドリンクバーを頼むのですら未だに緊張する自分とは大違いだ。やっぱりユキちゃんはすごいなあ、堂々としてるのは姿勢がいいからなのかなあ、友達っていうよりお姉ちゃんみたいだなんて、ぼんやりと思ったりなんかして。

「相変わらず幸せそうだな。何1人でにやけてんだ?」
「ヒュ、ヒュウくんっ!?久し振……あっ!」
「……何やってんだお前」

会って早々これかよなんて憎まれ口を叩いた男友達に、ファイツは全力でむくれてみせた。腕が当たってコップが倒れた拍子に飛び出した氷を慌てて元の場所に戻しながら、「ヒュウくんの所為だもん」と反撃する。こればかりは仕方ない、本当に仕方ない。急に話しかけられたことでびっくりした結果空のコップを倒したわけだから、普段から何かとやらかすこととはまたちょっと違うはずだ。……きっと、多分。

「……あ。ヒュウ、おひさー。時間通りじゃん。相変わらずバイト三昧?」
「おう。一昨日が焼き鳥で昨日が弁当だった。1時間前までシュウマイな」
「いいなあシュウマイ。……ね、あたし達の分とかないの?シュウマイ食べたい!」
「あるわけねえだろ。食いたいなら駅前まで買いに来いよ。まあ来てもまけてやらねえけどな」
「ケチ!……で、何かすごい音がしたけどどうしたの?」
「氷を派手にぶちまけたんだよ。コップを倒してな、まあいつものやつだ」

ドリンクを片手に戻って来たユキと、くっくと忍び笑いを漏らすヒュウと。大事な親友2人に同時に見られて、ファイツの顔は勝手に赤くなった。名前が出ていないのにこっちを見る時点でユキには悪い意味で信頼されているらしい。親友2人にくすくすと笑われて、今度は耳が赤くなる。

「だと思った。だってファイたん、ぽやぽやしてるもんねー」

しっかりしたい、ユキのように自信に満ち溢れた女の子になりたい。自分としてはそう思っているのに何故か高頻度で発生するやらかしを”ぽやぽやしてる”なんて言うユキのくすくす笑いは深くなるばかりで、ますますファイツは小さくなった。「狙ってねえから質が悪いんだよな」と呟いたヒュウの言葉は全力で聞こえない振りをした。

「そうそう、全然媚びてないのよね。ザ・天然って感じ!」
「ま、とにかくお前はドジってことだな」
「違っ……違わないけど!でもこれは違うの、あたしを驚かせたヒュウくんが悪いんだもん!」
「いや、どのみち時間の問題だっただろ。むしろ今やらかして良かったんじゃねえの?」

やっぱりてきぱきと店員を呼んでドリンクバーを頼んだヒュウに向かって、「何で!?」と投げかける。だって本当に分からないのだ、失敗なんてしない方がいいに決まっているではないか。彼の意図が分からないとうんうんと唸っていると、首に巻いていたマフラーを空いている座席に放り投げたヒュウは溜息をついた。何で分からねえのとでも言わんばかりの盛大な溜息だ。

「何でって、流石のお前でも気を付けるだろ?少なくとももうコップは倒さねえはずだ。今日はな」
「うんうん、でもそれ以外でやらかすのがファイたんなのよねー」
「だな。店の出入口でこけたりとかな」
「ヒュウくんもユキちゃんも酷いよ!」

ファイツは堪らず俯いた。悲しいことにやらかしが多いのは事実なのだけど、それでも言い方というものがあるではないか。

「違うの、こけたわけじゃなくて……。……あ!」

盛大に自爆したファイツは片手で口を覆った、だけど遅かった。そろりと顔を上げてみると、目を丸くしたヒュウとユキが視界に映るのが見えた……。

「マジでやったのかよ。……大丈夫か?」

ヒュウの言う「大丈夫か」が頭ではなく純粋に怪我の有無を訊いているのだと分かっているファイツは、こくこくと頷いた。ぶっきらぼうで目付きも口も良いとは言えない彼だけれど、それでもかなり優しい性格であることはこれまでのつき合いでよく理解しているのだ。

「嘘、やだ!!ファイたん平気、怪我してない!?」
「……うん」
「おい、何だよその間は。まさか捻挫とかしてんじゃねえだろうな」
「あ、それは本当に大丈夫。こけたんじゃなくて躓いただけだから」
「似たようなもんじゃねえか!……マジで大丈夫なんだろうな?」

ヒュウもユキも、こんな自分を心の底から心配してくれている。いつもいつも心配をかけて本当に申し訳なく思うけれど、だけどファイツの心の中には熱い何かが広がった。

「うん。それよりヒュウくん、飲み物取りに行かなくていいの?」
「……行って来る。ついでにお前の分も取って来てやるよ、何がいい?」
「じゃあオレンジジュース!」
「ん。お前本当好きだよな、まあいいけど」

やっぱり堂々としているヒュウの背中を見送ったファイツは隣に座った親友に目線を向けた。ユキはこの季節にぴったりの、湯気が立つミルクティーをちびちびと飲んでいる。

「ね、ユキちゃん」
「んー?どしたのファイたん」
「何だかんだ言って優しいよね、ヒュウくん」
「まあね。正直一緒にいると楽なのよ、変に気遣わなくていいし。……でもさ、ファイたん」
「うん?」
「”一番優しい男子はラクツくん”だって思ってるでしょ?」
「…………うん」

両手をカップに添えながら放たれたユキの言葉にこくんと頷く。ヒュウのことも優しいと思っている、その言葉に嘘偽りはない。だけど彼は、もう1人の男友達であるラクツは文句なしに優しい人なのだ。頭が良くて落ち着いていて何でも出来て、それでいて偉ぶったところを全然見たことがない。純粋に人間として尊敬出来る彼と友達になれたことは今でもラッキーだった、そうファイツは思っているのだ。

「……ねえ、ユキちゃん」
「ん?」
「ラクツくん、どこ行くんだろうね」

脳裏に思い浮かぶのは高校時代のラクツだ。当時から大人びていた彼は何かと頼りにされていて、自習になった時に一度だけ先生の代わりに教えていた姿をファイツは今でも憶えている。学校の先生になれるよと言ったら彼は困ったように笑っただけだった。だから教師になるつもりではないのかもしれないけれど、きっとどこに行っても成功するだろう。

「うーん……。ラクツくんのことだからすごいとこなんじゃないの?実際選び放題でしょ。何なら企業から是非来てくださいって懇願されるレベルじゃない?世が世ならお金を払ってでも採りたい人材でしょ」
「……やっぱり?」
「おう、何の話してんだ?」

ヒュウがじきに戻って来ることは頭に入っている。流石に今度は驚かなかったファイツは「ラクツくんの話だよ」と答えた。わざわざ目の前にコップを置いてくれたヒュウくんは優しい、そうファイツは思った。

「ありがとう、ヒュウくん」
「別に……礼なんていいって。ついでだって言ったろ」
「あ、ファイたんばっかりずるーい。……ね、あたしの分も持って来てよ。次はカフェラテね!」
「お前なあ、まだ半分以上残ってんじゃねえか。せめて飲みきってから言えよな」

いつも通りコーラを持って来たヒュウは呆れたように溜息をついた。彼は刺激のある飲食物が好きであるらしく、夏でも冬でも炭酸を飲んでいるのだ。流れでそのまま他愛のない調子で言葉を交わし始めた2人を、ファイツは頬杖を付きながらにこにこと眺めていた。

(やっぱりこの2人って仲良いよね。ヒュウくんとつき合ったりとかしないのかな……。確か今のユキちゃんって誰ともつき合ってないはずだし……。あたしから見たら、お似合いだと思うんだけどなあ……)

2人とは違う大学なのだけれど、本人経由で「彼氏が出来た」とか「別れた」とかの報告がそれなりの頻度で入って来るのでユキの恋愛事情はある程度は把握しているのだ。ヒュウくんはユキちゃんをどう思ってるんだろう、心の中でそう呟いたところでヒュウと目が合った。ユキともばっちりしっかり目が合った。

「……何だよ?」
「うん、お似合いだなあって……。……あっ!」
「……は?」
「はあ!?」

懲りずにやらかしたファイツはわたわたと腕を動かした。慌てて「何でもないよ」と取り繕った、だけど全てが遅かった。もうすごい勢いでユキから顔を背けたヒュウの顔は、夕方でもないのに真っ赤に染まっている。

「違うからなファイツ!こいつとは腐れ縁で、そういうんじゃねえから!」
「そうよファイたん、ヒュウはただの男友達なんだから!」
「う、うん……」

横からユキに、斜め前からヒュウに。同時にずいっと詰め寄られたファイツは、何度もこくこくと頷いた。”絶対お似合いなのに”。心に浮かんだまま消えないこの考えは、今度こそ言わないでおかなきゃと何度も何度も言い聞かせる。

「……オレらのことよりお前はどうなんだよ、ファイツ」
「はえ?……どうって?」
「だから、彼氏よ彼氏。決まってるでしょ?」
「え……。えええっ!?な、何言ってるのユキちゃん!」
「ファイたんこそ何言ってんの?だってファイたんってめちゃくちゃ可愛いんだもん、そろそろ彼氏の1人や2人くらい出来てもいいのになーって。……ね、ヒュウ?」
「ま、男が出来ても変じゃねえってのは同意だな。……んで、どうなんだよ?そろそろ告られたりとかねえの?……その、ほら……。お前の知り合いとかによ」
「え?あ……うん」

ユキはともかく、ヒュウの口からこういう話題が出るのはかなり珍しいことだった。だからだろうか、ファイツはついついこくんと頷いてしまった。恥ずかしいから内緒にしておこうかななんて一瞬前に考えたはずなのに、いったい何度やらかせば気が済むのだろうか。何やってるのと自分を叱りつけたのも束の間、ファイツはきゃあっと叫んだユキの勢いに押されてのけ反る羽目になった。引き具合を物ともせずに前のめりになった親友の目は、興奮の為か爛々と輝いている。

「え、とうとう告白されたの!?誰、誰!?教えてファイたん!!」
「落ち着けユキ。つってもオレも気になるんだけどな。……誰に告られたんだ、お前」
「う、えっと、あの……。その、ゼミで一緒の人に……。この前呼び出されて、”ずっと前から好きでした”って……」
「あー……。そう、なんだ」
「……ふうん。……やっぱな」
「……?」

2人の反応が何となく気にはなったけれど、ファイツは「どうしたの?」とは訊かないでおこうと思った。というより好きですと告げられた記憶が蘇って、そんな余裕は吹っ飛んでしまった。何せ自分にとっては人生初の告白だ。意識しないはずがない。

「で、どうなの!?返事は!!」
「そ、その場でごめんなさいって断ったよっ!だってその人、何か……!」
「何か?」
「うん……。その、ちょっと嫌な感じがするんだもん……。優しくないわけじゃないんだけど……っ」
「……おい、まさか何かされたんじゃねえだろうな」
「それは大丈夫……。……本当だよ?」

大丈夫と言ってから数秒後に言葉を付け加えたものの、ヒュウとユキは流石に騙されてはくれなかったらしい。「ファイたんって本当嘘が下手だよねえ」なんて溜息交じりに言葉を漏らしたユキにあっけなく負けたファイツは、おずおずと口を開いた。

「あ、その……。同じ教室にいるとね、やたらと話しかけられるのがちょっと困るくらいで……」
「何が”ちょっと”だよ。だいぶ困ってるじゃねえか」
「あのね、普通は怒るところなの!そんなはた迷惑なやつにはガツンと文句を言ってもいいの!」
「でももうちょっとで卒業だし、あんまり刺激したくないし、第一その人に悪いし……。本当に困ったら先生に言うから大丈夫だよ。……ほら、あたしのことはもういいから!別の話しよ、……ね?」

決まりが悪くなったファイツは無理やり話題を変えることにした。隠れ蓑になりたいわけじゃないけれど、ラクツの進路の話題を振ってみせるとその効果は抜群だった。ぎらぎらと目の色を変えていたはずの2人は、すっかり元の雰囲気に戻っている。

「そう言われてもな、オレだって知らねえよ」
「何だ、ヒュウも知らなかったの?何か意外」
「ほっとけ。……そういやお前らの第一志望はどこなんだ?」
「うん、BWソリューションズに決めたよ。あのね、ユキちゃんも一緒なの!」
「は?お前らもなのかよ。オレもそこにしたぜ、条件悪くなかったしな」
「ヒュウくんもなの!?嬉しい!」
「何それ!?奇跡じゃん!」
「……んだよ、マジで腐れ縁じゃねえか。……ま、あいつは違うだろうけどな」
「…………」

ユキちゃんだけじゃなくてヒュウくんとも一緒の会社で働けるかもしれない。ファイツの心の中で急速に膨らんだ喜びは、他ならないヒュウの発言でやっぱり急速に萎んでいった。頼んでおいてちっとも飲んでいなかったオレンジジュースのストローに口を付ける。大好きなはずのオレンジジュースなのに、全然美味しくないと感じるのは何故なのだろうか……。

「詳しくは訊いてねえけど、面接の通過率とかいい意味でやべえってことだけは分かる。外資ITとか総合商社とか公務員とか、もしかしたら官公庁でも通ってるかもな。まあオレらの第一志望じゃねえことは確かだろ。悪くねえ会社だけどよ、あいつならもっと上……何なら頂点目指せるかもしれねえし」
「あ、やっぱり?流石ラクツくんって感じよね。何かさ、あたし達の内定数を束にしても勝てなさそうじゃない?」
「言うな。つうかラクツとそういう点で張り合おうとするだけ無駄だ、あいつは人間じゃねえからな」
「やっぱり気になる~!……ねえ、こうなったら賭けない?ラクツくんの進路を3人で予想するの。一番遠かった人が残り2人にドリンクバーを奢るってのはどう?」
「面倒くせえ、けど乗った。じゃあオレは警察関係な、あいつの父親って警察官らしいし割と可能性はあるだろ」
「じゃああたしはコンサルかな。何か出来る男って感じだし!」
「…………」

2人の会話をぼんやりと聞き流しながら、ファイツはオレンジジュースを飲むことも忘れて黙り込んだ。ストローを意味もなくがちゃがちゃと動かす。”やっぱりラクツくんとは離れちゃうんだ”。心の中でその気持ちだけが膨らんだ。

「ファイたん、ファイたんってば!」
「え……。あ、何?」
「だから、3人でラクツくんの進路を予想しようよって話!一番現実とかけ離れてた人がドリンクバー代を払うの。ね、ファイたんはどこに行くと思う?」
「う、ん……。……じゃあ、あたしは……」

そう言ったきりファイツは黙り込んだ。ヒュウとユキを焦らしたかったわけではなくて、単純に言葉が出なかったのだ。静かに、だけど圧倒的な存在感を放ちながらこちらに向かって歩いて来る男の人を視界に捉えた瞬間に、彼の進路予想は頭からすっかり吹き飛んでしまっていた。まさに威風堂々。そんな言葉が似合う彼のことを、ファイツは穴の空く程見つめていた……。

「久し振り、ラクツくん!元気だった?」
「ああ、ユキくんも元気そうだな。ボクが最後か、遅れてすまないな」
「お、来たかラクツ。……っておい、お前スーツかよ!?」
「面接だったんだ、当然だろう」

黒いコートを脱ぎながら淡々と返す彼は確かにヒュウの言葉通りスーツを着ていて、ファイツは何秒か遅れて「あ」と思った。ラクツを見ていたはずなのに、ヒュウが指摘するまで全然気付かなかった。

「ヒュウならまだしも意外過ぎない!?とっくに就活済んでるって思ってたのに!……まさかラクツくん、まだ決めてないの?」
「いや、第一志望は既に決めている。今日が就活の最終日だったんだ」
「ま、お疲れ。……で、お前のことだからどうせ最終まで行ったんだろ?」
「ああ」
「やっぱりねー……。でも何かさ、ラクツくんって新卒って感じしないよね。社会人3年目ですって言われても通るよ、貫禄あるもん」
「意味が分からないんだが」
「…………」

3人の会話をぼんやりと聞いていたファイツだったが、そこではっと我に返った。気付けば3人ともが揃ってこっちを見つめているではないか。自分もラクツを散々見つめていておいて何だけれど、いたたまれなくなったファイツはえへへと曖昧に笑ってみせた。だけど、そこでも彼は騙されてはくれなかったらしい。真向かいの席に腰を下ろした彼は、眉間にぐぐっと皴を刻んでいる。

「……ファイツ、どうした?」

静かな口調でそう尋ねたラクツを、じっと見返してみる。相変わらず落ち着いた、だけど優しい声色だとファイツは思った。この優しい声色をした彼に、いったい何度助けられて来たことだろうか。

「う……ん。……何か、久し振りにラクツくんと会ったら安心しちゃって」
「……お前、そういうとこだぞファイツ」
「ファイたんって時々遠慮なく刺してくるよね。ファイたんらしいんだけどさー」
「え、え?ちょっと、意味分かんないよ!……ラクツくん、何のこと?」
「……ああ、うん……、そうだな……。……”キミらしい”、ボクが言えることがあるとすればそれくらいだ」

だから何のことだろう。わけの分からなくなったファイツは首を傾げるばかりだった。頭の中で膨れ上がる疑問符を止めてくれたのはユキの一声だった。

「そうだラクツくん、結局どこに決めたの?あたし達、もう気になっちゃって!」
「達っていうか一番気にしてたのはお前だろユキ。で、どうなんだラクツ。お前の第一志望は」
「BWソリューションズだ」
「は?」
「え?」
「はえ?」

信じられない、まず最初にそう思ったファイツは目をぱちぱちと瞬いた。それはヒュウとユキも同じだったようで、ファイツはラクツそっちのけで2人と顔を見合わせた。彼の言い間違いか、自分達が聞き間違えたのではないのだろう。やっぱり信じられないと思ったファイツは、おずおずと唇を開いた。

「えっと……。ラクツくん、もう1回言ってもらってもいい?」
「BWソリューションズだ」

嫌な顔一つせずにまったく同じ言葉を繰り返したラクツは、押し黙ったまままっすぐにこちらを見つめ返すばかりで。ちょっとだけいたたまれない気持ちになったけれど、すぐに心を熱い何かで満たされたファイツは満面の笑みを浮かべた。ユキもいるし、ヒュウだっている。更にはラクツまで一緒の会社で働けるかもしれないのだ。嬉しくないはずがない、間違いなくここ最近で一番いい出来事だ。

「は!?うっそだろおい!」
「奇跡じゃん!!」

まだ信じられないとでも言わんばかりに叫び声を上げたヒュウとユキと。「ここは店内だぞ」と2人に注意する、やっぱり落ち着いているラクツの声と。聞くだけでどこか安心する3人の声をBGMにしながら、ファイツは大事な大事な親友達を思って微笑んだ。未来への不安はもちろんある、まだ一緒に働けると決まったわけではないこともちゃんと理解している。だけどそうなるかもしれないと思うだけで、確かにファイツの心は冬の陽だまりのような温かな光で満たされるのだ。