school days : 169
チョコレートに想いを込めて
4人の女の子達が、それはそれは真剣にチョコレートに向かい合っている。4人共が、チョコレートにありったけの想いを込めている。基本的なチョコレート作りの流れを教えるや否やすぐに取りかかり始めた女の子達の姿を、ダイヤモンドは少し離れたところからじっと見つめていた。もちろんでれでれと鼻の下を伸ばしていたわけではなくて、人として単純に目を引かれたのだ。今の彼女達は全員が全員、綺麗に磨かれたキッチンに負けないくらいにきらきらと輝いているようにしか見えなくて。だから、ダイヤモンドははあっと溜息をついて身震いした。それぞれの想いに胸を打たれた、と言えばいいのだろうか。上手く言えないけれど、胸の奥がとにかく熱くなったのだ。今日作るのはあくまで練習用のチョコレートで、本番は各自が家で作ると聞いている。だけどそれでも、それぞれのチョコレートに想いが込められていることに変わりはない。(すごいよ、皆~)
心からの褒め言葉を直接声に出さなかったのは、皆の邪魔をしたくないと強く思ったからだ。それに、単純に危ないからという理由もある。何せ、工程の進み具合に個人差はあれど刃物や火を使っている最中なのだ。自分が声を出した所為でこの中の誰かが包丁で指を切りましたとか、もしくは火傷を負いましたなんてことになったら悔やんでも悔やみきれない。自分を頼って来た女の子達に痛い思いをさせるわけにはいかないと、人一倍おっとりのんびりしている自覚があるダイヤモンドは改めて気合を入れた。
「……!」
基本的に熱くなることが少ないダイヤモンドが珍しく拳をぎゅっと握った、そんな時だった。1人の女の子が包丁を持ったのが見えて、心臓がどきんと跳ねる。綺麗な黒い髪の毛を三角巾でまとめたプラチナの白い指に、視線が自然と縫い付けられた。自分のそれとは明らかに違う、女の子らしい細い指先だ。
(お嬢様……)
ダイヤモンドは、真剣な表情で包丁を握っている女の子の呼称を心の中でそっと呟いた。今や、心臓は二重の意味でどきどきと激しく高鳴っていた。ベルリッツ家にはお抱えの料理人がいるからなのか、プラチナは今まで包丁を碌に持ったことがないらしいのだ。たまに行われる家庭科での調理実習でも、専ら後片付けを担当していると聞いている。その所為なのか、チョコレートを細かく刻んでいるプラチナの手はものの見事に震えていた。相方に危なっかしいとか、見ててひやひやするとかよく言われるダイヤモンドですら、ものすごく危なっかしいとしか思えない手付きだった。おまけに握られているのがよく研がれた切れ味のいい包丁であることも、不安感を煽った。
ダイヤモンドはどうしようと悩んだ。ここにいる皆に怪我をして欲しくないと思っているのは事実なのだけれど、プラチナには特に痛い思いをして欲しくなかった。何たって彼女は、好きな女の子なのだ。女の子より食べ物の方に興味津々だった自分を変えた、大切な女の子なのだ。自分の世界を変えてくれた彼女が、自分の目の前で痛い思いをするなんて絶対に嫌だった。その最悪の光景をつい思い浮かべてしまったダイヤモンドは顔を歪めた。頬を伝った一筋の冷や汗が、これまたぴかぴかに磨かれた床に音もなく落ちる。目に見えて余計な力が入っているプラチナに落ち着いてと声をかけたくとも、それこそその拍子に包丁で指を切ってしまうのではないだろうか。そんな考えすら浮かんで来る……。
「ダイヤくん、ダイヤくんってば!」
「……えっ?な、なあに~?」
「”なあに”じゃねえって、ダイヤ……いやダイヤモンド。ワイはさっきからずっとお前を呼んでたんだぜ?オレだって肩を叩いたのに、お前は全然気付かないし」
「え~!?……あ!」
プラチナのことで頭がいっぱいになっていたダイヤモンドは、相方であるパールの指摘で一気に現実世界に引き戻された。パールは明らかに呆れた顔をしているし、ワイは眉根を寄せていた。そんな2人に見つめられたダイヤモンドはしばらくの間呆然としていたのだけれど、失態に気付いて大きく開けた口を両手でぱっと覆った。あれ程女の子達の邪魔をしないようにしなければと気合を入れたというのに、結局は声を出してしまった。それも自分基準でかなりの大声だ。一筋どころではなく冷や汗をだらだらと流したダイヤモンドは、好きな女の子をおそるおそる見やった。プラチナの白い指に、赤いものが滲んでいたらどうしよう……。
「び……。びっくりさせちゃってごめんね~、皆……!大丈夫……!?」
3人の女の子達が、そしてプラチナが怪我をしたら、それは自分の所為以外の何物でもない。現実になって欲しくない光景を思い浮かべたダイヤモンドが両手を合わせて謝ると、プラチナはおかしそうにくすくすと笑った。彼女の隣でチョコレートを湯煎していたサファイアは笑いこそしなかったけれど、どうしたのかという目付きで自分を見つめていた。女の子達から向けられるまっすぐな視線と、何よりもプラチナが浮かべたそれはそれは綺麗な笑みで、途端にかあっと顔が赤くなる。
「大丈夫よ、ダイヤくん。誰も怪我してないから」
「そ、そうなの?それならいいんだけど~……」
そう言いつつ、ダイヤモンドはプラチナの手元に視線をやった。ワイが先に答えたからなのか彼女は何も言わなかったけれど、クロワッサンの形に細められたその瞳が「大丈夫ですよ」と言っていた。身体の向きを戻した彼女のチョコレートに添えられた綺麗な指先には切り傷の1つも見当たらなくて、やっぱり二重の意味で胸をどきどきと高鳴らせたダイヤモンドは良かったと思った。女の子達が、そしてプラチナが痛い思いをしなくて済んで、本当に良かった。ダイヤモンドは心の底からホッとした。たっぷり3回は胸を撫で下ろして、ついでに深呼吸も済ませてから、やっとのことでワイに向き直る。
「ごめんね、ワイ~。オイラ、ちょっと考え事してて……」
「気にしないで、ダイヤくん。キミにチョコ作りを教えて欲しいって言ったのはアタシなんだしさ。……で、チョコはこんな感じでいいの?頑張って刻んでみたんだけど」
本当に気にしていないのだろう。板状のチョコレートと格闘していたワイが、明るい声でそう言った。人差し指で示されたまな板の上に目線を移してみると、オーソドックスであるミルクチョコレートがきっちり等間隔で細かく刻まれている光景が飛び込んで来た。ダイヤモンドはまたしても感嘆の溜息をついた。これならきっと、いや絶対に口当たりもいいはずだ。本人が言った通り、彼女が確かに頑張ったであろうことが窺える。料理が苦手だとワイは言っていたけれど、バレンタインデー当日に贈る相手に少しでも美味しいと思ってもらえるように、一生懸命頑張ったのだろう。
「うん、そんな感じでいいと思うよ~。すごいね、ワイ~」
ダイヤモンドが大きく頷いてみせると、どこか不安そうに眉根を寄せていたワイの顔がぱっと明るくなった。努力の証である刻まれたチョコレートをボウルに移しているワイに向かって声なきエールを送ったダイヤモンドは、あれ?と首を傾げた。ワイの左隣にいるファイツの手がまるで進んでいないことに気付いたのだ。記憶が正しければワイと同じタイミングでチョコレートを刻み始めたはずなのに、ワイの半分も進んでいない。
(何か悩みでもあるのかなあ……)
甘い物好きの自分は好んで食べないビターチョコレートは、半分どころか8割が板状だった。それに、抹茶色のチョコレートに至っては手つかずだ。そういえば、彼女は自分が声を上げてしまった時、こちらを振り向きもしなかったように思う。もしかしたら考え事でもしているのか、もしくはどこか具合でも悪いのかもしれない。そう思ったダイヤモンドは、ファイツに声をかけてみた。だけどそれでも彼女はぼんやりとしていて、上の空そのものの態度をしている……。
「どうしたの、ファイツさん~?」
「ダ、ダ、ダイヤモンドくん!?」
大きめに声を張り上げたら、ようやく気付いてくれたファイツがびくんと肩を震わせた。3回目の呼びかけだった。反射的に彼女の手元を見たダイヤモンドは、包丁が指先を傷付けなかったことにホッとした。おとなしくて、かなりの人見知りなのだとワイが言っていた通り声も小さくて。そしてどこかおどおどとしているように見えるファイツは、目と目が合った瞬間に顔をかあっと赤らめた。
「大丈夫~?どこか悪いの?」
「だ、大丈夫……っ。その、えっと……。考え事してただけで……っ!」
「あ、本当!ファイツってば、全然進んでないじゃない!……いったい何を考えてたの、ファイツ?さては……」
「ワ、ワイちゃんっ!そ、それ以上言わないでぇっ!」
目をぎゅっと瞑って首をぶんぶんと振ったファイツは、この場にいる全員の視線が集まったことが恥ずかしかったのだろう。更に顔を赤らめて、猛烈な勢いで進んでいなかったチョコレート刻みを再開させた。そんなファイツには好きな人がいるんだとダイヤモンドは思った。そして来たる2月14日には、想いが込められたチョコレートを渡すのだろう。絶対にそうだと確信出来る程のあからさまな反応だった。パールだって、自分と同じことを思ったに違いない。
好きな人の為に、あるいは大切な人の為にチョコレートを作っているファイツに目を留めたダイヤモンドは、ワイに視線を移した。次はサファイアに視線を移して、そして最後にプラチナの姿に目を留めて微笑んだ。やっぱりきらきらと輝いている女の子達は眩しかった、ものすごく眩しかった。そんな彼女達に向けてダイヤモンドは頑張れとエールを送った。それぞれのチョコレートに込めたありったけの想いがどうか届きますようにと、ダイヤモンドは声に出さずに呟いた。