school days : 168
いじっぱり
「あたしって、どうしてこんなに弱虫なんだろう……」暗くなった道をとぼとぼと歩きながら、ファイツはそう呟いた。スーパーの出入口を勢いよく飛び出したのに、今や歩みは亀より遅くなっていた。空を覆っている厚い雲がまるで自分自身の心のように思えて来て、ファイツは思わず深い溜息をついた。脳裏に蘇るのは、スーパーで偶然出会った目付きの悪い男の子とのやり取りだ。口ごもってしまった自分に対して普通に話して欲しいと頼んだ彼の声色は、今思い返してみても刺々しいものではなかった。刺々しいどころか、むしろ優しい声色だったような気がする。だけど自分はそんな彼に対して何を言うこともなくあの場から逃げ出したわけで、ファイツはまたしても深い深い溜息をついた。
男性が苦手なことも彼が口にした幼馴染の名前が最後の引き金となったことも確かな事実なのだけれど、それにしたって逃げることはなかったとファイツは思った。元々親しい仲ではないものの、あからさまに会話を打ち切った自分の態度で彼は気を悪くしたかもしれない。その理由があの頃とは真逆になってしまったとはいえ、これでは幼馴染の名前を聞く度に逃げていた頃から何も成長していないではないか。目付きの悪い男の子への罪悪感と何より酷い自己嫌悪で、ファイツは人知れず泣きたくなった。
(ただ名前を聞いただけだったのに……。別に、ラクツくん本人に会ったわけでもなかったのに……)
確かにファイツは、チョコレート売り場で偏に好きな人のことを考えていた。告白する予定もそもそもその資格もないと分かってはいるものの、それでも迫り来るバレンタインの日には手作りのチョコレートを”2人の好きな人”に渡そうとファイツは決めていた。2人の男性にどうしようもなく惹かれてしまっておいてなんだけれど、チョコレートを2人に渡さないという選択肢はファイツにはなかった。Nには渡すのかと問われて親友達の前で頷いてしまったし、ラクツにはこの数ヶ月で色々とお世話になった恩がある。特に、幼馴染の彼には本当にお世話になったとファイツは強く思っている。ラクツに勉強を教えてもらわなければ、数学への理解度が急上昇することは絶対にあり得なかった。そのお礼も兼ねて、ファイツはどうしてもチョコレートをあげたかったのだ。
(……こ、告白するわけじゃないんだもん……。手作りだけど、ラクツくんにはお礼の意味で渡すんだもん……。N先生だって来年担任になるかもしれないし、お世話になりますって意味で渡すだけだもん……)
お礼という形でなら、チョコレートを渡しても赦してもらえるかもしれない。罪悪感に苛まれると同時に好きな人達を想って顔を赤くさせたファイツは、次の瞬間きゃあっと悲鳴を上げた。何の前振れもなく肩に手を置かれたという事実に心臓をどきどきと高鳴らせながら振り返ったファイツの視界に、綺麗な金色の髪の毛を持つ親友が映り込んだ。彼女の存在に今の今まで気付かなかったという驚愕で、ファイツは大きく目を見開いた。
「ワ、ワイちゃん!?」
きっと、かなりの距離を走って来たのだろう。テニス部で活躍しているにも関わらずはあはあと息を切らしている親友は、けれど呼びかけに応えて晴れやかな笑みを見せた。
「もう、何度も大声で呼んだのに!ファイツってば全然気付かないんだから!」
無視されたかと思っちゃったわよと言ったワイに、ファイツは慌ててぶんぶんと首を横に振った。大切な親友を無視するなんて、とんでもない!
「ご、ごめんねワイちゃんっ!あたし、全然気付かなくて……っ!無視したわけじゃないから!」
「ちょ、ちょっとファイツ!アタシは本気でそう言ったわけじゃないからね!?冗談よ、冗談!」
「う、うん……」
「ねえファイツ、せっかく会えたんだし一緒に帰らない?それともどこかに行く予定だった?」
「ううん、あたしもスーパーから帰る途中だったの。もう暗いから、ワイちゃんがそう言ってくれてホッとしちゃった……。ありがとう、ワイちゃん!」
「いえいえ、どういたしまして!」
アタシはコンビニ帰りなのよと笑ったワイは、コンビニのロゴが入ったビニール袋を持ち上げて見せた。確かにワイの言う通り、そこには美味しそうなデザートがいくつも入っていた。テレビのCMで有名女優がそれは美味しそうに頬張っていたのが印象的な、ファイツも少し気になっていたガトーショコラが見えて、思わずいいなあと心の中で呟いた。
「……今、このガトーショコラを食べたいって思ったでしょう?」
「な、何で分かったの!?」
「そりゃあ分かるわよ。だって、はっきり顔に書いてあるんだもの。いくらアタシでも分かるわよ」
いたずらっぽく笑った親友にそう指摘されて、ファイツの顔は自然と赤くなった。食い意地が張っていると思われるのは例え親友でも恥ずかしくて、少し俯きがちにファイツは歩いた。
「今更だけど、ファイツって本当に素直よね。そこもファイツのいいところだし、アタシも見習いたいくらいだわ」
「い、いいところなのかなあ……?」
「何言ってるのよ、素直っていうのはいいことじゃない。ファイツ以上に素直な子なんて、そうそういやしないわよ」
どういうわけかそう評されることが多いのだけれど、自分では決してそんなことはないと思っているファイツは眉間に思い切り皺を寄せた。ワイのおかげで泣きたくなる気持ちはどこかに行ってしまったものの、それでも心にかかる雲は消えてくれなかった。自分は素直じゃない、絶対に素直なんかじゃない。最近の色々な出来事を思えば、素直というより意地っ張りだと言われた方がずっとしっくり来るに決まっている……。
「……ワイちゃんやサファイアちゃんの方が、あたしよりずっと素直だよ」
「アタシが?アタシは素直っていうか、ただ単純なだけよ。サファイアも素直だっていうのは確かにそうだけど、それでもアタシはファイツが一番素直だと思うな」
「ど、どうして……?」
「どうしても何も、ファイツってば考えてることが顔にすぐ出るもの。それに、例えば先生に注意された時だって、まずごめんなさいって謝るじゃない?」
「それは確かにそう、だけど……」
「でしょ?アタシもサファイアも、その場では謝っても後でぐちぐち零すことも多いもの。……ほら、やっぱりファイツは素直な子じゃない!」
「そんなことないよ。だって、あたしはすごく意地っ張りなのに……」
親友にそう力説されたところで、そうなんだと受け入れられる気にはなれない。心の底から”自分は意地っ張り”なのだと思っているファイツはその単語をぽつりと、けれどはっきりと言い放った。
「……何、どうしたの?もしかして、何か悩みでもあるの!?」
「ち、違うよ!ちょっと最近色々あって、あたしって意地っ張りだなあって思っただけ!」
現在進行形で悩みを抱えているファイツは、ひらひらと大袈裟なくらいに手を振ってワイの問いを真っ向から否定した。心に重くのしかかっている悩みを素直に打ち明けられるはずもなかった。幼馴染ただ1人だけを想っている、そんな綺麗な恋愛をしているワイには特に言えるわけがないとファイツは思った。大好きな親友に嘘をついた罪悪感でファイツの胸はずきりと痛んだけれど、自業自得だとファイツは思った。