school days : 166

男心と女心
「よう、そこのギャル!随分と重そうなもん持ってんじゃねえか!」

クラスメイト全員分のプリントを抱えて廊下を一歩一歩進んでいたクリスタルは、後ろから突如として聞こえたその声にぴくりと反応した。この声には聞き覚えがある、いやあり過ぎると言っても過言ではない程にある。慎重に動かしていた足をほんの少しだけ止めて、だけどそのまま何事もなかったかのようにすたすたと歩き出した。今は彼に構っている暇などないのだ、何しろこのプリントをなるべく早く理科室まで持って行くようにと先生に言われているのだから。彼につき合っていたら無駄に時間が過ぎてしまうことは目に見えているし、何よりどっと疲労してしまうのが嫌だった。

「あ、おい!オレを無視すんなって!」

多分そうなるだろうとは思っていたけれど、今回もその予想は裏切られなかったらしい。案の定自分の後を追って走って来た彼に、「廊下を走らないの」と注意する。すると即座に「へいへい」などというやる気の欠片も感じられない返事が返って来たから、クリスタルは強い口調で「ちゃんと聞いてよ」と言った。

「……ったく、分かったよ。本当にオメーはよくもまあ毎回毎回オレを注意するよなあ。流石、真面目な学級委員様だぜ」
「あのねえ!他でもないあなたがそうさせてるんじゃないの、ゴールド!」

その声と何より発言内容で丸わかりなわけなのだけれど、やっぱり自分に声をかけて来たのは隣のクラスのゴールドだった。何かと女の子に声をかける、まさに女好きという言葉を誇張抜きに全身で体言している男だ。自分に並んで軽口を叩いて来たこの男に、クリスタルは冷ややかな視線を向けながら口を開く。

「見て分かると思うけど、私は今急いでるのよ。女の子に声をかけるなら他を当たってくれる?女なら誰でもいいんでしょう?」
「……何だよ、言ってくれるじゃねえか。流石のオレだってそこら辺は弁えてるぜ。別に誰でもいいわけじゃねえよ。しっかし相変わらずだよなあ、愛想が良くねえと男にモテねえぞ?」
「余計なお世話よ!……そんなことよりゴールド、制服が着崩れてるわよ。ネクタイだって結構緩いんじゃない?」
「あー、これはわざとこうしてんだよ。分かってねえなあクリス、こうした方が女にモテるんだぜ?」

緩んだネクタイを親指で指し示したゴールドの反応に、思い切り眉をひそめてやる。制服を盛大に着崩した自分を指して得意げにかっこいいだろと言った彼のことが、今更ながらまったくもって理解出来ないと思ったのだ。

(むしろ、きちんと制服を着ている方がモテると思うんだけど)

ゴールドを横目で眺めながら、心の中でそう呟く。直接言うつもりは更々ないが、この摩訶不思議な男子は整った顔立ちをしていると言えるだろう。彼のことを常日頃から注意しまくっている自分だって、その事実は素直に認めているのだ。これでだらしない制服の着こなしさえしていなければずっといいのにとクリスタルは思った、少なくとも周囲に与える印象はかなり違ったものになるはずだろう。

「どうしたクリス、やけに熱い視線で見つめて来るじゃねえか。……さては、オレにとうとう惚れやがったな?」
「…………」

クリスタルは、ゴールドの言葉にすぐに反応しなかった。もちろんそれは図星を指されたことによるものではなくて、見当違いにも程がある台詞を口にした彼に心底呆れていた為だ。確かに彼を見つめていたことは認めるが、間違ってもそういう意味で見つめていたのではなかった。むしろ冷めた視線を向けていたと自信を持って言い切れるくらいだというのに、どうしてそこに”熱い視線で”という言葉が付いて来るのだろうか。

「……おい、そこで黙るなよな!これじゃあまるで、オレがすげえかわいそうな男みてえじゃねえか!」
「あら、自覚はあるのね。意外だわ」
「酷え!」

「オレのハートはズタボロだぜ」とぼやいたゴールドに、そんなはずがないでしょうと内心で突っ込みながら「はいはい」と実にそっけなく返す。いくら外見が良くても肝心の中身がこれなのだ、これでは彼が望むような女子にモテるという未来は到底訪れそうにないだろう。最早憐れむ気にもならないけれど。

「バカなこと言ってないで、何でもいいから早く直してくれるかしら?」
「何だよ、いいじゃねえかこんくらい!別にネクタイをしてねえわけでもねえしさ、ちょっとオレ流にアレンジしてるだけなんだぜ?」
「……ゴールド、私はあなたの為に言ってあげてるのよ。もしセンリ先生やシジマ先生にでも見つかったらどうするの?小言を言われるだけじゃ絶対に済まないわよ?」
「げっ!そりゃ確かにそうかもな、あの先生達っていちいち怖えし……。……ギャルにモテねえのは惜しいが、こうしちゃいられねえ!」
「……慌てて直すくらいなら、最初からちゃんと着ればいいのに」

彼曰く怖い先生達に見つかることを恐れてか、慌てて制服の乱れを直したゴールドに盛大に溜息をついてやる。本当に不思議だ、どうして彼と話すとこんなにも疲れるのだろう。
学級委員として色々な生徒に苦言を呈して来たわけなのだけれど、9割方はこのゴールドに対して告げたような気がしてならない。自分はAクラスでゴールドはその隣のBクラスの男子であるはずなのに、どうしてクラスメイト達を注意した回数より彼1人を注意した回数の方が多いのか。本当に今更なことだけど、クリスタルははあっと大きな溜息をついた。

「すげえ溜息だな。そんなにでかい溜息なんてついたら、プリントが飛ぶんじゃねえか?」
「もうっ!うるさいわね、余計なお世話だって言ってるでしょ!」

実にデリカシーのない彼の言い方に、声を荒げて反論する。最初は他の男子と同じように接していたというのに、気付けばすっかり態度が変わっていたから驚きだ。彼をくん付けで呼んでいたことが、今ではまったくもって信じられないくらいだ。言うまでもなくゴールドのこれまでの所業がそうさせたからで、こればかりは自分に非があるはずもないとクリスタルは思っている。

「……それよりゴールド、いつまで私の後を付いてくるのよ。昇降口は向こうでしょう?」
「わざわざお前に言われなくても、んなことは分かってるっつーの。……それ、オレが代わりに持って行ってやるよ」
「……え?」

あまりにも予想外の言葉に、クリスタルは思わず間の抜けた声を出した。自分の手に感じていた重みが綺麗さっぱりなくなったという事実がクラスメイト全員分のプリントをゴールドが持って行ったということを明確に示していたのだけれど、それでも彼の行動が俄かには信じられなかったのだ。だってあのゴールドが優しいだなんて、そんなことがあり得るだろうか?

「クリス、どこに持って行けばいいんだ?」
「それは、理科室に……。って、そうじゃなくて!別に持ってもらわなくても大丈夫よ!元々私が持って行くように頼まれた物なんだから!」
「へへ、相変わらず堅物だよなあクリスは。要は誰かが持っていきゃあいいんだろ?つまらねえ意地張ってねえで、このオレ様にどんと任せておけっての!」
「意地じゃなくて!あなたがそんな風だと、私の調子が狂うのよ!いったい何を企んでるの!?」

失礼極まりないことを口走っているクリスタルは、その事実にも構わずにプリントを持ったゴールドの制服の裾を掴んで強引に引き留める。この男が善意でそんなことをするわけがない、つまりは何かしらの裏があるに決まっているのだ。

「……べ、別に何も企んでねえって!ただ、ちっとばかし期待しただけだっつーの!……あ」
「期待って何よ、吐きなさいゴールド!」
「そ、そりゃあ……。クリスからチョコがもらえることにだよ!もうすぐバレンタインだろ?」
「……え」

その言葉を聞いたクリスタルは、またしても声を漏らして呆然と固まった。彼の言葉の意味は理解しているしバレンタインデーが近付いていることももちろん分かっていたが、それでも頭がまるでついて行かなかったのだ。衝撃からか、今や心臓は大きく音を立てていた。自分からのチョコを期待しているということは、つまりはそういう意味なのだろうか。

「だってよお!困ってる女子に優しくすれば、オレだってお礼にバレンタインのチョコがもらえるかもしれねえじゃん!そりゃ、優しくするに決まってるだろ!」
「結局誰でもいいんじゃないっ!」

わなわなと身体を震わせたクリスタルはプリントを勢いよく取って、今度こそまっすぐに理科室を目指した。怒りのままにずんずんと大股で歩きながら、はあっと大きな溜息をつく。背後で「誰でもいいからチョコを恵んでくれよ」と情けない言葉を口にしているこの男に一瞬でもときめいたという事実は、一刻も早く忘れてしまおうとクリスタルは思った。