school days : 160

わるだくみ
懐かしの母校である、私立ポケスペ学園。その体育館の入口で、ブルーは感心と呆れが入り混じった息をふうっと吐き出した。剣道部の練習試合があるという話を聞いたブルーは、その話をして来た張本人であるグリーンと一緒に試合を見に来ていたのだ。しかし、こうも人だかりが多いと正直試合よりそちらの方が気になってしまう。辺りを見回してみてもそこにいるのは人・人・人で、しかも応援やら歓声やらできゃあきゃあとうるさいから正直耳が痛かった。その騒々しさだけをとると、まるで祭にでも来ているかのような錯覚すら起こしてしまう。ただ1つ決定的に祭と違う点は、周囲の人間に圧倒的に女子が多いということだった。ここから見えるだけでも自分達の周囲には女子ばかりがいて、男子なんて数える程しかいないのではないだろうかとブルーは思った。

「……やっぱりすごいわね」
「そうだな。チェレンの世代も客観的に見て強かったが、ラクツの世代もかなりの強さだ。やはり師匠の教えがいいんだろう」
「グリーン。アタシが”すごい”って言ったのは、そういう意味でじゃないんだけど。まあラクツ達が強いのはアタシだって認めるけどね」

自分の隣にいるグリーンを見ながら、ブルーは肩をひょいと竦めた。まったく本当に、この男は真面目なものだと思ったのだ。この真面目さも、そしてついでに言うなら目付きがやけに鋭いところもおまけに尖った髪型をしているところも、昔からちっとも変わらない。

「そうじゃなくて、この人だかりのことよ。目を凝らさないと試合が見えないくらいなんだもの。いつものことと言えばそれまでだけど、こうも集まるのはやっぱりすごいじゃない?」

周囲できゃあきゃあと黄色い声を上げる女子達を、ブルーはぐるっと大きく指差した。本当にすごい歓声と熱気だ、この寒い冬でこうなのだから暑い夏では何人か熱にやられて倒れてしまいそうだ。

「……そういうことか。まったく紛らわしい、お前は本当によく言葉を省略するな」
「アタシに文句を言われても困るわよ、グリーンが勝手に勘違いしたんじゃない。……まあそれは置いておいて、経験者としてこの状況をどう思う?」
「……正直、気が散る」
「まあそうよね。応援してる方には悪気がないんだろうけど、される方はもっと静かにして欲しいって思うわよね。シジマ先生も不思議よね、何で怒らないのかしら?この際はっきり言うけど、あの人って気が長い方じゃないでしょう?それなのに、今は腕組みしたまま試合を見てるだけだし」

シジマがグリーンの代の時から剣道部の顧問だったことを知っているブルーは軽く首を傾げる。あの先生はむしろ短気でしかないと言ってもいい性格なのに、こうもうるさい女子達を一喝しないことが不思議で仕方がなかった。

「……オレの時に一度それをしたら、チェレンの代で入部希望者が激減したらしくてな。それもあって、師匠はその点に関してはもう諦めることにしたらしい。ラクツも練習そっちのけで女子と話す性格でもないし、早い話が黙認されているんだろう」
「あ、そうなんだ。確かにシジマ先生って怒ると迫力ありそうだものね。アタシは教わったことないけど」
「実際迫力はあるな。だがそのおかげで、実に練習に身が入った3年間だったとオレは思っている。練習試合が終わったら挨拶に行くつもりだが、お前はどうする?」
「遠慮しておくわ。アタシはテニス部だったし、別にシジマ先生に教わったわけじゃないもの」

嫌いとまではいかないが、どちらかと言えばシジマはブルーにとってあまり関わりたくない部類に入るタイプの人間だ。特にあの熱苦しい性格が苦手だった、例えばやたらと拳を握って声を張り上げるところとか。

「前から思っていたが……。剣道部の練習試合はよく行く割に、お前は剣道そのものにはあまり興味がない印象を受けるな。今日も肝心の試合より、どちらかと言えば周囲の方を気にしているだろう」
「あら、そんなことないわよ。……って言いたいとこだけど、まあちょっとは当たってるかしらね。流石グリーン、アタシとつき合いが長いだけはあるわね!」
「茶化すな、ブルー。それで、お前はいったい何が目的なんだ?」
「言っておくけど、剣道部の試合に興味がないわけじゃないわよ。今日はラクツを応援しに来たのも本当だしね。ただアタシにとっては、あの子を応援するのと同じくらい重要なことがあるってだけ」
「だから、それは何だと訊いているんだが」
「内緒よ内緒。簡単に教えちゃったらつまらないでしょう?」

射抜くような視線にも構わずに隣にいるグリーンに向けてハートマーク付きのウインクを飛ばしたブルーは、あるものを目の端で捉えて「あら?」と呟いた。一瞬見間違いかもしれないと思って顔をそちらに向けてみると、そのあるものが今度ははっきりと見えて無意識に目を細める。

「ちょっと、そこの俯いてる女の子!」
「……え?」
「そうそう、あなたのこと。……何でそんな離れたところにポツンと突っ立ってるのよ、もうちょっとよく見えるところに行ってもいいんじゃない?」

母校の制服をしっかりと着込んだその女の子に対して、ブルーはにこやかに笑いかける。確かにこの人だかりはうるさいにも程があるのだけれど、それでも1人で淋しげに佇んでいるのがやけに気になったのだ。

「ねえ、あなたも剣道部の応援に来たんでしょう?アタシもなのよ」
「あ、あの……。あたし……っ」
「あら、違うの?もしかして、練習試合があるって知らなかったとか?」
「そ、そういうわけじゃないですけど……っ」
「何だ、知ってるんじゃない。もっと前に行けばいいのに、よく見えるわよ?」
「…………」

目を伏せて黙ってしまったその女の子の反応に、ブルーはどうしたものかと思案する。どうやらこの子はかなりおとなしい性格であるらしい。

(何か、出会った頃のイエローを思い出すわね……)

今でこそ自分に対してイエローは気負いなく話しかけてくれるけれど、出会った頃は碌に会話が成立しなかったのだ。昔を懐かしんだのもほんの数秒のことで、ブルーは今目の前に立っているこのおとなしい子に意識を切り替える。

「……ねえ、あなたは誰目当てで来たの?やっぱりラクツ?ラクツの剣道の腕はすごいみたいだし。ついでに女子人気もすごいわよね、まあ見れば分かると思うけど」
「え……っ。もしかして、この人達全員が彼の応援に来てるんですか……?」
「全員は言い過ぎかもしれないけど、大多数はそうなんじゃないかしら。ほら、何人かがあの子の名前を声高に叫んでるのが聞こえない?」
「そ、そう……ですね……。ラクツくん、やっぱりすごいんだ……」

そう言ってまたもや俯いてしまった女の子を、ブルーは何も言わずに見下ろしていた。はっきりとは言わなかったけれど、やはりこの子もラクツが目当てなのだと確信を抱く。根拠ならある、何しろ彼の名前を口にした瞬間彼女の顔は目に見えて真っ赤になったのだから。おまけに彼女は口元に手を当てて、そわそわと落ち着かない素振りを見せている。これは明らかにラクツに恋心を抱いている反応だ。賭けてもいい、これで違うと言うならこの子は将来女優として大成出来るに違いないとブルーは思った。清純派女優としてかなりの人気が出そうだ。

(ラクツも罪な子ねえ……。いったいどれくらいの女子に好意を持たれれば気が済むのかしら?まあ本人は、好きな子がいるみたいだけど)

ラクツ曰く”ただの幼馴染”に、他でもない彼が惚れているらしいという情報を自分は得ている。グリーンに指摘された通りに周囲を気にしていたのだって、実はその幼馴染を見つけられやしないかと密かに思っていたから故なのだ。以前からたった1人でその女の子を捜していたわけなのだけれど、生憎その成果は未だ得られていない。名前も顔も教えてもらえないのだから当然かもしれないけれど、頑なに隠されると逆に知りたくなるのが人の性というものだ。

(さて、この初々しくて可愛らしい子に何て言おうかしら)

そうブルーは1人思考する。隣からはグリーンの”またからかうのか”という声なき声が聞こえて来たものの、そんなものは無視するに限る。以前ラクツに言った通り自分は女の子には優しい性格であると自覚しているのだけれど、しかしこうも初々しい態度を取られるとかえって意地悪をしてみたくなるというものだ。”彼には他に好きな子がいる”と言うのは簡単だが、それでは流石にラクツにもこの子にも悪い気がするし、それに何より面白くない。何とも意地悪なことだと思いつつ、ブルーはにんまりと笑って口角を上げた。

「アタシはね、あの子目当てでここに来たのよ」
「え……っ」
「あ、あの子っていうのはラクツのことね。だってラクツったらいい男だし、剣道も強いし、おまけに頭もいいし……。本当、欠点らしい欠点がないじゃない?あんな男、アタシじゃなくても放っておかないわよ」

目を瞑って指折り数えながら、ブルーはラクツの魅力について語った。そうしながら、ますますグリーンと似ていると内心で呟く。女子にやたらと黄色い声を上げられるところまでそっくりだ。

「アタシはね、あの子が好きなの。あれ程いい男なんて、そうそういやしないわよ。歳上のアタシに向かってはっきり物を言うところも個人的にはポイントが高いわね、何か媚びてないって感じがしていいのよね」
「……っ!」
「だからあなたも……あら?」

そこで目を開けたブルーが見たのは、こちらに背を向けて走り去っていくあの女の子の姿だった。数回目を瞬いて、ブルーはからかい過ぎたかしらと溜息混じりに呟く。ずっと黙っていたグリーンが、自分のそれより大きな溜息をついた。

「どう考えてもそうに決まっているだろう。まったくお前はうるさい上に意地が悪い女だな」
「あら、そう思ってたんなら止めればいいじゃない」
「オレの知ったことじゃない。それに、オレはお前の言葉が冗談でしかないと理解していた」
「あ、やっぱり分かっちゃうか。だってラクツったら、アタシがからかうといちいち真面目に返してくるんだもの。からかい甲斐があっていい男じゃない?……そういう意味で好きだって言ったんだけど、あの子は本気の意味に取ったかしらね……」
「まあ、そうだろうな。お前もそこで反省するなら、最初から言わなければいいだろう」
「だってあの子ったら、今時珍しいくらいに初々しいんだもの。自分の気持ちにすら気付いてないような感じがしたし、ちょっと焚きつけるくらいいいかなって。これであの子が嫉妬でもしてくれたらなって思ったんだけどね……。……ああでも、やっぱり悪いことをしたかしら……。アタシとしたことが、失敗したわ……」

うるさい女だとグリーンによく言われるブルーだけれど、今度ばかりは否定出来ないと自分でも思う。あんな可愛らしい子を困らせたことはまさに失態だった。次にどこかで会えたらちゃんと謝らなくちゃと決めて、ブルーは前を見据えながら眉根を寄せた。