school days : 150
台風ガール
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り終わるや否や、ダイヤモンドは机の横にかけた鞄を開けて手を突っ込んだ。脱兎の如く購買部を目指して駆けて行った親友をのんびりと見送って、やっぱりのんびりとした動作で鞄からパンを取り出して机の上にそっと置いた。今終わった授業は4時限目、つまり今はお昼休みの時間なのだ。クラスメイト達の喋り声やら何やらで教室が騒がしくなる中、ダイヤモンドは1人鞄の中からパンを取り出しては机の上に置くという動作をのんびりと繰り返していた。普通の人よりよく食べるという自覚がある自分にとって、この時間は何よりの楽しみだった。何人かのクラスメイト達が連れ立って教室を出て行くのをのんびりと見送る。彼らはきっと食堂に向かうか、パールと同じように購買部にお昼ご飯を買いに行くかしたのだろう。(オイラ、あんまり食堂で食べたことがないんだよね~。いいなあ……)
メニューが豊富で、出来立ての温かい料理が出る食堂でお昼を過ごすというのもかなり魅力的なのだが、そこに行くまでにはかなりの時間がかかるのだ。食べようと思っていたメニューが売り切れてしまうこともしばしばで、何より一刻も早くご飯にありつきたいダイヤモンドはいいなあと思いながらも結局は教室でお昼ご飯を食べることが多かった。購買部にも美味しいパンがたくさん売られているのだけれど、お昼休みの購買部にはそれは大勢の人が群がることをダイヤモンドはよく知っている。
この学校で初めてのお昼を迎えた時のことは今でもよく憶えている。勇んで購買部に向かったはいいが、あまりの混雑とのんびりしている性格が災いして1つのパンも買えなかったのだ。結局パールにコンビニで買ったパンを何個か分けてもらってその日は事なきを得たのだが、購買部でお昼ご飯を買う時はそれなりの覚悟をしておこうと思ったものだった。だからダイヤモンドは、基本的にコンビニでお昼ご飯を買っているのだ。
(購買部の方がコンビニより少し安いんだけど、オイラに買えるわけないもんね~)
今日も今日とてコンビニで買ったパンを机の上に並べたダイヤモンドは、心の中でそう呟いて苦笑する。安くて美味しいパンはお小遣いをもらっている自分にとって実に魅力的なのだけれど、のんびりしている自分には買えないわけだからこればかりは仕方がない。鞄から今日のお昼ご飯を取り出し終えたダイヤモンドは机の上に並べたパンを見つめた。今日のお昼はカレーパンにメロンパン、焼きそばパンにあんぱんにクロワッサンだ。大きいことを売りにしているこのパンのシリーズは、そう謳っているだけあって確かにどれもかなり大きいサイズをしている。おまけにサイズの割に安いから、このシリーズのパンはよく自分のお昼ご飯になるのだ。どれも美味しそうだけど、それだけに何から食べようか迷ってしまう。数秒間迷った末に指差しでどのパンから食べるか決めることにしたダイヤモンドは、鼻歌を歌いながら順繰りにパンを指差していった。
「……あれ?今から食うところなのか、ダイヤ」
人差し指の先にあったあんぱんを掴んでその袋を破ったその時、購買部から戻って来た親友の声が聞こえた。両手で持ったあんぱんに大きくかぶりついてもぐもぐと咀嚼する、そしてそれをごくんと胃に流し込んでからダイヤモンドはようやく親友がいる方向へ振り向いた。自分とは正反対にせっかちであるパールだけれど、こちらのことをよく理解してくれている彼はまったく急かさなかった。そんな親友にダイヤモンドはにっこりと笑ってみせる。
「お帰り、パール~」
「食べるのが早いお前にしては珍しいな。別にオレを待ってなくても良かったんだぜ?」
「あのね、どのパンから食べようかなって迷ったから指差しで決めてたんだよ~」
「そういうことか。はは、まったくお前は相変わらずだよな。今だって、すげえ幸せそうな顔して食ってるしよ」
笑いながらそう言ったパールは、紙袋を自分の席に音を立てて置いた。美味しそうなメロンパンが紙袋からはみ出しているのが見える、甘い物好きなパールは最近メロンパンにはまっているらしいのだ。自分だってメロンパンを買った癖に、ダイヤモンドはそっちのメロンパンも美味しそうだなあと思った。
「だって、このパン美味しいんだもの。パールこそ相変わらず速いよね~。今日も購買部は混んでたの~?」
「ああ、チャイムが鳴り終わってからすぐに行ったのにそこそこ混んでたぜ。こういう時1年は階段がない分有利だよなあ。来年は教室が3階になるから、購買部に行って帰って来るのも一苦労になりそうだな」
「あ、そっか~。階段が1階分多くなるから疲れちゃうよね~」
「まあオレは走るのが好きだから別にいいんだけどさ、食いたい物が買えないのはちょっと勘弁して欲しいぜ」
お互い買って来たパンを食べながら、そんな取り留めのない会話を交わす。こと食べる早さに関しては何をするにも早いパールに勝っているかもしれないダイヤモンドは、既に4つの大きなパンを食べ終えて最後に残したメロンパンの袋を破っていた。そんな自分を見てか、パールが呆れたように笑った。
「しっかし、お前は本当に食うのが早いよなあ。それでいてちゃんと味わってる上に太らないんだからすごいと思うぜ。……あ、そうだ。太らないといえば、この前クラスの女子がお前のことを羨ましがってたぞ。”ダイヤくんはいくら食べても太らなくていいなあ”だとよ」
「う~ん……。昔からそうなんだよねえ、オイラ。体質かなあ~」
「多分そうなんだろうな。それにしても、学校内で大食いか早食いコンテストがないのが惜しいぜ。もしそんなコンテストがあったら、ぶっちぎりでダイヤが優勝しそうだよなー」
「同じコンテストなら、漫才コンテストに出る方がいいなあ。パールと一緒に出てみたいよ、オイラ」
「……そっか。ああ、そうだよなあ……」
どこか嬉しそうにしみじみと呟いたパールは、メロンパンの最後のひとかけらを口の中に放り込んだ。とっくに全てのパンを食べ終えていたダイヤモンドは、親友が食事をしている様子をのんびりと見ていた。もちろん食べる方が断然好きなのだが、人が食べているところを見るのだって割と好きなのだ。
「あ、いたいた!……パールくん!」
「ん~?」
「んあ?……ああ、誰かと思えばワイか」
パールにワイと呼ばれたその女の子は、躊躇う素振りをまったく見せずに廊下から教室へと堂々と入って来た。金髪のショートヘアーが彼女の歩く動きに対して揺れている。ワイはパールの机の前で立ち止まると、「まだ食べてるのにごめんね」と両手を合わせて謝った。クラスメイト達の話し声でざわついている教室でもよく通るはきはきとした物言いといい、その明るい髪の色といい、この子は何だかパールに似ているとダイヤモンドは思った。
「いや、別にいいぜ。……それで、オレに何の用なんだ?サファイアから伝言でも預かって来たのか?」
「ううん、そういうわけじゃなくて……。えっと、パールくんと一緒にご飯を食べてるってことは、もしかしてキミがダイヤモンドくん?」
「う、うん。そうだけど……」
パールと違って日頃から女の子とあまり話さないダイヤモンドは、どきまぎとしながら頷いた。別に何かを期待しているわけではないのだけれど、どうしても女の子というだけで妙に意識をしてしまう。
「ああ良かった、休みとかじゃなくて!……あのね、キミに頼みたいことがあるんだけど……。今、大丈夫?」
「……う、うん」
「あ。名乗るのが遅れたけど、アタシはワイっていうの。B組のワイ・ナ・ガーベナよ。あのね……。プラチナから聞いたんだけど、キミってお菓子作りが得意なんだって?」
「……ああ、そっか。えっと……ワイさんって、お嬢様の友達なんだ~」
どうにかワイの名前を声に出して、ダイヤモンドは笑ってみせた。よくよく彼女を見てみれば、確かに夏祭りの時にプラチナと一緒に歩いていた子だった。プラチナの友達と聞いただけで、今の今まで感じていた緊張感が少しだけ薄らいだから不思議なものだ。
「そう、アタシはプラチナの親友なのよ。それで、えっと……。聞いた通り、チョコレート作りに詳しかったりする?」
「詳しいかは分からないけど、よく作るよ~」
一番よく作るのが焼き菓子なのだけれど、気分によっては他のお菓子も作るのだ。チョコレートを作ったのだって、1回や2回のことではない。
「そう、なんだ……。あのね、ダイヤモンドくん。良かったら、アタシに教えて欲しいんだけど……」
「チョコ作りを?」
「……うん」
ワイはそう小さく頷く、最初の堂々とした姿からは随分とかけ離れていた。どこか不安そうな、そして同時にどこか恥ずかしそうにしている彼女の様子にピンと来たダイヤモンドはにっこりと微笑んで口を開いた。
「もしかして、バレンタインの為に~?」
「う、うん……」
「そっかあ。うん、オイラはいいよ~」
「本当!?……えっと、アタシだけじゃなくてアタシの友達にも教えて欲しいって言ったら?」
「いいよ、皆でおいでよ~」
どこか不安そうだった彼女は、そう言った途端にぱっと瞳を輝かせた。話していくにつれて段々と語尾が小さくなっていたのだが、ワイは今やはきはきとした物言いを取り戻していた。
「ありがとう、ダイヤモンドくん!プラチナが言ってた通り優しい人ね!」
「え。……お嬢様が、オイラをそんな風に言ってたの~?」
「そうなのよ。それに、お菓子作りもすごく上手だって言ってたわよ!」
「良かったな、ダイヤ!」
そう言いながらこちらの肩に手を置いたパールに、ダイヤモンドは頬を掻いてうんと答えた。深い意味はないのだろうけれど、そう言った相手が相手なだけにどうしても気恥ずかしくなってしまう。
「日程とか場所とか、詳しいことを決めるのはまた後でもいいかな?ダイヤモンドくんの都合に合わせるからさ!」
「うん。それで、誰が来るの~?」
「サファイアとファイツって子よ。サファイアはパールくんと同じ陸上部の女子で、ファイツはアタシと同じクラスなの」
「へー、サファイアも料理するのか。何か意外だな」
「アタシと同じで料理全般が苦手なんだけど、ダイヤモンドくんがいいって言ってくれたら頑張るって。ファイツは料理好きだけどチョコレートを作るのは自信がないらしいから、良かったら教えて欲しいって言ってた。本当なら3人でお願いするべきなんだろうけど、2人共お昼を食べてたからアタシが来たのよ。元々2人に言ったのはアタシだし」
「ありがとう」と重ねて言ったワイに、ダイヤモンドは大きく頷いた。パールにどこか似ている為なのだろう、気付けばダイヤモンドはワイと極自然に話すことが出来ていた。だけどサファイアとファイツとは会話の1つもしたことがないのだ、そんな自分が果たして満足にチョコレート作りを教えられるのだろうか。急に不安になったダイヤモンドはパールの方を見た。
「ねえ、パール~。もし都合が合えば、パールも来てくれると嬉しいんだけど……。オイラだけじゃ3人の女の子に教えるのはちょっと不安だし、その2人とは話したこともないし……」
「オレか?別にいいけど、オレもファイツって子とは話したことすらないんだよな……。かなりおとなしいんだっけ?」
「そうなのよ。でも、すっごくいい子で素直な子だから安心してね。サファイアは明るいし頑張りやな子なんだけど、男子とも仲がいいからダイヤモンドくんとも上手くやれるんじゃないかな」
ワイの言葉に、ダイヤモンドはホッと胸を撫で下ろした。別に女の子が苦手だというわけではないのだけれど、それでも2人がそういう性格をしているというならこちらとしても安心出来る。
「そうなんだ、それなら安心かも~。……あ、そうだ。オイラのことは”ダイヤ”でいいよ~。ダイヤモンドだと長いでしょ~?」
「そう?じゃあ、アタシのこともワイでいいわよ。気軽に呼び捨てで呼んでくれると嬉しいな!」
「うん、分かったよ~。よろしくね、ワイ~」
「こっちこそよろしくね、本当にありがとう。それじゃあアタシは帰るから。またね、ダイヤくんにパールくん!」
そう言いつつ手を振ったワイは、入って来た時と同じく堂々とした姿で教室を出て行った。彼女1人が去って行っただけなのに、教室内がどこか静かになったと感じるのだから実に不思議だ。何だか台風みたいな子だよなと誰にともなく呟いたパールに、ダイヤモンドもまたそうだねと頷いた。