school days : 147
神様に願うなら
「本当にごめんね、ブラックくん!アタシったら早とちりしちゃってて……!」「だから謝んなって、社長。オレはもう気にしてないからさ。むしろそんなに謝られると、こっちも余計に気にしちまうっつーか……。とにかくもう謝んな。……な、社長?」
こう告げても納得していないのか、なおも両手を合わせて頭を下げるホワイトに、ブラックは苦笑混じりに「だから謝んなくてもいいよ」と答えた。彼女にものすごい剣幕で怒鳴りつけられて最初こそ困惑と怒りを感じたものの、その感情は今やすっかり消え去っている。むしろ今では謝り倒すホワイトにどんな言葉をかければいいのかと、逆に頭を悩ませる始末だった。いつもの明るい彼女に戻ってもらいたいのだが、どうすればそれが叶うのかが分からない。きっとラクツがいたなら気の利いた言葉の1つや2つくらいさらりと言えるのだろうが、生憎弟はこの場にいなかった。自分以上に人混みを嫌がる弟は、日頃の疲れからか既に寝てしまっている父親と一緒に留守番をしているのだ。
(ちくしょう、何でこんな時にラクツのやつはいないんだよ……!何を言えばいいのか、オレじゃあ全然分からねえ!)
気の利いた台詞1つ満足に言えない自分に苛立ってがしがしと頭を掻きむしるブラックの耳に、実に小さな声が届いた。弟の幼馴染の女の子を、ブラックは眉根を下げて見下ろした。
「あたしからも謝ります、ブラックさん……。あたしが紛らわしい反応しちゃったから、だからお姉ちゃんも勘違いしちゃったんだと思うんです……」
自分と同じように眉根を下げているファイツは今困っているのだろうが、ブラックだって困っていたのだ。女子に囲まれているという今の状況は多分ゴールド辺りにはものすごく羨ましがられそうだが、ブラックはとてもそうは思えなかった。そもそものんきにそんなことを考えている状況ではないことは理解している。片方は謝ってばかりだし、もう片方はそれに加えて今にも泣きそうな表情だし。本当に出来ることならゴールドに、いや誰でもいいからバトンタッチをしたいくらいだった。だけどそれは無理な話で、ブラックははあっと大きな溜息をついた。そんな自分の態度をどう勘違いしたのか、ファイツが怯えたように身を縮こませる。
「……っ。だ……だから、あの……。……え?」
多分、この子の後に続く言葉は「ごめんなさい」なのだろう。彼女が悪いわけでもなんでもないのにそう言わせるのは嫌だと思ったブラックは、片手を彼女の顔前に出して言葉の続きを言うのを止めさせた。
「はい、それ……ストップ。あんたさあ、また謝ろうとしただろ。何であんたが謝るんだよ、悪いことしてねーじゃん」
「そ、それは……。あたしがブラックさんに話しかけられた時に、びくびくしちゃったから……」
「そうか?それを言うなら、オレにだって問題はあるだろ。……よくよく考えてみりゃあ、オレがあんたの肩を叩いて声をかけたのもちょっとまずかったのかもな。だからもう謝んなって、ファイツ。……社長もだ」
「ブラックくん、あんなこと言われて本当に気にしてないの……?アタシ、すごく酷いことしたのに……」
「あー、そりゃあ最初は驚いたさ。でもオレにとっては、社長がそんなにしょげてる方がずっと気になるんだよ」
「……え?」
自分が興味があること、例えばサッカーに関することならいくらでも頭を使えるのに。こういうことにはからっきし働いてくれない頭を何とかフル回転させて、ブラックは言葉を続けた。
「やっぱり社長は明るく笑ってる方が似合うっつーか……。とにかく、そっちの方がずっといいんだよ!……なあ、ファイツだってそう思うだろ?」
「あ……っ。……えっと、はい……っ」
「ほら社長、この子だってそう言ってるんだからさ。だから……あれ?」
ファイツからホワイトへと顔を向けてみれば、目に映るのは不自然に黙り込んでしまった彼女の姿だった。まるでホワイトの隣にいるあの子のように、もじもじと指を触れ合わせている。普段の彼女らしくないその反応にブラックは何かまずいことを言ったのかと考えて、だけど結局はその疑問を声に出した。うだうだと悩むより、直接尋ねる方が自分の性にずっと合っているからだ。
「どうしたんだよ社長。オレ、何か変なこと言ったか?」
「え……?あ、そういうわけじゃないの!」
「そうか?でも、すっげえそわそわしてるじゃん」
「……し、仕方ないじゃない……!ブラックくんにそういうことを言われちゃったら、どんな女の子だってこうなっちゃうと思うけど……」
「オレにって……。何だよそれ?」
ブラックは首を捻ってそう呟く。助けを求めるようにファイツの顔を見たが、どうしてか恥ずかしそうに目線を逸らされてしまった。ますますわけが分からない。
「う~ん、よく分かんねえなあ……」
「分からなくていいのっ!……と、とにかくブラックくんがもう気にしてないなら良かったわ!いつまでもここにいるわけにはいかないし、早く並んじゃいましょう?」
「……ああ、そうだな!」
気付けば、ホワイトはもうすっかり普段の調子を取り戻していた。彼女のさっきの態度は正直気になるのだけれど、まあいいかと声に出さずに言ったブラックは考えることを止めた。よくは分からないけれど、ホワイトの調子が戻ったのならそれでいい。ちょうど列もかなりの長さになっていることだし、どうせならホワイトとファイツとで色々な話をしたいと思ったブラックは、上機嫌で口を開いた。
「なあ、社長とファイツは夕飯何食って来た?やっぱり蕎麦か?」
「そうよ、大晦日だもの。ファイツちゃんが天ぷらを揚げてくれたから、それを乗せて食べたのよ。ものすごく美味しかったんだから!」
「あー、社長のとこもそうなのか……。そうだよな、普通はやっぱり蕎麦を食うよなあ……」
「ブラックさんは食べなかったんですか?」
「ああ、オレはカップラーメンを食ったんだよ。年越し蕎麦は出るには出るんだけどさ、オレだけは毎年ラーメンを食ってるんだ」
ファイツの問いかけに、ひらひらと手を振って答える。蕎麦好きの弟の為にかなりの量の年越し蕎麦を茹でていた父親の姿を思い出して、ブラックは思わず苦笑いを浮かべた。
「別に食えねえわけじゃねえけど、蕎麦はちょっと苦手なんだ。ラクツのやつはオレと違って蕎麦好きなんだけどな。あいつは食べ物の好みが渋いよなあ、まあ責めてるわけじゃねえけどさ」
「え……っ」
「そういえば、ラクツくんはどうしたの?まさか別行動?」
「いや、あいつは父さんと一緒に留守番してるよ。オレ以上に人混みを嫌がるんだ。オレはチェレンやベルと来たんだけど、ベルが甘酒を飲みたがってな。チェレンもベルにつき合ってあっちの方にいるはずだぜ」
「チェレンくんとベルちゃんも来てるんだ!ねえ、良かったら途中まで一緒に帰らない?せっかく会えたんだし……」
「ああ、いいぜ。チェレンとベルも喜ぶと思うな」
「良かった!……ブラックくんは甘酒って好き?」
「いや、全然。だから2人に断って先に並んじまおうとした時に、ちょうどファイツに出くわしたんだよ」
「そうなんだ……。アタシもファイツちゃんも甘酒は苦手なのよ……」
「何だ、社長達も苦手なのか。あれは結構癖がある味だよな」
「そうなのよねえ……。ベルちゃんは平気なんだ、お酒に強いのかしら?何だか意外……!」
「ベルは初挑戦って言ってたぜ。甘酒を飲んだことがないらしくてさ、すっげえ張り切ってた。でもあいつのことだから、結局は飲めないって言ってチェレンに押し付けそうな気がするな……」
「ああ、アタシも小さい頃にそれをやったわ。結局飲めなくて、親に残りを全部渡したのよ」
「オレもオレも!……でもさあ、ラクツはオレより小さい癖に平気な顔して全部飲んでたんだよ。あり得ねえって思ったぜ、あの時は!」
「そうなんだ……。何か、ラクツくんらしいかも」
ホワイトと会話のキャッチボールをしながら、ブラックは前へと進んだ。この長い列がそこまで気にならないのは、多分ホワイトと話しているおかげなのだろう。
(そういや、この子は黙ったままだな……。遠慮してんのかな?)
ふと気が付いたブラックはファイツへと視線をやった。すると彼女は不安そうな表情でこちらを見返して来て、ブラックは思わず苦笑した。前から分かっていたことだけれど、どうもこの子はかなりの人見知りらしい。小さい頃はここまで人見知りをするような性格ではなかったような気もするが、何かあったのだろうか。
「なあ、ファイツ。そんなに怯えなくてもいいんだぜ?ラクツに話してるみたいにさ、普通にしてくれりゃあいいよ」
「あ……っ。は、はい……っ」
「……ああ、そうだ!ラクツといえばさあ……。あいつ、この前デートに行ったみたいなんだよ。しかもクリスマスイブにな。クリスマスイブにわざわざ出かけるってことは、やっぱりそういうことだろ?本人も”デートだ”なんて言っててさあ、オレとしちゃあ何だか負けた気分になったんだよ。まあ、何に負けたのかオレもよく分かんねえけど」
「……そうなの?」
「ああ。相手の女の子のこととかデートの内容とかを後で訊いたんだけど、これが全然教えてくれなくってさ。しかも”ボクより自分の受験のことを気にかけた方がいい”なんて、落ち着いた顔で言われちまってよ。……何つーか、どっちが兄貴なんだって感じだよな」
前を見ながらそう呟いたブラックは、隣にいるファイツが今この瞬間に顔を真っ赤に染めていることにまるで気付かなかった。意味ありげに微笑んでいるホワイトにもやっぱり気付くことなく、弟の話を好き勝手にしながらブラックはゆっくりと足を進める。
「昔からそうなんだ、オレとあいつは……」
「ブ、ブラックさん……っ」
「ん?どうしたんだ、ファイツ。オレと話す気になったか?」
「あ、あの……っ。ブラックさんは、何をお願いするんですか?えっと、お姉ちゃんも……」
「そうねえ……。アタシはやっぱり受験が上手くいきますように、かしら。ブラックくんはどう?アタシと一緒?」
「オレ?……いや、オレは……。そうだな、”社長の受験が上手くいくように”かな」
「え?……な、何で?」
少しの沈黙の後で理由を問われたブラックは、けれど今度はそれを疑問に思わなかった。自分自身の願い事を口にしないのだ、何でと言われて当たり前だ。ホワイトの目をしっかりと見て、ブラックは「だってさあ」と口にする。
「オレ、そういうのは願い事をするより自分の力でやり遂げたいって思うんだよな。昔っからそうなんだ。だから、オレは社長の受験が上手くいくようにって願うよ」
「そう、なんだ……。……じゃあ、アタシはブラックくんの受験が上手くいきますようにってお願いしようかな……」
「あ、あたしは2人の受験が上手くいきますようにってお願いしますから……っ。だから、その……。受験、頑張ってください……っ!」
律儀に頭を下げたファイツを見て、そして次に柔らかく微笑んでいるホワイトを見て。彼女達に言われた言葉の意味を理解したブラックは、満面の笑みを見せて頷いた。今は寒いはずなのに、自分は何も飲んでいないのに、何だか心が温かくなった。
「ああ!お互い、もうすぐ受験だもんな。頑張ろうぜ、社長!」
「ええ。遅れちゃったけど……今年もよろしくね、ブラックくん!」
「ああ。よろしくな、社長!」
そう言いながら差し出された手を握って、ぶんぶんと上下に振る。こちらの名前を慌てたように呼んだホワイトの声はちゃんと届いていたけれど、ブラックは聞こえない振りをした。