school days : 142

ひかえめ・すなお・がんばりや
「え!ラクツくん達のクラスって、センリ先生が体育を教えてるの!?」
「ああ」
「あの厳しくて有名な、センリ先生……だよね?」

元々大きな蒼い瞳を更に大きく見開いて、ファイツはそう口にした。再度肯定すると、彼女の唇からは溜息が漏れる。

「……ラクツくんは、センリ先生の体育を辛いって思ったことはない?」
「確かに他の体育教師と比べると、少々厳しい授業内容だとは思う。だが普段から部活動で体力作りは行っているし、元々身体を動かすのは好きな方なんだ。だから、特別辛いと感じたことはないな」
「そっか……。あたしは去年、センリ先生の体育がすっごく辛いなって思ったんだけど……。そう思わないなんて、ラクツくんってすごいね。言われてみたら確かに、あの剣道部に入ってるんだもんね……」

この娘のことだ、こちらに媚を売っているのではなく純粋に称賛してくれているのだろう。好いている娘にそう言われて少し照れ臭い気分になりながらも「そうか?」と口にすると、首を縦に振って「そうだよ」と頷かれる。それはもう思い切り頷かれてしまって、ラクツは思わず口元を緩めた。素直に自分が思っていることを口に出来る彼女の方こそ、自分より余程すごいのではないだろうか?

「ボクに言わせれば、ファイツの方が余程すごいと思うがな」
「えっ?……な、何で?」
「ん?……ファイツのその、他人を素直に褒められる純粋な部分を少しは見習うべきだと思っただけだ。そうしようとしたところで、ボクには中々出来そうもないからな」
「じゅ、純粋なんて……。あたしはただ、思ったことを言ってるだけだもん……っ」
「そうか?それが純粋である、何よりの証拠だと思うが」
「う、うう……。そ、それより!あたし達の学校の剣道部って、すごい練習量なんでしょう?」

恥ずかしいのかあからさまに話題を変えたファイツの態度に、ラクツはまたも忍び笑いを漏らしそうになった。本当に何故、この娘はこうも可愛いのだろうか。その言葉を言いそうになったけれど、どうやらファイツは話を元の路線に戻したいらしい。それならば彼女のその希望通りにしようとラクツは思った。

「……まあ、それなりにはな。練習が厳しいのは望むところだ、むしろそれくらいでないとやりがいがなくて困る」
「そう、なんだ……。あたしはナギ先生の体育でも疲れたって思っちゃうくらいだもん。ラクツくんの話を聞いてると、やっぱり体力がないんだなって思い知らされちゃうよ……。来年の体育の先生は、センリ先生じゃない方がいいなあ……」
「他の教科ならばともかく、体育の教師はボクも予測が出来ないな。……体育教師の話はこれぐらいにしておくか?」
「う、うん……。次は……あ、そうだ!次は科学の先生の話がいいな、数学もだけど科学も苦手な方だし……。ラクツくんのクラスの授業内容もそうだけど、どんな先生が教えるんだろうって、やっぱりすごく気になるし」

サンドイッチを食べ終えたファイツは、”ラクツくんのクラスの授業内容が知りたい”と言い出したのだ。軽く一通り教えたところで今度は担当教師の話が知りたいと言われたのだけれど、ラクツは彼女の望みに快諾した。「確か金髪で、眼鏡をかけてたよね?」と尋ねるファイツに、頷くだけで返す。

「あの先生の名前って、確か……アクロマ先生だっけ?」
「ああ」
「どんな先生なの?」

そう問われても、一言だけであの教師を説明するのは難しいだろう。何しろあの教師はその時の気分によって態度ががらりと変わるのだ、面倒なことこの上ない。アクロマの話をすると、ファイツはうんうんと相槌を打ってくれた。彼女はこの店に来た当初こそ暗い表情をしていたものの、今や花が咲くように笑っている。この娘の緊張を解すという自分の目的は、どうやら見事に達成されたらしい。

(……良かった)

彼女に惚れているからなのだろう。この娘と接するとラクツは緊張感を覚えるものの、同時に安らいだ気持ちになれるのだ。ファイツのことを愛おしいと思いながら、ラクツはコーヒーを飲んだ。

「ラクツくんの話を聞いてると、アクロマ先生って何だか気難しそうな先生に思えるんだけど……。その、あたしの勘違いなのかな……?」

不安と好奇心が入り混じった表情をしたファイツに見つめられたその瞬間、ラクツの顔には途端に熱が集まった。しかしそれは仕方がないと思う、何しろ好きな娘に上目遣いでじっと見つめられたのだから。ホットのカフェラテを飲んでいるファイツは視線をカップに向けていて、今の自分の反応にはまるで気付かなかったようだけれど。
ファイツに自分のことをもっと意識をして欲しいというのは紛れもない本音なのだが、それでも”ファイツが好きだ”という自分の気持ちをラクツは無理に押し付ける気はなかった。従って、例え今日のデートでどれ程それらしい雰囲気になろうとも、その部分だけは守ろうと固く心に決めていた。ましてや本人が気付いていないのなら尚更だと、ラクツは何食わぬ顔で彼女の問いかけに答えることに決めた。

「確かに神経質な面もあるだろうが、その時の気分によって態度が180度変わるのがとにかく厄介だな。クラスメイトの余計な干渉のお陰で、何度宿題を出されたか分からない。今年までの傾向から推測すると、おそらく来年もAクラスの科学の担当教員になるだろう。だから、ファイツも気に留めておいた方がいい」
「う、うん……。憶えておくね……。……でも、あたしはまだAクラスに入れるかどうか分からないのに……」

不安そうに眉根を寄せて、ファイツは独り言を言うかの如く呟いた。その直後に我に返った彼女を、ラクツは何も言わずにただ見つめた。

「あっ……。その、ごめんね!せっかくラクツくんが勉強を教えてくれたのに、あたしったら失礼だよね!」
「何を謝ることがある。点数を聞いた限りでは、ファイツは特進クラスに入れるだろうとボクは思っている。結果がまだ分からない以上は不安に思うのも当然だろうが、ファイツが頑張っていたことはボクがよく知っている。もっと自分に自信を持ってもいいと思うぞ」
「うう……。あたし、また自分を卑下しちゃったかなって思って……。どうしたら自信ってつくのかなあ……。あたしがそう言うのって、ラクツくんは好きじゃないんだよね……?」
「まあ、そうだな。他人が過剰に卑下する発言を耳にするのは、正直言っていい気分はしない。まして、それがファイツなら尚更だ」
「え……っ」

ファイツは大きな瞳を数回瞬いてじっとこちらの顔を見つめたが、その顔色は瞬く間に赤くなった。何かを察したのか、それともこの雰囲気に居たたまれなくなったのか。途端にそわそわと落ち着かない様子で手を忙しなく触れ合わせ始めたファイツの反応に柔らかく目を細める、彼女は自分のことを意識してくれているのだろうか?

「……少し、長居し過ぎたか。客の出入りもそれなりになって来たことだし、そろそろ出ようか」
「…………」
「……ファイツ?」
「あ……。うん、そうだね……」
「もう少しだけ、ここにいるか?ボクはそれでもいいが、どうする?」

夢中で話し込んでいたこともあり、気付けば思った以上に長居してしまった。1杯のコーヒーとカフェラテだけでかなりの時間を粘ったわけだが、流石にこれ以上この場に留まっているのは店の迷惑になりかねない。それでもファイツが望むならばと選択を彼女に委ねると、彼女はゆっくりと首を横に振った。

「う、ううん!す……少しゆっくりし過ぎちゃったもんね!ラクツくんの言った通り、もう出なくちゃ!」

ファイツはそう言って、立ち上がってからいそいそとコートを着込み始めた。手早く準備を済ませたラクツは、彼女の用意が終わるのをその場で待った。「待たせちゃってごめんね」と口にしたファイツは自分の目を見ることはなかったけれど、その顔はやはり真っ赤に染まっていた。