school days : 141

やっぱり、ちょっとだけ
はっきり言って、自分は最低だと思う。本当に本当に、最低にも程があると思う。無駄に長々と咀嚼していたサンドイッチを何とか飲み込んで、ファイツは内心で溜息をついた。今日のデートに関する自分の行いを思い返せば思い返す程、心に抱いた幼馴染への罪悪感は大きくなる。
自分の最低な行いとしてまず挙げられるのは、デートの行き先をまったく考えていなかったことだ。考える時間は充分にあったはずなのに、日時もそして行き先も、結局は彼が色々と案を出してくれた中から選んだだけだった。異性と2人きりでデートに行くなんて自分にとっては初めてで、頭がそのことでいっぱいになっていたのは確かなのだけれど、それは言い訳にしかならないと思う。おまけにこのプラネタリウムへの行き方も分からなかったファイツは、何から何まで彼に任せきりにしていた。自分はただ、彼の後について歩いて来ただけなのだ。更にはせっかくプラネタリウムに来たというのに、自分は見事なまでに眠りこけた。前日の夜は緊張して中々寝つけなかったのは確かなのだが、それだって言い訳でしかない。それらだけでも充分過ぎるくらいに酷いのに、よりにもよって彼にもたれかかって熟睡してしまうなんて最低にも程がある。

(本当、最低……)

幼馴染の男の子に至近距離で「おはよう」と言われた3秒後に事態を把握したファイツは、思わず悲鳴を上げた。それを見た彼に忍び笑いを漏らされて赤くなったのも束の間、顔色は瞬く間に青ざめた。何てことをしてしまったのだろうと思うと同時に涙が滲んで、けれど泣く資格なんて自分にはありはしないのだと思い直したファイツは心から彼に詫びた。「ごめんなさい」と何度も謝ったのだけれど、彼はといえば柔らかく目を細めて「気にするな」と言うだけだった。初めてのデートで眠ってしまったファイツのことを、一言だって責めなかった。絶対に嫌な思いをしたはずなのに、それを表に出さない彼はなんて大人びているんだろう。そして対するあたしはなんて子供染みているんだろうとファイツは思った。自分の真正面に座っているラクツをほんの少しだけ見つめて、小さく溜息をつく。

「……ファイツ」
「ふえっ!?」

ラクツに自分の名前を呼ばれて、心臓がどきんと高鳴る。思わず上擦った悲鳴を上げてしまい、今の今まで感じていた罪悪感やら自己嫌悪はどこへやらでファイツは自然と顔を赤らめさせた。あんなに間の抜けた悲鳴を上げてしまうなんて、そしてそれをラクツに聞かれてしまうなんて、もう恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかった。改めておそるおそる正面を見ると、おかしそうに忍び笑いをしている彼の姿が目に入る。そうしたことでラクツとまともに目が合ってしまい、ただでさえ高鳴っていた自分の心臓はますます激しく音を立てる羽目になった。恥ずかしさで顔を赤く染め上げたファイツはおずおずと口を開く、どきどきと痛いくらいに心臓を高鳴らせながら。

「う、うう……。あの、ラクツくん……。お願いがあるんだけど……」
「何だ?」
「い……。今のあたしの反応、出来れば忘れて欲しいなって……」
「……それは難しいな。忘れようとしても、流石に今の反応は忘れられない」
「や、やっぱり?」
「ああ。……そういうわけで、キミの申し出は断らせてもらう。すまないが諦めてくれ、ファイツ」
「う……。でも……あんなに変な声を上げちゃうなんて、恥ずかしいよ……」
「……ボクにしてみれば、まったくそうは思わなかったがな」

穏やかにそう言い切った彼は、どうあっても自分が上げたおかしな悲鳴のことを忘れてくれないらしい。おまけに意味ありげなことをさらりと言われて、何て答えればいいのだろうとファイツは必死で言葉を探した。結局曖昧に返事をして、お皿の上に盛り付けられた食べかけのサンドイッチに視線を無理やり固定する。ちなみに、ラクツのお皿の方は既に何も残っていなかった。彼を待たせているのも気まずいし、それに何だか彼の視線をやけに感じるような気がする……。

(ど、どうしよう……。すっごく気まずいよ……)

彼の顔をちゃんと見て話さなければ失礼だと頭では思うのだけれど、何故だかそれが出来る気がまるでしないのだ。妙に意識してしまう前は彼の顔をまっすぐに見つめることくらい何でもなかったはずなのに、今の自分にはどうやっても出来る気がしない。”普通に話さなきゃ”と思えば思う程、”どうやって普通に話せばいいのだろう”というもやもやした気持ちが生まれて来る……。

「ところで、ファイツ。先程言いかけたことだが」
「な、何……?」

相変わらずサンドイッチを不自然なくらいに見つめたまま、ファイツはそう返した。そうだった。自分が悲鳴を上げた所為で途切れたけれど、そういえば話の途中だった。

(あたし、何を言われるんだろう……)

やっぱり心臓はうるさい、痛いくらいにどきどきとうるさい。激しく高鳴る心臓をどうにか宥めながら、実に落ち着かない気持ちで彼が言葉の続きを話すのをひたすら待った。

「食があまり進んでいないが、大丈夫か?もし具合が悪いのなら正直に言ってくれ」
「え……っ?」

思いがけない言葉を投げかけられて、今度はさっきよりもずっと小さな、だけどやっぱり間の抜けた声をファイツは出した。そしてそれと同時にホッとしたような少しだけ残念なような、自分でも上手く言えない変な気持ちを抱いた。いや、自分がいったいどういう言葉を望んでいたのかすらファイツには分からないのだけれど。

「う、ううん。大丈夫だよ」
「……本当に?」

相も変わらずサンドイッチを見据えたまま大丈夫だと言ったのだが、彼は簡単に引き下がってはくれなかった。念を押すように再度尋ねられて、自分が彼の顔を見て言わないから疑いの目を向けられたのだと気付いたファイツはゆっくりとラクツの顔に視線を移した。彼の眉間の皺はいつも通りに寄っていたものの、その表情には確かに心配の色が窺える。本当に自分のことを心配しているからこそ、簡単に引き下がらなかったのだろう。

(色々と変わったところもあるけど、そういう優しいところは少しも変わってないんだよね……)

表情は険しいことの方が多いラクツだけれど、その実彼はこんなにも優しい人ではないか。そうなのだ、今自分の目の前にいるその優しい人は、こんなにも自分のことを真剣に心配してくれているのだ。それを忘れたわけでは決してないのだが、ファイツは改めて彼の優しさを思い知った。そしてそれと同時に、ラクツのまっすぐな優しさに触れた自分の心がポカポカと温かくなるのを感じ取ったファイツは、自然と微笑んでいた。ぎこちない笑みではなく、心からの笑顔だった。

「うん、あたしは本当に大丈夫だから。……心配してくれてありがとう」
「……っ」
「えっと、ラクツくん?」
「ああ、いや……。うん、何でも……ない」

花が咲いたような自分の笑みを直視した結果、ラクツは単に見惚れていただけなのだが、例によって鈍感なファイツはそれに気付かなかった。あの彼が口ごもるなんて珍しいと思いながら、ファイツはただどうしたんだろうとばかりに首を傾げるだけだった。

「……で、ファイツ。……食べないのか?」
「あ!そうだよね、せっかくのホットサンドイッチなんだもんね。自分から言い出したのにぼうっとしちゃって、あたしったら本当何やってるんだろう……。今から食べるからちょっと待っててね!」

まったく見ていないプラネタリウムの上映が終わって、ようやく眠りから覚めたファイツはラクツから「昼食にしよう」と誘われたのだ。レストランが色々と並んでいる場所を歩きながらどの店に入ろうかと訊いたラクツに、プラネタリウムの近くにある小さなカフェがいいなと言ったのは自分の方だ。単純にそのカフェの看板メニューらしきサンドイッチが美味しそうだったのと、初デートでこうも緊張しているとなると、多分軽いものしか食べられそうにないと感じたからだ。その見立ては確かに合っていたのだけれど、彼には余計な心配をかける羽目になってしまった。ごめんなさいと心の中で謝って、まだわずかに温かいサンドイッチにファイツは手を伸ばす。

「あ、美味しい!」
「唐突だな。まるで初めてこのサンドイッチを味わったような物言いだが」
「う……。そ、それは……!」

柔らかく目を細めながら言った彼に、ファイツはサンドイッチを飲み込んでから小さく「だって」と呟いた。思い浮かぶのは、先程のんきに寝ていた自分の酷いにも程がある行いだ。

「……だって、あたしったらすっかり眠っちゃってたんだもん。例えあたしじゃなくたって、誰だって落ち込んじゃうと思うな……」
「それで、あまり味わえなかったとキミは主張するわけか。何度も言うが、ボクは微塵も気にしていないと告げただろう」
「でも……。いくらそう言われたとしても、やっぱり気にしちゃうよ……。せっかくラクツくんが、その……あたしを誘ってくれたのに。あたしときたらラクツくんに色々任せきりだったし、挙句の果てには寝ちゃうし……」
「ボクがファイツを誘ったんだ、当然のことだろう。……ああ、そういえば移動中にキミはやたらと眠そうにしていたが……。まだ眠気を感じるようなら、ここでもう少し寝て行くか?この店は割と空いていることだし、迷惑にはならないだろうと思うが」
「も、もう大丈夫だよっ!」

穏やかな表情で意地の悪いことを口にするラクツに、ファイツは落ち込んでいたことも忘れてはっきりと主張した。流石に今は眠気はまったく感じない、皮肉にもプラネタリウムでたっぷり眠れたおかげだろう。喉を鳴らして笑う彼の態度に、思わず「ラクツくんの意地悪」という言葉が口をついて出た。

「……すまないな、今の言葉は冗談だ。だが、ようやくいい表情になったな」
「……え?」
「先程までのファイツは随分と沈んだ表情をしていたが、今は自然に笑えている。やはり、ファイツは笑っている方がずっと可愛い」
「え、えっと………」

いきなりそんな爆弾発言をさらりと告げられて、ファイツは大いに戸惑った。可愛いと告げられたのはこれが初めてではないのだけれど、急にそんなことを言われても困るよなんて声に出さずに呟いてもみた。確かに沈んでいたはずの気持ちは随分と明るくなった、彼と話しているうちに気付けばあれ程感じていたはずの緊張も、大分解れたように思う。本当にラクツに言われるまで気付かなかった、いつのまにかそうなっていた。だけど今、自分の心臓はまたどきどきと高鳴っていた。ただでさえ今日会った時に可愛いと言われてしまって、自分は彼を強く意識してしまっているのだ。

(何だか、ちょっとずるいかも……)

自分ばかりが緊張しているのだとファイツは思った、何だかずるいとも思った。実際緊張しているのは何もファイツばかりではないのだが、表面上は落ち着いて見える彼の姿を目にして聞こえないくらいの溜息をつく。幼馴染が何だか妙にこなれているようにしか見えないのだけれど、それは自分の気の所為なのだろうか?

「……ファイツ。この後のことなんだが、ボクから1つ提案がある」
「提案って……?」
「ここから遠くないところに、ちょっとしたイルミネーションがあるらしい。良かったら一緒に見に行かないか?もし夜に予定があるなら、はっきりと言ってくれ」
「…………」

ファイツは、思わずあることを訊こうと思った。気になってもう仕方ないから、はっきりと口に出してしまおうと思った。イルミネーションをクリスマスイブに2人で見に行くなんて、カップルがする行動でしかない。少なくともファイツにとってはそうなのだが、ラクツはそうは思ってはいないということなのだろうか。

(どきどき、する)

出来ることなら彼の心を覗いてみたい、彼の真意が知りたい。ラクツが何を思って自分を今日遊びに誘ってくれたのか、その答が彼の口から聞きたいと思った。だけどその言葉を心にしまい込んだまま、結局は小さく頷くだけに留めた。上手く言えないけれど……今は訊かない方がいいような気がしたのだ。

(でも、これだけは言いたいな)

今まさに戸惑いとどきどきを感じているものの、彼が自分に言ってくれた言葉をふと思い出したファイツは、勇気を振り絞ってラクツの目を見つめた。そうしなければ、感謝の気持ちなんて伝わるはずがないと思ったのだ。
今更だ、本当に今更だ。言うのが遅過ぎると自分自身に呆れながらも「誘ってくれてありがとう」と笑顔で告げると、ラクツは一瞬見開いた瞳を柔らかく細めた。そして間を置かずに「こちらこそ感謝している」と返して来た幼馴染のことを、ファイツはやっぱりちょっとだけずるいと思った。