school days : 138
謎は、すべて解けた?
第一志望校であるカノコ大学の受験までは、早くもあと1ヶ月となっている。そういうわけで、ブラックは今日も真面目に勉強をしていた。今日は休日だからもう少し遅く寝ていてもいいのだけれど、早朝に目覚ましをセットして早起きしたのだ。元々早く起きるのは苦手ではないし、あの大学でサッカーをやるという”夢”を叶える為だと思えば勉強もどうにか頑張れる。それでも朝から勉強漬けでいいかげん疲れを感じたブラックは、少し休憩しようとリビングにやって来た。リビングには本日非番である父親がいたが、テレビを点けたままで椅子に座ってうたた寝をしていた。どうやらテレビを見ている内に寝てしまっていたらしい。休日をのんびり謳歌している父親を内心羨ましいと思いながら、ブラックは船を漕いでいるハンサムの肩を少し強めに叩いた。はっと顔を上げた父に、「おはよう」と挨拶をする。「あ、ああ……。おはよう、ブラック。今日も早いな」
「もうすぐ受験本番だからな、流石にのんきに朝寝坊してらんねえよ。良かったらコーヒーでも淹れて来ようか?」
「ありがとう、それでは頼む。まだ眠気があるから、コーヒーには何も淹れないでくれ」
「分かった、ちょっと待っててくれ」
リクエスト通りにブラックコーヒーを淹れることにしたブラックは、意気揚々とキッチンへ向かった。世間では自分達くらいの年頃の子供、特に男は反抗期がすごいだの何だの言われているけれど、ブラックに関してはそれはあまり当てはまらない。それでも無性に反抗したいと思った末に行動に移してしまう時もたまにはあるものの、そうしてしまった時は後で謝るのがお約束なのだ。それを周りの男友達に話すとゴールドを筆頭にだいたいは驚かれるものの、ブラックは特別驚かれることではないだろうと思っている。ほとんど男手だけで自分達兄弟をここまで育ててくれたという事実をよく理解しているから、なのだろうか。それは弟も同じ見解らしく、弟が父親に八つ当たりをするところをブラックはこれまで見たことがなかった。
(うーん……。たまにはオレもブラックコーヒーにしてみようかな……)
普段なら砂糖と牛乳を多めに入れるのだけれど、何となくそんな気分になったブラックは自分も父親の真似をしてみようと決めた。多分かなりの苦みはあるだろうが、勉強で疲れた頭にはかえってちょうどいいかもしれない。すぐに飲めるように自分だけは少し温めの、父親には熱いコーヒーを淹れ終えたブラックは、両手にマグカップを持ってリビングへと戻って来た。クイズ番組に年甲斐もなく熱中している父に、湯気が立ち上っている方のマグカップを手渡す。
「おお、ありがとう。……ブラック、お前も少しは休憩したらどうだ?日頃から勉強を頑張っているんだ、少しくらいテレビを見ても罰は当たらんだろう」
「んー……。じゃあそうしようかな」
ハンサムの言葉に頷いたブラックは、椅子に座ってテレビ画面に目線を向けた。自分には名前も顔もよく分からないタレント達が、解答を言おうとこぞってボタンを押しまくっている。どうやら今やっているのは早押しクイズらしい。ボタンを早く押すだけなら出来るだろうが、肝心の問題の答を言うのは自分には無理そうだ。
そんなどうでもいいことを考えながら、ブラックはマグカップに口をつける。少し猫舌である自分には何とか飲める熱さだったがやはり苦い。ブラックコーヒーを好んで飲む弟の顔が浮かんで、ブラックは苦笑いした。自分も父も、そして亡くなった母親すらも甘党だというのに、弟だけが甘い物が苦手なのだ。まだ子供だった頃から甘い物は好んで食べなかった弟のことが、ブラックは当時から不思議でならなかった。そしてそれは今も同じだ、どうして弟はあんなに苦い物を飲んで平気なのだろうか?
「あ。……なあ、父さん」
クイズ番組がCMに差しかかったタイミングで、ふと気になったことを訊いてみようとブラックは口を開いた。猫舌ではない父は勢いよくコーヒーを喉に流し込んでいるが、それで火傷をしないのかという心配すらしてしまう。だけどどうやらその心配は無用の物だったらしく、父はけろりとした顔で「どうした」とこちらに顔を向けた。
「あー。あのさあ、ラクツのことなんだけど……」
今現在、このリビングに弟はいない。悪口を言おうというのでもないのだ、別に普通に話したところで何の問題があるわけでもない。しかしそれにも拘らず小さな声になってしまうのはいったいどうしてなんだろうと疑問に思いつつも、結局ブラックは声を潜めて言葉の続きを吐き出した。
「あいつ……。最近変だと思わねえか、父さん」
「変?」
「ああ。上手くは言えねえんだけどさ、何か普段と違うっていうか……。とにかく妙な感じなんだよ。父さんはそうは思わねえ?」
「……恥ずかしいことだが、私は最近ラクツと話をあまりしていないからな。ブラックがそう思うのなら、そうなのかもしれんな」
「何つーのかなあ……。何か落ち着きがないっていうか、そわそわしてるっていうか……。オレが話しかけてもちょっと反応が鈍いしさあ。……まあ、それはあいつがオレに反抗してるだけかもしれねえけど」
父にはきちんと受け答えをするのに、兄である自分には時々弟の態度が良くない気がする。そうブラックは思うのだけれど、それをはっきり指摘したことはない。どの道口で自分が弟に勝てるわけがないのだし、喧嘩をして気まずくなるのもそれはそれで嫌だからだ。
(あのあいつが落ち着きがないなんて、自分で言っててもちょっと信じられねえけど……。でもやっぱり変……だよな?うん)
”上手くは言えないが、ラクツは最近どこかが変だ”。父親は自分と同じ意見ではなかったものの、ブラックはそういう結論に至った。顎に手を当てて考えに耽っていたハンサムは、長く息を吐いて天井を見上げた。
「最近のラクツの様子を思い返してみたが……私にはさっぱりだ。父親なのに息子の様子がおかしいことに自分で気付けないとは、情けないことこの上ないな」
「あー……そんなに落ち込むなって、父さん。ほら、父さんはオレ達とは生活のリズムが違うんだしさ!変だって言っても悪い雰囲気じゃないからさ、そんなに気にすることもねえとオレは思うぜ?」
「そうか……。まあ、ラクツに限って非行に走ることはないだろうな……。いや、それはブラックにも言えるが。……だが、ううむ……。確かに最近仕事ばかりで、我が息子達と話をする機会もなかった……」
既にCMは終わっているのだけれど、クイズ番組そっちのけで物思いに耽っている父親の表情はどんよりと暗い。落ち込む時はとことん落ち込む父親の性格を知っているブラックは、どうしたものかと父の姿を見つめた。
「……よし!久し振りに、今日は親子3人でどこかで外食でもしようか。何せ、今日はせっかくのクリスマスイブなのだからな。たまには奮発して、とびきり美味い物でも食べるか!」
「お、マジか!やったぜ!」
そう、確かに今日はクリスマスイブだ。だけどブラックには特に予定はない、色恋より食い気の方が気になる自分には予定なんてあるわけもない。もしかしたら自分達が行く店にはカップルばかりがいるかもしれないが、男3人家族で食事したっていいではないか。早速何を食べたいかを夢中で考えていたブラックは、リビングのドアが開く音で我に返った。自分達が弟の話をしている時にラクツ本人に入って来られなくて良かったと安堵しながら「よう」と弟に笑顔で手を上げると、それは怪訝そうな目線を向けられる。普段これ程満面の笑みで弟に挨拶をするなんて滅多にないのだから、当然と言えば当然なのだが。
「ああ、おはようラクツ」
「おはよう、父さん。……それにブラックも」
「何だよ、オレはついでかよ!」
つい文句を言ったが、自分の言葉を完全に聞き流すかのように洗面所に向かって行った弟の行動に、ブラックは思わずハンサムの顔を見た。肩を竦められて、ブラックはぶつぶつと文句を零す。やがて洗面所からリビングに戻って来たラクツに、ブラックはゴホンと咳払いをした。喧嘩をして気まずくなるのは嫌だし、何しろ今日は皆で外食をするのだ。
「……まあ、さっきのことはいいや。ラクツ、今日は皆で外食だってさ。美味い物食べに行こうって父さんが言ってる。だからお前もどこに行きたいか……あれ?お前、これからどこかに出かけるのか?」
今度は玄関に向かって歩いて行く弟の背中に向かって声を投げかける。今はまだ午前9時だ、それなのにどこかに出かけるらしい。休日の午前中はたいてい部屋にこもっているラクツにしては、何とも珍しいことだ。玄関に行った弟の後を追うのは父の方が早かった。
「ラクツ、今日は何時頃に帰る予定だ?夜は混みそうだから、出来れば昼食を外食にしようと思っているのだが」
「すまないが、ボクはいい。ブラックと2人で行ってくれ」
「昼間はダメだということか?ならば仕方ない、夜に……」
「いや、今日はそもそも用事がある。何時に帰るか分からないから、ボクのことは気にせず2人で行ってくればいい」
ラクツは黒いコートを着込んで、今は靴を履いていた。どう見てもどこかに出かけるのだろう。だけどその格好にブラックは違和感を抱いた、何だか弟の服装がいつも出かける時と違うのだ。やっぱり上手くは言えないけれど。
「ラクツ。……お前、どこに行くんだ?」
感じた疑問をぶつけると、今まで座って靴を履いていた弟は準備が出来たのか音を立てずに立ち上がった。玄関のドアノブに手をかけて肩越しに振り返ったラクツと、今日初めて目が合った。ブラックはそう思った。
「ボクは、デートだ」
「はあ!?」
そう叫んで固まった父と、叫ぶことさえ出来なかったブラックを残して玄関のドアは閉められた。ブラックが知るデートといえばあのデートしかない、いや誰もがその単語を聞いてあのデートを思い浮かべるに違いない。だけど、ブラックは信じられなかった。今までに一度もデートをしたことがないはずの弟が、それもクリスマスイブ当日にデートに行くなんて……。
(ラクツに好きなコがいるってこと……なのか?デートに行くってことは、少なくとも相手を嫌ってないってこと……だもんな……)
どういうわけか、何だか負けた気分だとブラックは思った。そもそも弟と勝負をしているわけでもないけれど、無性に負けたと思った。
「なるほど、そういうことか……。ブラックの感じた違和感は、もしかしたらこの所為だったのかもしれんな」
「そうかもな……」
「しかし、まさかあのラクツがデートとはな……。相手の子が誰か気になるところだが、だがしかし……」
「……ああ。多分、訊いても教えてくれないだろうな。なあ父さん。そのうちあいつ、彼女を家に連れて来るかもしれないぜ!」
「まあ、そうなったらそうなったでいいだろう。ラクツも歳頃だからな、何の不思議もない。それにしてもデート、か。……ブラック、今日は父さんと2人で淋しく外食でもするか!」
そう言いながらやけに嬉しそうな父親に、ブラックは溜息混じりにああと答えた。弟がクリスマスイブにデートに行くなんていう衝撃の事実に驚きはしたものの、考えてもみればもう自分達は高校生なのだ。確かにデートをしたって何らおかしくはない。最近弟の様子がどこかおかしい、その謎はどうやら解けたみたいだけれど、代わりに新たな謎が生まれてしまった。相手の女の子はいったいどこの誰だというのだろう。「頑張れよ我が息子よ」などと本人には届くことのない熱い声援を送っている父親を見ながら、ブラックははあっと溜息をついた。