school days : 134
つれあるき
男に言い寄られて困っていた女の子を勢いのままに助けたユキは、湧き上がる怒りにまかせて道をずんずんと大股で歩いていた。(もう、ああいう男ってマジでムカつく!ファイたんが嫌がってるのに気付きもしないで、一方的に言い寄るなんて!!)
コンビニに入ったユキの視界にまず飛び込んで来たのは、商品棚などではなく男の店員に言い寄られているファイツだった。それでも彼女が満更でもない様子を見せていたならユキだってわざわざ割り込みはしなかっただろうが、当のファイツはしつこい店員の態度にどう見ても狼狽えていた。そうなると、元々ああいったタイプの男が嫌いであるユキに躊躇など生まれるわけもない。コンビニで甘い物を買うという元々の目的をすっかり忘れて、無理やりにファイツの手を掴んでコンビニを出たのだ。
だけど既にコンビニから出ているというのに、湧き上がった怒りは静まることはなかった。足に時折当たる落ち葉にも小石にも構わずにしばらくの間ただひたすらまっすぐ突き進んでいたユキは、ふと足を止めた。何だか急に腕が重くなったことが気になって振り返ると、息を切らしながら自分に手を引かれているファイツのそれは苦しそうな表情が目に入る。
「ごめんファイたん、大丈夫!?」
コンビニを出るまでならともかく、自分が無理やりにここまで連れて来た所為で無駄に彼女を疲れさせてしまったのだ。自分自身、一度怒りを覚えると周りが見えなくなる性格をしているという自覚はあるのだが、今もまたその猪突猛進っぷりが発動したらしい。自分の手によって助けたはずの彼女を自分の手で困らせてしまったのだと察したユキは、慌てて手を放して謝った。
「う……。だ、大丈夫……です……。あたしったら体力がなくて、その……ごめんなさい……」
「なーに謝ってるのよ、謝るのはこっちの方!……本当に大丈夫?」
もう一度問いかけるとファイツは苦しそうな表情のまま笑顔を見せたが、ユキには彼女が無理をしているように思えてならなかった。いや、実際無理をしているのだろう。運動部である自分はともかくとしても、彼女は確か帰宅部だと言っていたはずだ。そんな彼女の手を引いて、しかもこんなところまで連れて来てしまったのだ。何をやっているのだろうと大いに反省したユキは、両手を合わせて謝り倒した。さっきまで自分に掴まれていた手を胸に当てて呼吸を整えていたファイツは、そうされることに驚いたのだろう。途端に、慌てた様子で何度も首をぶんぶんと左右に振る。
「い、いえっ!……それより、助けてくれてありがとうございました……。実は、あの店員さんにはちょっと困ってて……。だから、あたしを連れ出してくれたユキさんには本当に感謝してるんです」
「そう?それならいいんだけど……」
こちらに気を遣っているのではなく、どうやら本当にそう思っているらしい。そのことは、数10秒前の彼女の笑顔と重ね合わせてみれば一目瞭然だった。今度は心の底からホッとしたような、そんな笑顔をファイツは見せていた。疲れさせてしまったのは確かな事実なのだけれど、彼女を助けたこと自体は間違っていなかったのだ。今度はもう少し周りを見なくちゃと自分に言い聞かせてから、ユキははたと気付いた。コンビニからここまで適当に、しかも自分の家の方向へと彼女を勝手に連れ歩いてしまったことになるわけなのだが、果たしてファイツの都合は大丈夫なのだろうか?それに気付いた瞬間、顔がさあっと青ざめる。
「ね、ねえファイたん……。思わずここまで連れて来ちゃったけどさ、ファイたんの家ってどの辺なの?そもそも、どこかに行く途中だった……とか?」
「あ、それは大丈夫です。あたしの家もちょうどこっちの方ですし、コンビニには家に帰る途中で寄っただけですから……」
そう言われても、さっきの言動を見たユキは一瞬こちらに気を遣ったのかしらと疑ってしまった。だけどファイツは、確かにあの子ンビニから少し離れたところにあるスーパーの袋を手からぶら下げている。品揃えが中々に豊富で値段も悪くないあのスーパーには、ユキも何度か行ったことがあるのだ。
(うん……。多分、ファイツたんは嘘は言っていないわよね)
一瞬は疑ってしまったものの、結局はそういう結論をユキは出した。きっとこの子は嘘をつくこと自体が苦手そうだと思った、根拠はまったくないけれど。それなら途中まで一緒に帰ろうと提案した自分にすぐに頷いたファイツと、今度はゆっくりとしたペースで歩く。
「あの……。ユキさん、あたしの所為でごめんなさい……」
「んー?何また謝ってるの?アタシは何もされてないわよ」
「でも、せっかくコンビニに行ったのに。何も買わずにすぐ出ちゃったでしょう?」
「ああ、そんなのは別にどうだっていいの。ただあそこのコンビニに売ってるデザートが食べたかっただけだしさ、また別の日に買えばいいもの。それより、ファイたんったら”ユキさん”なんてかしこまらなくてもいいのよ?前から言おうと思ってたけど、もっと普通に接してよ!」
「う、うん……。……じゃあ、ユキちゃんって呼んでもいい?」
「もちろん!あ、マユやユウコのこともそう呼んでやってよ。絶対喜ぶから!」
目を丸くして、だけど嬉しそうに「はい」と言ったファイツとしばらくは好きなデザートの話をしていたユキだったが、その話題になるとさっきの光景が頭に浮かんで来てしまった。見るからに困っていたファイツは、だけど何も言わずに店員に言い寄られていただけだった。
「……ね、ファイたん。あのコンビニに何度か行ったことあるの?」
「う、うん……。好きなデザートがあのコンビニチェーンしか売ってないから……」
「あー、確かにあのコンビニのチェーンってここら辺にはあそこの店しかないもんね。でも、しばらくは行くの止めたら?あの店員にまた言い寄られそうじゃない」
「うん……。今日、急に変なことを言われて本当困ってたの……。初めて話しかけられた時は、普通の店員さんだと思ったのに……」
「ああいうタイプの男はしつこいからね……。ま、それはファイたんもよく分かったと思うけど。一応訊くけど、はっきり迷惑だって言えそう?」
「う……。む、無理かも……」
ファイツの答に、ユキはやっぱりと苦笑した。そもそもそれが出来るなら、自分が助けに入ることはなかったに違いないはずなのだから。この子は自分とも、そしていつも一緒にいるマユやユウコ達とも本当に正反対の性格をしているとユキは思った。彼女と初めて話した時にそのおどおどとした態度にイライラしたことを不意に思い出して、どうしてあんなことを思ったんだろうと首を捻る。こうしてじっくりと話してみれば、ただ押しに弱いだけの性格がいい女子ではないか。今はもう、ファイツの態度を見てもイライラしなかった。
「金輪際行かないのが一番だとは思うけどさ、もしまたあのコンビニに寄る時は誰かと一緒に行ってみたらどう?それこそ彼氏について来てもらうとかさー」
「……え?……で、でも!あたしには、か……彼氏なんていないし……っ」
そう呟いたファイツの顔は、暗がりの中でも分かる程に赤く染まっていた。その答を意外に思ったユキは「本当?」と問いかけるが、彼女はしどろもどろに頷く。
「えー意外!ファイたんったら可愛いし、絶対いるって思ってた!……じゃあ、彼氏がいないなら仲がいい男子にお願いしてさ、彼氏ってことで話を合わせてもらうとか……どう?」
「ええ!?そんなのむ、無理だよ!そんなお願い聞いてくれる人なんて、えっと……。い、いるわけないもん……」
「そうかしら、例えばペタシとかなら頷くと思うんだけどなー。ファイたんだって挨拶してたし知り合いなんでしょ?……でもヒュウのやつは絶対ダメね。こっちが話を言い終わる前に却下されるわ、絶対」
「そ、そう……なの?」
曖昧に相槌を打ったファイツに、ユキはヒュウの文句を色々と言い連ねる。本当に、妹に接するような態度でいて欲しいと思った。そうすればこれ程イライラすることもないのにと、ユキは腕を伸ばしてぐぐっと思い切り伸びをする。その時、「どうしよう」と弱々しく呟く声が聞こえた。
「……アタシがもしファイたんの立場だったら、絶対ラクツくんにお願いするけどな。はっきり断れるけど、逆恨みされたら何だか怖いしさ。何よりラクツくんったらかっこいいし、すっごく優しいんだもん!アタシはね、今年のバレンタインに賭けてるの。チョコを渡して、ラクツくんに告白するんだ」
「えっ……」
呆気に取られたように声を漏らしたファイツの反応に、ユキは特に違和感を感じなかった。もしかしたらこの子は、プラチナと彼の本当の関係を誤解しているから呆然としたのかもしれない。彼女がいると思われている男に告白するから呆然としたのかと思ったが、自分はヒュウから聞いて真実を知っているのだ。バレンタインデーにラクツに告白するというユキの決意は、少しも揺らぐことはなかった。
「そういえば、ファイたんは好きな男っていないの?」
「…………」
「ファイたん?」
「えっ!?えっと、その……」
口ごもってしまった彼女のその態度で、ユキは”この子には好きな人がいる”という事実を感じ取った。自分にも、そしてこの子にも、好きな人がいる。想ってやまない、大好きな人がいる。ユキの心の中には、いつだって彼が住んでいるのだ。
「そっかそっか!……うん、上手くいくといいね」
何も言わずに頷いた彼女のことを、他でもないラクツが想っているのだが、そんなことはユキは知らない。自分の好きな人の気持ちを知らないユキは、黙り込んでしまったファイツと自分自身に向かって「お互い頑張ろうね」とエールを送った。