school days : 131

恋愛不器用
お風呂から上がって自分の部屋に戻って来たブルーは、ベッドの縁に座るとすぐに読みかけの雑誌を読み始めた。色とりどりの服を着たモデル達の写真が並んでいるページを軽く眺めてはパラパラと捲っていく。ちなみにこのファッション雑誌はいつも買っている物ではなく店頭で衝動買いした物だ。たまには他の雑誌も読んでみようと思って買ったのだが、残念なことに自分の好みには合っていなかったらしい。結局この雑誌で一番自分の目を引いたのは、化粧品やら雑貨やらが載っているページだった。

(やっぱりいつものにすれば良かったわね、失敗したわ……)

最後の方に載っていた女性読者からの恋愛相談のページをざっと流し読みして、ブルーはパンっと音を立てて雑誌を閉じた。そしてそのままの勢いで、机に向けて今しがた読み終えたばかりの雑誌を放り投げる。ギリギリのところで雑誌が机の上に乗ったのを確認してベッドに寝転がった。

「つき合って下さい、か……」

真っ白な天井を見つめながら、ブルーは今日自分の身に起こった出来事を思い返していた。ブルーは今日、大学の構内で告白された。相手の男は碌に話したこともない人で、どうやら年下ということくらいしか分からなかった。まっすぐにこちらを見つめて来る彼の熱意に少しばかり押されたけれど、とりあえず返事は保留ということにさせてもらってその場を切り抜けたのだ。告白される度にその場で即断っていた過去を思うと、今日の対応は自分でも不思議なものだと感じてしまう。

「…………」

何となくだけれど、彼は今まで告白して来た男達とは違うのだろうとは思う。過去に幾度となく告白を受けて来たブルーは、だけどこれまでに一度も誰かとつき合ったことはないのだ。恋愛事に興味がないわけではもちろんなかった。けれど自分を、もっと正確に言えば自分の身体をじろじろと見て来るあの視線が堪らなく嫌で嫌で仕方がなかったのだ。好きだと言いつつも、誰も彼もそう言った目でブルーを見つめる。産まれて初めて告白された時ですらそうだった。あなたが好きなのはアタシじゃなくてアタシの身体でしょうとは流石に言えないけれど、告白される度に冷めた心の中でそう問いかけるのはお決まりになっている。人生で初めて告白された瞬間に感じたあの胸のときめきは、最早まったく感じなくなっていた。
それでも、ブルーは決して男嫌いなどではない。単に下卑た瞳で見られるのが嫌なだけであって、男と接すること自体には特に嫌悪感は感じなかった。それはきっと、義弟のシルバーを筆頭に自分の周囲の男連中がいい性格をしていた為なのだろう。特に長いつき合いのレッドともう1人には、これでも感謝をしているのだ。もっとも、あの2人に今更改まって「アタシといつも一緒にいてくれてありがとう」とは言わないけれど。
目付きこそ鋭いが優しいシルバーと基本的に鈍感だけれど明るいレッド、そして目付きも愛想も良くない上に冷静沈着でからかい甲斐のない、だけど一緒にいて居心地がいいグリーンのことを思い浮かべる。少しだけ口角を上げたブルーは、いつのまにか逸れていた思考を元に戻した。今日の彼は今までのろくでもない男達とは違う気がする。根拠なんてないものの、きっと今日抱いた印象通りに真面目で一途な男なのだろう。根拠はないがそう思えてならないのは、自分の願望なのだろうか?

「真面目で一途、か……」

そんなことを考えたからか、自分に告白して来た男とは別の”真面目で一途そうな男”の顔がブルーの脳裏に不意に浮かんだ。彼は本当に真面目だ、それこそ超がつく程に。

「そういえば……。あの子、あの後どうなったのかしら」

最後に会ってからかなりの日数が経っているわけだが、彼の意中の女の子とはどうなったのだろうか。ブルーはあれこれと考えを巡らせていたが、おもむろに起き上がると枕元に置いていた携帯を開いた。どうせここで考えていても答なんて出ないのだ。何だかもやもやした気持ちをすっきりさせる意味でもどうにか聞き出したいと思ったブルーは、通話ボタンを押して携帯を耳に押し当てる。すると数回のコールの後でもしもしと言う彼の声が聞こえて来た。その第一声で彼の今の心情を何となく察したものの、ブルーはあえて明るい声を出した。

「こんばんは、ラクツ!」
『どうも、ブルーさん。ボクに何の用ですか?』
「何よ、その不機嫌そうな声は。……なあに、ひょっとしてお邪魔だった?もしかして、今お取り込み中とか?」

自分の電話にすぐに出たのだからそれはないだろうと思いつつも、ブルーはそんな言葉を付け加える。電話の相手は冷静沈着で、以前本人にも言った通り自分が行動をよく共にする男の1人と性格がかなり似ているのだ。ラクツにやたらと構う理由の半分はそれだった。

(あいつは”うるさい女だ”って言うけど、ラクツはどうかしら?)

怒るのか、それとも絶句するのか。はたまたまったく別の反応だろうか。まさか性格上、あの彼と同じ発言は流石にしないだろうとは思うのだけれど。頭の中で色々と好き勝手に彼の返しを予想するブルーだったが、返って来たのは盛大な溜息だった。

『何を言っているんですか。今は自室にボク1人だけしかいません』
「あ、やっぱりそうなんだ?……まあそうだろうなとは思ってたけど」
『分かっているなら最初から訊かないでください』
「だって、あんたの反応が気になったんだもの。少しは焦ったりするかと期待したのに、全然面白みの欠片もないことを言うのね。”実はそうなんです”とか言えないの?」

年下の従弟の影響か、ブルーは享楽主義なところがあるのだ。自分より歳が下であることと彼の性格を理由にして、ブルーはよくこうしてラクツのことをからかって遊んでいる。

『言えませんね、事実ですから』
「……もう!本当、ラクツってばからかい甲斐のない男ね。……で、今は大丈夫なのよね?」
『まあ、とりあえずは』
「じゃあいいじゃない、アタシの話につき合いなさいよ」
『ボクにわざわざ電話をして来た理由はそれですか。それなら手短にお願いします』
「あら、言うわねラクツ。じゃあ単刀直入に言うけど、例の子とはどうなってるのよ?ほら、アタシと前に会った時にあんたが言ってた子!」
『……別に、特にどうもありませんが』

自分の言葉にそれまでは淀みなく答えていた彼の返答は、今初めて少しの沈黙の後に述べられた。それはほんのわずかで、けれど確かな変化だった。どうやら、この手の話題は彼にとってはあまり触れられたくないものらしい。それを理解しつつも、ブルーは「何でよ」と言って彼の返事を待った。これはからかっているのではなく、単純に意外だったからだ。つき合いは浅いが、ブルーはラクツの性格をそれなりには把握している。致命的に鈍いレッドならともかくとして、あの彼は好いた相手に対して何の行動も起こさないような男にはとても見えないのだが。首を傾げつつ彼が何か言うのを待つブルーだったが、いくら待っても返事をしない後輩に業を煮やして口を開いた。作戦変更、彼が言わないのなら言わせればいいだけのことではないか。

「誕生日のプレゼントは渡したの?」
『はい』
「それで、その子とはそのままなの?まったく何にもないわけ?」
『何度か2人きりでお茶はしていますが、それ以外は何も』
「そう……」

彼にしては意外なものだと思ったが、とりあえず相手をお茶に誘えるだけの勇気はちゃんと持ち合わせているらしい。やっぱりレッドとは違うわなんて本人が聞いたら落ち込みそうなことを心中で呟いて、ブルーは小さな溜息をついた。お茶をするだけなんてブルーにしてみればまどろっこしいことこの上ないが、本人はその現状をどう思っているのだろうか。

「ね、あんたはどう思ってるのよ?」
『どう、とは?』
「だから、現状よ。その子と幼馴染の関係のままでいいわけ?」
『…………』

明確な返事はなかったが、ブルーはその沈黙で彼の本音を汲み取った。何だかんだ言いつつも、彼とて今の関係のままでいるのはやはり嫌なのだろう。

「いっそのこと、一気に関係を進めようとか思わないの?このままじゃあんた達、お茶するだけの関係で終わるかもよ」
『……つまり、ブルーさんは”彼女に迫れ”と?』
「まあ、ぶっちゃけるとそうね。2人きりでお茶に行くくらいだからその子はあんたのことを嫌ってないんでしょうけど、男としても見られてないんじゃない?」
『……どうでしょうね、ボクからは何とも言えません』

そう言った彼の声からは感情が何も読み取れなかった。他でもない自分のことなのに、まるで他人事のように言うものだとブルーは思う。本当に何も感じていないとはとても思えない、だから彼はきっと感情を隠すのが人一倍上手いのだろう。しかし、でもねえとブルーは声に出さずに呟いた。自分や他の人間ならともかく、好きな女の子相手にまでそんな接し方をしているのだろうか?もしそうだとしたら不器用にも程がある、それでは伝わるものも伝わらないではないか。ましてや、例の子はかなり鈍い性格をしているようなのだから。

「あんたねえ、悠長にそんなことを言ってていいのかしら?前にも言ったけど、他の男に取られちゃうわよ?」
『……それは困りますね』
「でしょう?……ねえラクツ、その子の名前を教えなさいよ」
『念の為に訊きますが、知ってどうするんですか?』
「決まってるでしょう?母校に行って本人に直接確かめるのよ、その子があんたのことをどう想ってるのかをね」
『なるほど。ですが、その頼みは聞けません』
「あらなーに?その言い草は。あんたに女の子に人気のお店のことを教えたのは誰だったかしら?」
『それとこれとは話が別です。ボクは、あの娘を困らせるつもりはありませんので。ブルーさんが絡めば、彼女は十中八九困るでしょうから。……まあいつもの冗談でそう言ったのでしょうが、一応告げておきます』
「もう!少しは先輩の冗談に気持ちよく騙されようって心遣いはないの?」
『ありません。話はもう終わりですか?それならもう失礼します、ボクは明日朝練がありますから』
「あ、ちょっと……!」

ブルーは携帯の画面を見たものの、時は遅く後輩との通話は既に切れていた。真っ暗な画面を見つめていたブルーはもう、何よと不平不満を言いつつ再びベッドに寝転がった。

(何よ、困らせたくないだなんてかっこいいこと言っちゃって……。それで本人に伝わらないなら本末転倒じゃない!)

本人に直接訊いてはいないし訊いても素直に答えてもくれないとは思うのだけれど、それでもあの後輩は幼馴染の彼女のことが好きなのだろう。その口振りから察するに、こちらが思っている以上に彼女に惚れ込んでいるようにブルーには見受けられた。それこそ好きだという言葉では言い表せない程に。

(ああ、もう……)

静寂に包まれたからなのか、好きだというその感情をぶつけて来た今日の彼の顔が不意に浮かんで、ブルーは枕にぎゅうっと押し付けるようにして顔を埋めた。こんな気持ちになるのは本当に久し振りだ、まるで初めて告白された瞬間に立ち戻ったかのように錯覚してしまう。アタシってこんなに初な女だったかしら、なんて言葉が唇から自然と零れ落ちた。初々しい部分なんて、もうとうの昔に失くしたと思っていたのに。
好きですと真剣な顔をして告げて来た彼は返事は遅くてもいいから欲しいと言っていたが、それでも多分断るだろうとブルーは自分でも思っている。彼は告白して来た際、あの目で自分のことを見なかった。そんな彼のことは嫌いではないが、だからと言ってはいそうですかとつき合う気にはならないのだ。果たしてそうなったら今日の彼はどんな対応をするのだろうか。身を引いてくれるならそれでいいが、もし諦めないなんて告げられたら正直困る。それとも、そうなった時は自分もその気になるのだろうか?1人の人間のことを、例えばラクツのようにただただ愛せるようになれるのだろうか。

「最初は本当に冗談半分だったんだけど……。やっぱり、行ってみようかしら」

あの彼にそこまで想われている女の子はいったいどんな子なのだろうとブルーは思った。ラクツのことを男として見ているわけではもちろんないけれど、単純に興味があるのだ。彼はその子を困らせたくないと言っていたが、ブルーだって女の子相手には優しくするつもりではある。ちょうどテニス部の後輩に声をかけられていたところだったものねと小声で呟いて、ブルーは1人意地悪く笑った。