school days : 129
エックス、訝しむ
「はい、これ」の言葉と共にずいっと突き付けられた”それ”を見て、椅子に座ったままエックスは軽く目を見開いた。しばらくその物体を見つめていたエックスは、やがて目の前にいる相手に視線を向ける。自分とそれを差し出している相手、つまりはワイの視線がかち合う。「……何よ」
この空間に漂っていた沈黙を最初に破ったのはワイだった。そんな彼女の眉間には見事に皺が寄っている、どうやら幼馴染は今機嫌が悪いらしい。それに気付いて、しかしエックスは何も言わなかった。そんな指摘をしてみたところで、今までの経験上余計に彼女の機嫌を損ねる結果になるだけだ。その代わりというわけではないけれど、エックスはワイが自分に突き付けている物について尋ねることにした。この場の沈黙が気まずくなったからなんていう理由ではなくて、単にそれが気になった故にだ。
「いや、それはこっちの台詞だって。……何、これ?」
「見れば分かるでしょ。お弁当よ、お弁当!もしかして、キミにはそれ以外に見えるって言うの?」
「いや、そりゃあもちろん分かってるけどさ……」
感情を表に出すタイプのワイだけれど、それにしても今日は何だかやけに突っかかる言い方をするものだとエックスは思った。それでもエックスはわざわざ言及する気はまったくない、誰にだって機嫌が悪い時があって当たり前だ。
(……それにしても、まさかワイちゃんが弁当を持って来るなんて思わなかった)
ワイの手にあるそれは、誰がどう見ても弁当以外の何物でもない。おそらくは、彼女が自分自身で作った物なのだろう。しかし、だからこそエックスは疑問に思うのだ。自分の知る限りだが、この幼馴染が弁当を作ったことは今まで一度たりともないはずだ。事前連絡もなしに彼女がこの家に来るのは日常茶飯事だから今更気にするようなことではない。けれど、弁当を携えてやって来るのは多分これが初めてではないだろうか。自分の記憶を辿ってみて、実に妙なものだとエックスは思った。
(それに、”妙”と言えば……)
エックスは改めて幼馴染を見つめてみた。そうされて、「何」と問いかけた彼女の声は普段よりわずかに固い。彼女と長いつき合いである自分だからこそ多分分かるような、それは微妙な声の変化だった。
(ああ、やっぱり何か変だよな……。最近のワイちゃん)
そう心の中で呟いて、エックスは軽く首を傾げる。以前からちょっと思っていたのだけれど、どうも最近の幼馴染はどこかがおかしい。色々と気になる細かい部分もあるけれど、主だった具体例を何か1つ挙げるとするならば……それはやはり自分の前で着替えなくなったことだろうか。代謝がいいと自分で言うワイは言葉通りに汗をよくかくらしいのだが、大雑把でものぐさなところがある彼女は何とエックスの目の前で平気で着替えていたのだ。汗をよくかくというのは理解出来るし、それをそのままにするのは嫌だという気持ちも理解出来る。そして、自宅に帰って着替えるのが面倒だからこの家に着替えを持ち込むというのは……まあ百歩譲って理解出来なくもない。だが、幼馴染とはいえ仮にも男の自分がいる前で堂々と着替えるのは流石に理解出来ない。彼女曰く「わざわざ隠れて着替えるのが面倒くさいから」ということらしいが、こちらとしてはどうなのだろうと思う。もちろん数え切れないくらい注意はしたものの、本人が頑として聞き入れなかったのでエックスはとうとう匙を投げた。ワイが着替える度に、家主である自分がわざわざ彼女の為に部屋を出ていたくらいなのだ。きっと、この先もずっとそうなのだろうと思っていた。
ところが、最近のワイはめっきりそれをしなくなっていた。そもそも着替えをこの家に持ち込なくなった彼女は、何と自宅に一度帰ってから着替えをするようになったのだ。急に体質が変わることは考えにくい、つまりは本人の意思でそうしているのだろう。いったいどうしたのかと疑問に思ったエックスは、しかしすぐに考えを改めた。どうしたって違和感は拭えないが、それはむしろ以前の方がおかしかったのだ。
(竹を割ったような性格をしてるのはワイちゃんのいいところでもあるんだけど、少しはそういうことを気にするようになった……ってことでいいのかな)
どうやら”そういうこと”に関する恥じらいをようやく持ち出したらしい幼馴染の急な変化を、エックスは少々呆気に取られながらもしっかりと受け入れていた。あれ程注意した自分の立場はいったい何だったのかと思わないでもないが、多分親友内でそういった話が出て、サファイアかファイツにでも口出しをされたのだろう。こういうことは男の自分より、同性に言われる方が心に響くのかもしれない。
しかし、とエックスは思う。幼馴染がそういうことに気を付けるようになったのはいいが、弁当を突き付けて来るというのは正直対応に困る。お世辞にもワイの料理の腕はいいとは言えない。むしろ、かなり悪いと言っていい。まず間違いなくこれはワイではなくエックス自身の為に作られた弁当なのだろうが、料理下手な彼女がそもそも何故そうしたのかというのがエックスには分からなかった。自分でご飯を作るのが面倒だと常々言っているワイは、学校では買って来たパンを毎食食べるのだ。そのことをエックスはよく知っている。
「……ワイちゃん。一応訊くけど、これってオレのだよね?」
「当たり前でしょ」
「オレの為に食事を作って来てくれるのはありがたいんだけど、何でわざわざ弁当を作って来たんだよ?別にピクニックに行くわけでもないのに」
「しょ、正直……アタシも途中からそう思ったわ。お隣さんに渡すんだからお弁当じゃなくてもいいなって……。でも、せっかくエックスの為に作ったんだもん。良かったら食べてくれる?多分、味はそんなに悪くないと思うから」
「うん、分かった。……ありがとう、ワイちゃん」
「…………うん」
夕飯時ということもあり、ちょうど空腹を感じていたエックスはいよいよワイの手作りの弁当の包みに手をかけた。作ってもらっておいて何だが、ワイの料理を食べたことのある身としてはこの弁当を食べるのは正直気が進まないというのが本音だ。それでも彼女の気持ちを考えると、そして今の彼女の顔を見てしまうと、やっぱり「いらない」とはとても言えなかった。
「……あれ?」
おそるおそる弁当箱の蓋を開けたエックスは、予想外の光景に間の抜けた声を上げた。卵焼きは所々焦げているしウインナーの長さはばらばらだしで、見た目は少し悪いように思えるものの、それでもこれはちゃんと弁当と言っていいものだろう。今までのワイが作った料理の数々を思い出して、エックスは驚きと感動で声を少しだけ震わせながら尋ねた。
「ワイちゃん。これ、本当にワイちゃんが作ったのか?」
「……うん」
「自分1人で?」
「これはね。この前ファイツに料理の仕方を教わって、アタシでも作れるかなって思ったから作ってみたの」
「……そっか」
持つべきものは料理上手な友人だなと心の中で呟いて、エックスは存在感を示している卵焼きを箸で掴んで口に入れた。焦げている分どうしても口の中には苦味が広がるけれど、エックスは出汁の味がよく効いていると思った。つまるところ、この卵焼きは自分の好みに合っていたのだ。流石に料理をし慣れている彼女の母親が作った物と比べると味は落ちるものの、それでも今までのワイが作った料理とは雲泥の差だろう。
「……うん。美味しいよ、この弁当」
「ほ、本当っ!?」
先程から固唾を呑んでじっと見守っているワイに、珍しく素直な気持ちを告げる。すると、ワイは瞳を輝かせて身を乗り出した。いつの間にかエックスがよく知る、いつもの幼馴染に戻っていた。
「うん。……まあ、ちょっとこの卵焼きは焼き過ぎだとは思うけどね。でも、今までのワイちゃんの料理の中では正直一番美味しい」
「本当に本当?……アタシに気を遣ったりしてない?」
「まさか。オレは、本当にそう思ってるよ」
「ああ良かった!じゃあこれからもエックスのご飯、時々作って来てもいい?」
さっきまでの不機嫌さは、そして料理が面倒だと言っていた彼女はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。ワイの急変した態度にはやっぱりおかしいなとエックスは軽く首を捻ったのだけれど、だけどとにかくワイの機嫌はすっかり良くなったらしい。あのまま不機嫌でいられるよりはずっといいはずだという結論を出したエックスは、何故か嬉しそうな幼馴染に対して「ありがとう」と告げた。