school days : 128
プレゼント
乞われた通りにホワイトに数学を教えたラクツは、彼女が家から出た数分後に家を出た。別にホワイトを追いかけたわけではなく、ただ単に自分の用事を済ませる為だ。本当は午前中にでも済ませようかと思っていたのだが、ホワイトとの約束があったので夕方に遅らせたのだ。こちらに対して何度も『ありがとう』と言ったホワイトの笑顔が、道路を1人歩くラクツの脳裏に浮かぶ。(やはり……よく似ているな)
従姉というだけあって、ホワイトはファイツによく似ていると思う。ホワイトのあの蒼い瞳も明るい茶色の髪色も、ファイツに瓜二つだ。ホワイトの頼みを引き受けた際にも思ったが、彼女を見ていると自分の想い人の姿が自然と思い出される。ラクツがホワイトの頼みを引き受けた理由はそこにある。彼女があのような外見でなかったら、きっと自分は何か適当な理由をつけて彼女の頼みを断っていたに違いないとラクツは思っている。
それでも彼女はファイツによく似ているだけでファイツ自身ではないから、自室には入れずにリビングで教えたのだけれど。ついでに言うと、この場にいないブラックに一応配慮したという理由もある。もしも自分が兄の立場だったとして、そして兄が自室にファイツを連れ込んでいたという事実を知ったとなれば、理由はどうであれ間違いなくいい気分にはならないからだ。ラクツがホワイトに勉強を教えること自体は兄も知っているはずだし、彼は結局何も口を挟まなかったが、念には念を入れておいて損はないはずだ。
(ブラックに何も訊かれなければいいんだがな……)
ブラックの性格はよく知っている。予備校から帰って来るなり、”社長に何もしていないだろうな”なんて台詞を吐かれるかもしれない。そんな場面を想像して、しかしブラックはそこまでストレートに訊くだろうかと思い直した。十中八九ホワイトを意識しているであろう兄だが、おそらくは自分の感情に気付いていないことだろう。例えば”社長はどんな様子だった?”とか、”社長にどんな問題を教えたんだ”とか。そんな質問をして、それとなくこちらの様子を窺って来る可能性の方がどちらかと言えば高そうだ。確固たる自信はないが、兄からの質問攻めに遭いそうだという予感がしたラクツは憂鬱な気分になった。その予想が当たったら面倒なことこの上ないが、それでもラクツは互いの為に正直に答えるつもりでいる。そうは言っても「勉強を教えただけだ」の一言で終わるのだが。
(もっとも、最後の方は勉強よりファイツの話に重点を置いていたような気もするが)
ファイツによく似ているホワイトだが、流石に性格まで瓜二つというわけではなかった。彼女達の性格は、むしろ正反対と言っていいだろう。明るく積極的なホワイトは、控えめな性格であるファイツを常日頃からそれは可愛がっているらしい。こちらが訊いたわけでもないのに”自分の従妹がいかに可愛くていい子なのか”を興味深いエピソードと共に色々と力説して来たホワイトを思い返すと、やはり口元には自然と笑みが浮かんでしまう。それを苦笑だと勘違いしたらしいホワイトには再三謝られた上に、ファイツの話はそれでお開きになったのだが、単純に微笑ましいと思ったラクツとしては少々口惜しい結果だ。多分、自分が従妹の幼馴染だからホワイトはファイツの話をしたのだろう。もうすぐあの子の誕生日なのと言った時のホワイトは笑っていた、それは幸せそうな顔だった。
(あの彼女の顔を思い返すと、こちらまでいい気分になるな……)
ホワイトは、誕生日の夜はあの子の為に腕を振るうのよと意気込んでもいた。そんな熱が入った彼女に”誕生日当日はあなたの従妹とデートします”とは言わずに、ラクツはそうですかとだけ答えた。ホワイトのあの話し振りからしても、まず間違いなく彼女はそのことを知らないに違いない。それならばわざわざ話すことはないだろうという結論をラクツは出したのだ。そもそもデートだと思っているのは多分自分だけだ。ホワイトに馬鹿正直に打ち明けた結果、その事実がファイツの耳に入る事態になるのは避けたかった。そんなことになれば、あの娘は来週の”デート”を取り止めてしまうかもしれない。
(それは、絶対に嫌だ)
ファイツとは幼馴染の関係であるラクツだが、兄の幼馴染の2人のようにずっと親しくしていたわけではなかった。むしろこの1年は、親しいとは真逆の関係だったと言ってもいい。彼女に冷たく接していたあの頃は、また誕生日のプレゼントを贈れるような関係に戻れるとは思わなかった。彼女に誕生日のプレゼントを贈るのは小学生以来だ。実に6、7年振り程だろうか。プレゼントを贈るのは随分と久し振りだが、あの娘の誕生日にデートをするのは初めてなのだ。こちらの独り善がりでしかないわけで、彼女には悪いとも思うのだが、それでも互いにとっていい思い出に残るものにしたかった。
(それにしても、”ハンカチがいい”か……)
はにかみながら『ハンカチがいいの』と言ったファイツの顔が脳裏に自然と思い浮かんで、ラクツは目元を柔らかく細める。誕生日の贈り物にハンカチを望むなんて、何とも控えめな性格であるファイツらしいリクエストだと思った。一応後に色や模様の希望の有無をメールで訊いたら、返って来たのは”花柄の可愛い物がいい”という一文だった。ラクツは”分かった”とだけ返したが、可愛いのはキミの方だというメールを思わず送りたくなった自分を何とか律したのは秘密だ。
「……ここか」
自宅から歩いて数分、目的地である雑貨店にたどり着いたラクツは店の看板を見上げた。いかにも可愛い物が売っていそうな外観で、女の客が数人いるのが外から見えたのだが、躊躇わずに扉を押し開く。いらっしゃいませと言いながら一礼した店員の前を素通りして、まっすぐに目当ての場所へと向かった。そこには色とりどりのハンカチが綺麗に並んでいる。自分にこの店の場所を教えてくれたブルーが言っていた通り、確かに品揃えが豊富だった。これならいいハンカチが見つかりそうだと、ラクツは口元に軽く笑みを浮かべた。
「お客様、大切な方への贈り物でしょうか?」
誰がどう見ても女物であるハンカチを手に取っている男の自分は、女の客しかいないこの店内では相当に浮いていたことだろう。プレゼントを選ぶのに難儀しそうだとでも思われたから話しかけられたのかもしれないし、あるいはただマニュアルに従っただけのことかもしれない。しかし既に”ハンカチがいい”というファイツからのリクエストをもらっている以上、ラクツには理由なんてどうでも良かった。それに、基本的にラクツは個人行動を好むのだ。
「……ええ。ですがボク1人で選びますので、どうかお構いなく」
ラクツは手に持ったハンカチに視線を固定したまま、笑顔で話しかけて来た女の店員に固い声でそう告げた。近くで色々と商品を勧められても集中出来ないし、何より鬱陶しいだけだ。一瞬の沈黙の後で店員は「かしこまりました」と答えたものの、明らかにその声はどもっていた。もしかしたら、こちらのにべもない断りに臆したのかもしれない。しかしラクツは意にも介さなかった、店員に気を配るよりファイツのプレゼントのことを考える方が自分にとってずっと重要だ。そのまま逃げるように立ち去った店員に目もくれず、ラクツは思考を続ける。あの娘の希望は花柄だが、商品棚には数多くの花柄のハンカチが置かれていたのだ。とりあえず、ある程度は候補を絞り込まなければ始まらない。
(あれよりは……こちらの方が喜ばれそうだ)
大きく花がプリントされている物よりは、小さな花が散りばめられている物の方が多分ファイツの好みに合うだろう。それに派手好きではない彼女のことだから、色もきっと原色よりは淡い物の方が良さそうだ。様々なハンカチを色々と吟味していたラクツは、白地に薄桃の桜の刺繍が施されたハンカチを手に取った。そういえば、これは夏祭りの際に彼女が着ていた浴衣によく似ているように思えてならない…。
(……これにするか)
桃の花も好きなファイツだけれど、桜だって同じくらい好きであるとラクツは知っている。このハンカチなら、きっとあの娘も喜んでくれることだろう。数分悩んでハンカチを1枚選んだラクツだけれど、一息つく暇もなく再びプレゼント選びを再開させた。流石にプレゼントがハンカチ1枚だけというのは淋しいと思ったのだ。例えそうでもファイツは”ありがとう”と言ってくれるような気もするが、何よりラクツ自身が嫌だった。何しろ好いた相手の誕生日のプレゼントなのだ、予算の上限は当然あれど出費は惜しまないつもりだ。
「……よし」
ハンカチの商品棚の前で1人悩んでから10分程が経過した頃だろうか。ようやくファイツの誕生日プレゼントを選び終えたラクツは、軽く息を吐いて買い物かごをもう一度確認した。もちろん個人的にでしかないが、きっとあの娘に喜んでもらえるようなハンカチが選べたと自分でも思う。そうと決まれば清算しようと、レジに向かおうとしたラクツはふと足を止めた。目の端に、あるネックレスが置かれたコーナーが映ったのだ。足を中途半端に踏み出した状態で、小さな蒼い石のネックレスを遠目から見つめた。
「…………」
ファイツのリクエストはハンカチ、ただそれだけだった。だから一瞬だけ迷ったものの、結局は自分の直感に従ったラクツはレジへと向かうはずだった進路を変えた。彼女の希望に沿わない物、つまりハンカチではない物を贈るのは流石に良くないだろうが、追加する分には別段構わないだろう。意外とハンカチの値段が安価だったこともあるが、何よりあのネックレスはファイツによく似合いそうだと思ったのだ。実際にはまだ贈っていないわけだけれど、自分が選んだプレゼントに嬉しそうな表情をする想い人の姿を思い浮かべて、ラクツもまた柔らかい笑みを湛えた。