school days : 127
secret of my heart
「ファイツ、ファイツってば!!」「えっ……?ど、どうしたの?ワイちゃん……」
「それはこっちの台詞よ!……ね、ファイツ。もしかして、何か悩み事でもあるの?」
親友の家の台所で、小さく「え」と呟いたファイツは思わず胸をどきりと高鳴らせた。確かにそんな質問をしたワイの言う通り、まさにファイツは悩み事を抱えていたところだったのだ。その所為でぼうっとしていたおかげで、親友の呼びかけにも気付かなかった。水色のエプロンをしたワイはどうやら怒ってはいなさそうだけれど、代わりにものすごく心配そうな表情をしていた。
「大丈夫?何かに深く悩んでるとか、ない?」
「だ、大丈夫……」
「本当に?」
ワイにそう問い詰められて、ファイツはえへへと曖昧に笑った。どうしてこの親友はこうも鋭いのだろう。思い切り図星を指されたファイツは、けれど首をふるふると横に振った。
「うん。でもワイちゃん、どうしてそんなことを訊いたの?」
「だって、さっきからファイツってば溜息ばっかりついてるんだもの。大したアドバイスは出来ないかもしれないけどさ、話くらいは聞くよ?」
「…………」
サファイアだってかなり面倒見がいい性格をしているとファイツは思っているのだけれど、ワイはそんな彼女以上に面倒見がいいと思う。そもそもファイツがワイと親友になったのだって、1人でいた自分に彼女が明るく話しかけて来てくれたことがきっかけなのだ。
(本当に優しいなあ……)
彼女だって悩み事を抱えているはずなのに、それでもこちらの様子を気にかけてくれていたのだろう。そんな彼女に日頃から色々と頼っているファイツはその言葉に思わず頷いてしまいそうになったものの、それを寸でのところで押し止める。
「……ううん、あたしは大丈夫。あたしのことより、ワイちゃん自身のことを心配しないと!エックスくんの為に、料理を作るんでしょう?」
「そ、それは確かにそうなんだけど……。でもファイツ、本当に悩み事とかないの?あんなに溜息ついてたのに」
「あたし、そんなに溜息ついてたの?」
「うん、何回もね。あんなに何回も”どうしたの?”って訊いたのに、ファイツったら何にも言わないんだもん!おまけに、何か顔も赤いし……」
「え……。えっと、ワイちゃん。あの、それはね……っ!」
「あ、分かった!」
「……っ」
ファイツはびくびくと身を縮こませたが、それはワイの声の大きさによるものだけではなかった。自分が何に悩んでいるのか、その内容を彼女に言い当てられるのではないかという考えが膨らんで、ファイツは思わずその場から逃げ出したくなった。だけどそんなことが実際に出来るはずもなく、その場に立ち竦んだまま親友の足元を見つめる。ファイツはどうしようどうしようと心の中で繰り返し叫んだ、心臓は今やどきどきと激しく高鳴っていた。
「ファイツってば、N先生のことを考えてたんでしょ!」
「えっ?」
「だから、そんなに顔が赤くなってたんだ。……ね、どう?アタシの推理、合ってる?」
「う、うん……」
ワイにずいっと詰め寄られたファイツはこくんと頷いた。別に彼女に気を遣ったわけではなくて、気が付いたらそう答えていたのだ。
「な~んだ、N先生のことを考えてたんだ。てっきり深刻な悩みでもあるのかと思っちゃったわよ!好きな人のことを考えてたんだもの。そりゃあ溜息だってつくし、顔だって赤くなるわよね?」
「う、ん……」
ワイは心配そうな表情から一転して、微笑ましいと言わんばかりに笑った。そんな親友からそろりと視線を逸らして、ファイツはそっと目を伏せる。
(嘘、ついちゃった……)
ファイツが頭の中で考えていたのはずっと好きだったあの人のことではなくて、同い歳の幼馴染のことだった。だけどファイツはうんと言った、ワイの言葉を否定しなかった。つまりは、大事な親友に真っ赤な嘘をついてしまったことになる。その罪悪感から胸はずきずきと酷く痛んだのだが、ファイツはいつも通りの表情を作ることに意識を集中させた。せっかく安堵したらしい彼女をまたもや心配させるわけにはいかない。
「……あ、そうそう。ファイツの誕生日って来週でしょ?学校が休みで当日には渡せないから、プレゼントは17日に持って来るね!1日遅れちゃって悪いけど……」
「…………」
誕生日という単語を聞いた為なのだろう、ファイツの頭には否が応でも幼馴染と喫茶店に行く約束事が思い浮かんでしまった。顔中に熱が集まるのを感じて、慌てて首を横に振る。もちろん「遅れちゃって悪いけど」と言ったワイの言葉を否定する意味もあるのだけれど、どちらかといえば頭の中に浮かんだ彼の姿を消し去る意味合いの方が強かった。
「そ……。そんなこと気にしないで、ワイちゃん。日にちなんかより、もらえるだけですっごく嬉しいもん……」
「あ~もう!ファイツってば、どうしてそんなにいい子なの!?……あ、いい子っていえばユキもそう言ってた!”ファイたん”って呼ばれてるんだって?」
「う、うん……。最近ユキさんと友達になって……。そ、それよりワ、ワイちゃんっ!苦しいよ……っ」
そう、最近ファイツには新しい友達が出来たのだ。転ばせたことを律儀にも謝って来た彼女に大丈夫だと返したら、その流れで友達になったというわけだ。だけど彼女のことを頭に思い浮かべたのはほんの少しの間だけで、親友にいきなり抱き締められたファイツはワイの肩をポンポンと数回叩いた。思い切り抱き締められてしまったおかげで、息が出来なくて苦しいのだ。ごめんごめんと謝って身体を離したワイにファイツもまた笑顔で大丈夫だと返したものの、内心は笑うどころではなかった。
卵焼きを作るべく冷蔵庫から冷えた卵を取り出した親友に向けて、ごめんねと届くことのない言葉を送る。ワイに以前頼まれた通り料理の作り方を教える為に彼女の家にいるファイツの心には、だけどしっかりと彼の顔が浮かんでしまっていた。あの優しくて大人びている幼馴染のことが、どうしてか気になって気になって仕方がないのだ。
(ラクツくんは、今頃お姉ちゃんに勉強を教えてる頃なのかなあ……)
ホワイトは今日、ラクツに勉強を教わる為に彼の家に行ってしまった。彼の家までの道順を既に知っている以上、ファイツが前回のように道案内をする必要はない。それに何より、特別な用もないのに彼の家に押しかけるわけにもいかない。そんなわけでファイツは「行ってらっしゃい」と言って従姉を送り出したのだけれど、心はもやもやとして晴れなかった。その後でファイツはいつも通りに勉強をしようとしたものの、どういうわけか勉強は中々進まなかった。家に1人でいるわけだからさぞかし勉強が捗るだろうと思っていたのに、まったくと言っていい程集中出来なかった。
”暇な日に料理を教えて欲しいの”というワイからのメールが送られて来たのは、ちょうどその事実に悩んで勉強机に突っ伏した時だった。少しだけ悩んだファイツは結局、”暇だからワイちゃんの予定が合えば今からでもいいよ”という返信メールを返した。勉強をするつもりではあったから正確に言えば暇というわけではないのだけれど、どの道集中出来ないのなら同じことだと思ったのだ。それに、いつも親友に頼ってばかりの自分が逆に頼られるというのは……やっぱり嬉しかった。そう、自分は親友の為にここにいるのだ。それなのに彼のことを考えている自分自身に対して、ファイツはいったい何を考えてるのと叱咤した。
(せっかくワイちゃんがあたしを頼ってくれたんだもん……)
ついついワイに嘘をついてしまったわけなのだが、結果的にはそれで良かったかもしれないとファイツは思った。おそるおそるといった様子で卵の殻を割るワイを、少し離れたところから見つめる。
「あー!もう、せっかく上手く割れたと思ったのに!」
「どうしたの?」
「殻がボールに入っちゃったのよ。ああ、菜箸で取らなきゃ……。こういう細かい作業って苦手なのよね……。……あ、違うのファイツ!アタシだって、卵くらい普段はちゃんと割れてるのよ!?ただ、今日はたまたま緊張してるだけで……っ」
慌てたようにそう言ったワイがいじらしくて、ファイツは思わず笑いながら「ちゃんと分かってるよ」と言った。好きな人の為に手料理を作ろうと頑張る彼女は可愛い。そんな彼女の気持ちが彼女の幼馴染に通じて欲しいとファイツは思った。
(やっぱりワイちゃんには……。ううん、ワイちゃんだけじゃなくて……誰にも言う必要はないよね。余計な心配をかけたくないし、あたしがラクツくんのことを気にしちゃうのは今だけのことだろうし……。……うん、わざわざ話すようなことじゃないよね?)
隠し事をするようで何となく気が引けるけれど、それでもファイツは自分が幼馴染を変に気にしているという事実を誰にも言わないでおこうと思った。根拠は何もないけれど、やっぱり上手く言えないけれど、秘密にしておく方が自分自身にとって絶対にいいような気がしてならなかった。