school days : 126

悪ふざけの道化師
リビングのドアを開けたシルバーは、「ただいま」と言いかけてそのまま硬直した。ドアノブに手をかけて口を中途半端に開いたまま、眼前の人物を呆然と見つめる。鼓膜にはテレビの音声が色々と聞こえて来たものの、とてもその内容なんて把握出来る状態ではなかった。

「……どうしたのさ、シルバー坊や」

そう問いかけられてもシルバーは固まったまま微動だにしなかった。玄関には見慣れない靴があったから誰かが来ているとは思っていたのだけれど、まさかこの男が来ているとは思わなかったのだ。

「おーい、いったいどうしたっていうんだよ。もしかしてボクのかっこいい顔に見とれでもしたのかい、シルバー坊や?」
「……何をバカげたことを言っているんだ、イツキ」

ひらひらと手を振りながらそんなことを宣ったイツキに、沈黙から立ち直ったシルバーは憮然とした表情でそう言った。彼に会ってしまったおかげで、浮足立っていた気分はすっかり萎んでしまっていた。

(せっかく姉さんにいい報告が出来ると思ったんだがな……)

タウリナーΩのオープニングテーマを口ずさんだ少年、つまりは自分の同志とも言うべき人物とやっと出会えたのだ。そのことを早く帰ってブルーに知らせようと思っていただけに、今の状況は非常に芳しくなかった。何しろ、目の前にいる人物はイツキだ。自分を昔から事ある毎にからかって来た、あのイツキなのだ。

(ダイヤモンドの半分でもいいからイツキの性格が捻くれていなかったならば、まだ良かったものを……)

今から数10分前のことだ。受験生であるシルバーは普段ならば早めに帰宅して勉強をするのだが、事もあろうに受験勉強に使う参考書を自分の机の中に置き忘れてしまった。そういうわけで、一度帰宅したシルバーは再び学校へと向かったのだ。その時は何故置き忘れてしまったのだろうと自分自身に毒づいたのだが、今にして思えばそれは運命だったのかもしれない。普段はしない忘れ物をしたおかげで、シルバーは自分の同志足り得る人物と出会えたのだから。
ぶつかられた当初こそ苛立っていたものの、その人物が自分と同じアニメを好きだと分かった瞬間にシルバーの中で渦巻いていたわだかまりは綺麗さっぱり消え失せていた。ポカンとした表情をしていた彼の名前をその場で聞いたことにも我ながら驚いたが、連絡先を訊いたことにはもっと驚いた。流石に説明はすべきだろうと思い直したシルバーが事情をかいつまんで話したら、自らの名前をダイヤモンドだと名乗った男子生徒はにこにこと嬉しそうにしながら頷いてくれた。かくして自分の携帯電話のアドレス帳には、ダイヤモンドの名前とメールアドレスが登録されることとなった。今は残念ながら無理だけれど、自分の受験が終わったら一緒にタウリナーΩを心行くまで見ようという約束までしたのだ。それも偏に、ダイヤモンドが素直な性格をしていたからだろう。短いにも程があるつき合いだけれど、彼の性格は何となく把握している。ダイヤモンドが素直でおっとり、のんきな性格をしているという自分の見立てはおそらく間違ってはいないだろう。

(本当に、家にいるのがダイヤモンドだったならどれ程良かっただろうな……)

再び苛立ちを感じたシルバーは、目の前のイツキをじろりと睨みつけてやった。側に置いていた携帯ゲーム機の電源を入れたイツキに、「ゲームをするならテレビを消せ」と言ってリモコンを渡す。本来ならイツキに向かって投げつけたいくらいなのだが、何かの拍子にリモコンが壊れてしまう可能性を危惧したのだ。自分がそうすることによってイツキが痛い思いをするのは別に構わないが、テレビのリモコンが壊れるのは困る。

「……それに、オレをそう呼ぶのは止めろと以前から何度も言っているだろう。オレはもう坊やと呼ばれるような歳じゃない」

イツキとは6歳も歳が離れているわけだが、流石に高校生にもなって”坊や”はないだろうと思う。テレビを消したイツキは「分かったよ」と言って肩を竦めたが、シルバーは鼻を軽く鳴らした。どうせこの男のことだ、しばらくしたらまた坊やをつけるに決まっている。イツキと3歳離れている姉のカリンも何かにつけて自分のことを子供扱いするのだけれど、それでも”坊や”と呼ばないだけまだ良かった。少なくとも彼女はイツキと違っておちゃらけていない性格をしていることを思えば、やはりカリンの方がイツキよりマシと言える。
改めてリビングを見回したシルバーは、眼前の惨状に顔を顰めた。多分ブルーがお茶うけにと出したのであろう煎餅やらクッキーの空き袋がテーブルの上に散乱していたのだ。ブルーが出した以上、シルバーはイツキが菓子を食べることについて口を挟むつもりはなかった。しかしそれならばせめて、もっと綺麗に食べるべきなのではないだろうか。見かねたシルバーは散乱していた空き袋を片付けたが、返って来たのはやたら芝居がかった口調の「ありがとう」だった。礼を言っただけまだいいのだろうが、やはりこの男は自分ととことん合わないとシルバーは思った。

「お前が来ているということは、カリンも一緒に来たのだろう。玄関にはそれらしい靴が見当たらなかったが、あいつはどうした?」
「んー?ああ、カリンならブルーと一緒に出かけてるよ。ボクも誘われたけど、家でゲームしてる方が好きだから行かなかったんだ。それに、あの2人の邪魔もしたくなかったしね」
「邪魔?」
「だから、デートの邪魔だよ。あの2人もなかなか仲がいいよね」
「……お前は何をバカげたことを言っているんだ。あの2人は同性だろうが」
「昔から思ってたけど、本当にキミは冗談が通じないよね。従兄の華麗な冗談につき合おうっていう気概はないのかい?」
「ない」

シルバーは、イツキの言葉を即座に否定した。本当に、この男といるとやたらと疲れるのだ。これならば、まだゴールドといた方が有意義な時間が過ごせるだけマシというものだろう。ゴールドと言えば結局彼の助力は必要なかった結果になるわけだが、それでも礼ぐらいは言うべきだろうとシルバーは思った。あの男のことだから、自分が見つけたかったなどと悔しがりそうだけれど。

「ちょっと、即答しないでくれよ。まったくさあ……キミにはもっとユーモアってやつが必要だと思うよ、ボクは」
「そんなものは必要ない。だいたい、お前やカリンと従姉弟の関係なのはブルー姉さんの方であって、オレは違うだろうが」
「まあ厳密に言えばそうなんだろうけどさあ、キミはもうこの家の一員なわけじゃん。つまりはブルーの弟だろ?だったらボク達の従兄弟ってことでいいじゃん」

何か問題でもあるのかと言わんばかりの表情でそう言い放ったイツキに、シルバーは沈黙を返した。極たまに、本当にたまにだけれど、この男も真面目なことを言う口は持っているらしい。

「シルバーは難しく考え過ぎなんだよ、そんなに頭が固いとこの先きっと苦労するよ?せっかくの一度きりの人生なんだ、もっと楽しまなきゃ損だろ?」
「……お前こそ、もう少し真面目になるべきだと思うがな」

イツキから目を逸らして、真っ暗なテレビ画面を見ながらシルバーはそう言った。そうしたのは照れ隠し故なのだが、幸いイツキがそれについて何も言うことはなかった。

「そうそう、シルバー。この後勝手にどこかに行くなよ、あの2人が帰って来たら皆で食事に行く予定なんだから」
「……食事?」
「カリンが言い出したことなんだ、久し振りに親戚が集まったから外食しようって。本当はお爺様も来れれば良かったんだけど、生憎作品作りが忙しくて無理だって言われちゃってさ。ほら、ボク達のお爺様って有名な彫刻家だから。でもシルバーの誕生日には必ず行くからって言ってたよ」
「……そうか」

イツキの言葉で、自分の孫ではないのにブルー達と変わらない態度で接してくれる”祖父”の顔が脳裏に浮かぶ。「お爺様ももう少し厳しさが和らぐといいんだけどな」と溜息混じりにぼやいたイツキに、シルバーは先程よりずっと柔らかい声色で、しかしやはり苦言を呈した。