school days : 124

100%妹想い
コンコンとドアがノックされる規則正しい音で、ベッドに寝転んでいたヒュウは身体を起こして剣道に関する本を枕元に置いた。ドアの向こう側にいる相手は分かりきっている、自分の妹だ。

「お兄ちゃん、今大丈夫?」
「ああ。開けていいぞ」

自他共に認める女嫌いであるヒュウだけれど、妹だけはその対象から外れていた。だって何たって自分の妹なのだ、可愛いに決まっている。律儀にも「開けるよ?」と断ってから入って来た妹に、「兄ちゃんに何の用だ」と返して笑いかける。

「お兄ちゃんの電話が鳴ってたから持って来たの、リビングに置きっ放しになってたんだよ。はい、どうぞ!」
「ああ……。言われてみれば携帯がねえな……。わざわざ持って来てくれてありがとうな」

テーブルの上に無造作に置いていた携帯をここまで持って来てくれた妹に対して、ヒュウは素直に礼を言った。

「どういたしまして!……ところでお兄ちゃん、部屋はちゃんと掃除した方がいいよ」
「あ、ああ……。確かにちょっと散らかってるな……」

机の上を始め色々と物が散乱している部屋を見回して、少し気まずくなったヒュウは頭をがしがしと掻いた。しっかり者で綺麗好きの妹は、頬を軽く膨らませる。

「もう、ちょっとじゃないよっ!せっかくお兄ちゃんったらかっこいい顔してるのに、これじゃあもったいないよ!」
「”もったいない”って……。何がだ?」
「だって、こんな部屋じゃ彼女さんを部屋に呼べないじゃない?」
「彼女って……。あのなあ、兄ちゃんは女なんて作る気はねえ……ないよ。部活に打ち込みたいから、女にかまけてる暇なんてないんだよ」

そう言うと、自分の妹は大きな目を数回瞬きさせて「そうなの?」と尋ねた。心の底から不思議でならないと言いたげな妹に、ヒュウはしっかりと頷いてみせる。こう言って来たのが例えばペタシだったなら、うるさいと低い声で反論したことだろう。しかし実際は自分の妹だったから、だからヒュウは言葉に気を付けたのだ。学校では周囲の女を事ある毎に睨みつけているヒュウだが、妹だけにはそうしたことがないのだ。何せ大事な大事な妹だ、絶対に泣かせるわけにはいかない。

「まあ、そういうことだけど……掃除はちゃんとやるよ。今日はもう夜だから、明日学校から帰ったら絶対やるから」
「絶対?」
「ああ。……約束する」
「うん、分かった!あたしとの約束だよ!」

手を振って部屋を出ていく妹の姿が視界から見えなくなったのをちゃんと確認してから、ヒュウは携帯の画面を確認した。そして、はあっと盛大に溜息をつく。妹に向けるそれとは180度違う表情で着信履歴を睨みつけてもみたが、そこにはよく知った名前が変わることなく表示されていた。

(やっぱりあいつか。……まあそんな気はしてたけどよ)

携帯に表示されていた名前は何度見てもユキの2文字だった。今日は球技大会だったから電話がかかって来るような気はしたけれど、やっぱり気分は重かった。毎回平均30分以上もヒュウにとってはどうでもいいような話を聞かされるのは、正直言ってあまりいいものではない。それでもそうしてもいいと言ったのはヒュウ自身だから、ユキ本人には「もう電話をかけて来るな」と告げたことはないのだ。一度した約束を破るのは、例え相手が誰であっても嫌だった。ベッドに再び横たわったヒュウは、その体勢のまま携帯のボタンを押した。

『あら、ヒュウ。今回は思ったよりかけ直して来るのが早かったわね、あんたにしては珍しいじゃない』
「うるせえな、オレの妹が携帯を持って来てくれたんだよ。……で、用件は何だよ」

一応そう尋ねてはみたものの、ユキが自分にかけて来る用件なんてヒュウには分かりきっていた。どうせラクツに関することに決まっている。今日の球技大会で活躍したラクツがどれ程かっこよかったのかを、そしてどれ程自分がラクツのことを好きかを、この女は熱く語るに違いないのだ。

『決まってるでしょ、ラクツくんのことよ!』
「あー、そうかよ」

いつも通りに聞き流そうと思ったヒュウは、先程まで読んでいた本を開いた。確かこの辺りまで読んだはずだと声に出さずに呟きながら、パラパラと本のページを捲る。そこには剣道の型が写真つきで解説されていた。勉強は苦手だけれど、剣道に関するものなら話は別だ。いつものようにユキの話に適当に相槌を打ちながら、ヒュウは剣道の本を読みこんだ。

『はあ……』

自分にとってはどうでもいい話をユキが話し始めてから、どれ程の時間が経った頃だろう。それは深い溜息が聞こえて、ヒュウはページを捲ろうとしていた手を止めた。どうせラクツに関することで溜息をついたのだろうと思っても、何となく気になったヒュウは結局「どうしたんだよ」と尋ねた。

『ちょっとね、今日あったことで悩んじゃってて……』
「何だよ、テストで0点でも取ったのか?」
『違うわよ、あんたと一緒にしないでよね!!……部活に行く途中でさ、女の子を転ばせちゃったのよ。その子は大丈夫って言ってたけど、どうにも気になって……』
「ああ……。昇降口でのことか、それならオレも見てたぜ。もしかして、お前がぶつかりでもしたのか?」
『違うわよ!!ぶつかったんじゃなくて、アタシが大きい声を出したからよ。相手の子を驚かせちゃったみたいなんだけど……。っていうか、あんたもあの場にいたのね』
「まあな。遠目から見ただけだから、詳しいことは知らねえんだよ。あの女は派手にすっ転んでたけど、お前が原因だったのかよ。まあ気になるんなら謝ればいいだけなんじゃねーの?」
『うん、そうするわ。……ねえ、ヒュウ。今”あの女”って言ったけど、あの子と知り合いだったりするの?』
「違えよ、別に知り合いでも何でもねえ。ただ……少し話しただけだ。確か、ファイツっていう名前だったな」

彼女の名前を出した途端に、ヒュウの脳裏には眉根を寄せたファイツの顔が浮かび上がった。実際に泣きこそしなかったけれど、自分の言葉で今にも泣いてしまいそうな彼女の顔が消えなくて、ヒュウは舌打ちをした。彼女にはちゃんと謝ったし、気にしていないと言ったではないか。それなのにこんなにも鮮明に彼女の顔が浮かんで来るのは、自分がそのことを気にしている証拠なのだろう。

『そう……。ファイツちゃん、っていうんだ。何ていうか……かなりおとなしそうな子よね。声も小さいし』
「お前が大き過ぎんだよ。……まあ、あの女の声が小さいのにはオレも同意見だがよ。こっちは何もしてねえってのにびくつきやがるし。……何つーか、調子狂うぜ」
『バカね、それはヒュウの目付きが怖いからに決まってるじゃない。アタシはもう慣れてるからいいけどさ、あんたの目付きってちょっと鋭過ぎるわよ。そりゃあ、大抵の女子は怖いって思うに違いないわ。……で、その子と何の話をしたの?』
「……別に何でもねえよ」

「ラクツくんに用があるんです」と言ったファイツの言葉はしっかりと憶えていたが、ヒュウはそう告げた。わざわざ教えてやる必要性も義理もないだろう。言えば、また”かっこいいラクツくん”の話題に戻るに決まっている。

(ラクツといえば……。あいつ、結局チャイムが鳴るまで戻って来なかったな。あいつにしちゃあ珍しいことだけど、あの女と長話でもしてたのか?あの女のことはよく知らねえけど、あの性格だとちょっとした会話をするのにも時間がかかりそうだな)

きゃあきゃあと騒がしい女どもに比べれば、おとなしいだけまだマシだけれど。それでも相手が女というだけでイライラしてしまうヒュウは、また軽く舌打ちをした。

『何よ、舌打ちなんかしちゃって。もしかして、あんたもあの子に何かしたの?ヒュウのことだから、怒鳴りつけたりとかしてそう!』
「うるせえって!!」

図星を指されたヒュウが電話越しのユキに怒鳴ったその時、またコンコンとドアをノックする音が耳に聞こえた。慌てて携帯を枕に向かって放り投げたヒュウは、来訪者に向けて「どうした?」と尋ねる。数センチ開いたドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせたのは、やっぱり自分の妹だった。

「お兄ちゃん、お風呂が空いたよ!……あ、もしかして電話してた?邪魔しちゃってごめんね」
「ああ、もうそんな時間か……。お前はそんなこと気にするなって、兄ちゃんの電話はもうすぐ終わるからさ」

枕元にある開かれたままの携帯に気付いたのか、手を合わせて謝った妹にヒュウは柔らかく笑いかけた。「もう少ししたら入るから」と伝えて、やっぱり妹が部屋から出て行ったのを確認してから放り投げた携帯を手に取った。そしてそれを耳に押し当てると、聞こえて来たのはユキの甲高い笑い声だった。

『あー、もうおかしい!何よ、あんたってば妹ちゃんにはそんな話し方するのね?確かにあの子は可愛いと思うけど、ヒュウが自分のことを”兄ちゃん”って言うのは違和感しかないわ……!』
「て、てめえ……っ!」

妹との会話をしっかり聞かれていたことが恥ずかしくなって、ヒュウはつい怒鳴ってしまった。例えばラクツやらペタシならまだしも、よりにもよってユキに聞かれるだなんて最悪だ。

『あはは……。まあでも、ちょっと意外だったかも』
「……何がだよ」
『あんたって、妹にはしっかりお兄ちゃんしてるんだなあって思ったから。学校でも今と同じように話してみなさいよ。最初は絶対に驚かれるだろうけど、きっとその方がいいとアタシは思うわよ?』
「うるせえ、余計な世話だ!もう切るからな!!」

そう言うが早いが、ヒュウは通話を無理やりに終わらせた。何も聞こえて来ない携帯を睨みつけながら、「何だよあいつ」と呟く。あの女に、ユキに真面目なトーンであんなことを言われるのは初めてだったのだ。ファイツといいさっきのユキといい、今日はどうも女に調子を狂わされてばかりいる。それが何となく面白くなくて、ヒュウは携帯を枕に向かって放り投げた。