school days : 121

ひょっとして、もしかしたら。
プラチナにとって、球技大会は少々憂鬱な行事だった。勉学に比べれば運動は遥かに苦手だということも理由としてはあるのだが、何よりも自分の試合がない時の時間の潰し方に頭を悩ませていた為だ。休み時間なら文庫本を読んでいればいいのだけれど、流石に授業中に行われる球技大会に本を持参するのは躊躇われた。大して仲のいい友人の1人もいなかったプラチナは、誰とお喋りをすることもなくただぼんやりと試合を観戦して時を過ごしていたのだ。
しかしこれは去年の話であって、今はもう”仲のいい友人”が複数人いるプラチナは、去年とは違って興奮した面持ちで試合を観戦していた。隣にいるワイもまた、自分に負けず劣らず興奮しきった顔で激を飛ばしている。現在行われている試合は男女共に決勝戦ということもあって、プラチナの周囲はそれはもう騒がしかった。ちなみに今年の競技種目は男子がバスケットボールで女子がバレーボールだ。去年なら眉根を寄せていたであろう周囲の環境だが、自身も興奮している為かこの喧噪は然程気にならない。静かな環境を好むプラチナとしては自分に起こった変化に少々驚きつつも、しかしその事実をしっかりと受け入れていた。

「すごいラリーですね……」
「うん……。なかなか決まらないわね……」

自然と漏れたその呟きに、しみじみとワイが答える。眼前で繰り広げられているボールの応酬は、バレーボールにそれ程詳しくない自分でもすごいと思えるものだった。拳を思い切り握り締めていた為に手の平にじんわりと汗をかく羽目になり、プラチナはジャージのポケットからハンカチを取り出して汗を拭き取った。
ちょうどその時大きな歓声が鼓膜を震わせて、それに気を取られたプラチナは何事かと振り返った。何人かの女子生徒が固まってきゃあきゃあと騒いでいるのが視界に入る。その光景から察するに、どうやら今の歓声は彼女達が発したものらしい。いったい何に歓声を上げたのだろうと気になったプラチナは更に目を凝らしてみたものの、多くの生徒達に阻まれて視認することが出来なかった。辛うじて見えたのは、宙を舞うバスケットボールだけだ。

(ああ……。なるほど、彼女達は男子生徒の試合を見ていたのですか)

そのボールは綺麗な放物線を描いて、ゴールネットにまるで吸い込まれるように入って行った。つまりは、これで点が入ったことになる。それを理解した途端に再び歓声が聞こえて、その大きさにプラチナは思わず耳を塞いだ。やけに黄色い声が聞こえるのはきっと気の所為ではないだろう。応援をするのはその人間の自由だけれど、いくら何でもこれは少々騒ぎ過ぎではないだろうか。そう思ったプラチナは少しだけ眉をひそめる。

「あ……」

両手で耳を塞いだ拍子にハンカチを体育館の床に落としてしまったプラチナは、それを拾おうと膝を曲げた。しかし自分がそうするより先に隣に立っていたファイツに拾われてしまい、プラチナは「ありがとうございます」と会釈をして手を伸ばした。

「あの……。ファイツさん?」

どうしてか自分が落としたハンカチを手に持ったままじっと見つめているファイツに対して、プラチナはそっと声をかけた。彼女とのつき合いはまだそれ程長いわけではないのだけれど、確かに彼女自身が言った通りかなりの人見知りをする性格だということは把握していた。だから控えめな声量で声をかけたのだが、ファイツはそれでも無反応だった。どうしたものかと考えあぐねていると、ようやく我に返ったらしいファイツが「ごめんね」の言葉と共にハンカチを差し出した。

「本当にごめんね、プラチナちゃん。綺麗な刺繍がされてたから、つい魅入っちゃって……」
「そんなに気にしないでください、ファイツさん。謝ることなんてないですよ」
「そ、そう……?」
「ええ。……それにしても、先程の歓声はすごかったですね」
「うん……」

ファイツが頷いたそのすぐ後で、今度は自分達の周囲でわっと歓声が上がった。慌てて視線をファイツから前に戻すと、床に落ちているバレーボールが目に留まった。長かったラリーは、ようやく終わりを迎えたらしい。

「ああもう!今のは絶対決まったと思ったのに!!」
「あの……ワイさん。今のラリーは、どのようにして決着を迎えたのですか?」
「あれ、プラチナったら見てなかったの?サファイアがブロックを決めたのよ、しかも1人で。ああ、悔しいわ!」

もしかすると試合をしている人間達より興奮しているかもしれないワイは、そう言って拳を振り上げた。プラチナ達の眼前で行われているバレーの決勝戦は2年B組対C組となっているのだ。プラチナは、ボールから今度はコート内にいるサファイアに視線を移した。彼女は八重歯をちらりと覗かせて、チームメイトとハイタッチをしている。

「まあ!……すごいです!」

自分のクラスのチームは既に全て負けてしまったこともあり、プラチナは心置きなくサファイアのことを応援していた。ぱちぱちと何度も拍手をしながら彼女のことを讃える。彼女がブロックをした瞬間を見れなかったのは残念だけれど、本当にすごいと思った。プラチナとは違って自らのクラスを応援しているワイも、神妙な顔で呟く。

「サファイアったらやっぱりすごいわよね、敵ながら天晴って感じ。こういうイベントには本当……。えっと……何て言うんだっけ?」
「……引く手数多、ですか?」
「そう、それ!サファイアったら引く手数多よね、本当。体育祭でもそうだったけど、体育系のイベントでは皆から頼りにされるのよ」
「確かに……。あの動きを見ればそれも頷けます!」

今度こそは友人の活躍を見逃さないようにしないとと思いながら、プラチナはボールとサファイアを目で追いかけた。肩で息をしているサファイアは端から見ても苦しそうだったが、その顔には確かに笑みが浮かんでいる。

「それにしてもいいなあ、アタシもサファイアと戦いたかった!惜しいところで負けちゃったのよね……」
「ワイさんのチームがもし勝っていれば、今頃はコート内でサファイアさんのチームと試合をしていたのですよね。ワイさんには悪いですが、私としてはそうならなくて良かったと思っています」
「……え、どうして?」
「ワイさんとサファイアさんのどちらを応援すればいいのか、分からなくなってしまいますから」

そう言って眉根を寄せると、ワイは一瞬ポカンとした顔をしてからおもむろに笑い出した。大真面目に言ったつもりのプラチナは首を傾げた、そんなに自分はおかしなことを言ったのだろうか。

「ああ、別にからかったわけじゃないのよ。ただプラチナったら真面目な顔でそういうことを言うんだもの、だからつい笑っちゃって」
「まあ……。……あ、サファイアさんがまた決めましたよ!これで後1回点が入れば、サファイアさんチームの勝ちですね!」
「本当!しかも次は、サファイアのサーブじゃない!」

プラチナはごくりと喉を鳴らして試合の行方を見守った。ジャンプしたサファイアが打ったサーブは、相手コートの白線上に当たってころころと転がった。一瞬の静寂の後、一際大きな歓声が上がる。先程の喧噪で眉をひそめたことも忘れて、プラチナは盛大な拍手を送った。

「すごい!すごいです、サファイアさん!」
「ああ悔しい!……でも、流石はサファイアね!負けちゃったのはやっぱり悔しいけど……。ね、ファイツもそう思わない?」
「うん……」

話を振られたファイツは曖昧に頷いたが、そわそわと落ち着かない様子で両手を触れ合わせていた。また背後からきゃあきゃあと声が聞こえて、ワイもプラチナも揃って外に視線を向ける。ファイツもまた、自分達より一拍遅れて身体の向きを変えた。

「すごい声援ね……。ねえ2人共、サファイアの試合も終わったことだし……ちょっと行ってみない?」
「はい!私も正直言って、かなり気になります!ファイツさんはどうですか?」
「う、うん……。あたしも……」
「じゃあ、サファイアにはアタシから話しておくね。悪いけど先に行っててくれる?アタシも後から行くから」
「分かりました。では行きましょう、ファイツさん!」

プラチナは胸をわくわくさせながらそう答えて、熱気がこもった体育館から外に出た。涼しい風をその身に受けながら、運動靴に履き替える。今まで履いていた靴を靴袋に入れて、それを右手に持ったプラチナは意気揚々と歩き出した。自分と同じように靴を履き替えて袋を持ったファイツと共に、生徒達が集まっている方に向かって早足で歩く。

「あ……。すみません」

いったいどうしたのかと訊くより先に立っている生徒達に次々とスペースを開けられて、プラチナはファイツと一緒に会釈をしながら最前列を目指して突き進んだ。こうなれば直接見た方が早いと思ったのだ。自分達を見て、どういうわけか声を潜めて耳打ちをし出す周囲の女子生徒達の反応は気になったが、それについて言及はしなかった。人数の割には大した苦労もせず最前列へとたどり着いたプラチナは、眼前の試合を見て思わずまあ、と声を上げた。今しがた終わったバレーボールの試合とは違って、今行われているバスケットボールの試合はかなりの点差が開いていたのだ。しかも勝っているのはA組、プラチナのクラスだ。おまけに試合に出ている男子生徒の1人は自分の友人で、そういうことですかとプラチナは声に出さずに呟く。ようやく合点がいったのだ。
生徒達がどいてくれたのも、そして何人かの女子がひそひそと耳打ちをしたのも気にはなっていたのだが、どうやら自分は試合に出ている恋人の……ラクツの応援に来たのだと思われてしまったらしい。実際にはそうではないのだけれど、ここに来てしまった以上は形だけでも応援すべきだろう。そう結論を出したプラチナは、目を伏せてから試合を見守った。表向きは彼と交際していることになっているプラチナの胸中は複雑だ。ラクツの想い人は今まさに自分の隣にいる人物だというのに、恋人ではない自分が彼の恋人面をしているのだ。ラクツ自身がそれを望んでいるとはいえ、やはりいい気分はしなかった。

(ファイツさんは、私とラクツさんの本当の関係を既にご存知のはず……。それなのに私が彼に声援を送るのはどうなのでしょう……)

ワイ経由で、プラチナはファイツが自分達の関係を知ってしまったことを知っていた。後でラクツ本人にこっそりと確かめたら、やや間があって「そうだ」と頷かれて、密かにプラチナはついに想いを打ち明けたのだろうかと期待したのだ。しかし彼が話したのはそれだけのようで、プラチナは内心で落胆したものだ。

(ファイツさんは、ラクツさんのことをどう思っているのでしょうか……)

そんなことを考えていると、ボールを持ったラクツがシュートの構えをしたのがぼんやりと見えた。彼の手から離れて宙に舞ったボールはまっすぐにゴールネットへと吸い込まれていき、周囲からはそれはすごい歓声が上がった。きゃあきゃあと騒いでラクツの名を呼ぶ女子生徒達を横目で見ながら、そして周囲の喧騒に耐えながら、プラチナはぱちぱちと数回拍手を送った。純粋にすごいとは思ったものの、とてもじゃないが彼女達のようにきゃあきゃあと騒ぐ気にはなれなかったのだ。見事なシュートを決めた”恋人”へ送ったものが数回の拍手というのはもしかしたら少々不自然かもしれないけれど、これはもう自分の性格上仕方ないと思う。もっともそれを知っているからこそ、ラクツは形だけの恋人の立場に自分を据える気になったのだろうとも思うのだけれど。

「あ……」

審判をしているらしい自分のクラスの担任が得点版を更新したのを眺めていたプラチナは小さく声を上げた、何気なくこちらを見たラクツとしっかり目が合ったのだ。しかし彼の視線はすぐに横へと流れて、プラチナは柔らかく目を細めた。どう考えても、彼は自分の想い人を見たに違いない。
もしかしたら、ファイツも彼を見つめていやしないだろうか。勝手にそう期待したプラチナは横に立っているファイツの顔を覗き見て、そしてあることに気が付いた。ファイツは前方を見つめたまま微動だにせず立ち尽くしていたのだ。そしてそんな彼女の顔は、見るからに赤くなっていた。

「……あの、ファイツさん。どうかしましたか?」

これはひょっとして、もしかしたら。そう内心で呟いて、プラチナは彼女へ問いかけた。彼女にとってはそっとしておいた方が良かったのかもしれないが、とてもそうする気にはなれなかったのだ。

「……えっ?……あ、ううん。何でもないの、プラチナちゃん……」

慌てたようにそう答えたファイツに「そうですか」と素知らぬ顔で返して、けれどプラチナは希望に胸を膨らませた。もしかしたら、彼女は今ラクツを見つめていたのかもしれない。そして彼女も実はラクツのことを……なんてことがあるかもしれない。例え今現在そうでなくても、もしかしたら意識をしてくれるようになるかもしれない。そうなったらどれ程いいだろうとプラチナは思って、だから「今のラクツさんは素敵でしたね」と隣に立つファイツにそっと耳打ちした。だって、プラチナは心の底からラクツの想いが報われることを願っているのだ。目を瞬いてから自分を見たファイツに向かって、プラチナはにっこりと微笑んでみせた。