school days : 119
こうかは ないようだ……
ベッドの上で寝返りを打ったファイツは、胸に手を当ててそっと息を吐いた。枕元に置いた携帯を見てみると、画面には午前1時と表示されているのが視界に入る。普段ならもうとっくに眠っている時間だというのに、心臓の鼓動がどきどきとうるさくて眠くならないのだ。後数時間後には球技大会が控えているのだが、それに対して胸が高鳴っているわけではなかった。そうなってしまった原因は分かりきっている、間違いなく幼馴染に喫茶店に行こうと言われてしまった所為だ。幼馴染の家に戻って彼の兄の勧めで飲み物とデザートを口にした時も、そして自宅に帰ってからも、ずっとそのことばかりを気にしていた。あまりに気にしていたおかげで、従姉に訊こうと考えていたことは頭からすっかり吹っ飛んでしまっていた。幼馴染の兄、つまりはブラックと従姉のホワイトがどんな話をしたのかがあれ程気になっていたのに、それどころではなくなってしまったのだ。彼の家を出る際にホワイトが本を携えていたことからすると、やはりホワイトが借りたらしき本はブラックの家にあったのだろう。つまり、ホワイトの目的は無事に達成されたことになる。学校の図書室から借りた本をもし無くしてしまったとなれば、単なる謝罪では済まなかったことだろう。そうなった場合は多分、弁償しなければならなかったのではないだろうか。もしそうだったらどうしようと、それは意気消沈していた従姉のことをファイツはふと思い出した。その時のホワイトは今にも泣きそうな顔をしていた。
「本が見つかって本当に良かったね、お姉ちゃん……」
それに、と思う。本が見つかったこともそうだけれど、ブラックと話せたことも良かったねとファイツは呟いた。自分がそうなるように仕向けたから当たり前だが、ホワイトがブラックと2人きりで過ごしたことは紛れもない事実だ。探していた本も見つかった上に好きな人と一緒にいられたのだ、ホワイトにとってはいいこと尽くめのはずだ。実際、ブラックの家から出るなりホワイトは「ありがとう」と言ってくれた。自宅を出た時とは真逆の、本当に嬉しそうな顔をしていた。
だけど大好きな人がそんな顔をしているというのに、ファイツの心は少しも晴れなかった。曖昧に頷いてとりとめのない話をしたけれど、心の中では幼馴染のことを考えていた。彼に喫茶店に誘われたことを、ずっとずっと考えていた。そしてそれは、今この瞬間も続いている……。
「…………」
幼馴染の家に戻って来てデザートを食べた時もそうだった、ファイツは寒天ゼリーに舌鼓を打ちながらも彼に告げられたことが気になって仕方がなかった。ちなみに例の喫茶店に行く日は既に決まっている。約2週間後の日曜日、つまりは9月16日だ。ファイツが幼馴染と喫茶店に行くことを承諾したすぐ後で、彼は何日なら都合が付くかと尋ねて来た。互いの都合がつく日にしようと話し合った結果そうなったのだが、何の因果か自分の誕生日に行くことになってしまった。
そう思った矢先にさらりと「ファイツくんの誕生日だな」と言われてしまって、ファイツは小さく頷いた。頷いたその直後に、口をポカンと開けた状態で固まった。自分の誕生日プレゼントを考えておくと言った癖に、まだ何も決めていなかったことを思い出したのだ。慌ててそのことを謝ると、彼は苦笑しながらも優しい口調で「出来れば当日に渡したいから数日中に決めて欲しい」と返してくれた。そんな優しい幼馴染に今度こそちゃんと考えるねと宣言したファイツだけれど、だけど何が欲しいのかという答はすぐには出てはくれなかった。
「どうしよう……」
自分の部屋でベッドに寝転んでいるというこの状況は、考え事をするにはまさにうってつけだろう。自分でもそう思うのだけれど、どうしても考えがまとまらないのだ。自分の誕生日プレゼントについて考えようと思うと、途端に彼と約束したことが頭に浮かんでしまう。男の人と2人で喫茶店に行くなんて、これはどう考えてもデートではないだろうか。
「デ……。デートじゃないよっ!」
自分で思ったことなのに、ファイツは身体を勢いよく起こして声を上げた。大きいにも程がある独り言だ。もしかしたら隣の部屋にいる従姉に聞こえてしまったかもしれないけれど、今はそんなことを気にしている余裕はない。心臓の高鳴りを静めようと胸をぎゅうっと押さえてみたものの、その効果はまるでなかった。それどころかこの胸の高鳴りはますます激しさを増しているような気がして、ファイツはベッドに音を立てて寝転んだ。
(デートじゃ、ないもん……)
世間一般的にいえばデートかもしれないけれど、それでもファイツは心の中でそう呟いた。いつだったか、ワイも言っていたではないか。異性であるエックスと2人きりで出かけることはよくあるらしいが、彼が幼馴染である以上それはデートではないと。
……そう、自分とラクツもワイ達と同じく幼馴染の関係なのだ。だからこれはデートじゃないのだと、自分自身に言い聞かせる。1人では喫茶店に入り辛いから、だから彼はちょうど隣にいた自分を誘っただけのことなのだ。自分達の性別が違うから何だかデートみたいだけれど、断じてこれはデートではないのだ。たまたま自分という甘い物が好きな幼馴染が傍にいたから、だからこれ幸いと誘ったに違いない。ラクツが自分を誘ったことに、深い意味があるはずもない……。
(それなのに、そうに決まってるのに……。何であたしはこんなにどきどきしてるの……?)
ベッドに横たわったファイツは真っ暗な天井を見つめながら、自分が買ったコーヒーゼリーを食べていた彼の姿を思い浮かべた。彼と喫茶店に行くことが気になって仕方がなかった自分とは違って、幼馴染は至って平然としていたではないか。自分と喫茶店に行くことを彼が何とも思っていないという何よりの証拠だろう。それもそのはずで、これはデートではなくて勉強を見てもらうだけなのだ。場所が彼の部屋から喫茶店に変わるだけで、今までと何ら変わりないはずだ。きっと、ラクツだってそう思っていることだろう。
それなのに、自分ときたらどうだろうとファイツは思った。いつだって落ち着いている彼と比べると、あまりにも差があり過ぎるような気がする。ただ幼馴染と喫茶店に行くというだけのことが、何だかものすごいことのように感じられてしまうのだ。自分だけがそう感じているのだと思うと、何だか自分自身が情けなく思えてきてしまう。
(はあ……。ラクツくんと一緒にいると、やっぱりあたしはすごく子供っぽいんだってことを思い知らされちゃうよ……)
自分が子供っぽいのもあるけれど、それにしても彼はすごく大人びていると思う。そして大人びているだけではなくて、彼は本当に優しい人間なのだ。自分を心配してわざわざついて来てくれたし、ファイツが買った物なのに代わりに持ってくれた。もしかしたら、喫茶店に誘ってくれたのもこちらを気遣ってくれたからかもしれない。パフェが食べたくなったと自分が言ったから、だから彼は喫茶店に誘ってくれたのだろうか。
「そう、なのかなあ……」
ラクツは嬉しいと言ってくれたものの、それすらも本当は自分を気遣ってそう言ったのかもしれない。その考えを抱いた瞬間、どきどきと高鳴っていたファイツの胸に痛みが奔った。以前感じたような、針の先で突かれたかのような鈍い痛みだった。
「あれ……?」
ファイツは思わず胸に手を当てて声を漏らした。気の所為かとも思ったが、不意に生まれたこの胸の痛みはなかなか引いてくれない。これはきっと、優しい幼馴染に気を遣わせてしまったという罪悪感によるものだろう。けれど、ファイツは不思議だと思った。我慢出来ない程強い痛みではないものの、何だかやけに気になってしまうのは何故だろう?この胸の痛みが気になる、そして同時にラクツに誘われたことがやっぱり気になる……。
「……も、もうっ!」
気持ちを切り替えるかの如く、ファイツは両頬を軽く叩いた。確かに今はラクツのことを考えると何故かどきどきしてしまうし、彼の顔を見ると自分の顔は赤くなってしまう。だけどそれは今だけのことで、きっと近いうちに治まるに違いない。コンビニで彼に支えられた時もやけにどきどきしてしまったけれど、あれはあまりに彼との距離が近かったから変に意識をしてしまっただけで、別に深い意味はないはずだ。ただ、コンビニを出てからも気にしていた所為で、彼に心配をかけたことは自分でも申し訳なく思うのだけれど。
だけど、それは仕方ないとも思う。彼に身体を支えられた上に、あれ程までに至近距離で見つめ合ってしまったのだ。おまけに、喫茶店に誘われてしまった。自分と彼はただの幼馴染なわけだけれど、これで意識しない方がおかしいよとファイツは自分に強く言い聞かせた。
(ラクツくんは大人びてるから何も感じなかっただろうけど、あたしは違うんだもん……。だから、別にラクツくんに対してどきどきしてもおかしくない……よね?)
何だか言い訳がましくなっていることには自分でも気付いていたけれど、ファイツはその件についてはもう考えないようにしようと思った。本当に考えなければいけないのはそのことではなくて、自分自身の誕生日プレゼントのことを考えなければならないのだ。
「でも、どうしよう……。何も思い浮かばないよ……」
しばらく頭を悩ませていたものの、どうしてもこれといった物が思い浮かばなかった。とうとう匙を投げたファイツは布団をすっぽりと被って、そして目を瞑った。プレゼントのことは今日の日中に行う球技大会の時にでも考えればいいと思ったのだ。自分が試合に出ていない時は他のチームの試合を観戦するわけだから、ちょうどいい暇潰しになるだろう。応援やら何やらできっと周囲は騒がしくなるだろうが、かえって余計なことを考えないでいいかもしれない。
もう夜も遅い時間だし、今日は球技大会の日なのだ。寝不足の所為でチームの皆に迷惑をかけることになるのは嫌だった。だからそろそろ寝ようと心に決めて目をしっかりと瞑ったファイツだけれど、その効果はまるで感じられなかった。相変わらず心臓はどきどきとうるさくて、そして胸は微かに痛くて、すぐには眠れそうもなさそうだ。決して彼が悪いわけではないのだけれど、だけどファイツは”ラクツくんの所為だよ”と心の中で呟いた。