school days : 113

片想い同盟
「ええっ!?それは本当とね、ワイ!?」
「ち……ちょっとサファイア!声が大きいってば!」

買って来たパンを何とか吐き出さずに飲み込んだワイは、慌ててサファイアの肩をばしばしと何度も叩いた。その勢いでむせ込んだサファイアに「ごめん」と手を合わせて謝ってから、ワイは左肘を机の上に音を立てて乗せた。お昼休みである今の時間中はざわざわとクラスメート達が好き勝手にお喋りしているから大丈夫だと思うけれど、それでも大事な部分を聞かれてしまったかもしれないと思うとどうしても不安になる。辺りをおそるおそる見回したものの、幸いなことに皆お喋りに熱中していて自分達に気を留めたクラスメートは誰もいなかった。むせ込みから回復して今はお茶をがぶ飲みしているサファイアの声が、それ程大きくなかったおかげでもあるのだろう。良かったと胸を撫で下ろしたワイは何度も深呼吸して、手に持ったパンを見ながらゆっくりと口を開いた。

「……そう、本当よ。……アタシはエックスのことが……。その、好きなの……っ」

最後の方は口ごもってしまった上に何だか小さな声になってしまったけれど、ワイは自分の気持ちを素直に吐き出した。”エックスのことは何とも思ってないもの”と散々口にして来た手前、今更”実は好きになっちゃったの”なんて言うのは何とも気恥ずかしいものがある。それでも自分が幼馴染を好きなのは事実だし、別にそれ自体は隠すようなことでもないとワイは思うから告げたのだ。それに、この3人には隠し事をしたくないとも思った。「まあ!」と言って、目を丸くしているプラチナに視線を向ける。彼女はサファイアやファイツと違って仲良くなってからまだ日が浅いけれど、大切な友達であることに変わりはない。ちなみにファイツはと言うと、どういうわけか箸を持ったまま固まっていた。箸に挟まっている綺麗な色をした卵焼きが、小刻みに震えていた。

「……どうしたの、ファイツ?」
「あ……。その、ちょっと驚いただけなの。だってワイちゃん、エックスくんのことは何とも思ってないって何度も言ってたから……」

当然ながら痛いところを突かれた結果になり、ワイはえへへと笑って舌を出した。確かにファイツの言う通りだと思う。数え切れないくらいエックスとの関係を訊かれて、その度にワイは「ただの幼馴染よ」と答えていたものだった。この3人だけではなく、テニス部の女子部員達にも幾度となくそう言った。だからやっぱり気まずいというか決まりが悪くもあるのだけれど、自分の中で認めてしまったものはもう仕方がない。無気力で面倒臭がりでずけずけと物を言う気紛れなエックスのことが、だけどワイは好きなのだ。今まで彼に抱いていた好きという気持ちとは、まったく違う”好き”だ。まさかこんなに突然に、しかもずっと一緒だったお隣さんにこんな気持ちになるなんて夢にも思わなかった。手作りのお弁当を食べているファイツに向けて、ワイは苦笑いした。

「……まあ、そうよね。ファイツの言う通りなんだけどさ、でもしょうがないじゃない。だって、アタシは初めてエックスに……。男の人に、抱き締められちゃったんだもの……」
「え!……そ、そうなの?」
「詳しく話を聞かせるったい、ワイ!」

ずいっとサファイアに詰め寄られて、ワイは顔を引きつらせた。ファイツとプラチナは性格上そう出来なかったのか詰め寄ることはなかったものの、それでも綺麗な色をした瞳をじっとこちらに向けて来た。ついこの間まで好きな人がいなかったワイだって、ガールズトーク自体は好きだったりするのだ。この前のファミレスで行ったそれも、大いに楽しんだものだ。この2人もそうなのだろう、しかも「エックスはただの幼馴染」だと散々口にして来たワイだ。もしワイが逆の立場だったとしても、気になって仕方ないだろう。サファイアを筆頭とした3人に見つめられて、しかしワイは言葉に詰まった。

「う……。……な、内緒!それはやっぱり言えないわ!」

エックスへの気持ちを認めて素直に告げたワイは、だけど彼を意識しだした経緯を話すことは出来なかった。好きになったと言うだけでこんなにも恥ずかしくなってしまったのだ。少なくとも今は、エックスの家で起きた出来事を打ち明ける気にはなれなかった。

「まあ、それは残念です……。私、興味があったのですが……」
「あはは……。自分から言っておいてなんだけど、やっぱり恥ずかしくなっちゃって」
「そっか……。あたしも気になったけど、無理には訊かないでおくね」
「……ありがとう」

親友の気遣いがありがたくて、ワイはお礼を言った。だけどサファイアだけはにやにやと笑みを浮かべて、「ワイったら可愛か!」なんて意地悪いことを口にした。日頃からサファイアをからかっているお返しなのだろう。だから自業自得と言えばそうなのだが、ワイはものすごく気恥ずかしくなった。更に顔が赤くなったことをごまかすように、「からかわないでよ」と早口でまくし立てる。サファイアの笑みが深くなったのに気付いたワイは、意味もなく大袈裟な咳払いをした。

「い、いいじゃない別に!既に好きな人がいるのに、他の人を好きになったっていうんじゃないんだから!」

ワイは、自分が知らない内に親友の1人の心を抉ってしまった事実に気付かなかった。今しがたワイが口にした言葉はまさに的を射ていたのだが、本人にはまだその自覚がない為にワイがこの場で何を言われることもなかった。ただその彼女の顔色は明らかに変わっていたのけれど、ワイは元より他の2人もそれにまるで気付かなかった。
もしも、この時に誰かが指摘をしていたら。もしそうだったのなら、彼女がこれから先、長きに渡って重い悩みを抱えることはなかったかもしれない。しかし実際には、その本人すらも含めてこの場の誰も気付かなかった。誰が悪いわけでもないし、ワイには悪気があってそう言ったのではないのだが、彼女の胸は今ずきずきと痛んでいた。流石に彼女本人にもその自覚はあったが、おとなしい性格が災いして彼女が何かを言うことはなかった。心の中でどうしてだろうと疑問を抱きながら、しかしそれを声に出せなかった彼女は、ただ黙々とお昼を食べるだけだった。

「アタシが好きなのは、その……エックスだけだもの!」
「ワイ、それ……本人に言ったらどうね?」
「まあ!エックスさんに告白するのですか、ワイさん?」
「う……。し、知らないっ!」

好奇心なのかそれとも自分のことを応援しているのか、はたまたその両方なのか。瞳をきらきらと輝かせた2人に対して、ワイは思わずそっぽを向いた。突如として自分に起こった変化を受け止められるようになるまで、これでも散々悩んだのだ。散々1人で悩んで悩んで悩み抜いて、やっぱりこれって恋なんじゃないかしらと思って、だけど初めての気持ちに戸惑ったワイは誰かに気持ちを吐き出したくて仕方がなかった。ある1人の男の子に相談するまではうじうじと悩んでいたものの、やっぱり相談して良かったと思う。彼は「恋愛相談なんて向いていない」と言ったけれど、ワイはそう思えなかった。自分を”臆病だ”と評価した彼の顔が、ふと頭に蘇る。彼は相変わらず眉間に皺を寄せた険しい表情をしていたのだが、その表情はどこか辛そうに見えた。

(きっと、ラクツくんも悩んでるんだ。幼馴染の関係だった人を好きになっちゃって、ラクツくんも悩んでるんだ。アタシだけじゃないんだ……)

彼の好きな人であるファイツに意識を向けたワイは、彼女の箸があまり進んでいないことに気が付いた。食べていることには食べているのだが、どこか上の空で、ぼんやりしているようにワイには思えた。

「ファイツ、具合でも悪いの?あんまり食べてないみたいだけど」
「え……?……あ、その……。えっと、ダイエットしようと思って……」
「ダイエット、ですか?差し出がましいようですが、ファイツさんはスタイルがいいと思うのですけれど……。……少し、羨ましいです」
「そ、そんなことないよっ!プラチナちゃんだって、すごい綺麗な髪の毛だし……。それに肌もすっごい綺麗だし、あたしの方こそ羨ましいよ……」
「いえ、スタイリストに良くしてもらっているだけですので……。……ところでファイツさん、そのお弁当は手作りなのですよね?毎日違うメニューを作るなんて、本当にすごいです!」
「そうったい!ファイツば絶対、この中で一番料理が出来るとよ!あたしなんて、卵焼きすら作れないったい……」
「あ、アタシもそうだわ。……ねえファイツ。もし良かったら、アタシに料理を教えてくれないかしら?簡単な物ならアタシでも作れるかもしれないし、エックスをぎゃふんと言わせてやりたいの!」

ワイは期待を込めて親友を見つめた。彼女に料理を教わることが出来たなら、あの幼馴染だって「美味しい」と言って食べてくれるかもしれない。そうなったらいいな、とワイは思った。正直怖いけれど、不安もあるけれど、それでもせっかく人を好きになったのだ。それに”どうしよう”とうじうじ悩むより、何でもいいから行動する方がずっと性に合っているではないか。

「……うん、いいよ」
「本当!?ありがとう、ファイツ!」
「そんな……。あたしだって、N先生のことでワイちゃんにはいつも……あっ!」

多分、ファイツは”いつも助けてもらってるから”と言おうとしたのだろう。だけど自分の好きな人を暴露してしまったファイツは、言葉を最後まで言わずに口を両手で覆った。恥ずかしそうに目を潤ませて、プラチナを気まずそうにちらちらと見ている。

「ファイツさんは、N先生が……。その、好きなのですか?」
「うう……。じ、実は……そうなの。ずっと言わなかったけど、勉強を頑張ってるのもそれが大きいっていうか……。あ、あのね……プラチナちゃん。今のことは、誰にも言わないでくれる?……お願い!」

手を合わせてプラチナにそう言ったファイツは、彼女の答を受けて「ありがとう」とはにかんだ。そんな彼女をワイは可愛いと思った、だけど同時にラクツの気持ちを思うと切なくなる。プラチナも同じなのか、眉根を寄せた辛そうな表情をしていた。

(ラクツくんは、このことを知ってるのかな……。もしそうだったとしたら、どんな気持ちで勉強を教えてるんだろう……)

やっぱり恋は難しい、ワイはそう思った。多分片想いである今の時点でもワイは難しいと思うのに、両想いであるサファイアも恋に関する悩みを吐き出すこともあるのだ。恋愛をしている立場になって初めて彼女の気持ちが分かったような気がした。

(恋愛って、難しいなあ……)

エックスには好きな人はいないと知っているワイでさえ、言いようのない苦しさを感じている。そして少なくともラクツは、ファイツに好きな人がいる事実は知っているはずなのだ。そんなラクツの苦しみはどれ程のものだろう。好きな人には別に好きな人がいるなんてよくある話だし、ファイツの恋愛だって応援しているのだけれど、それでもワイはラクツに頑張って欲しいと思ってしまった。彼と同じく幼馴染を好きになってしまった身として、彼の恋愛が成就することを願ってしまった。

(ラクツくんは、誰かに相談とかしないのかな……。1人で何でも抱え込んでそうな気がするんだけど、それって辛くないのかしら……)

別に同盟を組むわけではないけれど、それでもお互いの恋の悩みを吐き出せたらきっと楽になるとワイは思うのだ。誰かに話を聞いてもらうだけでも苦しさは紛れる、これはワイの持論なのだけれど、彼は果たしてどうなのだろう。

(片想い同盟、か……)

ふとこんな言葉が頭に浮かんで、ワイは密かに苦笑した。こんなことを言ったら彼は気を悪くするかもしれない。それに「アタシに相談したいことがあったら言ってね」と告げたところで、彼が頷くかもワイには分からなかった。だけどそれでも、言うだけ言ってみようとワイは思った。うじうじ悩んでいるだけなんてやっぱり自分には似合わないし、それに何よりワイはラクツのことを応援しているのだ。

「ワイちゃん、どうしたの?ぼうっとして……」
「あ……。ううん、ちょっと考え事してただけ!」
「……もしかして、エックスくんのこと?」
「こ、今度は違うわよ!……もう、ファイツまでからかわないでよ!」

ごめんねと謝ったファイツを見ながら、だけどワイは彼女を想う男の子について考えていた。この子には悪いけれど、同じ立場の身としては……やっぱり彼の恋愛が上手くいって欲しいと思うから。だからワイは頑張れラクツくんと、声に出さずに呟いた。