school days : 110
知らぬが仏
(あれって、もしかして……。ううん、もしかしなくてもそう!絶対ラクツくんだわ!)新学期早々に大好きな人の姿が見られるなんて、私ってなんてラッキーなんだろう。ユキは素直にそう思った、例え隣にマユとユウコがいることを差し引いても運がいいと思った。もちろん理想を言えば2人きりになれるのが一番なのだが、この際そんな贅沢は言っていられない。
「ねえ、どうしたのユキ?そんなに嬉しそうな顔しちゃってさ」
「本当!何かいいことでもあったの?」
「そりゃあそうよ!ほら、あそこ!ラクツくんが歩いてるじゃない!」
訝しげにそう尋ねたマユとユウコに対して、ユキは得意げに前方を指差してみせた。指し示した場所からはかなりの距離があるけれど、あれは間違いなく彼だ。大好きで堪らない人の後ろ姿を、ユキが見間違えるはずがない。
「きゃあっ!……本当だわ、よく気付いたわね!」
「本当、マユの言う通りだわ!今日はいつもより人が多いのにラクツくんを見つけるなんて、ユキってすごいのね!」
友人達からの称賛を耳にして、ユキはますますいい気分になった。部活動が盛んなポケスペ学園だが、新学期初日の朝から全員参加で部活を行っている部はサッカー部くらいのものなのだ。他の運動部は基本的に自主練となっていて、ユキ達が所属しているテニス部もそうだった。そして、彼が所属している剣道部も例外ではなかったのだろう。だからこそこうして通学路でラクツの姿を見ることが出来たわけで、ユキはこの幸運に心から感謝した。ありがとう神ようなんて、心の中で呟いてみたりする。
「ねえ……どうする?」
「”どうする”って……。何がよ、マユ」
「だから……。ラクツくんに話しかけるかどうかってことよ」
「え?何言ってるのよ2人共。そんなの、話しかけるに決まってるじゃない!」
そう言うが早いが、ユキは前へ向かって早足で歩いた。せっかく大好きな彼に、しかも新学期早々会えたのだ。この幸運を最大限生かしたい、少しでも彼と同じ時間を過ごしたいとユキは思った。
「……ラクツくん!」
どんどん先に歩いて行ってしまう彼に何とか追いつこうとして、最後の方は結局小走りになってしまったけれど。だけどそれでもユキは大好きな彼の名前を呼んで、ゆっくりと振り向いた彼に対して満面の笑みを見せた。
「おはよう、ラクツくん!」
「ユキくんか。……おはよう」
「今日から新学期だね!えっと……新学期の朝からこんなにいい天気だと、気分も明るくなるよね!」
普段ははっきりと物事を言うユキだけれど、流石に言葉が上手く出て来なかった。何しろ大好きで堪らない人が目の前にいて、自分は今彼とこうして学校までの道を歩いているのだ。おまけに眼前にいる彼に押し倒されてしまうという夢を見てしまったおかげで、いつも以上に意識してしまった。だからラクツが眉間に深い皺を刻んだ事実にユキは気付かなかったし、彼が溜息混じりに「そうだな」と答えたことにも気付けなかった。
(あ、マユとユウコだ……)
ユキは、恋愛に対して積極的だった。これまでだって、少しでも気になった相手には自分の好意に気付いて欲しいと積極的にアピールして来たものだった。そしてただでさえ鋭いラクツがそれに気付かないわけもなく……つまりユキのラクツに対する好意は本人に筒抜けだったりする。しかし既に自分の気持ちを自覚しているラクツにとっては、自身に好意を向ける女がいくらいようとも辟易するだけなのだ。当然ユキはそれを知らないので、自分の好意を届かせようと色々と話題を振るわけなのだが、それは完全に逆効果となっていた。”言葉少なに相槌を打つラクツくんは本当にクールでかっこいい”だなんて、ラクツ本人からすればまったく見当違いなことを思っていたりするのだ。
自分の言動全てがラクツを辟易させている事実に気付かないユキは、けれど親友達が自分達のすぐ近くを通り過ぎたことにはしっかり気付いていた。間違いなく、ラクツに好意を抱いている自分を気遣ってくれたのだろう。頑張れと声に出さずに言った2人に向けて、ユキは大きく頷いてみせた。その結果大好きな人との距離が開くことになってしまい、慌てて走って追いかける。
「ラクツくん、待って!せっかくだし、学校まで一緒に行こうよ!」
「…………」
ユキのこの言葉に対して、ラクツは何も言わなかった。つまり、はっきりと”いい”と言われていないのだけれど、彼の沈黙を都合良く解釈したユキは「ありがとう!」と笑顔で返した。流石に”もうボクには関わらないでくれ”とはいえなかったラクツはユキのこの反応に軽く息を吐いたのだが、それは周りの生徒達の声やら足音やらにかき消されてユキに届くことはなかった。
「ねえ、ラクツくんは夏休みをどう過ごしたの?」
ラクツの内心なんてまったく知らないユキは、笑顔で言葉を続けた。好きな人の情報は何でも手に入れたいし、自分にとっては彼とゆっくり話せるまたとないチャンスなのだ。
「部活と勉強だ」
「そうなんだ!やっぱりラクツくんって文武両道なのね!」
”ラクツくんなら何をしたってかっこいい”となるユキだが、好意をアピールするまでもなく素敵だと思った。自分はダイエットや自分磨きに余念がなかったのだけれど、彼は部活と勉強に勤しんでいたと言う。
(やっぱり、ラクツくんってミスター・パーフェクトだわ!)
かっこいい、本当にかっこいい。何故こうも彼はこんなにも完璧な人なのだろう、彼以上にミスター・パーフェクトの名前が似合う男なんてこの世にいるわけがない。
「……あ、そうだ!文武両道といえば、もうすぐ球技大会があるでしょう?男子がやる球技って、確かバスケだったよね?去年は女子がそうだったけど」
「そうだな」
「私、ラクツくんのこと絶対応援するからね!……ねえ、ラクツくんって今の身長はどれくらいなの?」
「170だ」
「そうなんだ、やっぱり背が高いんだね!」
熱い視線を送ることに集中していたユキは、ラクツが必要最低限の答しか返していない事実に気付かなかった。結局ポケスペ学園の校門の近くまでそんなやり取りは続いたのだが、話しているのは専らユキだけでラクツは相槌を打つばかりだった。
(あーあ、もっと学校が遠かったら良かったのに……。もっともっとラクツくんと話したかったわ……)
家を出る前は”日差しが暑いから早く学校に着きたい”と考えていたユキだが、今は真逆のことを考えていた。それでも彼と登校出来ただけラッキーだったわと自分に言い聞かせていたユキは、ラクツがふと足を止めたことに気が付いた。先程までは前を向いていたはずの彼の顔は、明らかに別の方向に向けられている。彼に倣ってユキも顔の向きを変えた、すると校門の端に立っている人物が目に留まる。
「あ、N先生だわ。相変わらず人気だよね、あんなに女の子に囲まれちゃって。……あ、そっか。ラクツくんのクラスの担任って、確かN先生だったよね?」
「…………」
「……ラクツくん?どうしたの?」
「……いや」
ラクツは、Nを見ていたわけではなかった。実際にラクツが見ていたのはNでも彼を囲んでいた女子生徒達でもなく、その女子生徒達から離れたところでひっそりと佇んでいる1人の女の子だったのだ。だけどそれを知らないユキは、ラクツとは違ってご機嫌な気持ちになっていた。何も言わずに先へと歩いて行ってしまった彼の態度に、ふと我に返る。”N先生を見ているラクツくんも素敵だわ”と彼の立場からすれば何とも見当違いなことを思いながら、ユキは大好きな人を慌てて追いかけた。