school days : 103

なやみのタネ
その人物が視界に入った時、ラクツは正直”しまった”と思った。何故この人物に、しかもこのタイミングで出くわしてしまうのだろう。極わずかな時間固まっていたラクツはその人物がこちらに気付く前に踵を返そうとしたが、間の悪いことに彼女はこちらに気付いてしまった。買い物帰りなのか、複数の紙袋を片手から下げている。

「……あら?ラクツじゃない」
「どうも、ブルーさん」

その人物と目が合ったラクツは嘆息して、軽く会釈をした。驚いたのかブルーは瞳を大きく見開いていたが、すぐにその目は細められる。

「随分と久し振りね、だいたい半年くらい振りかしら?アンタがマサラ大学を見学しに来て以来だから」
「……そうですね」
「志望校はまだ決めてないの?」
「……ええ、まあ」 
「そう……。でも、アンタならどこの大学でも余裕で入れると思うわよ?」
「それはどうも」

ブルーの問いに、ラクツは言葉少なに答えた。剣道部のOBであるグリーン繋がりで彼女とは度々顔を合わせていたが、その度にラクツは色々と絡まれて来たものだった。その例に漏れず、今回もまたそうなるだろう。事実今のブルーの口元は、どう見ても弧を描いている……。

(まるで獲物を見つけた猫のようだな……)

今いる場所が場所だけに、これはもう確実にからかわれるだろう。憂鬱な気分になった自分とは対照的ににんまりと笑みを湛えているブルーは、そのままの表情で言葉を続ける。

「何、こんなところでどうしたのよ。ここはアクセサリーショップよ?……しかも、女子に人気の」

わざわざそう言われずとも、ラクツは当然その事実に気付いていた。店内を物色しているのは見事に女ばかりで、その中で唯一の男である自分は相当に浮いていたことだろう。ついでにいうと、何人かの女に熱っぽい視線を向けられていることにもきちんと気付いていた。基本的にフェミニストであるラクツだが、正直そういった視線を向けられたところで煩わしさしか感じないわけで。二重の意味で、ラクツはそれは深い溜息をついた。

「……知っています」
「あら、そう?……それで、何でアンタがここにいるのかを、アタシはまだ教えてもらってないんだけど?」
「…………」

察しのいい彼女のことだ、十中八九こちらの意図に気付いているはずだ。それでもそう尋ねたということは、間違いなくラクツ自身の口から言わせたいのだろう。

(まったく……)

眉間に皺を寄せたラクツは改めて眼前の人物を見たが、彼女の口角は明らかに上がっていた。最初から分かっていたことだが、完全に面白がっている。このまま黙っているという手もあるにはあるものの、彼女は決して追及の手を緩めはしないだろう。

(それもそれで面倒だな……)

これ以上余計なことを言われる前に、さっさと言ってしまおう。そう結論を出したラクツは口を開いた、事実これは本当のことなのだ。来月の16日は、ラクツの大切な幼馴染の誕生日だ。その幼馴染と敬遠になっていた頃も、そしてわざと冷たくしていた頃だって、この日のことは決して忘れなかった。立場故に面と向かっておめでとうとは言えなかったが、また以前のように話せるようになった今ならそう告げても問題はないだろう。本人は気にしていないと言うが、自分がこの1年程の期間彼女に冷たくしたことは事実なわけで。だからその詫びの意味も込めて、ラクツはファイツの誕生日のプレゼントを贈ろうと決めたのだ。誕生日のプレゼントは何がいいんだと本人にはまだ尋ねていないが、夏休みである今の内に目星をある程度はつけておくべきだろう。そう思ってとりあえず女に人気があるらしいこの店にやって来たのだが、まさかこのタイミングでブルーに会うとは思っていなかった。

「……幼馴染の誕生祝いにどうかと思って入っただけです。別に深い意味は……」
「……え、何!?……アンタ、ついに彼女を作る気になったの?」

ブルーは店内にいることを考えたのか、そっと声を潜めて耳打ちをした。だがそこに気を配るくらいなら、そもそも自分に絡まないで欲しかったとラクツは思った。そう思っても直接指摘出来ないのは、彼女が一応先輩だからなのだろうか。あるいは、自分が彼女に苦手意識を抱いている故のことかもしれない。

「ブルーさん……。ボクの話、きちんと聞いていましたか?」

はっきりと幼馴染へ贈るつもりだと告げたのにそう言われてしまったラクツは、嫌な予感を覚えながらも溜息混じりに返した。まったく本当に、何故ここで会ったのが彼女なのだろう。せめてプラチナかワイなら、ファイツへの誕生日プレゼントを何にすればいいか悩んでいると打ち明けることも出来ただろうに。

「もちろん、ちゃんと聞いてたわよ。……で、その幼馴染にアンタが惚れてるってわけね?」
「…………」

ブルーの声は囁き声といってもいい程の小さなものだったが、確信を抱いているらしい声色だった。幼馴染が好きだとはただの一言も言っていないのに、彼女は何故こうもはっきりと断言するのだろう。ラクツは胸中でそう呟きながら、眉間に思い切り皺を寄せた。ブルーの言葉は確かに事実なのだが、素直にそうだと言えない辺り、本当に自分は捻くれている。

「……何故そうなるんですか」
「ホホホ、女の勘かしらね。……まあそんな冗談はさておき、アンタを見てれば分かるわよ。何かそわそわしてるっていうか、とにかく普段のアンタとは全然違う感じだもの」
「そう、ですか……」

幼馴染に惚れていることは紛れもない事実だし、確かに指摘された通り落ち着きがなかったわけなのだが、こうもあっさりと言い当てられるとどうにも気まずくて。だから、ラクツは何とも歯切れの悪い返答をした。プラチナといいワイといいこのブルーといい、本当に何故こうも立て続けにファイツへの想いが他人にばれてしまうのだろう。しかも、同性ならまだしも異性にというのが余計に気恥ずかしい。おまけに、ばれた相手は会う度に自分に絡んで来る人間なのだ。今後はこれをネタにからかわれるのかと思うと、更に憂鬱な気分になる。唯一の救いは、当の本人である幼馴染にはまるで気付かれていないということくらいか。

「……あ、やっぱり好きなんだ?否定しないってことは、アタシの仮説は間違ってなかったってことね」
「…………」

どうやら自分は彼女に鎌をかけられたらしい。してやられた、そうラクツは思った。しかし今更否定したところで既に意味がないことは明白だった。それでも何故はぐらかさなかったのかと内心で舌打ちをした自分を他所に、ブルーははあっと大きな溜息をついた。

「……何よ、やっぱりそういう子がちゃんといるんじゃない。もっと前から言ってくれれば、アタシだって苦労しなくて済んだのに。”今は部活で忙しいから彼女を作る気はないみたい”って、ラクツを狙ってた子達に何回言ったと思ってるのよ?」
「何故ボクが狙われるんですか。ブルーさんの大学に通っている人間とボクには、何の接点もありませんが」
「そりゃあ、ラクツがいい男だからに決まってるじゃない。見学に来たアンタに一目惚れしたって子も何人かいるみたいなのよね。顔もだけど、中身だって悪くないし。初めて会った時、アタシは”いい男”だって言ったでしょう?」
「…………」

ラクツもブルーに初めて会った時のことはよく憶えていた。何しろ初対面での彼女の第一声が”いい男、デートしない?”だ。あれは今から思えば冗談だったのだろうが、あの強烈な一言はそうそう忘れられるはずもなかった。

「あ~あ、こんなことなら”ラクツには彼女がいるから”ってはっきり言っておけば良かったわ。……失敗したわね」

ブルーは商品が並んでいる棚を手の甲でコンコンと叩きながら、先程より大きな溜息をついた。溜息をつきたいのはこちらの方だと、ラクツは声に出さずに呟いた。

「ボクに恋人がいないのも、部活で忙しいのも、どちらも事実ですが」
「まあ部活で忙しいのはそうだろうけど、それでも構わないからって言って来る子も割といるのよ。だったら最初からそう言って躱せば良かったなって思っただけ。だって、どうせその子とつき合うんでしょう?」
「……何故そうなるんですか」
「女の勘よ、勘。……もしかしてアンタ、自分がどれだけ女にモテるのか自覚がなかったりするタイプ?」
「……まさか。仮にそうだったら、今より気苦労も減ったでしょうね」

友人であるペタシには大層羨ましがられているが、ラクツ自身としては数多くの女にモテたところでそれがいったい何の役に立つのかと思う。実際、あの娘以外とつき合う気なんてラクツには更々ないのだ。今まで生きて来た中で既に数え切れない程の告白をされているラクツは、けれど一度もそれらの想いに応えたことはなかった。最近では告白されても嬉しいという感情は一切湧き起こらなかった。”面倒”だとか、”この後のことを考えると気が重い”とか、そういった感情しか生まれないのだ。

「アンタも色々と苦労してるのね……。モテ過ぎるのも考えものねえ。……ね、そんなに嫌ならさっさと彼女を作っちゃいなさいよ。その幼馴染の子ってどういう子なの?」
「…………」

ラクツは眉間の皺を深くして、無言のままに店内を軽く見回した。自分をちらちらと見ていたらしき何人の女が慌てて視線を逸らすのが目に入ったが、そんなことは正直どうでも良かった。見覚えのある女はいなかったものの、念には念を入れておいて損はない。そう結論を出したラクツはブルーの方を向いた。

「……それではブルーさん、ボクはこれで失礼します」

自分が知らないだけで、もしかしたらこの店内に同じ学校に通っている女がいるかもしれない。静かな店内だ、こちらの話題に耳をそばだてている者がいないとも限らない。その可能性がある以上、この話題をこの場所で続けるのはあまりいいとは思えなかった。こちらが名を出さない以上は大丈夫だとは思うが、しかし万が一のこともある。自分の存在故にまたファイツがいじめられることになるのは、何としても避けたい。だからラクツは踵を返したのだが、ブルーはそうは思わなかったらしい。幾人もの男を振り向かせそうな、それは妖艶な笑みを見せている。

「あら、ラクツ。アタシから逃げようったって、そうはいかないわよ?」
「別に逃げているわけではないです。ただ、店内で話し込んでいるのは迷惑でしょう?」
「それもそうね。……でも、その子へのプレゼントは選ばなくていいの?アタシで良ければ色々とアドバイスしてあげるわよ?」
「……その気持ちはありがたいですが、元々ボク1人で選ぶつもりでしたから」
「そう?アタシは可愛いものが売ってる店を色々と知ってるんだけど、それでも断るの?少なくとも、アンタよりは詳しいと思うけど」
「…………」

ブルーのその言葉を耳にしたラクツは、出入り口である扉の取っ手に手をかけたまま固まった。確かに女であるブルーなら、自分よりそういう店に詳しくてもおかしくはない。

「その子がどういうものが好きなのかは知らないけど、とりあえず聞いておいて損はないと思うわよ?アタシのアドバイスは的確だって、結構評判なんだから!その子の喜ぶ姿を見たくはないの?」

彼女が持ち上げでもしたのか、かさりと紙袋が擦れる音がする。背を向けている為にこちらからはブルーの表情など見えないわけだが、彼女が笑っているであろうことはその声色から察せられた。正直かなり逡巡したものの、ファイツが喜ぶ姿を脳裏に思い浮かべたラクツはゆっくりと振り向いた。こちらの予想通り、ブルーはそれは楽しそうに笑みを浮かべている。どう解釈したところで、これはもう完全に面白がっている。その姿を見たラクツは、やはり彼女のことは苦手だと思った。だが、これもあの娘の為になるかもしれない……。

「……分かりました。代わりにボクが駅までこれを持ちますから。……ブルーさん、それではお願いします」

ラクツはそう言ってから、ブルーが手から下げていた紙袋を全て持った。男である自分には大した重さではないが、ブルーにはそうではなかったらしい。「ありがとう」と言いながらも、手を開いては閉じてを繰り返している。そんな彼女の為に出入り口の扉を開けてやると、ブルーは目を一瞬見開いてからそれは綺麗な笑みを見せた。わざわざ口に出しては言わないが、そちらの笑みの方がずっといいとラクツは思った。夕方といえど、夏休みということもありかなりの人が行き交っている。自分と並んで駅までの道を歩いていたブルーは、そっと呟いた。

「……やっぱ、アンタっていい男だわ。嫌味じゃなくて自然に出来るんだから、そりゃあモテるわよね。アタシの荷物を持ってくれてありがとうね、ラクツ。駅まではまあ近い方だけど、やっぱり荷物がバッグだけっていうのは楽だわ」
「教えてもらう身ですからね。……それで、その店の場所はどこにあるんですか?」
「えっと、まずは雑貨屋のヤマブキね。駅前に路地があるじゃない?目立たない場所にあるんだけど、結構可愛いものが売ってるのよ。それで、肝心の行き方はね……」

その店以外にも、色々と雑貨店の場所やらアクセサリー店の場所をブルーから教えてもらったラクツは、それらの位置を忘れまいと頭の中にしっかりと刻み付けた。可愛い靴を集めるのが趣味だと以前言っていた彼女は、確かにそういった店に詳しかった。

「ありがとうございます、ブルーさん」

振り返って礼を告げると、ブルーはまた綺麗に笑った。しかしその笑みは、瞬く間に意地の悪いものへと変わる。

「……ねえ、ラクツ」
「……何ですか?」

ものすごく嫌な予感を覚えながら、しかしラクツは律儀に答えた。彼女には今しがた店の場所を教えてもらった手前、ぞんざいに扱うことも出来ない。

「その例の子って、アンタといくつ違うの?」
「同い歳ですが」
「あら、そうなの?もしかして、同じ学校に通ってたりとかしない?」
「……そうです」
「クラスは?」
「別ですが、来年は同じクラスになるかもしれません」

ブルーの質問にそう答えてしまってから、ラクツはまた”しまった”と思った。しかし時は既に遅く、結局ラクツはファイツに勉強を教えていることをある程度かいつまんで話す羽目になってしまった。駅まではまさに目前なのだが、距離が短くて良かったとラクツは思った。

「……そうなんだ、ラクツが勉強をその子に教えてるんだ。アンタ、頭いいものね」
「彼女に教えて欲しいと頼まれましたから」
「それなのに、告白はまだしてないの?アンタって意外と奥手なのね。でもラクツは確かにいい男だし、その幼馴染の子だって実は気があったりするんじゃないの?」
「……さあ?それはどうでしょう」

何でもないようにそう言いつつ、しかしラクツの心はざわついていた。また数日後にはファイツに勉強を教えることになっている。その際に誕生日のプレゼントは何がいいのかと訊くつもりだが、彼女はどんな反応を見せるだろうか?前回のように、”恥ずかしがっているだけというには行き過ぎる”反応をするのだろうか……。

「話を聞いてるとそうとしか思えないんだけど、その子って何か鈍そうね」
「……それは否定出来ませんね」
「やっぱり、鈍いの?」
「…………かなり」

そう告げると、ブルーは口元に手を当てた。少しの間そうしていた彼女は、やや俯いていた顔を上げる。そして、こちらをまっすぐに見つめながら口を開いた。

「ねえ、もういっそのことキスでもしちゃったら?」
「……は?」

ラクツは目を見開いて、思わず気の抜けた声を出した。何を言っているのかとブルーの顔を見ると、彼女は意外にも笑っていなかった。

「だって、そうすれば流石に気持ちは伝わるでしょう。案外その子も期待してるかもよ?」
「……まさか。好いていない男にそうされて、喜ぶ娘なんていませんよ」

したくないと言えば嘘になる、実際何回かそのような欲望に囚われたこともある。しかしラクツはそれを何とか押し止めて来たのだ。この世で一番大切な娘に無理やりキスなんて、そんなことが出来るわけがない。薄く笑みを浮かべながらそう告げると、ブルーは神妙な顔をして息を吐いた。

「ラクツって本当真面目ねえ!前から思ってたけど、グリーンにそっくりだわ!まあ、グリーンはアンタ程愛想良くないけど」
「そうですか?」
「ねえラクツ。アタシは今の言葉、半分は冗談だったんだけど」
「…………」

それを聞いたラクツは眉間の皺を更に深くした。こちらは真面目に答えたというのに冗談だったと言われると、やはりいい気はしなかった。流石に文句を言ってもいいだろうと口を開きかけたが、至極真面目な顔をしたブルーを見たラクツは言葉を飲み込んだ。

「でも、アタシは半分は本気で言ったのよ。キスはともかくとして、さっさと好きって言っちゃいなさい。ぼやぼやしてると、その子は誰かに取られちゃうかもしれないわよ?それでもいいの?」
「…………」
「じゃあね、ラクツ。縁があったらまた会いましょう!」

ラクツが何も言えないでいるうちに、ブルーは手早く自分の荷物を取って歩いて行ってしまった。冗談を言ったかと思えば次の瞬間には真面目な表情をするブルーは、まるで水のようで掴みどころがない。こちらの気持ちをかき乱しておいてさっさと遠ざかって行った彼女のことを、ラクツはやはり苦手だと思った。