school days : 093

例え間違っていても
自分より少し前を歩くプラチナの姿を眺めながら、ファイツは祭からの帰り道をとぼとぼと歩いていた。プラチナがそれは楽しそうな表情で何かを話していて、ワイとサファイアもこれまた楽しそうにうんうんと頷いている。幼馴染の彼は、特に会話に加わることもなく歩いている……。
そんな4人の背中を見つめながら、ファイツは暗い気持ちで溜息をついた。自分と同じように帰路を辿る人達で周りはざわざわとうるさい、これなら今しがたついた深い溜息が皆の耳に入ることはないだろう。幼馴染の彼だけはよく分からないけれど、少なくともワイとサファイア、そしてプラチナはそれは楽しそうに会話を続けている。その様子を少し後ろの方から見たファイツは、ますます暗い気持ちになった。俯きがちになって、自然と視線は足元に向けられてしまう……。

(プラチナさんは……。あたしのことを一言も責めなかったな……)

待ち合わせ場所にいたプラチナの視線が自分に向けられたのを目の当たりにして、ファイツはものすごく怖くなった。かたかたと震えそうになるのを何とか耐えながら、彼女が口を開く前にファイツは「ごめんなさい」と頭を下げた。しかし慌てたように「頭を上げてください」なんて言われてしまって、ファイツはその優しい言葉で涙が出そうになった。泣きたいのはあたしじゃなくてプラチナさんの方だと、心の中でそう何度も何度も言い聞かせて。そしておそるおそる彼女の顔を見ると、驚くべきことにプラチナは笑顔だった。「私はとても楽しかったのですし、ファイツさんは少しも悪くないのですから気にしないでください」とも言われた。そして止めとばかりに、「それ程気にされると私としても困ってしまいます」と眉根を寄せながら言われてしまった。被害者であるプラチナにそこまで言われてしまってはファイツとしても黙る他ない、けれど罪悪感は心に燻ぶったままだった。ごめんなさいと謝りたくなった自分を何とか抑えて、ファイツは曖昧に頷いた。

(きっと……。ううん……絶対、あたしのことを気遣ってくれたんだよね……)

加害者である自分は、被害者であるプラチナに責められたっておかしくないのだ。むしろ、まったく責められなかったことの方がおかしいとも言える。だけどファイツはわざわざ「おかしい」と指摘することはしなかった。文句をつけたいという気持ちをぐっと堪えて、プラチナはあのような言葉を告げたに違いないのだ。そんな彼女の厚意を無下にするのはやっぱり気が引けた。……とはいえプラチナに対する罪悪感でファイツの胸はずきずきと痛んだし、かと言って会話の輪に加わるのも気まずいやらで、こうして1人少し離れたところを歩いているわけなのだけれど。

(このまま、1人で帰っちゃおうかなあ……)

ふと、ファイツの頭にはそんな考えが浮かんだ。皆のことが嫌いなわけではない、それは絶対にない。だけどどういうわけか、ファイツはそんな考えに囚われた。自分がこのままこの場からいなくなったところで、誰も心配するわけがない。そんな後ろ向きな考えまで浮かんで来てしまう……。

「ファイツくん」
「え……?」
「どうした?足が痛むのか?」

そう問いかけて来たのは自分の幼馴染であるラクツだった。自分が皆のすぐ後ろを歩いていないことに気が付いて、わざわざ立ち止まってくれたのだろう。俯いて歩いていた為にそのことにまったく気付かなかったファイツは、思わず幼馴染の顔を見た。声も出せずに呆然と立ち尽くして、ただただ穴の開いたようにラクツの顔を見つめる。

「…………」
「少し休んでいくか?」

幼馴染はいつものように眉間に皺を寄せていたが、その声色はとても優しいものだった。そのことに気付いたファイツは手を思い切り握った、爪が手の平に食い込むくらいにぎゅうっと強く握り締めた。そうしないと、涙が零れてしまいそうだと思ったのだ。

「……ううん」

ファイツは何とか明るい声を作って、首をゆっくりと横に振った。この優しい幼馴染にこれ以上の心配をかけないようにしなければと、泣きたくなる気持ちを抑えて無理やりに笑った。本当はそこまで足が痛むわけではないのだけれど、それは言わなかった。実際少しは痛いのだから、嘘をついたことにはならないだろう。

「あたしは、大丈夫だから。だから、ラクツくんは先に行ってて?」

ファイツが勝手にのろのろと歩いて、勝手に1人きりになっただけなのだ。それなのにわざわざ立ち止まって、その上声をかけてくれるなんて、なんて彼は優しい人なのだろう。本当に本当に彼は優しい、泣きたくなるくらいに優しい。だけどその彼の優しさは、本来自分に向けられるものではなかったはずだ。自分などではなくて、彼女であるプラチナに向けられて然るべきなのだ。そう思うと胸はまた痛んだけれど、それでもファイツは何とか笑顔を作った。

「ほら……。えっと、プラチナさんに悪いし……」

先程までは2人きりだったのだけれど、今は彼女であるプラチナが数メートル先にいるのだ。だから、プラチナの名前を出せばきっと彼も先に行くだろう。そうに違いないと思ったファイツは、ラクツが踵を返すのを待った。

「…………」

しかし自分のその予想に反して、ラクツはその場に留まっていた。彼は何も言わずに、けれど何かを探るような目付きでこちらを見つめている。自分に向けられるそのまっすぐな眼差しに、ファイツは大いに戸惑った。どうしてこんなに見つめられるんだろうと思った。今や心臓の鼓動はどきどきと高鳴っていて、まるで壊れてしまうのではないかと思うくらいにうるさい。

「あ、あんなに綺麗な浴衣を着てるんだもん!今のプラチナさんってすっごく綺麗だよね?……あ、もちろんいつもだってすごく綺麗だけど……!」

うるさいくらいに耳に響く鼓動にかき消されないように、ファイツはいつもより大きな声で喋った。そう意識したので、きっと声も普段より明るいものであるはずだ。だけどファイツの心は暗かった、どれ程明るい声色を作ろうとも、心の中までは明るくなれなかった。

(本当に、プラチナさんって綺麗だよね……)

ヘアメイクをしてもらう為に彼女の家、というよりは屋敷に近い自宅に招かれたファイツは、出迎えてくれたプラチナの姿を見た瞬間に溜息をついた。深い夜を思わせるような濃紺の浴衣には、主張し過ぎない大きさの艶やかな赤い花が描かれていて、それがまた彼女によく似合っていたのだ。もちろんワイが着ているオレンジ色の浴衣や、サファイアの青い浴衣だって綺麗だとも思うのだけれど、プラチナの浴衣姿は格別綺麗だとも思った。セバスチャンと名乗った執事はしきりにプラチナの格好を褒めていたけれど、ファイツもまさしくその通りだと思った。ファッション雑誌にモデルとして掲載されそうなくらいに綺麗だ。
ヘアスタイリストに格安でヘアメイクをしてもらって鏡の前に立ったファイツは、鏡に映った自身の姿を見て微妙な気持ちになった。ワイもサファイアもそしてプラチナも可愛いと口々に言ってくれたけれど、自分にはとてもそうは思えなかった。「ありがとう」とお礼は言ったものの、何だか浴衣に着られているような、そんな気がした。例えファイツがプラチナが着ているあの浴衣に袖を通したとしても、絶対に似合わないだろう。

(何でこんなことを思っちゃうんだろう……)

自分とプラチナを比べてもどうしようもないことくらい、ファイツだって分かる。しかし頭では分かっていても、どうにもならなかった。本当に、何でこんな暗い気持ちになってしまうのだろう?
そして、どうして彼はプラチナの元に行かないのだろうとファイツは思った。彼女と幼馴染の二択なら、誰だって彼女を優先するはずなのに。けれどあんなに素敵な彼女がいるのにも拘らず、ファイツの幼馴染は未だにこの場に留まっていた。

「あ、あの……。先に、行かないの?」
「行かない」
「……え?」
「ボクはここに……。ファイツくんの傍に、いる」

ファイツは耳を疑った、彼の言ったことが信じられなかった。聞き間違いかもしれないと思って彼の顔を見つめたが、ラクツは依然として動く気配はなかった。

「な、何で……?」

わけが分からなくなってしまったファイツは、弱々しくそう尋ねた。すっかりいつもの調子に戻ってしまったけれど、彼は自分の声をちゃんと聞き取ってくれたらしい。怪訝そうに首を傾げることもなく、ラクツは口を開いた。

「そんな表情をしているお前を、1人きりになんてさせられない。だから、ボクはここにいる」

真剣な表情でそう言われてしまって、またもや彼に”お前”と呼ばれてしまって、ファイツの思考は見事に停止してしまった。未だに慣れない呼ばれ方をされた所為なのか、どうにも目の前にいる幼馴染がまるで知らない男の人に見えて、ファイツは頭をぼんやりとさせながらも数回瞬きを試みた。しかし、目の前にいるのは確かにラクツだった。何度瞳を瞬かせてもそれは変わらなかった。眉間に皺を寄せているけれど、でもものすごく優しい、ファイツの大事な幼馴染だ。

「プラチナくんには断りを入れたから、気にしなくていい。……それとも、ボクが一緒にいると迷惑か?」
「……ううん」

躊躇いがちに投げかけられたその言葉に、ファイツは首を横に振った。気付いたら、ふるふると首を横に振っていた。迷惑ではない、断じて迷惑なんかじゃない。だけど彼のことを思うなら断るべきだったのに、気が付いたら「ううん」と答えていたのだ。慌てて我に返ったけれど、時は既に遅かったらしい。

(あ……)

突然ラクツに手首を掴まれて、またファイツの心臓は大きく跳ねた。あっという間に人混みから抜け出したファイツは、自分の手を引いて歩く幼馴染の背中を見つめながら口を開いた。

「ど……どこに行くの?」
「すぐ近くに公園があるだろう。そこにあるベンチで少し休んだ方がいい」
「えっと……。あの、小さな公園?」
「ああ。痛みがある程度治まったら、家まで送る」
「……え!?……そんな、いいよ!だって、ラクツくんに……」
「ボクは構わない。……というより、そうしないとボクの気が済まない。もちろん無理強いはしない、嫌ならそう言ってくれていい」
「…………」

こんなのはいけないと、ファイツはそう思った。こんなのはいけない、こんなのは間違っている。彼女がいる異性のデートを台無しにした上にそれを一言も責められず、挙句の果てには家まで送ってもらうなんて、絶対におかしい。頭ではそう思うのに、けれどファイツはそう答えなかった。蚊の鳴くような声で「お願いします」と答えた自分は、そして彼の申し出を嬉しいと思ってしまった自分はなんて嫌な女なのだろう。とびきり綺麗でおまけに優しいプラチナの顔が浮かんで、ファイツは目を伏せた。罪悪感で胸はまだずきずきと痛い、だけどそれ以上に嬉しい。ラクツに心配してもらったことが、色々と気にかけてもらっていることが、そして「傍にいる」と彼が言ってくれたことが、ファイツはどうしようもなく嬉しいと思ってしまった。