school days : 092
花と団子
ほかほかと湯気が立っているたこ焼きのパックを手に抱えたまま、ダイヤモンドはぼうっと放心していた。それはもう、見事なまでに放心していた。「おい、ダイヤ。どうかしたのか?」
そう声をかけて来た幼馴染兼親友の言葉はもちろん耳に届いていたけれど、ダイヤモンドは返事をするどころではなかった。それでも何でもないと告げたら安心したらしく、パールはたこ焼きを丸ごと口の中に放り込んだ。パールが今しがた買って来たのは他のそれより100円高いたこ焼きだ。だけどその分中に入っているたこは大きいわけで、そっちにすれば良かったかななんて思いながらダイヤモンドもパールに倣ってたこ焼きを食べ始めた。口の中に広がるのはソースの絶妙な甘味と酸っぱさだ、おまけにふわふわでとろとろの生地はとろけるようで。熱々のたこ焼きはやっぱり美味しいと、そうダイヤモンドは思った。
けれどそんなに美味しいたこ焼きを食べているというのに、いまいち幸せな気分になれないのだ。原因はしっかり分かっているからいいのだけれど、やっぱりどうにも落ち着かなかった。胃……というよりは胸がいっぱいで、中々たこ焼きを食べる手は進まない。端から見ればぱくぱくと食べているように見えるかもしれないけれど、普段の自分の食べる早さを思えばその差は歴然だった。何事にものんびりしているダイヤモンドは、こと食べる早さだけは常人より早いのだ。自分とは逆に何事にもせっかちなパールより、ともすれば早いかもしれない。しかし、今のダイヤモンドの食べる早さは普段以上に遅いものだった。その遅さと来たら”のんびりしている”どころではない、何しろパールが8個入りのたこ焼きを全て食べ終えたというのにダイヤモンドは1個だけしか手をつけていなかったのだから。そしてつき合いの長い幼馴染がそのことに気付かないはずも、何の疑問も持たないはずもなかった。
「……なあ、ダイヤ」
「ん~?……なあに、パール」
「腹の調子でも悪いのか?さっきから思ってたけど、全然食ってないじゃん」
そう尋ねて来た親友は、たこ焼きが入ったパックを指差しながら心配そうな表情で眉根を寄せていた。疑問を抱いているのは多分彼の様子からしても確かなのだろうけれど、それ以上に自分を心配する気持ちの方が強いのだろう。
「大丈夫だよ~。ちょっと考え事をしてただけだから」
「そうか?……ならいいんだけど。……あ。お前、団子は食うか?ほら、向こうの屋台で売ってるやつ」
パールに釣られて、ダイヤモンドもまた視線を屋台へ向けた。確かに屋台には”団子”との文字が書かれている。ほんの少しだけ考え込んだダイヤモンドは、顔を上げて大きく頷いた。未だに胸はいっぱいなのだけれど、団子ならきっと食べられる。それに何より、団子は自分の大好物なのだ。
「よっし、じゃあオレが買って来てやるよ。焼いたやつとみたらしと、どっちにする?」
「オイラ、どっちも好きだから決められないよ」
「……分かった。両方買って来るから」
「本当~?嬉しいなあ、ありがとうパール」
両方買って来ると言うが早いが、パールは脱兎の如く駆け出して行った。果たして自分の「ありがとう」は届いていたのか疑問だったものの、いつものことなのでダイヤモンドは特に気にせず2個めのたこ焼きを頬張った。自分と比べて天と地程も走る速さに差がある彼の背中を見送って、もごもごと口を動かす。それでも頭の中に浮かぶのは今口の中に入っているたこ焼きのことなんかではなくて、自分が密かに想いを寄せている女の子のことだった。
(さっきのお嬢様、すっごく綺麗だったなあ……)
パールはたこ焼きを買いに行っていたから見ていないだろうけれど、ダイヤモンドは紺色の浴衣を着たプラチナの姿を遠目から目撃していたのだ。おまけに彼女は普段は下ろしている髪の毛を上げていた。とびきり綺麗な彼女のその姿を、ダイヤモンドはしっかりと目に焼き付けていた。もっともそう意識するまでもなく、目蓋に焼き付いて離れてくれないのだけれど。パールと違ってあまり女の子と話さないダイヤモンドは、彼女と一緒にいた女の子達の名前はさっぱり分からなかった。彼女達は皆それぞれ浴衣を着ていたのだけれど、だけど自分にはプラチナが一番綺麗だと思った。
(良かったね、お嬢様)
それはそれは楽しそうにはしゃいでいるプラチナの姿を遠くから見て、ダイヤモンドは温かい気持ちになった。例えるなら、のんびりと日の光を浴びているような、そんな温かさだ。プラチナは女の子だから、やっぱり同じ女の子と一緒にいるのが一番いいのだろう。今でこそ自分達に笑いかけてくれるものの、最初の方はそこまで笑う子ではなかった。だけどさっきの彼女はまるで別人のような表情で笑っていた、本当に本当に楽しそうに笑っていた。ダイヤモンドにとっては、それが自分のことのように嬉しいと思えるのだ。
初めてプラチナと話した日のことは今でもよく憶えている。憶えているというよりは、忘れる方が無理だとも思うのだけれど。今から半年ちょっと前のことだ。自分が作ったケーキをパールと一緒に食べていたダイヤモンドは、1人の女の子にその現場をしっかりと見られてしまった。廊下ですれ違ったことは何度かあるけれど、話したことはそれまで一度もなかった女の子だ。だけどダイヤモンドは彼女のことを前から気にしていた。クラスでも噂になるくらいの有名人だし……何よりプラチナは、自分にとって特別な女の子だったから。
忘れもしない、あれは去年のある春の日のことだった。いつものように廊下をのんびりと歩いていたダイヤモンドは、周りに人がいないのをいいことにお気に入りのアニメであるタウリナーΩの主題歌を口ずさんでいた。そんな折、向こうから歩いて来た女の子に気付いたダイヤモンドは何気なく彼女に視線をやって、そして今までに感じたことのない程の衝撃を受けたのだ。全身にはビリビリと電撃が迸った、もちろん実際に電気なんて浴びたことはないのだが、そうとしか言い表せないような衝撃だった。これまでの人生で女の子に興味なんてほとんどなかったダイヤモンドは、プラチナを見て一目で恋に落ちた。あまりのことについ立ち止まってしまったけれど、彼女は特に不思議に思わなかったらしい。背筋をきちんと伸ばした姿勢のまま、歩く速さを緩めることなく遠ざかってしまった。
頭をぼうっとさせたままで、ダイヤモンドは自分のクラスに帰ったものの、頭の中はさっきの女の子のことでいっぱいになっていた。それでもその日の昼食の時、さり気なくパールに例の彼女の話題を振ったダイヤモンドは驚いた。自分にしてみればかなり思い切って尋ねたというのに、「あの有名なお嬢様のことを知らなかったのか?」なんて呆れ混じりに言われてしまったからだ。周りよりワンテンポ以上のんびりしている自分だからパールは特に不審には思わなかったらしいけれど、クラスでも噂になってると聞いたダイヤモンドはただただ驚いていた。まさか、あの子がそれ程までに有名な子だとは思わなかったのだ。ベルリッツという名前は流石のダイヤモンドでも耳にしたことはあった、名家中の名家だ。
一目惚れした女の子の名前を何度も口にして頭に刻み付けたものの、別に彼女にアプローチする気はなかった。廊下で何度かすれ違っても、特に話しかけることはしなかった。ただでさえ女の子に自分からあまり話しかけないダイヤモンドだ。その上相手は一目惚れをした女の子なわけで、話しかけることなんて出来るはずもなかった。話しかけはしないけれど、当然何の反応もないわけはなかった。すれ違うどころかプラチナの姿が視界に入る度にばくばくと心臓は高鳴るし、顔は赤くなった。
それでもダイヤモンドは、彼女に対して特に何をする気にもなれなかった。このまま卒業まで話しかけることもないだろうと思っていたのに、その予想は呆気なく裏切られることになった。今でこそ月の第一月曜日に自分が作ったお菓子をパールとプラチナの3人で食べるのは恒例になっているけれど、初めて家庭科室でプラチナと話した時のことは夢でも見ているのかと思ったくらいだ。圧倒的な身分の差があるプラチナは、今では自分と普通に話してくれる。自分が作ったお菓子を美味しそうに食べてくれるプラチナの姿をふと思い出して、ダイヤモンドは微笑んだ。好きな女の子にあんなに嬉しそうな顔をして食べてもらえるなんて、自分は何て幸せ者なのだろう……。
「よう、ダイヤ。待たせたな!」
「あ、パール……」
不意に耳に飛び込んで来た親友の声で、ダイヤモンドは思考を中断させた。パールの左手には焼き団子の串が2本握られている。右手には焼きとみたらしの、種類が違う団子串が握られていた。パールはダイヤモンドが手に持っているたこ焼きのパックに視線を止めるなり、はあっと溜息をついた。
「何だよ、まだ2個しか食ってないじゃん。そんなに考え込んでたのか?」
「うん、ちょっと……」
「なあ、ダイヤ。いや……ダイヤモンド。お前が何を考え込んでんのかは知らないけどさ、相談したくなったらオレに言えよな。オレ達は漫才コンビでもあるんだからさ」
目の前に突き出された2本の団子を受け取って、ダイヤモンドはパールの言葉に素直に頷いた。やっぱりパールは優しい、本当に本当に優しい。
「ありがとう、パール」
そんな優しい親友にきちんとお礼を言ってから、ダイヤモンドはようやくたこ焼きを食べることに意識を集中させ始めた。ふわふわでとろとろのたこ焼きはやっぱり美味しい、何個でも食べられそうだ。
「お。やっといつもの調子に戻ったな!本当に食べるのは早いよな、お前。喉に詰まらせないように気を付けろよ」
「うん……」
ダイヤモンドは口いっぱいに頬張ったたこ焼きを胃の中に収めてから、自分より数センチだけ背が高いパールの顔を見上げた。当然鋭いパールは自分の視線に気が付いて、「何だよ」と怪訝そうな表情を向けた。
「……ううん、別に何でもないよ~」
最近気になっていることを尋ねようかとも思ったけれど、ダイヤモンドはやっぱり止めたと首を振る。”パールはお嬢様のことをどう想っているの”だなんて訊くのはやっぱり怖い。そう訊いてしまえば、間違いなくパールに勘づかれてしまうだろう。自分がプラチナに恋をしているということは、幼馴染であり自分の一番の友達だと言い切れるパールにも打ち明けていないのだ。既にパールが気付いている可能性も充分に考えられるけれど。
「つき合い長いけどさ、オレは時々お前がよく分からなくなるよ」
「そう?」
「ああ。まあ、別にいいんだけどさ。……お、この団子美味いな!」
苦笑混じりに告げられた言葉に首を傾げてから、既にたこ焼きを全て平らげていたダイヤモンドはパールに倣って焼き団子を口の中に入れた。確かにこれもパールの言う通り、とても美味しい。もちもちとした団子を噛むと、醤油の香ばしい香りが口の中に広がった。
「本当だね。このお団子も、とっても美味しいや~」
「やっぱりお前は色気より食い気だよな、ダイヤモンド」
しみじみと呟かれた言葉に、ダイヤモンドは言葉を返さなかった。プラチナに出会って恋を知るまではそうだと断言出来たのだけれど、今はそうでもなかったりするのだ。色気というのはまだよく分からないものの、100%食い気だけに興味があるわけでもない。もちろん、食べることだってものすごく大事だと思っているのだけれど。
「今度は、お団子でも作ろうかなあ……」
食べるところがなくなってしまった団子串を見つめながら、ダイヤモンドはそう呟いた。普段は焼き菓子ばかり作っているのだけれど、たまには団子もいいかもしれない。
「新学期になってからだけど、パールとお嬢様の分も作って来るよ」
「お、マジか!ありがとうな、ダイヤ!」
「うん……」
自分が団子を作ったら、花のように綺麗なあの子は美味しそうに食べてくれるだろうか。またあの綺麗な笑顔を、自分に向けてくれるのだろうか。
(そうなってくれればすごく嬉しいんだけどなあ……)
そう思いながら、ダイヤモンドは今度はみたらし団子を頬張った。これも美味しい、甘辛いたれがもちもちとした団子に良く絡んでいる。焼きかみたらし、どちらかを選べと言われても甲乙つけがたいくらいだ。
(お嬢様は、焼いたのとみたらしと……。どっちが好きなんだろう?)
自他共に食いしん坊であるダイヤモンドは、団子を食べながらも花のように綺麗なプラチナに想いを馳せた。花も団子も自分にとっては大切だ、これだってとても順番なんてつけられない。”とても美味しいです!”と、綺麗な笑顔で言ってくれるプラチナの顔が頭に自然と浮かんで、ダイヤモンドは柔らかく笑みを漏らした。好きな子が自分の作った物を美味しそうに食べてくれると想像しただけで、やっぱり心はポカポカと温かくなった。