school days : 086

祈り
自室の机に問題集とノートを広げて、プラチナは黙々と勉強をしていた。夏休みだからといって、自分の生活ががらりと変わるわけではない。元々勉強は面白いことだと思っているし、自分の中に習慣としてしっかりと根づいているのだ。
それでも勉強を始めてからそれなりに時間は経過していた。流石に疲れを感じた為に少し休もうと考えたプラチナは、セバスチャンにお茶でも淹れてもらおうと椅子から立ち上がった。今日は紅茶ではなく緑茶の気分だ、この前出してもらったあの老舗の緑茶が飲みたい。そう思ったプラチナは、壁に備え付けられた内線電話の所まで歩いた。何か用がある時は、この内線電話で用件を言えばすぐに使用人が来てくれることになっているのだ。昔は呼び鈴だったらしいのだが、プラチナが物心ついた時には既に内線電話がついていた。ボタンに指を伸ばしたちょうどその時に背後から音が聞こえて、プラチナは慌てて踵を返した。

(もしかして、ワイさんからでしょうか?)

問題集と一緒に机の上に置いていた携帯を開いて、プラチナはまあと声を漏らした。予想通り、携帯の通知画面には”ワイさん”という文字が映し出されている。緊張と興奮で胸をどきどきと高鳴らせながら、プラチナはボタンを押して携帯を耳に押し当てた。その途端にワイの声が鼓膜を震わせる、彼女の性格を表したかのようなはきはきとした声だ。

『もしもし、プラチナ?今大丈夫?』
「はい、大丈夫です!」
『本当?今、勉強とかしてない?』
「確かに先程までしていましたが……ちょうど休もうと思っていたところでしたから」
『ああ、良かった。今日の午前中にファイツに電話したんだけど、あの子の都合も考えないで思わず電話しちゃったから……。それにしてもファイツといいプラチナといい、夏休みなのによく頑張るわねえ』

そんなに勉強ばっかりして辛くないのと訊かれて、プラチナは思わず笑みを漏らした。辛いどころか、勉強は自分にとって面白いものなのだ。しかし、ワイはどうやらそうではないらしい。

「ふふ、もう習慣として身体に染みついていますので……。ファイツさんも勉強を頑張っているのですか?」
『うん、そうみたい。どうしても特進クラスに入りたいんだって。昨日もラクツくんに勉強を教えてもらったって言ってた。無理しないといいんだけど……』
「そう、ですね……」

プラチナはそこで言葉を切って、机の上の問題集を視界に入れながら少しの間言葉を探した。それでも結局はストレートに尋ねるのが一番いいだろうと、意を決して口を開いた。

「あの、それで……。どうでしたか?」
『ああ、ごめんごめん。さっきメールが返って来たんだけど、ラクツくんも夏祭りに行くって!それから、ファイツも行くって言ってた!』
「まあ!!それは本当ですか、ワイさん!」

別に彼女の言葉を疑っているわけではないのだけれど、どうしてももう一度確かめたくてプラチナはそう尋ねた。ワイは気分を害した様子もなく、むしろ興奮したような声色で『うん!』と告げる。

『アタシも、もしかしたらラクツくんには断られるかもしれないって思ったから確認したんだけど。”わざわざ誘ってもらったのに断るのも悪いから”って!……でも本当はすごく嬉しいんじゃないかな、ラクツくん。だってファイツも夏祭に行くんだし!』
「私もそう思います。言わないだけで、きっとラクツさんはとても喜んでいますよ!ラクツさんとファイツさんが、今よりもっと仲良くなれるといいのですが……」
『う~ん、どうなるかなあ……。ラクツくんって素直じゃないからねえ……。せっかくファイツと祭に行くのに、特に何も話さなかった……とかありそう』

プラチナはワイの言葉に曖昧に同意した、どう言っていいものか分からなかったのだ。ラクツの恋路を見守る身としては、やはりファイツと今より仲良くなって欲しいと強く思う。本当に嫌ならワイの申し出をきっぱりと断るだろうし、きっと彼も本心ではそうなりたいのだろうとも、思う。だけど、ラクツは想いを告げる気はないらしい……。ワイに聞こえないようにそっと息を吐いたその時、何故か声を潜めた彼女の言葉が耳に届いた。

『ねえプラチナ。ちょっとラクツくんとファイツを2人きりにさせてみようかなってアタシは思ってるんだけど、どう思う?』

電話越しだからワイの表情は当然分からないのだけれど、プラチナは彼女が楽しそうに口角を上げている姿が簡単に想像出来た。自分の大事な友人のラクツとその彼の想い人であるファイツが、2人きりで祭を楽しんでいる……。そんな光景をプラチナは思い浮かべて微笑んだ。

「私はいいと思います。ワイさんは何か案があるのですか?」
『うん!ほら、打ち上げ花火が最後に何発も上がるでしょう?それの場所取りを頼むとか、それがダメでも何か食べ物を買って来てもらうとかで、どうにか2人きりにさせてあげられるんじゃないかなって思うの』
「ラクツさんはともかくとして、ファイツさんはどう思うでしょうか?一応私が彼と交際していることになっていますし、私が一緒に行かないことに疑問を覚えるのでは?」
『ファイツは素直な子だから、上手く説明すれば多分大丈夫だと思う。ラクツくんのことも嫌ってないみたいだし。まあ実際にそうするかはあの子の反応にもよるけどね。……ってことで、そこのところはよろしくね!』
「わ、私がですか!?」

目を見開いて、ついでに口元に手を当てて、プラチナはそう声を上げた。ワイにそう言われる瞬間まで、ファイツに説明するのは彼女だと思っていたのだ。これはかなりの大役なのではないだろうか?

『え?だって、プラチナの方が頭がいいし。アタシじゃファイツに余計なこと言っちゃいそうだし。今日だって、実はちょっと危なかったんだから』
「そうなのですか?」
『自信満々に言えることじゃないけど、そうなの。アタシから見たファイツがあんまり可愛いから、”そりゃあラクツくんも好きになって当たり前よね”なんて思ったのよ。ファイツに直接言ってはないけど、そんな感じのことをつい声に出しちゃったのよね』
「まあ……。私も気を付けないといけませんね……」

ラクツの気持ちをよりにもよって好意を抱いている相手に無断で言ってしまうなんて、最大の禁忌だ。ワイが実際にそれをしてしまったわけではないけれど、明日は我が身だとプラチナは気を引き締めた。

『上手くごまかせたと思うけど、勘が鋭い子だったらダメだったかも……』
「鋭いといえば……。ワイさんはよくラクツさんの気持ちに気が付けましたね。その鋭い洞察力、私も見習わなければ……」
『ああ……。アタシのはただの勘よ、勘。鋭い洞察力だなんて持ってないわ、何かを考えたりするのはかなりの苦手分野なんだから』
「……ですが、ワイさん。その割には、色々と考えられているようですが……?」
『うん、それは自分でも不思議に思う。きっと、勉強する為に頭を使ってるわけじゃないからなんだろうけど……。それに、アタシ自身がラクツくんの恋を応援したいって強く思ってるってのもあるかも』
「それは、私もそう思います」

良かったら夏祭に一緒に行かないかと、自分を誘ってくれたのはワイだった。プラチナがこれまでの人生で祭に行かなかったのは、自身にはボディーガードが必ず同行することになるとプラチナには分かりきっていたからだ。独りで祭に行くわけではないけれど、それでも何となく淋しい気がして。だからプラチナは、興味があるのにも拘らず祭に行こうとはしなかった。屋台の食べ物ならシェフが作ってくれるからというのもあったのかもしれない。だけど、今年は違うのだ。ようやく出来た友人と共に、プラチナは初めての祭に行く。それが、プラチナにはものすごく嬉しい。

(ダイヤモンドさんとパールさんも、やはり祭に行くのでしょうか……?)

のんびりした彼とせっかちな彼、正反対の友人の顔が脳裏にふと浮かんで、プラチナは微笑んだ。大食漢なダイヤモンドが屋台の食べ物を大量に買い込んでいる光景が簡単に想像出来る。そしてパールが呆れ顔を浮かべている姿も同じように想像出来て、思わずくすくすと忍び笑いを漏らした。

『どうしたの?急に笑ったりして』
「……いえ、ダイヤモンドさんとパールさんが祭に行く姿を思い浮かべたのですが、その光景が簡単に想像出来るのがおかしくて……」
『そっか……。そういえば、パールくんとダイヤモンドくんも知ってるんだっけ?ラクツくんとプラチナの本当の関係』
「はい。2人には事情があるので他言しないで欲しいと前に頼んでおきました。ダイヤモンドさんもパールさんも、ラクツさんの気持ちのことは知らないはずです」
『そうなんだ……。”ラクツくんの恋路を見守る会”の会員は、アタシとプラチナだけってわけね』
「……はい?」
『だから、ラクツくんの恋路を見守る会だってば。アタシが勝手に作ったの。まあ、アタシはファイツのことも応援してるわけなんだけどさ』
「……その会というのは、具体的には何をするんですか?」
『えっと……。こうやって電話して、色々言いたいことを言うことかしら?ほら、こんな話は中々学校じゃ話せないし!』

その言葉のすぐ後に”やっぱりアタシには頭を使うのは向いてない”なんて困ったように言い出したワイがおかしくて、プラチナはまた忍び笑いを漏らした。

「頭を使うのは向いていないなんて、そんなことはないと思いますよ?現に、私はラクツさんも祭に誘うという発想がまずありませんでしたから。ワイさんは、型に囚われない柔軟な思考をお持ちなのですね」
『そ、そうかしら?何だかプラチナに褒められると、くすぐったいわね……』
「ふふふ……。そうだ、ワイさん達は浴衣を着て行くのですか?」
『アタシはそうするつもり。暑いけど、せっかくの夏祭だしね』
「そうですか……。もし良ければ、家でヘアメイクをしてから行きませんか?私もそうするつもりですし、使用人には話を通しておきますから」
『ファイツとサファイアにも言ってみるけど、本当にいいの?』
「はい!せっかくの祭なのですから、とびきり素敵な格好で行きましょう!……あ、もちろん強制ではないですよ?」
『うん、ありがとう!もしファイツが浴衣を着てヘアメイクもしてもらったらさあ、ラクツくんはどんな反応をすると思う?やっぱり見惚れたりするのかな?』
「その可能性は大いにありそうですね……。ああ、祭の日が今から待ちきれないです!」

大切な友人と共に祭に行ける日が本当に待ち遠しい。プラチナはそう思いながら、その日が誰の心にも素敵な思い出として残ることを祈った。