school days : 085
ぐるぐる、もやもや
ワイとの電話を自分の部屋で終えたファイツは、携帯を枕元に置いて。そして、勢いよくベッドに倒れ込んだ。今着ているワンピースが皺になるかもなんて少し思ったけれど、そんなことは大した問題ではないように思えた。ファイツの頭の中の大部分を占めているのは、夏祭に”自分の幼馴染は果たして来るのか”ということだけだ。「ラクツくん、何て答えるんだろう……?」
プラチナは自分達と祭に行くことについて快諾したとのことだけど、ラクツの方はどうなのだろうか。彼女と2人きりで行った方がいいんじゃないかとファイツは思うのだけれど、彼はどう思うのだろうか。まして、プラチナは今まで祭に行ったことがないらしいのだ。それならばなおのこと、恋人と過ごした方が余程大切な思い出になるのではないか……。
「プラチナさんはどうなんだろう……。あたし達に気を遣ったんじゃないのかな……」
2人きりでないとはいえ、女友達と恋人が祭に行くのだ。いい気分にはならないのではないかと思うのだが、ワイによるとそれでもプラチナは喜んだらしい。そんな振る舞いが出来るのだ、やっぱり彼女は本当にいい人だとファイツは思った。
「…………」
大きく溜息をついて、ファイツは胸を押さえた。プラチナのことを思うと、何だか胸が痛むのだ。別に大した痛みではないものの、どうにも気になってしまう……。
「どうして胸が痛いんだろう……?」
そう呟いてはみたものの、プラチナの顔が浮かんで胸が痛む理由なんてファイツには1つしか思い当たらなかった。つまり、自分は罪悪感を感じてしまっているのだ。ラクツの彼女である、プラチナに。
(でも……。何でだろう?)
けれどそれが分かっていてもなお不思議だったファイツは、感じた疑問を声に出さずに呟いた。だって、ファイツはプラチナにきちんと告げたのだ。彼女の恋人であるラクツに勉強を教えてもらうことと、そのお礼の為に料理を作ることを、確かに言った。プラチナは嫌な顔1つせずに応援してくれたけれど、それでもファイツは彼女に悪いなと思っていたということだろうか?別にラクツと何かあったわけではないけれど、それでも自分の中では気にしていたということなのだろうか?
「…………」
そこまで考えたファイツは、寝返りを打って口元に手をやった。先程まで痛かったはずの心臓は、今や激しくどきんどきんと高鳴っていた。ワイには言わなかったけれど、昨晩の出来事をファイツはまたもや思い出してしまったのだ。
昨日の夜のことだ。ファイツは幼馴染であるラクツに勉強を教えてもらって、そして家まで送ってもらった。勉強を教えてもらうだけでもものすごくありがたいのに、そこまでしてもらうなんて彼に悪い気がする。そう思ったものの、彼がそこまで言ってくれているのにその申し出を断るのはもっと悪いような気がしたから。だからファイツは「ありがとう」と礼を言って、幼馴染と一緒に夜道を歩いた。申し訳ないと思いつつも、幼馴染の変わらない優しさが嬉しかった。彼がわざわざ自分の歩く速さに合わせてくれているのにも気付いて、すごく嬉しいと思った。そんなラクツが、やっぱり自分の兄のようにファイツの目には映った。
実際には違うわけだから変に思われるかなとか、勝手にこちらが思っているだけのことを本人に言うのはちょっと恥ずかしいかな、とか。そんなことを考えたファイツは少しだけ躊躇ったものの、思ったことを正直に告げることにした。恥ずかしい思いをするのは自分だけだし、ラクツにはものすごく感謝をしているのだ。どうやら怖がらせたのではないかと気にしてしまったらしい幼馴染に、感謝の気持ちを伝えたかった。だけど、「そうか」と言ったきり少しの間口を閉ざしてしまった幼馴染の反応がファイツは気になった。
もしかして気を悪くしたかなと不安になったものの、返って来たのはそれは穏やかな声だった。どう考えても怒っている様子ではなさそうだったから、ファイツは心の底から安堵して。それに何だかすごく嬉しくなって、ファイツは幼馴染について思っていることを色々と言った。彼の機嫌を取ろうと考えたのではなく、純粋にただ伝えたかったのだ。微笑みながら「幼馴染だけどお兄ちゃんみたい」だと言ったら、ラクツも柔らかく微笑んで「そうか」なんて言ってくれた。
……そう、そこまでは良かったのだ。そこまでなら何の問題もなかった、そのすぐ後に自分の身に起こった出来事さえなければ。
「うう……。どうしても気になっちゃうよ……」
顔が真っ赤になっていることが自分でもよく分かって、ファイツは意味もなく足をばたばたと動かした。だけど、そんなことをしても心臓の鼓動は元に戻ってはくれなかった。それどころか、さっきより更にうるさく高鳴っている気がする……。
「へ……。変だよ、あたし……。いったいどうしちゃったの……?」
そう弱々しく呟いてみたものの、自分1人しかいない部屋では返って来る言葉はなかった。だけどそれでも、ファイツは誰かに答を教えて欲しいと思った。
(あたし……。ワイちゃんに言うべきだったのかなあ……?)
つい今しがたの親友との電話で、ファイツはワイに本当のことを言わなかった。”ラクツくんと何かあった?”と訊かれても、「そうなの」とは言わなかった。別に隠そうと思ったわけじゃないのだけれど、何となく言い出せなかったのだ。ラクツに抱き留められたことを気にしている癖に、同じ男子の幼馴染がいるワイの意見を聞こうとメールをした癖に、どういうわけか「ラクツくんに抱き留められたの」とは言えなかった……。
「やだ……。またどきどきしてる……」
少し寝不足だったのと、苦手な数学を気合を入れて勉強したおかげでかなり疲れていたのは確かだった。でもまさか、それであんなに大きくふらつくなんて思わなかった。そして、まさか幼馴染に抱き留められるなんて思わなかった。
「も、もう!あれは事故なんだから!」
ファイツは自分にそう言い聞かせた、何度も何度もそう言い聞かせた。だけど、どうしても思い出してしまう。別に彼が嫌いなわけではないけれど、それでもこの状況は良くないと思ったファイツは何とか幼馴染から離れようとした。しかし自分では精一杯力を入れたのにも拘らず、彼から離れることは出来なかった。
「ラ、ラクツくんは男の人だもん……。あたしとは力の差があって当たり前なんだから……っ!」
そう、ワイだって言っていたはずだ。背が伸びるのも声が低くなるのも、男子だから当たり前なのだと。それに、”エックスはエックスだもん”とも言っていた。
「ワイちゃんの言う通り、だよね……。ラクツくんはラクツくんだもんね……」
例えどれだけ声が低くなろうとも、どれだけ背が伸びようとも、彼はファイツの幼馴染だ。大切な大切な、自分の幼馴染だ。だけどそう自分でも思うのに、どうしてもまだ心臓は落ち着いてはくれなくて。
「そ、そういえば……。あたし、ラクツくんにお姫様抱っこをされちゃったんだよね……」
まだラクツが怖くて仕方がなかった頃のことだ。本屋で偶然会った彼に、ファイツはいわゆる”お姫様抱っこ”をされた。確かあの時も、自分は彼に何とか下ろしてもらおうと抵抗をしたはずだ。けれど、それはまったく効果がなかった。具合が悪かったというのもあるが、やっぱり性別の差が大きかったのだろう。でも、どうして今になってあのことを思い出したのだろうか?
「…………」
ファイツはまた大きな溜息をついて、胸にそっと手を当てた。やっぱり心臓はうるさい、それに微かな痛みを感じる……。その時にプラチナの顔がふと頭に浮かんで、ファイツは罪悪感で目を伏せた。あれは事故だった、ラクツは自分を助けようとしてくれただけだ。だけど、ただの幼馴染でしかない自分がお姫様抱っこをされたなんていうのはやっぱり良くないのではないだろうか?はっきり言ってしまえば、ものすごくまずいのではないだろうか?
「……あ、あのことは言わないでおいた方がいいよね……?」
今更話を蒸し返すのも不自然だし、そもそもあれは事故なのだ。わざわざ過去のことを、それも「あなたの彼氏にお姫様抱っこをされました」だなんて、そんなことを言う意味もない。ラクツに勉強を教えてもらうお礼に料理を作るとプラチナに打ち明けた時、彼女は応援してくれると言ってくれた。だけど、流石にお姫様抱っこをされたなんて言ったら、いくらプラチナでもいい気分はしないだろう。それで2人が喧嘩をしましたなんて結果になったら最悪だ。ラクツもプラチナも大人びていてお似合いのカップルだと思うけれど、時には言い争いをすることだってあるだろう。
(やっぱり、胸が痛い……)
ラクツと一緒にいるプラチナの姿を想像したファイツは、心の中でそう呟いた。まただ、また胸が痛い。心なしか、先程より痛みが強くなっている気がする。例えるなら針で軽く突かれるような小さな痛みだったのだけれど、今はその痛みがずきずきと広がっているような感じだ。おまけにわけの分からないもやもやが、ぐるぐると心に渦巻いている気もする……。
「これって……。これって、何なんだろう……?」
根拠なんてないけれど、何となくだけれど。だけどファイツは、自分の中で何かが変わってしまったような気がした。その”何か”の正体はよく分からないけれど、それでも何だか怖いと思った。ほんの少しだけなのだけれど、しかしファイツはそう思った。