school days : 084

幼馴染に思うこと
夏休みということで、ワイは遠慮なくベッドに寝そべりながら至福のひと時を過ごしていた。朝早く起きなくていいなんて最高だと思いながら、大きくあくびをする。ちょうどその時に枕元に置いた携帯の通知ランプがちかちかと光っているのに気付いて、ワイは読んでいた雑誌を退けて携帯を開いた。

「……ファイツからだ」

メールの差出人は、親友のファイツからだった。携帯の画面には「今、どうしてる?」と書かれている。ワイは起き上がって、ありのままにのんびりしているところだと返信を打とうとした。しかし、送信ボタンを押す直前でふと指を止めた。

(ファイツったら、何でこんなメールを送って来たのかしら?)

もしかしたら自分に何か用でもあるのだろうかと考えたワイは通話ボタンを押した。メールでやり取りするより、こちらの方が手っ取り早い。それに、ちょうどファイツに尋ねたいこともあったからちょうど良かった。呼び出して幾ばくもしないうちに、戸惑ったようなファイツの「もしもし」という声が携帯から聞こえて来た。

「あ、ファイツ?こっちの方が早いから、思わず電話しちゃった。……どうしたの?」
『えっとね……。大した用じゃないんだけど……』

しかしファイツはそう言ったきり、用件を中々切り出そうとはしなかった。もしかしてあの子に迷惑をかけたのではないかと不安になったワイは、声を潜めて彼女に尋ねる。

「アタシの方から呼び出しておいて何なんだけどさ……。今、電話しちゃって大丈夫だった?もし都合が悪いなら、後でかけ直そうか?」
『ううん、大丈夫だよ!あたしはのんびりしてたところだから……』
「何だ、ファイツもそうなの?アタシもごろごろしてたのよ。早起きしなくていいなんて、本当最高よね!」
『うん、そうだね……』

ワイは明るく言ったものの、返って来たファイツの声は心なしか覇気がないように思えた。電話をしているわけだから当然顔は見えないのだけれど、あの子はきっと眉根を寄せた表情をしているのではないかとワイは思った。

『あの……。あのね、ワイちゃん……。あたし、ワイちゃんにちょっと訊きたいことがあるの……』
「うん。何?」
『えっとね。ワイちゃんって……』
「……?」

けれど、本題を切り出したらしいファイツはまたも黙ってしまった。どうやら、相当言い出しにくいことのようだ。何を訊かれるのだろうと気になったものの、ワイは何も口を挟まずにファイツが言い出すのを待とうと決めた。早く言ってよと急かしてしまったら最後、おとなしいあの子はまず間違いなく委縮してしまうことだろう。

『……エ、エックスくんと話してる時に、変な気持ちになったりしたことってない……?』
「……え?」

ワイは、思わず「どういうこと?」と訊き返した。ファイツが何が言いたいのかが、まるで理解出来なかった。そもそも何故エックスが出て来るのだろうか?それに何より……。

「ファイツ、”変な気持ち”って……どんな気持ちのこと?」
『え、えっと……。その、例えば……。エックスくんが知らない男の人に見えたり、とか……』

自分でもよく分からないのか、それとも言っていて自信を失くしたのか、ファイツの声はどんどんか細くなっていった。ここが騒がしい場所だったとしたら、全てを聞き取ることは絶対に不可能だっただろう。何とか聞き逃さなかったワイは、携帯を耳に当てたまま考え込んだ。

「…………」

ワイにとって、エックスは大切な幼馴染だ。どういうわけか彼氏だの夫婦だのと言われることもあるけれど、ワイは特にそう思ったことはない。確かに自分に一番近しい男子だとは思うけれど、それだけだ。エックスが知らない男の人に見えるなんてことも、一度としてありはしなかった。

「特にないかな。だって、エックスはエックスだもん。……あ、でも」
『でも……?』
「昔と比べて随分背が伸びたなーとか、声が低くなったなとか、そういうのは割と思うかも。でも、それは男子だから当たり前のことだしね」
『当たり前……』
「……あ、そうそう。アタシとエックスって、家が隣同士でしょ?だからよくエックスの家にお邪魔するんだけどさ、もしエックスに彼女が出来たらアタシは行けなくなるわけじゃない?それはちょっと淋しいなって、この前思ったのよね」
『淋しい……?』
「うん。だって、アタシとエックスはずっと一緒だったんだもん。それに、今まで当たり前だったことが出来なくなるのは、やっぱりちょっと淋しいじゃない?」
『…………』

親友は、またも電話の向こうで黙り込んでしまった。ファイツは今どんな表情をしているんだろうとワイは思った。あの子がどうしてメールをして来たのかは分からないけれど、自分の言葉はファイツの助けになったのだろうか?

「でも、どうしてエックスが出て来るの?」
『え……!えっと、それは……』
「……あ。もしかして、ラクツくんと何かあった?」
『ええええっ!?』
「あ、違った?アタシとエックスの関係をファイツに当てはめてみたら、って思ったんだけど」

ワイは、頭を動かすよりかは身体を動かす方がずっと好きだ。それでも思いついた考えを言ったのだが、ファイツの反応からしてそれは勘違いだったらしい。慣れないことはするもんじゃないわねと内心で言い聞かせて、ワイは頬を軽く掻いた。

『ワ、ワイちゃん……』
「んー?何?」
『ど、どうして分かったの……?』
「えっ?」

親友の声は小さい上に弱々しかったのだけれど、しっかり聞き取っていたワイは呆気に取られてしまった。何とも気の抜けた声を出したものの、そんなことはどうでも良かった。自分の頭の中に突如として浮かんだ考えは、どうやら当たっていたらしい。

「何、何?ラクツくんと何があったの!?」

まさか、彼に告白されましたなんてことはないだろう。もしそうだったら、そのことを直接相談して来るはずだ。好きだと言われたんじゃないとするといったい何だろうと、ワイは頭を捻って考え込んだ。

『あ、あの……。ち……違うの、ワイちゃん……っ』
「違うって、何が?」
『べ、別にあたしとラクツくんがどうとか……そんなんじゃないんだよ。ただ……』
「ただ?」

ワイの耳に、親友の「どうしよう」という小さな呟きが聞こえた。最後の”ただ”という部分は、もしかしたら言いたくなかったのかもしれない。だけど好奇心に駆られたワイは続きを促した。それでファイツが言わなければそれはもう仕方のないことだけれど、やっぱりどうにも気になってしまう。

『……ただ、昨日ラクツくんに勉強を教えてもらって……。それで、帰りに家まで送ってもらっただけだよ。本当に、それだけなの』
「そうなの?」
『う、うん。どうしてもAクラスに入りたいから、あたしに勉強を教えて下さいってラクツくんにお願いしたの。この夏休み中に成績を上げないといけないから、頑張らなくちゃ!』

ファイツが幼馴染に勉強を教えてもらうことになったという話を既にプラチナ経由で知っていたワイは、「そうなんだ」と話を合わせた。始業式の日にそれはそれは落ち込んでいたファイツの表情を思い出して、そっと溜息をつく。

「受験生でもないのに頑張るわね……。でも、特進クラスはN先生が担任なんだもんね」
『うん。あたしにとっては、これが最後のチャンスだもん』
「そっか。それにしても、ラクツくんがファイツの頼みを引き受けてくれて良かったね。ね、ファイツ?」
『うん……』
「夏休みなのにすごいよね。やっぱり、ラクツくんって優しいよね」
『う、うん……』
「どうしたの、ファイツ?」
『ううん……。ワイちゃんの言う通りだなあって思っただけだよ』

親友のその言葉にワイは何度もうんうんと頷いた。本当に、彼は優しいと思う。ただ、もしワイが勉強を教えて欲しいと頼んだとしても、きっと彼は断るだろうとも思うのだ。実際に頼んだことはないけれど、そんな確信があった。

(きっと、ファイツだから引き受けたんだろうなあ……)

最初こそラクツのことを冷徹な人間なのではないかとも思ったものの、そうでもないのだということにワイはとっくに気付いていた。確かにクールだけれど、彼はちゃんと優しさを持っていたのだ。そんな彼と友達になりたいと純粋に思ったワイは、最近ラクツとメールアドレスを交換した。その際にファイツに気持ちを言わないのかと訊いたところ、静かな声で「言う気はない」と告げられて、ワイは”もったいない”と思った。その気持ちは、今でも変わっていない。

(だってラクツくんってば、ファイツの名前を出すと目が優しくなるし……。本気でファイツを好きなんだろうなあ……)

あの優しい眼差しをしたラクツを思い出して、ワイはまた溜息をついた。あの表情を見てしまった今は、プラチナと彼が話していても2人がカップルであるとはまったく思えなくなったから不思議なものだ。いや、元からそういう関係ではないらしいのだけれど。

『……ちゃん、ワイちゃん?』
「あ、ごめんファイツ。ちょっと考え事してた」

ぼんやりと物思いに耽っていたワイはそう答えて、親友の心配そうな声に大丈夫と返した。『良かった』とホッとしたように言うファイツは、本当に可愛らしい。

「……そりゃあ、そうなるわよね」
『え?』
「あ。ごめん、何でもないの。それより今年の祭のことなんだけど、ファイツも行くでしょう?」
『あ、うん!確か、今年は8月の頭の方だよね?』
「そうそう。今年はプラチナも誘おうと思ってるんだけど、いい?あの子、今まで祭に行ったことがないらしくてさ」
『うん、もちろんいいよ。プラチナさんとサファイアちゃんとワイちゃんと、それからあたしの4人で行くの?』
「それから、ラクツくんも誘おうと思ってるのよ。まだ本人には言ってないけど」
『……えっ?』

ファイツの声は、呆然としたような声色だった。けれどそれに気付きつつも、ワイは構わずに話を続ける。

「サファイアにもプラチナにも訊いたんだけど、2人共いいって言うし……。ファイツが嫌じゃなければ、誘うだけ誘ってみるつもり」
『あの、ワイちゃん……。プラチナさんもいいって言ったの?あたし達、お邪魔じゃないかなあ?迷惑そうな顔とかしてなかった?』
「全然!むしろ、人数が多い方が嬉しいって喜んでたわよ?ファイツはラクツくんがいると嫌になっちゃう?女だけの方がいい?」
『う、ううん……。嫌だなんて、そんなことないよ……?』
「そっか、そうなんだ。じゃあ、誘ってみるわね!」
『う、うん……』

それからワイは親友と少しの間話を続けて、しばらくしてから電話を切った。そしてすぐさま、新しく出来た男友達のアドレス帳を呼び出して、彼宛のメールを送信する。

「ラクツくん、何て返信して来るかしら?」

そう呟いて、ワイはベッドの上に寝転がった。ファイツの恋も応援しているけれど、同時にラクツの恋も応援しているのだ。もしかしたら今度の祭で2人の距離が縮まるかしらなんて思いながら、ワイは再び雑誌を読み始めた。