school days : 082

あたしの幼馴染
幼馴染が自宅に来た翌日、今度はファイツが幼馴染の家にお邪魔していた。「夏休みに入った初日に勉強するなんて頑張るわねえ」と従姉に心配されたけれど、ファイツからすればこの夏休みが成績を上げる最後のチャンスなわけで。大切な幼馴染に協力してもらいながら、ファイツはそれこそ受験生になったつもりで頑張るつもりでいた。この夏休みにどれだけ勉強を頑張れたかで、自分の未来が決まるかもしれないのだ。気合もやる気も充分、ただ睡眠時間は少し足りていないかなと自分でも思うけれど、これくらいの眠気なんてどうとでもなる。今はとにかく勉強に集中しなきゃと、ファイツはあくびが出そうになる度に自分を叱咤した。彼の部屋で勉強を始めてからもう2時間が経過している。貴重な時間を割いて幼馴染に協力してもらっているのに、しかも彼は部活を終えて帰って来たというのに。それなのにあくびをするなんて、彼に対して失礼にも程がある。

「ファイツくん、出来たか?」
「えっと、うん……。あの、採点をお願いします……」
「ああ。少し待っていてくれ」

椅子を借りて、幼馴染に作ってもらった特製の数学のテストを全て解き終えたファイツはラクツにはいと答案を渡した。赤ペンを左手に持ったラクツが手早く採点していく様子を、ファイツはじっと眺めていた。問1、○。問2、×。問3、×……。どう見ても、○より×の数の方が多かった。点数を書いたラクツにテストを渡されて、ファイツはそっと息を吐いた。せめて半分の50点は取りたかったのに、せっかく彼に教えてもらったのに、結局30点しか取れなかった……。

「……どうした?」

俯いたファイツは、その声にゆっくりと顔を上げる。彼に余計な心配をかけたくないのに。だけど、どうしても気分は落ち込んでしまう……。

「な……」

何でもないと言いかけて、しかしファイツは今言いかけた言葉を飲み込んだ。心配をかけまいとそう言ったところで、ラクツにはあっさりと見抜かれてしまうだろう。

(だったら、最初から正直に言った方がいいよね……?)

そう胸中で呟いて、ファイツはラクツの顔を見つめた。ファイツの幼馴染は、口を閉じたり開いたりを繰り返している自分を決して急かさなかった。ただまっすぐにこちらを見つめ返して、ファイツの方から言い出すのをじっと待ってくれている。そんな優しいところは、やっぱり少しも変わっていない……。

「100点満点のテストで、30点しか取れなかったから……。だからね、ちょっと落ち込んだだけだよ」
「……ちょっと?」
「うん……。ちょっとだけ……」

この優しい幼馴染に心配をかけまいと、ファイツは何とか笑顔を作った。だけど、ラクツの眉間にはわずかに皺が寄った。

「ファイツくん、そんなに気を落とすことはない」
「う……」

ファイツは言葉に詰まった。自分では明るく言ったつもりだったのだが、やはりラクツにはしっかり見抜かれてしまっていたらしい。”ちょっと”どころか、ものすごく落ち込んでいたのだ。

「間違うことは、別に恥でも何でもないだろう?」
「で、でも……。あたしは30点しか取れなかったのに……?”何でこんな簡単なテストで点が取れないんだ”とか、”これは前途多難だな”とか……。そう思ったりしてない?」
「何を言っているんだ、キミは。そんなことを思うわけがないだろう」
「ほ、本当?あたしに呆れたりしない?」
「……まったく呆れない、ということはないな」

溜息混じりにそう言われて、ファイツは先程より更に言葉に詰まった。だけど、彼にしてみればそれも当然のことだと思い直す。今は夏休みだけれど、彼は部活で忙しくしていて。それなのに、勉強を教えて欲しいなんていう頼みを引き受けてくれたのだ。それでも自分の数学の出来が良ければまだ良かっただろうに、試しに解いてみてくれと渡されたテストの結果が30点では呆れたくもなるだろう。

「そ、そう……だよね。だって、30点だもんね……」
「ファイツくん、キミは大きな勘違いをしている。ボクは、そう言った意味で呆れると口にしたわけじゃないぞ」
「え?だって……」
「キミの、自分を必要以上に卑下する物言いに少し呆れただけだ。別に30点を取ったことについて呆れているわけじゃない」
「あ……」

ファイツは、思わず口を手で覆った。ついこの間、ラクツに”自分を卑下することを言うな”と言われたばかりなのに。それなのに、自分は思い切りそのような言葉を口にしてしまっていた。ファイツは青ざめて、おそるおそる幼馴染の顔を見た。今度こそ、ラクツに嫌われてしまったかもしれない……。

「……今、何を考えている?」
「そ、それは……」

正直に、”ラクツくんに嫌われたかもしれないと思った”と言ってもいいのだろうか。それともごまかす方がいいのだろうか。正直に打ち明けたら更に嫌われてしまいそうで、口を開けたままファイツは幼馴染の顔を見つめていた。

「”ボクに嫌われたかもしれない”、と。そう考えてはいないか?」
「な……。何で、分かるの……?」
「やはりそうか。何度も言うが、ボクがキミを嫌うことはない。それはあり得ない。それでも信じられないなら、不安に思うのなら、何度でも言ってやる」
「…………」
「ファイツくんが数学が苦手なことはよく知っている。だから、すぐに結果が出なくても焦ることはない。むしろ、ボクは教え甲斐があると思っているくらいだ」
「ほ、本当?」
「ああ」

ラクツの言葉にファイツはホッと胸を撫で下ろした。彼に呆れられていないと分かっただけで、何だか涙が出そうだった。

「今の言葉はキミを気遣って言ったわけじゃない。これは、ボクの本心だ」
「うん……。ありがとう、ラクツくん……。あたし、頑張って勉強するね。せっかくラクツくんが教えてくれてるんだもんね」
「ああ。だが、あまり無理はするな。能率と健康の為にも、睡眠はきちんと取った方がいい」
「え……っ」

頬を押さえて、ファイツはここに来てからの自分の行動を思い返した。自分は一度だってあくびはしていないはずだ。それなのに、どうして彼は分かったのだろう?

「な、何で分かったの?その、あたしが昨日、あんまり寝てないって……」
「顔を見れば分かる。ただでさえ、キミは考えていることを素直に表情に出すしな」
「ワイちゃんとサファイアちゃんには、時々そう言われるけど……。ラクツくんも、あたしが考えてることが分かっちゃうんだ……」
「まあ、ある程度はな」
「…………」

考えていることが顔に出ていると言われてしまって、ファイツはちょっと恥ずかしい気持ちになった。少し俯きがちになりながら、ぽつりと呟く。

「ラクツくんって、何だかお兄ちゃんみたいだね……」
「兄?」
「うん。昨日…ラクツくん達が帰った後で、お姉ちゃんがあたしにそう言ったの。えっと……ほら、ブラックさんに何度か注意してたし……」
「ああ、なるほど。昨日はブラックが随分と迷惑をかけたな。騒がしくしてすまなかった」
「迷惑だなんて、そんなことないよ!」

ファイツは慌てた、実際本当にそう思っていないのだ。ブラックさんは少しも悪くないのだと、必死に幼馴染に説明する。
 
「ブラックさんは、あたしの料理を褒めてくれただけだもん。だから、ブラックさんを怒らないであげてね!」

ファイツがそう告げても、ラクツは言葉を返さなかった。いったいどうしたんだろうとファイツは幼馴染の顔を見て、あることに気が付いた。

(ラクツくん、怒ってる……?)

彼の眉間の皺が、いつもより少し多い気がする。気の所為かとも思ったけれど、何度見ても眉間の皺の数は変わらなかった。自分の思い違いでなければ、ラクツは今怒っている。そして、そうさせたのはファイツ自身なのだ。

「あの……。今、怒ってる……?」
「いや。……別に」

そう答えたラクツの声は、普段より低かった。その声色にびくびくしながらも、けれどファイツは引き下がらなかった。自分の発言の何が彼の気に障ったのかを、どうしても知りたかったのだ。

「で、でも……。ラクツくん、何だかいつもより声が低いよ……?あたしの何がラクツくんを怒らせたの……?」
「怒っているわけじゃない。ただ……」
「ただ……?」
「……いい気分ではない、というだけだ」
「…………」

彼の発言を吟味して、そしてファイツは1つの結論に至った。これ以外に、彼がいい気分ではないと言った原因が思い浮かばなかったのだ。

「ラクツくんって、もしかして……」
「…………」
「ブラックさんと、仲が悪いの?」
「いや、別に。普通だと思うが」
「……え?じゃあ、どうして……?」
「それは……」

そこで言葉を切ったラクツは、じっとこちらを見つめていた。ファイツは頭の中に疑問符を浮かべながら、幼馴染を黙って見つめ返す。

(ラクツくん、どうしたんだろう……?)

彼が自分に対して何かを言いたいのだということは、流石にファイツにも分かる。だけど、ラクツは中々話を切り出さない。困惑したものの、彼が先程そうしてくれていたようにファイツもまた待つことにした。……しかし。

(うう……。でも、すごく気まずいよ……)

ラクツに何を言われるのかが気になる、そして何よりじっと見られているのが気になる。何だか、だんだん顔が赤くなってきたような気がする。それに、心臓もどきどきとうるさい……。

「ファイツくん」
「は、はいっ!」

不意に名前を呼ばれて、ファイツは身を震わせながら返事をした。思わず、背筋をぴんと伸ばす。

「少し、休憩しないか」
「え……?」
「もう2時間も勉強しているだろう?キミの頭は、かなり疲れて来ているはずだ。もちろん、キミが良ければだが」

確かに頭は疲れていたし、彼の提案は正直言ってありがたかった。だからこくんと頷いたのだけれど、ファイツは彼に上手くはぐらかされたような気がしてならなかった。