school days : 078

帰り道
オレンジ色に染まる空の下を友人達と歩きながら、ヒュウははあっと大きな溜息をついた。隣を歩いていたペタシが、不思議そうな顔を向ける。

「どうしただすか?」
「いや、別に。……何でもねえよ、ちょっと溜息ついただけだ」
「だども……。ヒュウ、溜息つくと幸せが逃げるんだすよ?」
「ああ?そんなの迷信だろ」

そんなことないと反論するペタシに負けじと言い返しながら、ヒュウはちらりともう1人の友人を盗み見た。その対象であるラクツは、相変わらず眉間に皺を寄せて黙々と歩いている。別に特別怒っているわけではなく、これが彼の普段の表情なのだ。

「ラクツはどう思うだすか?」
「ボクは信じていない。当人がどう行動するか、だろう」
「はあ……。ラクツも否定派だすか……」

2対1で自分の意見がばっさり切られてしまったからなのか、ペタシはすっかりしょげてしまった。いつものことだけれど、この男は少し大袈裟に受け止めるところがあるのだ。

「お前なあ、そんなに落ち込むなよな。何か、こっちが悪いことした気分になるじゃねーか」
「うう……。ご、ごめんだす……」

ペタシは未だに眉根を寄せながら、それでも素直に謝った。その反応に、ヒュウの頭にはとある人物の顔が浮かぶ。何であいつの顔が浮かぶんだと内心で悪態をつきながら、ヒュウは思い切り小石を蹴飛ばした。勢いよく転がった小石が排水溝の中へと消えていったのだけれど、とある人物のユキの顔は消えてはくれなかった。ユキは、ペタシのように素直な性格はしていない。仮にあの女がペタシの1割でも素直であったなら、ヒュウがここまで苛立つことはなかっただろう。
ヒュウは、またラクツをちらりと盗み見た。ラクツが「気にするな」とペタシに言っているのが聞こえる。その言葉にペタシが嬉しそうに頷くのが見えて、ヒュウの頭にはユキの声が蘇った。昨日もまた、ユキは自分に電話をして来たのだ。それ自体はヒュウも納得しているからいい。「ラクツくんがどれ程素敵な男の子か」と熱く語って来るのも、まあいい。そして、どれ程自分が女磨きをしているかをアピールして来るのも、千歩譲って理解出来なくはない。しかし、「ラクツくんってどんな女の子が好きなのかな」としきりに口にされても困る。実際、ヒュウはそう口にした。寝転んで漫画を読みながら、「知るか」と答えたのだ。ラクツがプラチナとつき合っていないことは知っているが、ラクツの女の好みなんて知らない。第一、そんなことに興味なんてない。

「……ヒュウ。キミは先程から何度かボクの顔を見ているが、何か言いたいことでもあるのか?」
「……別に。んなもんねえよ」

口にした言葉は本当だった、別にラクツに言いたいことなんてない。ユキには「そんなこと言うな」とか「自分で訊け」とか、文句の1つや2つでも言いたいところだが。

(そういや……。オレ、今回は訊いて来てやるって言わなかったな)

新学期が始まって少し経った頃、ユキが自分に電話して来たことをヒュウは思い出した。ラクツがお嬢様とつき合い始めたという噂を真に受けたユキのあまりに落ち込んだ声が何だか気になって、自分から「ラクツに訊いて来てやる」と言ったことをヒュウは今でも憶えている。だけど昨日はそう言わなかった。ラクツの好みのタイプについて尋ねて来たユキの声が、あの時程落ち込んでいなかったからかもしれない。

(やっぱり女って分かんねえ……)

プラチナとつき合っているらしいという噂を聞いて不安になるのは、まあ理解出来る。けれどラクツの女の好みが実のところはどうなのか、あの女は不安にならないのだろうか。もしユキ自身がラクツに尋ねたとして、返って来た答がユキの性格とかけ離れたものだったらどうしようとか、あの女は思わないのだろうか。まさか、ラクツ好みの性格の女に無理やりなるとでも言うつもりなのか。

(……って……。何でオレ、あの女のことなんか気にしてるんだ?)

こんなことを気にするなんてオレらしくない、とヒュウは頭を掻きむしった。あの女、ユキの恋路なんてまったくもって自分にはどうでもいいことなのだ。ラクツの女の好みだって同じことだ。そもそも、ラクツが女に興味があるかどうかすら怪しい。あの子は可愛いとかこの子は美人だとか、そんなことを頻繁に言っているペタシは女に興味津々なのだと分かる。だけど、ラクツがそんな言葉を口にするところをヒュウは目にしたことがなかった。ペタシが騒ぎ過ぎなのか、それともラクツが口にしなさ過ぎなのかは分からないけれど、とにかく”女好きのラクツ”の姿なんてものは、ヒュウにはまったく想像出来なかった。もしそんな場面を目にしたら、何となく胸ぐらを掴んでしまいそうだ。

(まあこいつのことだから、今は女より部活や勉強が優先なんだろうな)

今日で1学期が終わって明日から夏休みが始まるのだけれど、顧問であるシジマが燃えに燃えているおかげでかなりの部活漬けの夏休みになりそうだ。明日から待ち構えているハードな練習の日々のことを思うと、口からは自然と溜息が漏れる。

「また溜息だすね、ヒュウ。悩み事だすか?」
「あー……。明日から部活漬けだと思うと、な。流石に毎日部活があるわけじゃねえし、納得した上で剣道部に入ったんだからまあいいんだけどよ」

ヒュウは頭の後ろで手を組んで、鳥が飛んでいる夕焼け空を見上げた。夕陽に照らされた雲が、それは見事なオレンジ色に染まっている。同じように空を見上げたペタシが雲を指差して、「何だかわたあめみたいだす」とはしゃいだ。

「わたあめって……。お前はガキかよ、ペタシ」
「だども……。本当にそう思っただすよ」

頬を膨らませるペタシを呆れ顔で見たヒュウは、自分の腹の虫が鳴っていることに気付いた。昼食は大量に食べたはずなのだが、部活をこなした上に育ち盛りの所為もあって最近はすぐに腹が減ってしまうのだ。

「なあ、何か食いに行かねえ?オレ、腹減った」
「あ、実はオラもだす!ラクツはどうだすか?」
「ボクは構わないが……」

そう言ったラクツは、唐突にズボンのポケットに手を入れた。取り出した携帯が震えているのがヒュウの目にもよく見えた。

「電話が来た。悪いが、先に歩いていてくれ」
「分かった」

ラクツに言われた通りに、けれど速度を落として歩きながら、ヒュウは隣を歩くペタシと何を食べるかについて議論を交し合った。やっぱりどうせなら美味い物が食べたい。それに加えて量があって、なおかつ安ければベストだ。

「ラーメンがいいだすよ!」
「オレは肉がいい。確か3丁目の焼肉の店は、ちょうど今割引になってるはずだぜ。家にチラシが入ってた」
「わ、割引きだすか!?」
「ああ。学生証を見せれば割引になるらしいぜ。ま、それでもラーメンの方が安いのは事実だけどな」

ペタシは頭に手を当てて、焼肉とラーメンをいう単語を繰り返し呟いていた。食べ物の悩みなら理解出来るヒュウは、ぶつぶつと呟くペタシに何も言わなかった。男子高校生にとって、食べ物の悩みはけっこう重大なのだ。

「う~ん……。ラクツは何が食べたいって言うだすかね……」
「オレじゃなくて本人に訊けよ。っていうか、あいつはまだ電話してんのか?」

口数が少ないラクツにしては随分な長電話なのではないかと思ったヒュウは、後ろを振り返った。それなりにゆっくり歩いていたはずなのに、かなりの距離が開いている。

「あ、終わったみたいだす」
「……そうみたいだな」

電話が終わったのなら先に歩く必要もないだろうと、ヒュウはラクツが追い付いて来るのをペタシと一緒に待った。足早に歩くラクツは、果たして何が食いたいと言うだろうか。焼肉かラーメンか、それとも別の何かだろうか。

「……あ?」

何気なくラクツの姿を見ていたヒュウは、あることに気が付いた。こちらに向かって近付いて来る彼は、どこかが確実に普段と違っていた。何が普段と違うのだろうとヒュウはラクツの顔を見て、そしてその答を理解した。

(ラクツの眉間の皺が、ねえ……)

あの険しい表情をしているラクツに眉間の皺がないなんて、もしかしてものすごく珍しいことなのではないだろうか?ペタシも気付いたのか、目を大きく見開いてラクツを凝視している。

「ラ、ラクツ……。どうしただすか?」
「ヒュウ、ペタシ。すまないが、ボクはこのまま帰る」
「何だよ。何かあったのか?」
「……急用が出来た」

そう言うなり、ラクツは足早に歩き出した。どうやらかなり急いでいるらしく、ラクツの背中はあっという間に視界から消えていった。残されたヒュウは、ペタシと顔を見合わせた。

「ラクツ、何があっただすかねえ……」
「……さあな」
「電話の相手、いったい誰だったんだすかねえ……」

確かにラクツの電話の相手が誰なのか、そしていったい何を話したのか。何故ラクツの眉間の皺がなくなったのかとか、気になることはたくさんある。だけど、そんなことを考えたところで自分には分かるはずがないのだ。空腹だと主張する腹を押さえたヒュウは、ペタシの言葉に「知るか」と答えた。