school days : 072

友達の輪
急に押しかけてごめんなさいと言ったワイに対して、プラチナはいいえと首を横に振った。元気がないというか、どこか思い詰めた表情をしているのは何故だろう。気にはなるけれど、ワイが話し始めるのを待つべきだと思ったプラチナはただワイを見つめていた。プラチナがワイに声をかけられたのは、A組の教室を出たすぐ後のことだった。どうやら自分のことを待ち構えていたらしく、ワイは1人で廊下に立っていた。声を潜めて話がしたいのだと告げたワイの様子が気になったプラチナは、そういうことならとワイと共に校門へ向かった。彼女の話を校内で聞いても良かったのだけれど、運転手に遅れると連絡をしなければならない。それでは彼女も気が引けてしまうかもしれないし、何より落ち着いて話せる場所といえばプラチナには自宅しか思いつかなかったのだ。
本当にお邪魔してもいいのと訊いたワイに二つ返事で頷いて、プラチナは迎えに来ていた車のドアを開けた。運転席に座っていたウージは自分と共に車に乗り込んだワイの姿に目を丸くして、しかしすぐに丁寧な挨拶をした。慌てて会釈をするワイの姿を隣の座席で見ながら、プラチナは心の中で苦笑を漏らした。同じ学校に通っている人間を自宅に招くのは、初めてのことだったのだ。セバスチャンを始めとする使用人達にも大いに驚かれたものの、プラチナはワイと共に無事自室へと入った。それが、数分前のことだ。

(そろそろ、セバスチャンがお茶を持って来る頃でしょうか?)

ソファーに腰かけたまま押し黙っているワイの姿を見つつも、プラチナは声に出さずに呟いた。別に喉が渇いたからというわけではなく、お茶を飲めばワイも少しはリラックス出来るのではないかと思ったのだ。

「あ、あのね……。プラチナ」

プラチナがちらりと扉の方を見たその時、ずっと黙っていたワイが口を開いた。昼食を共にしたのはまだ数回だけれど、ワイがはきはきとした物言いをする人間だということは知っている。しかし、今のワイはどこか歯切れが悪い言い方をしていた。余程言い辛いことなのかと、プラチナは緊張しながらも頷いた。

「……はい」
「アタシ……」
「プラチナお嬢様、ワイ様、お茶とお菓子をお持ちしました」
「きゃあ!」

セバスチャンの声に驚いたのか、ワイは小さく悲鳴を上げた。彼女が自分に対して大丈夫というジェスチャーを行ったのを確認してから、プラチナは扉の向こうに立っているであろう執事に向かって室内に入るように促す。いつも通りに礼儀正しく一礼して入って来たセバスチャンが押しているワゴンの上に視線をやって、プラチナは思わず口に手を当てた。明らかに普段よりお菓子の量が多いのだ、ワイがいるということを差し引いても、これは些か多過ぎなのではないだろうか?

「本日のお菓子は有名店・ミアレのチョコレートでございます。それから、こちらのお茶は老舗であるクノエから取り寄せたものです」

自分と同じく目を丸くしているワイに対してだろう。セバスチャンはお茶を淹れながら、普段はしない説明をした。ワイとプラチナの眼前に音を立てないようにお茶とチョコレートを置いて、入って来た時同様静かな所作でセバスチャンが退室する。再び水を打ったように静かになった部屋で、プラチナはどうしたものかとワイを見つめた。綺麗に積み上げられたチョコレートを見たまま、ワイは身動ぎもせずに黙ってしまったのだ。

(もしかして、気に入らなかったのでしょうか……?)

このチョコレートはプラチナが特に気に入っている店のものなのだが、ワイもそうであるかは分からない。世の中には、チョコレートが嫌いな女性ももちろんいることだろう。もしそうだったとしたら、彼女に悪いことをしてしまったことになる。

「……あの。ワイさん……」
「ねえ、このチョコ……。あの有名なミアレのものだって言ってたわよね?」
「……は、はい」

チョコレートはお嫌いですかと続くはずだった言葉は、ワイにより遮られた。小さく頷くと、ワイは瞳を輝かせてチョコレートを指差した。

「アタシ、一度でいいからこのチョコ食べてみたいってずっと思ってたのよ!……食べてもいい?」
「どうぞ」

ありがとうと返したワイは、興奮した面持ちでチョコレートを口の中に放り込む。どうやら彼女はチョコレートが嫌いなわけではないらしいと、プラチナは心の中でホッと息をついた。

「……美味しい!」
「それは良かったです!まだたくさんあるので、お好きなだけ食べて下さい。……あ、お茶もあるので冷めないうちにどうぞ」
「ありがとう!こっちは老舗のクノエのお茶だっけ?」
「ええ」

ワイがティーカップに口をつけた横で、プラチナもチョコレートに手を伸ばした。包み紙を丁寧に破って、丸ごと口の中に入れる。途端にまろやかな甘さが口内に広がった。やはりこのチョコレートは美味しいと思いながら咀嚼する。

「プラチナって、いつもこんな高級なおやつを食べてるの?」
「ええ、まあ……」
「いいなあ、羨ましい!もしかして、お弁当も高級なものだったりする?」
「ええと……。シェフに作ってもらっていますが……」
「すごい……」

またもや「いいなあ、羨ましい」を繰り返したワイは、先程とは違う種類のチョコレートを摘んだ。しばらくの間無言でチョコレートを食べつつお茶を飲んでいたワイは、やがて大きな溜息をついた。

「……ねえ、訊いてもいい?」

ワイは、持っていたティーカップをソーサラーに置いた。その音が部屋の中に小さく響く。彼女がここに来た本題をいよいよ話すのだと察したプラチナは、思わず身を固くして頷いた。いったい今から何を言われるのだろうか?

「ラクツくんのことなんだけど……」
「は、はい……?」

何故ここで彼の名前が出るのだろう。プラチナはとりあえず相槌を打ったが、嫌な予感がしてならなかった。

「ラクツくんって、本当はファイツが好きなんだよね?」 
「……え?」
「それで……プラチナとは、実はただの友達関係。……これで合ってる?」

プラチナは目を瞬いた。次の瞬間に頭の中は真っ白になった。ラクツに自分達はつき合っていることにして欲しいのだと言われてから、プラチナは自分達の本当の関係が周囲にばれないように密かに気を張っていた。彼には今までと変わりないと言われたけれど、プラチナからしてみればそんなことはなかった。間違ってもラクツの想い人であろうファイツに彼の気持ちをうっかり言わないようにしなければと思った。そして自分が気を張っていることをラクツにばれないようにしなければとも思った。プラチナが勝手に気を張って、そして勝手に1人で悩んでいるだけなのだ。いつも眉間に皺を寄せていて、だけど優しい彼に、心労をかけたくなかったのだ。それなのに、まさかワイに知られてしまうなんて。不覚でしたと、プラチナは臍を噛んだ。自分達の本当の関係がばれるとしたら、それは自分に原因があるに違いない。いったい何故ばれてしまったのだろう?

「……やっぱり、そうなんだ」
「…………」

プラチナはワイの問いに答えなかった。ただ沈黙していただけなのだけれど、その反応で彼女には充分だったに違いない。何度も頷きながら、ワイはそっと目を瞑った。

「あ、あの……。どうして……。どうして分かったのですか……?その……。ラクツさんが、ファイツさんのことをお好きだと」

どうやってもごまかしようがないと悟ったプラチナは、声を震わせながら尋ねた。自分のどこに落ち度があったのかを、どうしても知りたかったのだ。

「話せば長くなるけど、いい?」

そう前置きした後にワイは話してくれた。本当に何となく、ファイツの幼馴染が彼女を好きなのではないかと思ったこと。その幼馴染がラクツであると知って、ファイツを傷付けた彼を赦せないと思ったこと。文句を言いにラクツの元を訪れたはずが、彼の本当の気持ちを知ってしまったこと……。

「……と。まあ、そういうわけなの」
「そう、だったのですか……」
「アタシ、ラクツくんに言っちゃったんだよね。”プラチナっていう彼女がいるのにファイツが好きなの?”って。そうしたら、”プラチナくんとはそういう関係じゃない、彼女も了承済みのことだ”って言われたから。だから、どうしても今日中にプラチナに訊いておきたくて」

ごめんねと謝ったワイに、プラチナはとんでもないと首を横に振った。実際、迷惑だなんてちっとも思っていないのだ。

「ラクツくんって、いつからファイツのことが好きなのかは知ってる?」
「さあ……。私もそこまでは知りません。ですが、おそらくは以前からお好きなのではないかと思っているのですが」
「そうなんだ……。実はプラチナとファイツのことを同時に好きとか、そういうんじゃないのよね?」
「まさか!ラクツさんはそのような方ではありません!」

あくまで友人としてだけれど、プラチナは彼のことが好きだった。彼の評判が悪くなるのは嫌だと、ワイの言葉を先程より激しく否定する。

「どうか信じて下さい、ワイさん!私達は、決して交際しているわけではないのです!」

あまりに首を勢いよく振ったので髪が大いに乱れたけれど、そんなことは今は気にしていられなかった。それでもしばらくの間、ワイはこちらを疑うような目付きで見ていたものの……ふっと微笑みを漏らした。

「うん……。分かった。プラチナの言葉をアタシは信じるわ」
「本当ですか!ああ、良かった……!」
「ラクツくんっていつも眉間に皺を寄せてるし、ファイツを無視して傷付けたし……。頭はいいけど冷たい人間なのかなって思ってたんだけど、やっぱりそれはアタシの誤解みたいね」
「ラクツさんは本当に優しい方なのです。ファイツさんには好きな殿方がいると言っていました。ファイツさんを困らせたくないから告げる気はない、とも……」
「……ラクツくん、そのことは知ってるんだ。……そうよね、あの子ってかなり分かりやすいし」

そう呟くと、ワイははあっと溜息をついた。額に手を当てて、そっと目を伏せる。

「ラクツくんが本当に好きな女の子は、ファイツ……。ああ、でも困ったな……。アタシ、ずっとファイツの恋愛を応援して来たのよね……。でも今の話を聞いたら、ラクツくんのことも応援したくなっちゃった……」
「実は私も、ずっと悩んでいたのです。でも、私達が出来ることは現時点では何もないと思います」

ムーンにメールを送った数分後に彼女から返信が来たのだけれど、そこには黙って見守る他にないと思うと記載されていたのだ。やはりそうする他にないと、プラチナは肩を落とした。エリカにも相談しようとして、しかし結局それは断念した。例えエリカに同じメールを送ったとしても、同じ文面が返って来るような気がしたのだ。

「うん……。そう、よね……。ああ、アタシったら余計なことを言っちゃったなあ……。おまけに、ファイツのことも困らせちゃったみたいだし」
「え。……そうなのですか?」
「……うん。アタシ、頭に血が上っちゃって。ラクツくんについ怒鳴っちゃったんだけど、そのことがちょっと噂になってるみたいなのよ。アタシは言ってないんだけど、ファイツは既にそのことを知ってたみたいだから。多分あの場にいた誰かが広めたんだわ」
「きっと、赦して下さると思います。何しろ、ファイツさんはワイさんの友人なのですから」
「……プラチナのことも、アタシはもう友達だと思ってるけど」

少しの沈黙の後に言われた言葉に、プラチナは目を見開いた。慌ててワイの方を見ると、彼女は拗ねたような表情をしていた。

「それとも……。そう思ってるのはアタシだけ?」
「い、いいえ!光栄です!ワイさんは私の友人……。ああ、何て素晴らしいのでしょう!」
「サファイアと、それからファイツだって…。アタシと同じ考えだと思うけど」

ワイの言葉に、プラチナはそうだといいのですがと返した。そして、胸にそっと手を当てる。ポケスペ学園に入学してからというもの、プラチナには待ち望んでいた友人が出来た。ラクツにダイヤモンドにパール、そしてワイ……。友達の輪は確かに広がっていて、そのことがとても嬉しかった。何だか涙が出そうだった。

「あの……。ワイさん」
「……ん?何、プラチナ」
「その……。これからも、どうかよろしくお願いします」

プラチナは礼儀正しく一礼をした。ワイは「真面目ねえ」と言いながらも、しっかりと頷いてくれた。その表情に表れているのは呆れと、そして輝かんばかりの笑みだった。