school days : 068

きあいだめ
いくら勉学より部活動を優先するサファイアといえど、流石にテスト直前にもなると真面目に勉強する。そんなわけでサファイアは隣のB組へと赴いて、親友のワイと一緒に最後の確認をしていた。しかし最初こそ互いに問題を出し合っていたものの、次第に話題がテストから関係のないものへとずれていき、結局2人はいつも通りにお喋りを始めていた。一応机の上には教科書を開いているのだが、その実ただ眺めているだけだったりする。自分達はまだ高校2年生なのだ。受験生になる来年ならともかく、今はそこまで勉強に力を入れる必要はないと思っている。サファイアがそう告げたら、教科書を睨んでいたワイはあっさりと教科書を閉じた。ワイもワイで、テスト当日にじたばたしても仕方がないという見解らしい。だからサファイアは、遠慮なくワイとの話に花を咲かせていた。

「1時限目から数学なんて最悪ねえ……。早くテストが終わらないかしら……」
「そうったいね……」

憂鬱そうに呟かれた言葉に、サファイアは全力で頷いた。テストはテストでも体力測定ならいいのだけれど、頭を使う方は昔から苦手なのだ。

「それにしても眠そうね、サファイア。また一夜漬け?」
「ふああ……。そうったい……」

大あくびを噛み殺しながらサファイアは頷いた。ごしごしと目も擦ったのだが、眠気は全然覚めてくれない。昨晩は遅くまで勉強をしていたので眠くて堪らなかった。グラウンドを思い切り走ることさえ出来れば眠気なんてすぐに飛んでくれるのだけれど、テスト前ではそれも叶わない。そのあまりの眠さに、テスト中に寝てしまうのではないかという心配すらしてしまう。

(すまんち、ルビー……)

再び目を擦りながら、サファイアは心の中でルビーに手を合わせた。テスト勉強をしている時にどうしても分からないところが出て来たので、ルビーに電話して乗りきったのだ。その際テストとはまったく関係ない話をした為に、自分が思った以上の長電話になってしまったことを思い出す。いつものことだから気にしないでいいよと言ってくれたものの、ルビーも今かなり眠いのではないだろうか?ルビーとは隠れてつき合っているサファイアにとって、秘密を他の人間に知られるわけにはいかない。その為彼の元へ行って様子を確かめることも出来ず、サファイアはそわそわと落ち着かない気分で教科書を眺めた。

「ねえサファイア。今何を考えてたのか当ててみせようか?」
「え?」
「ずばり、ルビーくんのことでしょ?」
「ワ、ワイ!……声が大きいったい!!」

ルビーくんのところだけ声を潜めたワイに、顔を真っ赤に染めながらも抗議をする。誰かが聞き耳を立ててやしないかと辺りを慌てて見回したものの、その心配はどうやら杞憂に終わったらしい。テスト前である為に最後の追い込みをしている者もいるのだけれど、自分達のように友達とお喋りをしている人間の方が大多数だったのだ。

「ごめんごめん。サファイアが可愛くて、つい」
「酷いったい……」

じろりとワイを睨んでは見たものの、実のところ本気で睨んだわけではなかった。ワイが友達を大事にする子だということは、サファイアもよく知っているのだ。今しがた自分をからかったのも周りがざわついていたからで、話し声が聞こえる状況だとしたら絶対にしなかったに違いない。だけどそうだと分かっていても恥ずかしさは簡単には収まらなくて、サファイアは軽く頬を膨らませた。お返しとばかりにワイの幼馴染であるエックスの名前を口にする。

「ワイこそ、エックスに勉強ば教えてもらったんじゃなかと?」
「ん?全然そんなことないわよ。アタシが教えて欲しいって頼んでも、ただで教えてくれた試しがないのよ。頭はいいんだから、教えてくれてもいいのに!」

鬱憤を晴らすように拳をごつんと窓にぶつけたワイは、エックスへの文句を言い連ねた。けれどワイがエックスを嫌っていないことをよく知っているサファイアは、彼女の話を微笑みながら聞いていた。

「まったくエックスは昔からさあ……。……何よサファイア、その楽しそうな顔は」
「別に何でもないったい。……あ、ファイツが来たとよ!」

話を逸らす為にファイツの名前を出したわけではなく、本当に彼女の姿がサファイアには見えたのだ。他の生徒達に混じって校舎に向かうファイツを窓越しに見下ろしたサファイアは、ふとあることに気が付いた。

「……あれ?ファイツ、何だか表情が違うったい」
「表情が違うって?」
「うーん、上手く言えんけど……。ファイツば、いつも数学のテストの時は落ち込んでる顔してるやろ?」
「ああ、そういえばそうね……。何ていうか……この世の終わりみたいな、そんな表情してるよね。まあアタシも数学が苦手だから、その気持ちはよく分かるけど」
「やけん、今はそんな表情ばしてなかとよ」
「……本当?」

ワイは窓に顔を近付けて自分と同じように校庭を見下ろしたが、しばらくして首を横に振った。

「ファイツの姿は何とか見えたけど、表情までは全然見えないわ……。やっぱりサファイアって目がいいよね、確か両目とも2.5でしょ?」
「うん!でもルビーはまた視力が落ちたらしいやけん、新しく眼鏡を作るって言ってたとよ」

ルビーは裁縫のし過ぎで目が悪いのだ。昨晩電話した時に「また視力が落ちたよ」と言っていたのだけれど、その声には溜息が混じっていた。とはいえ然程深刻そうな声色ではなかったから、多分それ程大きな問題ではないのだろう。

「ふーん……。あ、そうだ。新しいと言えば、つい最近新しくカフェが駅の反対側に出来たんだって。ユキ達が早速行って来たみたいなんだけど、結構良かったらしいわよ。だから、ファイツも誘って行ってみようよ!」
「良かよ!」

サファイアもワイも、そしてファイツも甘いものは大好きなのだ。テストが終わってからの方がいいわよねと尋ねたワイに、少しだけ考えてからサファイアは頷いた。

「そうったいね……。あたし達は今日でも大丈夫だけど、それじゃあファイツが困るったい」
「うん……。ファイツったら、すごく勉強頑張ってたもんね。本当、来年こそはA組に入れるといいよね」
「あんなに頑張ってるファイツが入れないのはおかしいったい!」
「そうよね……。英語だったらファイツの力になれるんだけどなあ……。でもあの娘が一番苦手な科目って、よりによって数学でしょ?あーあ、何で数学ってこの世にあるんだろう……」

不機嫌そうに頬杖をついて、ワイが愚痴を漏らす。選択式の問題ならまだしも、数学は答と途中の式も解答欄に記述しなければならないのだ。これでは得意の勘で答える戦法も役に立たないし、何よりファイツの力になれない。歯痒い思いをしながら、サファイアはワイを見つめた。その時ふと気配を感じて振り返ると、ファイツが教室へ足を踏み入れるのがサファイアの視界に映る。勘がいいのは色々と役に立つのだが、数学のテストの時にも役立って欲しいとサファイアは思った。早歩きで自分の席に向かうファイツに、憂鬱な気分を吹き飛ばすかのように明るく声をかける。

「ファイツ!おはようったい!」
「……あ、サファイアちゃん。それにワイちゃんも……おはよう!」
「…………」

サファイアの挨拶に、ファイツもまた笑顔でおはようと返した。その表情には暗いものはまったく見られなかった。サファイアは思わずファイツの顔を見つめる。

「えっと……。2人共、どうしたの?」

ファイツの言葉で、サファイアは隣にいるワイも自分と同じ行動をしていることに気が付いた。数学のテストの日のファイツをよく知っているだけあって、今の彼女の表情にワイも酷く驚いたらしい。穴の開く程、ファイツの顔をまじまじと見つめている。

「……あたしの顔に、何かついてる?」
「……あ。ううん、別に何でもないの。それよりファイツ、今度の日曜は空いてる?3人で新しく出来たカフェに行かない?」
「うん、いいよ。そのお店ってどこにあるの?」
「駅の反対側。パフェもあるし、ケーキも美味しいんだって」
「本当?……楽しみ!」

嬉しそうに呟いたファイツは自分の机の上に鞄を置いて、そこから数学の教科書とノートを取り出して勉強をし始めた。その様子を少し離れたところから見つめていたサファイアに、ワイがそっと近付いて耳打ちをする。

「……ねえ、サファイア。やっぱり今日のファイツって、いつもと違うよね?今日は数学のテストの日なのに、全然落ち込んでないし……」
「そうやね。どぎゃんしたんやろうか……?」
「さあ……。今度カフェに行った時に訊いてみる?すごい気になるけど、今のファイツには訊けないものね……」
「……そうったいね」

どういうわけか、今日のファイツは数学の日だというのに落ち込んではいなかった。それはいいのだけれど、何故だか不安になったサファイアはぶるりと身震いした。何だかファイツが変わってしまったような、そんな気すら覚えてしまい、それはもう勢いよく首を横に振る。

「ど……。どうしたの、サファイア?」
「な、何でもないとよ。ちょっと不安になっただけったい!」
「そうよね……。アタシ達も頑張らなくちゃね、数学」
「……うん」

ワイの言葉ですっかり現実に引き戻されたサファイアは、ワイと同じタイミングではあっと深い息を吐いた。隣にいる親友と行動が被ったことがおかしくて、思わず2人同時に吹き出す。

「……あ。もう時間ったい、教室に戻るとよ」

騒がしい教室の中でもはっきりと予鈴のベルの音を聞き分けたサファイアは、教科書とノートをしっかりと掴んで歩き出した。

「そっか。……テスト頑張ろうね、サファイア!」
「うん!」

ワイにぶんぶんと手を振り返して、サファイアはC組を目指して駆け出した。いつの間にか、眠気はすっかり覚めていた。これならばテストも何とか乗り切れそうだと、サファイアは拳を強く握り締めて気合を入れた。