school days : 066
風のように駆け出して
やっぱりここにいたと思いながら、捜し人の姿を見つけたパールは目的の人物に近付いた。既に制服から体操着へと着替えていたサファイアに声をかける。「ようサファイア。調子はどうだ?」
期末テストが近付いているのだけれど、調子というのはもちろんテスト勉強のことではなくて陸上部のタイムのことだ。それをちゃんと分かっているサファイアは、実に元気良く答えた。
「悪くないったい!パールこそどうね?」
「んー……。オレもそこそこかな。まあ、昨日のタイムは自己ベストには届いてなかったけどさ。……なあ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、今大丈夫か?」
「訊きたいこと?」
「ああ。今すぐ走りたいんなら別にいいんだけど」
そうサファイアに尋ねておきながら、パールは彼女が頷くことをひたすら願った。祈りが通じたのか、首を縦に振った彼女の反応に心底安堵して、パールはサファイアを連れてその場を後にする。いくらテスト前で陸上部の部活がないとはいえ、サファイアを筆頭に自主練習を行う熱心な者は今日もいるのだ。現に今も、ちらほらと陸上部の仲間達が練習を行っている。そんな中でのんきに立ち話をするのは、せっかちであるパールといえども気が引けてしまう。
(部室前ならいいかな)
ここなら誰の邪魔にもならないし、同時に邪魔も入らないだろう。そう思ったパールが口を開く前に、サファイアが待ちきれないとばかりに尋ねる。
「で、話って何ね?」
「ああ、いや……」
パールは、サファイアとは仲がいい。そうだとはいえ同じ陸上部の仲間でしかないわけなのだが、女子と2人きりというのは何となく照れ臭いものがある。だけどサファイアは異性と2人きりという今の状況を気にもしていない様子で、八重歯を見せながらじっとこちらを見つめて来た。何ともサファイアらしいその反応に苦笑しつつも、すぐに真面目な顔付きになったパールは話を切り出した。そう、これは真面目な話なのだ。
「話っていうのはさ、その……お嬢さんのことなんだけど」
「……お嬢さん?」
「ああ……。えっと、プラチナお嬢さんのことだよ」
パールは普段、プラチナのことを名前で呼ばない。最初にお嬢さんと呼んで以来、それからずっとお嬢さん呼びを通しているのだ。もちろん、彼女がいわゆる高飛車お嬢様ではないことは充分に理解している。それでも自分とは天と地程の差もあるプラチナの身分を思うと、そうそう気安く呼び捨てに出来なかった。ちなみに親友のダイヤモンドはお嬢様呼びだ。ダイヤモンドも、プラチナのことを名前で呼んだことはおそらくないに違いない。
(何ていうか……照れるな)
普段呼び慣れていない所為なのか、先程サファイアに感じた照れ臭さより数倍恥ずかしい。パールは気を紛らわせるかのようにガリガリと少し大袈裟に頭を掻いた。
「……で。プラチナがどぎゃんしたと?パール」
人懐っこいが故か、それともやはり性別の差なのか。もしくはそのどちらもあるのだろう、サファイアはあっさりとプラチナを名前で呼んでみせた。それが出来ないパールは感心しつつ、表には出さないようにして話を続けた。
「それがさあ……。最近、どうもお嬢さんが元気がないみたいなんだ。ここんところ、サファイアってお嬢さんと昼飯食べてるらしいじゃん。何か知らないか?」
初めて同い歳の女子生徒と昼食を食べたのですと、この前家庭科室で興奮気味に語って来たプラチナの顔を思い出す。いくら自分達がプラチナの友人だといっても、そこはやはり男女の差が邪魔をするわけで。パールももちろんダイヤモンドも、プラチナと昼食を食べたことなんて一度たりともなかった。プラチナがそれについて何か言って来たことはないけれど、やはり淋しかったのだろう。あの時の彼女は、それは嬉しそうだった。
だから、傍にいたダイヤモンドと共にパールは良かったなと返したものだ。プラチナと昼食を共にした3人の女子生徒の名を聞いて、パールは納得した。人懐っこくて、明るいサファイア。それにサファイアの友人の、これまた明るいワイ。最後のファイツという女子についてはおとなしいらしいという以外に何も知らないけれど、とにかくワイとサファイアがいたなら安心だとパールは思った。ワイとは数回話した程度の関係でしかないのだが、それでも彼女が面倒見がいい性格をしていることはよく分かった。あまり口数が多い方ではないプラチナに明るく話しかける、サファイアとワイ。そんな光景が簡単に想像出来て、パールは笑った。本当に良かったなと、プラチナに重ねて告げたのだ。
だけど、ありがとうございますと答えたプラチナの表情はどこか暗くて。おまけにはあっと溜息をしきりにつく姿が、パールはどうしても気になってしまった。それはダイヤモンドもまったく同じだったらしい。2人で話し合った結果、ダイヤモンドがプラチナ本人に直接的に、そしてパールがサファイアから間接的に。とにかく、プラチナの元気がない原因を突き止めようと決めたのだ。確かに好奇心もあるけれど、それ以上に友人としてプラチナの悩み事をなくしてやりたかったのだ。
しかしそんなパールの思いとは裏腹に、サファイアは首を横に振った。言うまでもなく、知らないというサインだ。本当にすまなそうな表情で、嘘をついているようにも見えなかった。
「すまんち。知らないったい」
「そっか……。いや、分からないならいいんだ。もしかしたら、オレ達には言えない事情があるのかもしれないしな。ほら、お嬢さんの家ってすっげえ名家だし」
「名家……。ベルリッツ家ったいね」
「ああ。普段どんな旨い飯を食ってるんだろうな?」
パールは明るい声を出したが、心の中には確かな落胆があった。しかし、本当に知らないであろうサファイアに当たるわけにもいかない。溜息をつかないように気を付けながら、パールはサファイアの「気になるとよ」という言葉に頷いた。
「あたし達と食べてた時は、お弁当を持って来てたけん。綺麗なお弁当箱やったとよ」
「ふーん……。そうだよなあ、お嬢さん専属のシェフとかいそうだよなあ……」
「羨ましいったい」
素直にそう呟いたサファイアの反応に笑って、パールは携帯を鞄から取り出して時刻を調べた。サファイアをここに連れて来てから、それなりの時間が経過している。
「ありがとうな、サファイア。ダイヤがお嬢さん本人に訊いてるはずだから、後で結果を訊いてみるよ」
「分かったったい。そういえば、パールは今日は走らんと?」
「ああ……。そうしたいのはやまやまだけど、昨日走ったしな。そろそろテスト勉強しないと、赤点取りそうだし。今日はおとなしく帰る」
「頑張るったい、パール!」
言うが早いが、サファイアはグラウンドに向かって元気良く駆け出した。パールもまた、この場をすぐに後にする。
「……よし、今日は家まで走るか!」
サファイアのように思い切り走れば、この憂鬱な気分も晴れるかもしれない。そうなればいいと思いながら、パールは校門を目指して急ぎ足で歩いた。