school days : 056

白金の輝き
ワイに再度「幼馴染が誰なのか教えて」と言われたものの、ファイツは頑として首を縦に振らなかった。ラクツに無視をされた事実に悩まされたとはいえ、それは自分の為を思ってくれての行動だったのだ。もうしないと約束してもらったし、ファイツは既に納得している。心配をしてくれている親友に隠し事をするのは気が引けるけれど、どうしても彼の名前は口に出来なかった。自分の所為で彼が責められるのは、どうにも嫌だったのだ。
そんな自分の頑なな態度にとうとう諦めたのか、ワイは深い溜息と共に「分かったわ」と言葉を発した。もう追及しないから安心してと告げられて、ようやくファイツは安堵することが出来た。けれどそれも束の間、今度は別の悩みに頭を悩ませることとなった。即ち、借りたタオルをいつ返そうかという問題だ。以前タクシー代を返した時のように、放課後になってから部室まで行くのが確実なのだろう。しかし、わざわざそこまで行かずとも彼は隣の教室にいるのだ。なるべくなら早く返したかったファイツは頭を悩ませた結果、休み時間になる度にAクラスの教室の側に立ち尽くすという行動を数回繰り返していた。 

(どうしよう……。Aクラスの人にラクツくんを呼び出してもらうのが一番なんだろうけど……)

それとなく様子を窺うも、けれど結局は中にいる誰かに声をかけることも出来ずにすごすごと自分の教室に帰るしかなくて。何をするでもなくただぽつんと立ち尽くしている姿は、やっぱり奇異の目で見られるらしい。通り過ぎて行く何人かの生徒に不思議そうな目線を向けられるのはこれで何度目だろうか?
人一倍周りの目を気にするファイツがそのことに何も思わないわけがない、けれど隣の教室にいる幼馴染を呼び出して欲しいのだと誰かに声をかけることも出来ない。流石に臆病過ぎて、自分がほとほと嫌になってしまう。自然と目線が足元に向いてしまい、ファイツははあっと息を吐いた。  

「……あの」
「どうしよう……」
「……どうされたのですか?」
「それは……。……え?」

突如として耳に入って来た声に何気なく答えてから、ファイツは瞳を瞬かせた。俯いていた顔を上げると、怪訝そうな顔をした女子生徒と視線が合う。直接話すのはこれが初めてなのだけれど、ファイツもその女子生徒の名前は知っていた。ラクツの彼女である、プラチナ・ベルリッツだ。

「…………」

プラチナの顔を凝視したまま、ファイツは息をすることも出来ずに固まっていた。彼女の美貌に見とれていたのだ。

(すごく綺麗な人……)

本当に、何て綺麗な人なんだろうとファイツは思った。まず目を惹くのはそれは見事な黒髪だ。まるでシャンプーのCMに出ている芸能人のように、毛先まで手入れが行き届いている。光の加減で時折青色が混じって見えるその黒髪を見て、ファイツの唇からは自然と溜息が漏れた。自分だって手入れをしていないわけではないものの、それでもプラチナのそれは艶やかな髪の毛に比べたら明らかに見劣りしてしまう。無意識に自分の茶色い髪の毛に手をやっている自身に気付いて、ファイツは慌てて手を離した。そうだ、今はこんなことをしている場合ではないのだ。

「あ……」
「…………」
「…………」

ラクツくんを呼んで来てもらえますかと、たった一言頼めばいいのに。それなのに声が上手く出て来なくて、ファイツはただただプラチナの顔を見つめた。先程から黙っていたプラチナの唇が動いたのが見えて、びくりと身を震わせる。

「あなたは、あの時の……」
「……え?」

呟くようにそう言われた言葉を聞き取って、ファイツは何とも間の抜けた声を出した。早く用件を言って欲しいと彼女に告げられるものとばかり思っていたのに、予想外にもプラチナは自分のことを責めなかった。それどころか、彼女は口元に笑みを浮かべていた。

「やはり、あの時の方なのですね!」

何故か嬉しそうな様子で言葉を紡ぐプラチナは、音を立てずに両手を合わせた。その拍子に、それは見事な黒髪がさらりと揺れる。

「あ、あの……?」

プラチナの様子を目にしたファイツは困惑した。彼女の言う「あの時」がいったいいつのことなのかが、さっぱり分からないのだ。自分が憶えていないだけで、実は接点があったのだろうか?もしそうだとしたら彼女に申し訳ないと、ファイツは意を決して息を吸った。

「あの……。私はプラチナ・ベルリッツと申します」

彼女の発言の意味を尋ねようとしたまさにその時、プラチナが丁寧なお辞儀と共に名を名乗った。ファイツも慌ててお辞儀を返したものの、自分のそれは何だか酷く不恰好に思えた。

「よろしければ、あなたのお名前を教えてくださいますか?」
「え……?ファ、ファイツ……です……」

どうしてそんなことを訊くのだろうと思いつつ、ファイツは自分の名前を口にした。緊張している所為かどもってしまい、内心で溜息をつく。けれど、プラチナはそれを微塵も気にしていない様子で微笑んだ。

「まあ、ファイツさんと仰るのですね!素敵な名前です!」
「あ、ありがとうございます……」
「実は、以前からあなたと話をしてみたいと思っていたのです。ですから、それが叶って嬉しいです!」
「……え?」

プラチナは声を弾ませてそう告げた、言葉通り本当に嬉しいと思っているのだろう。だけど、ファイツはそっと目を伏せた。そしてとうとう、先程から頭の中で膨らんだ疑問を口にする。

「どうして、あたしのことを……?」
「上手くは言えないのですが……。あなたのことを校内で見かけた時から、気になっていたものですから。もちろん変な意味ではなく、純粋に話をしたいと思っていただけなのですけれど」
「…………」
「あの……。ご迷惑、でしたでしょうか……?」
「い、いいえ!」

眉根を寄せて瞳を曇らせるプラチナを見たファイツは、勢いよく首を横に振った。実際、そう告げられても嫌悪感は抱かなかった。それに、迷惑とも思わなかったのだ。

(何となく気になっただけ、なのかな?それにしても、本当に綺麗な人……)

ファイツの言動に安堵したかのように、プラチナは「ホッとしました」と言って胸を撫で下ろした。そんな何気ない所作でさえ、彼女が行うと何となく気品が感じられてしまう。

「……あの。不躾ながら、お願いがあるのですが」
「え?……は、はい……っ」
「また、私と話をしていただけないでしょうか?」
「えっと……。その、あたしで良ければ……」
「本当ですか!ありがとうございます、ファイツさん!」

再び一礼したプラチナは、花が綻ぶように笑った。そんなプラチナを、ファイツはただただ綺麗な人だと思った。