school days : 055

幼馴染談義
幼馴染であるラクツに冷たくされていた事実は、思った以上に自分の頭を悩ませていたらしい。それが解決した今、ファイツの心はまるで澄み切った空のように晴れていた。もちろん心の中にある不安が全て解消されたわけではない。成績を筆頭に、様々な悩みは尽きないのだけれど。だけど、それでも昨日に比べればずっと気持ちが楽になった。

(本当に……。本当に、良かった……)

机の上に頬杖をついて、そっと安堵の溜息をつく。昨日も同じことを思ったものだが、やっぱり勇気を出して良かったとファイツは思った。何度だって、そう思ってしまう。

(また……。また、前みたいに話が出来るといいなあ……)

もちろん、ラクツにはプラチナという彼女がいることはファイツだって知っている。周囲の恋愛事情には割と疎い方であるファイツだけれど、おそらくは学年一有名なカップルではないだろうか。……もしかしたら、学校一有名かもしれない。そんな2人の仲を引き裂く気は微塵もない、そもそもそんな度胸は自分にはない。ただ、以前のように幼馴染として彼と話が出来ればいいなと思っているだけなのだ。
そんなことをぼんやりと考えていたファイツは、こちらに近付いて来た人物に気付いて我に返った。顔を上げると、心配そうに眉根を寄せたワイが自分を見下ろしているのが目に入る。

「おはよう、ワイちゃん」
「うん……。おはよう、ファイツ」

ワイにしては珍しいことに、言葉を発するまでに少しの間があった。どうしたんだろうと思いながらもそれを指摘せずに彼女の顔を見つめていると、ワイは躊躇う様子を見せながらも口を開いた。

「……ファイツ。何かあったでしょう?」
「……え?」

それは確認ではなく、断定の言葉だった。確かにワイの言う通り、昨日”何か”あったわけなのだけれど。ファイツが何も言えないでいると、ワイは先程より更に表情を曇らせてそっと尋ねて来た。

「例の幼馴染のことで、そんなに悩んでるの?」
「え……?ち、違うよワイちゃんっ!」

そんなに悩んでいる表情をしていたのかなと思ったものの、今はのんきにそれを尋ねている場合ではない。それより先に言うべきことがあると、ファイツは必死に首を振ってワイの言葉を否定した。

「あ、あのね……。えっと……彼とは仲直りしたのっ!」

別に、ラクツとは喧嘩をしていたわけではない。だから仲直りという物言いは正確ではないが、それに対しての突っ込みはなかった。

「……え?」
「ちゃんと、話せたから。だから、もう大丈夫だよ」
「本当に?」
「本当だよ!」

何度も首を縦に振って頷いてみせると、ワイは長い息を吐いた。「ぼんやりしてたから心配しちゃった」と言って、ようやく顔を綻ばせる。

「ごめんね、心配かけて」
「謝られるようなことじゃないけど……。でも良かったね、ファイツ!」
「ワイちゃんとサファイアちゃんが、あたしの相談に乗ってくれたおかげだよ。本当にありがとう、ワイちゃん!」
「どういたしまして。その人と仲直りしたのは、昨日?」
「うん。帰り道でたまたま会ったから、思い切って声をかけてみたの。無視をされたくないって伝えたら、もうしないって約束してくれて……。あたし、ホッとしちゃった」
「そっかあ……。本当に良かったね!」
「うん!」

にこにこと笑っていたワイは、けれどふと何かを考え込むように黙り込んだ。ファイツが様子を見守っていると、ワイは急に声を潜めて耳打ちをした。

「……ねえ、その人ってどんな感じの人なの?何だかアタシ、前から気になってて」
「……え?えっと……」

ワイに訊かれたファイツは、自分の幼馴染について素直に想いを馳せた。昨日の夕食の時に従姉に言われた、”ラクツくんって大人びているわね”という言葉が頭を過ぎる。

「……すっごく大人びてる人、かなあ……。同い歳だけど、何だかお兄ちゃんみたいに感じる時があるんだ」
「そうなの?」
「うん。それに、優しい人なの。昨日だってあたしをわざわざ家まで送ってくれたし、傘とタオルも貸してくれたし。あたし、昨日は傘を忘れちゃったから」
「え?家の方向が同じとかじゃなくて?」
「……多分、違うと思う……」

ホワイトと話した後、すぐに踵を返したラクツの姿をファイツは思い浮かべる。正確な場所は憶えていないが、彼は相当な回り道をしたのではないだろうか?

「それなのに、わざわざ送ってくれたんだ。……確かに優しい人かも」
「うん……」
「いいなあ、そんな大人びて優しい幼馴染がいて。エックスなんて、家まで送り届けてくれたことなんて1回もないわよ?……まあ、お隣さんだから当たり前なんだけどさ」
「えっと……。でも、エックスくんはワイちゃんに対して自然体で接するでしょう?それって、すごくいいことだと思うけど……。ほら、遠慮がないってことだし」
「アタシ達はただの腐れ縁よ、腐れ縁!ファイツだってその人の前では自然体のままでいられるんじゃないの?」
「……どう、なのかなあ……。確かに昨日は普通に話せたけど、周りに人がいたら話しかけられないかも……」

その言葉に、ワイは納得したように「周りの目を気にするもんね、ファイツって」と続けた。まったくもってその通りなので、特に反論することなく頷いた。

(……あ、そうだ。借りたタオルをどうやって返せばいいんだろう)

ラクツは返すのはいつでもいいと言ってくれたけれど、そういうわけにもいかない。傘はまだ乾いていなかったので今日は持って来ていないが、借りたタオルは昨日の内に洗濯して鞄の中にきちんと入れてあるのだ。もちろんファイツとしては直接手渡しで返すべきだと思うものの、彼は隣の教室にいるわけで。そうなれば当然、誰かに呼び出してもらわなければならない。たったそれだけのことなのだけれど、人見知りが激しいファイツにはかなりのハードルなのだ。

「どうしようかなあ……」
「何が?」
「あ、彼に借りたタオルをいつ返そうかって思って……。部室に行けば直接渡せるかなあ……」
「部室、って……。ファイツの幼馴染って、もしかしてこの学校の人だったりする?」
「うん。……あれ?あたし、言ってなかったっけ。ワイちゃんもサファイアちゃんも知ってる人だよ」
「嘘!……誰?誰なの、ファイツ!」

ずいっと詰め寄ったワイに、ファイツは困惑した。彼の名前を口にするより先に、どうしても彼女の様子が気になってしまう。

「ワ、ワイちゃん?……どうしたの?」
「アタシ、前から思ってたのよ。ファイツの幼馴染が誰か分かったら、物申してやろうって。だって、あれだけファイツを悩ませてたのよ!?大事な親友を泣かせるなんて、いくら優しくても赦せないわ!」
「え、えっと……。ワイちゃん、そのことならもう気にしてないから……。それに、あたしの為を思ってしてくれたことだし。だから、別に文句を言わなくても……」
「……いいえ!ファイツが赦しても、アタシは絶対に赦さないわ!さあ、どこのどいつなの!?アタシがたっぷりと文句を言ってあげるわ!」
「え……。な……内緒っ!」

心配してくれる親友の気持ちは素直に嬉しいと思うのだけれど、やっぱり幼馴染であるラクツを思うと彼の名前を口に出すことも出来なくて。手を合わせながら、ファイツはごめんねと謝った。ワイは不満そうにこちらを見つめて来たけれど、それでもファイツはしっかりと彼女の顔を見つめたまま何も言わなかった。