school days : 049
突き放したい、突き放せない
ヒュウやペタシと別れたラクツは1人、通学路を歩いていた。時折後ろから何人かがラクツを走って追い越していく。彼らは皆一様に傘を持っていないらしく、慌てた様子だった。ラクツは曇っている空を見上げた、今にも降りそうな程の曇り空だった。ラクツは内心で舌打ちしながら歩いた。正直言って、雨は好きではなかった。特に、この時期の雨はあの日を思い出してしまうから。朝のHRが始まる前、プラチナが憂鬱そうに「今日は雨が降りますね」と言っていたのを思い出した。先日の件があってからというもの、プラチナはどこか申し訳なさそうに話して来るようになった。自分が訊いてはいけないことを訊いたのではないかと思っているのか、明らかにぎこちない接し方だった。
「普通に接してくれていい」とラクツが告げるまで、プラチナは「あの」だとか「その」だとか、言葉にならない言葉を自分に話しかける時にいちいち述べていた。理路整然として話すプラチナらしからぬ話し方だった。見かねたラクツが告げるまでの2日、彼女はどこか怯えているように見えた。自分に話しかける者の言い方なんて普段はあまり気にしないラクツがわざわざそう告げたのは、そのような話し方をするプラチナに違和感を感じたからだ。理由はもう1つあった、どうしてもあの娘を連想してしまうからだ。
プラチナには「普通に接してくれていい」なんて言った癖に、ラクツはファイツを無視し続けていた。初めて彼女を無視したあの日から、今日で2週間となる。あれ以来ファイツに出くわしてはいなかったけれど、これからもラクツは彼女を無視し続けるつもりだ。それを続ければ、ファイツは二度と自分に話しかけては来なくなるだろう。
(そうだ。……それで、いい)
そうラクツが胸中で呟いたその時、頬に雨粒が当たった。とうとう雨が降り出したらしい。今はぽつりぽつりと降っているだけだが、その内大雨になるかもしれない。傘はきちんと持っているけれど、出来るならその前に帰宅してしまいたい。そう考えたラクツは少しだけ早歩きになった、念の為に傘を差すことも忘れなかった。ちょうど公園の入り口に差しかかったので、ラクツは迷わず中に入った。もちろん寄り道をするつもりではなく近道をする為だ。この公園をまっすぐ突っ切ると、普通に道路を歩くのに比べてかなりの時間短縮になるのだ。
「……ラクツくん?」
突然自分の名前を呼ばれて、ラクツは立ち止まった。黒い傘を傾けて声がした方向に顔を向けると、両手で鎖を握ってブランコに座っているファイツの姿が視界に入った。彼女と自分の目が、合った。
「…………」
じっと見つめて来るファイツから目を逸らして、何も言わずにラクツはそのまま前を歩いた。彼女の存在にはまるで気付かなかった。傘を差していて、視界が悪かった所為だろう。
「ラクツくん、待って!」
後ろから自分を呼び止めるファイツの声が追いかけて来るが、振り返らずにスタスタと歩いた。やはり身体のどこかがずきんと痛んだが、それには構わなかった。今はとにかく早く帰りたい。それだけを考えながら歩くラクツは、傘に何かが当たる感触にようやく気付いた。いつの間にか雨は勢いを増していたらしく、露先から大粒の雫が滴り落ちている。
「待って……!……きゃあっ!」
悲鳴と共に背後で音がしたのがはっきりと聞こえて、ラクツは思わず足を止めた。おそらくファイツが何かを落としたか、あるいは転ぶかした音だろう。気にはなったが、ラクツは振り向かなかった。もし振り向いてしまったら、無視をしようと決めた誓いを破ることになる。このまま歩こうと自分に言い聞かせて、ラクツはその言葉通りに足を前に進めようとした。
しかしそれは出来なかった、後ろから誰かに制服の裾を掴まれていたからだ。それが誰かなんて、後ろを見るまでもなく分かった。
「……待って……。ラクツくん」
ファイツにしっかりと服の裾を掴まれた状態のまま、ラクツはその場に立ち尽くしていた。この現状を打破する手はある、例えば力ずくで彼女から離れればいい。いくらしっかり掴まれていると言っても相手は女の子なのだ、力の差は歴然だ。
「あ……」
ほんの少しだけ制服を前に引っ張れば、呆気ない程簡単にファイツの手は離れた。けれどすぐにまた裾を掴まれて、ラクツはその場に留まった。もう一度したところで、彼女はまた同じ行動をとるだろう。相手は女の子なわけで、だから手を払いのける気にもなれなかった。このままでは埒が明かないと、ラクツは内心で嘆息する。
(……仕方ない)
ラクツはもう一度制服を前に引っ張った。再び離れたファイツの手が服の裾を掴む前に、淡々と告げる。
「もう、止めてくれ」
こうなってしまった以上、面と向かって言うのが最も効果的だろう。そう考えてラクツは彼女に向き直った。傘も差さずに俯いていたファイツが、ゆっくりと顔を上げる。
「…………」
その顔を見下ろしたラクツは、”迷惑だ”と続けるはずだった言葉を口に出来なかった。ファイツの瞳からは確かに、雨ではない何かが零れていたのだ。
「ラクツくん。あたしのこと、嫌いになったの……?」
「そんなわけが……」
ファイツの問いにそう口走ってしまったラクツはすぐに後悔した。「そうだ」と答えれば良かったなんて思っても、もう遅かった。彼女の問いを否定する言葉を自分は既に発してしまっているのだ。
「……嫌いになるわけがないだろう」
今口にした言葉は、紛れもない本心だ。嘘でも「そうだ」と言うべきだったのに、結局は出来なかったと心の中で自嘲した。ファイツを突き放したいと思う、だけど突き放せない。
「……じゃあ、何であたしを無視するの?」
「それは……」
「せっかくまた話せるようになれるかなって思ってたのに!あたし、嬉しかったのに!……あたし、あたし……!ラクツくんに無視されるの、嫌だよお……っ!」
ぼろぼろと涙を零すファイツを見下ろしたまま、ラクツはその場にただ立っていた。まるで雷に打たれたような衝撃で、ラクツは身動き1つ取れなかった。