school days : 046
思うだけじゃ伝わらない
サファイアと並んでソファーに座ったワイは、目の前でパフェを口に運ぶ親友の姿を注意深く観察した。自分が持つスプーンの上に乗ったアイスがどろりと溶けていることにも気付かずに、ワイは彼女をじっと見つめる。「ワ、ワイちゃん……?アイス、溶けちゃってるよ?」
「……あ、本当だわ」
親友の指摘に頷いて、ワイはアイスを口に運んだ。5月の下旬に入ったのだが、今日は夕方のこの時間にも関わらず未だに蒸し暑かった。本格的に梅雨入りしたらどうなってしまうのだろうと、憂鬱な気分になる。
(……って、そうじゃなくて!)
今はそんなことを考えている場合じゃないわ、と自分自身を叱咤する。今は季節のことなんかよりも、親友の元気をどうやって取り戻させるかを考えることの方が遥かに重要なのだ。ファイツの大好物がパフェであることはとっくの昔に知っている。ファイツの影響で前よりもパフェ好きになったワイは、いつもの店で3人でお喋りしようと彼女を誘った。これは、本日は部活がなかったワイの役目だった。ファイツからはOKの返事が返って来て、安堵したワイはサファイアに待ち合わせの時刻を知らせるメールを送った。とりあえずファイツに断られるという事態は避けられたことになる。後は、これでパフェを食べたファイツが元気になってくれればいいな。そんなことをワイは思っていた。
(さっきから見てるけど……。ファイツ、やっぱり元気がない……)
ワイは、細かいことを考えるのはどちらかと言えば苦手な方だ。だけどそんなことは言っていられない、親友の為に何か出来ることをしたかった。
(でも、パフェでダメなら何ならいいの?やっぱり、N先生の話題?)
それでも、ワイは言い出すことが出来なかった。もしNのことでファイツが落ち込んでたら、傷口に塩を塗る結果になってしまう。そう思うとどうしても言い出せなかった。
(どうすればファイツの元気が出るんだろう……)
スプーンを持ったままの姿勢で固まった自分の隣で、サファイアも同じ姿勢で同じことを悩んでいた。けれど、考えに耽っていたワイはそれどころではなかった。普段は主にテストの時にしか使わない脳味噌を無理やりにでもフル回転させて、どうにか知恵を出さなければならないのだ。
「えっと……。どうしたの、2人共……?」
目の前にいる2人共がパフェそっちのけで考え事をしている光景は、ファイツの目にどう映っただろうか。少なくとも普通でないと感じたらしく、眉根を寄せて覗き込むファイツの姿がワイの視界に映り込んだ。
「あ!……うん、ちょっと考え事してただけよ!」
「そ、そうったい!」
明らかに心配だと言わんばかりの表情をしているファイツに向かって、何でもないのとワイは手を振って見せた。サファイアに倣って、先程より更に溶けてしまっているアイスを慌てて口に運ぶ。そんな自分達の様子を見つめていたファイツが、そっと呟いた。
「……ワイちゃんもサファイアちゃんも、何か悩みでもあるの?あたしで良かったら聞くよ?」
静かに呟かれたファイツのその言葉に、ワイは大きく目を見開いた。口に残っていたアイスを水で無理やりに流し込んで、息もつかずに立ち上がる。両手を勢いよくテーブルについた拍子に、空になったコップが音を立てて倒れた。
「それはファイツの方でしょう!?アタシなんかよりずっと、ファイツの方が何かに悩んでるんじゃない……!」
はあはあと肩で息をするワイは、そう口に出してしまってからふと我に返った。ファイツが青ざめた顔で固まっている。サファイアも、呆気に取られた顔で自分を見上げている。ついでに周りのテーブルにいた人達も何事かと自分を見ている……。
「……大声出して、ごめん」
ワイは小声で謝ると、俯きがちにソファーに座り直した。呆れた顔をした幼馴染の姿が脳裏に浮かぶ。ワイちゃんは考えなしに行動し過ぎだ、なんて溜息混じりの声まで聞こえて来た。
(何やってるんだろう、アタシ……)
ファイツを元気付けたくて誘ったのに、逆に怯えさせてどうするのよ!とワイは自分を責めた。こんなことならエックスにでもアドバイスをもらえば良かったな、なんて今更ながら後悔した。エックスは人の内面には殊更敏感なのだ、きっといい意見を言ってくれるに違いなかったのに。ワイが今出来ることといえば、再度謝ることぐらいだった。
「本当にごめんね!アタシ……」
「ワイちゃんが謝ることなんてないよ」
「ファイツ……」
ファイツの顔を見たワイは口を噤んだ。顔を青ざめさせながらもファイツは笑っていた。だけど、ワイの目にはそれが強張った笑みにしか見えない。何故かその笑みは、自分の殻にこもっていた頃の幼馴染のそれと重なって見えた。
「ねえ、ファイツ。辛い時は、辛いって言っていいんだよ。無理して笑うことないよ」
きっと今、ファイツはうまく笑えないくらい傷付いているのだ。どこか痛々しくさえあるその笑顔を見てしまうと、ワイはファイツに笑って欲しいなんて言えなくなってしまった。
(うん……。誰だって、泣きたい時も言いたくないこともあるわよね……)
考えてみれば、ワイ自身2人に言っていないことがある。小さい頃は泣き虫だったワイは、とにかくよく泣いていた。転んだとかおもちゃが壊れたとか、それは今にしてみればとても小さな理由だった。だけど、ワイはその度にお隣さんであるエックスに泣きついていた。いったい何回彼に慰められたことだろう?気恥ずかしくて、未だにワイは誰にもそのことを言っていないのだ。サファイアにだって、言いたくないことの1つや2つくらいあるだろう。
「そ、そうったい!ファイツ、我慢ば身体に良くないとよ!」
「そうそう。頼りたくなったらいつでも言ってね、ファイツ!」
「……うん。2人共、ありがとう……。それから、心配かけちゃってごめんね……」
申し訳なさそうに言うファイツに、ワイは首を横に振った。最初の頃よりかはかなり打ち解けたとは思うけれど、それでもやっぱり彼女はどこか遠慮がちだった。
「何言ってるのよ。アタシ達は親友なんだから、助け合うのは当たり前じゃない。ありがとうもごめんねも要らないってば!」
「ワイの言う通りったい!」
「……うん」
ファイツは震える声でそう言ってから、勢いよく水を飲み干した。思わず咳き込んだファイツの背中をサファイアが優しく叩く。そのタイミングになってようやくパフェの存在を思い出したワイは、見下ろしたグラスの中の惨状に気付いて声を上げた。
「あ!アイスが全部溶けちゃってる!!」
「あ……。あたしも……!」
「あたしもったい……。やけん、食べるしかないったいね……」
運ばれて来た時はどう見てもパフェだったそれは、今は見る影もない。3つともその有様になっていたのがおかしくて、3人同時に吹き出した。ワイがそれを何とか食べ切ってから、先に食べ終えていたファイツがおずおずと口を開いた。
「……ねえ、ワイちゃんはエックスくんと喧嘩したことってある?」
「アタシ?そりゃあ何回もあるわよ。エックスがこもってばっかりだった頃は、毎日のようにしてたかな。まあ、今でも口喧嘩はするけどね」
今でこそたまにとはいえ外出するエックスだけれど、中学生時代は家にこもりきりだったのだ。そんなエックスを何とか登校させようと躍起になっていた頃が、今では何だか懐かしかった。
「そう……。じゃあ、サファイアちゃんは?ルビーくんと喧嘩したことはある?」
「しょっちゅうしてるったい!でも、口でルビーに勝ったことはないったい」
「そっか……」
目を伏せて、ぽつりとファイツが零した。先程よりももっと言いにくそうにしながら、それでもファイツは「それじゃあ」と口に出した。
「あの……。ワイちゃんは、エックスくんに無視されたことってある?」
おそるおそる尋ねて来たファイツのその言葉に、ワイは再び立ち上がろうとしてギリギリのところで何とか踏み止まった。浮かせた腰をソファーにすとんと下ろす。
「無視……?もしかしてファイツ、誰かにいじめられてるの!?」
「正直に言うったい!」
「う、ううん!違うの、そんなんじゃないよ!」
ぐいっと詰め寄った自分達に向かって、ファイツは慌てたように否定した。その様子はとても嘘をついている風には見えなかったので、とりあえずは安堵する。
「本当に違うの。ただね、ちょっと気になっただけだから……」
そう言ったファイツの目は、どこか泳いでいた。それにワイは気付きながらも、嘘をついてるんでしょうと指摘することはしなかった。多分、ちょっとどころではなくて……かなり気になっているのだろう。
(気になるけど、ファイツが言いたくなさそうにしてることだし……)
とにかく今は、ファイツの悩みを早く取り除いてあげることが先決だ。そう思ったワイは話の腰を折らないように先を促した。
「……そっか。アタシはエックスに無視されたことはないかな。面倒臭がり屋だけど、でも話しかけたらちゃんと答えてくれるし」
「ちなみにあたしも同じとよ。何だかんだ言って、無視されたことはないったいね」
「そう、なんだ……。……あのね……」
ファイツはしばらく迷っている様子だったけれど、それでも程なくして意を決したように口を開いた。
「……あたし、幼馴染の男の子がいるの」
「え!ファイツにも幼馴染がいたの?」
「……うん。同い歳の。でも、今は全然話さなくなっちゃったんだ……。ワイちゃん達みたいにずっと学校が一緒だったわけじゃないし、家の場所も忘れちゃったし……。最近になって、ちょっとだけ話すようになったけど……」
初めて聞く話に、ワイは驚いて親友を凝視した。それはサファイアにしても同じだったようで、ファイツの顔を穴の開く程見つめていた。
「それでね……。その人は、あたしにだけ冷たい接し方をするの……。あたし、それが不思議で仕方なかった。それでもあたしが話しかけたらちゃんと答えてくれてたんだけど、この前……初めて無視されちゃった……」
「ファイツ……」
「ワイちゃん、サファイアちゃん……。あたし、彼に嫌われちゃったのかなあ……?」
消え入りそうな声で告げるファイツは、今にも泣き出しそうだった。ファイツの幼馴染を知らないワイは、その彼について問いただしたくなったけれど、ぐっと堪えた。自分が今するべきことは、それじゃない。
「最近元気がなかったのは、それが原因?」
無言のまま頷いたファイツをしばらく見つめていたワイは、静かに語りかけた。
「ファイツがその人に嫌われてるかどうかは、アタシには分からない。アタシだけじゃなくて、サファイアにも、この場にいる誰にも分からないことだよ。知りたかったら、ファイツがその人自身に訊くしかないよ」
「でも……。それでもし、また無視されたら……?ワイちゃんだったらどうするの……?」
「そうねえ……。もしアタシがエックスに無視されたら、まずは理由を訊くかな。それも無視するようなら、エックスの部屋に押しかける!」
「え……。ええ!?」
「だって、そうすればアタシから逃げられないでしょう?もしルビ-くんに無視されたら、サファイアならどうする?」
「あたしやったら……?そうたいね、まず理由ば訊くったい。訊かないと、絶対分からないやけんね!」
「だってさ。……まあ、アタシ達が偉そうに言えることじゃないって分かってるけどね。最終的にどうするかは、ファイツが決めることだよ」
「…………」
「でもね……。心の中で思うだけじゃ、絶対伝わらないよ。その人にこれからも無視されたくないってもし思うんだったら、そう言えばいいじゃない。その人に、ファイツの気持ちを全部ぶつけてみなよ」
「…………うん。あたし、よく考えてみる」
こくんと頷いたファイツに頷き返したワイは、ファイツの幼馴染がいったいどのような人物なのかが気になっていた。だけどワイにはまるで見当もつかない、いつかファイツの口から聞ける日が来るだろうか?仮にもしそうなったのなら、絶対に彼に一言物申してやろう。そう心に固く誓って、ワイはファイツに向かって微笑んだ。