school days : 043

夜に浮かぶ太陽
(あたし、ラクツくんにとうとう嫌われちゃったのかな……。それとももっと前から嫌われてたけど、あたしが話しかけたから返事をしてくれてただけだったのかな……)

そんなことを何度も何度も考えながら、ファイツは家までの帰り道を歩いていた。もう辺りは真っ暗だったのだけれど、そんなことはまるで気にならなかった。先程のラクツの行動が、頭からどうしても離れてくれない。学校を出てからもう15分は歩いているのに、夜空には大好きな星が瞬いているのに、少しも気は紛れてくれなかった。

(あたしに挨拶されるの、本当は嫌だったのかな……)

ラクツに無視されたという事実は、ファイツの心に大きな衝撃を与えていた。”ラクツくんはあたしを無視しない”、ファイツはそう思っていたし信じてもいた。だけど、それは大きな間違いだったのだろうか。今は敬遠になってしまった幼馴染に、実は嫌われていたのだろうか……。

(あたし、もうラクツくんに話しかけない方がいいのかなあ……)

ラクツくんはあたしを無視しないなんて、とんだ思い込みだ。ほんの少し前まで本気でそう信じ込んでいた自分は、何て愚かなのだろう。

「……バカみたい」 

涙が出そうになったファイツは、無理やりに夜空を仰ぎ見た。真っ暗な空にはいくつもの明かりが確かに見える。普段なら思わず見とれてしまう程の光景だったけれど、やっぱり気持ちは晴れてくれなかった。立ち止まっていたファイツは程なくして再び歩き始めた。夜空とは対照的に、どんよりとした気分で帰路を急ぐ。暗い気持ちになっていたファイツは、左右を確認することなく角を曲がった。この角を右に曲がれば大通りに出るのだ。

「……おっと!」
「きゃあ!」

ファイツは驚いて声を上げた。向こうから走って来た自転車が、自分にぶつかるギリギリで止まる。相手が急ブレーキをかけてくれなければ危うく正面衝突するところだったと思うと、ファイツはぶるりと身震いした。

「あっぶねえなあ。相手がオレじゃなければ、轢かれてもおかしくなかったぜ?」
「す、すみません……」

ファイツは身を竦ませて謝罪した。相手の言い分は正しい。きちんとライトを点けていたし、悪いのはよく確認もせずに角を曲がった自分の方だ。

「……おい、あんた」
「は、はいっ……!!」

更に身を縮こませて返事をしたファイツは、びくびくしながら相手の顔を見上げた。自転車に乗ったままの男の人の目が、すうっと細められる。じろじろと見られていることに居心地の悪さを感じて、ファイツはつい目を逸らした。相手は黙ったまま、じっとこちらを見つめている。

(ど、どうしよう……)

怖くて怖くて、ファイツはぎゅっと目を瞑った。見たところ不良っぽい外見をしている男の人はやっぱり何も言わなかった。その沈黙が恐ろしくて仕方ない。もしかしてお金を取られるんじゃないかとか、そんな考えがふと頭を過ぎった。

「……名前は何て言うんだ?」
「……へ?」

予想外の言葉に、ファイツは思わず顔を上げて相手の顔を見つめた。ハンドルにもたれかかって前傾姿勢になった相手は、何故だか前髪を弄っている。

「だから名前だよ、あんたの名前」
「あ……。えっと……」
「おっと、心配すんな!別にかつあげしようってわけじゃねえんだ。よく不良だって言われるけどよ、そんなことは1回もしたことないんだぜ?ただ、ちっとばかしあんたの名前が気になっただけだ」

白い歯を見せながら笑う相手の言葉を信じてもいいものか迷ったけれど、勢いに押されたファイツは素直に答えた。

「ファ、ファイツ……です」
「そっか!オレ、ゴールドってんだ。よろしくな、後輩!」
「え?」
「その制服、ポケスペ学園のだろ?オレも同じ高校なんだよ。オレは3年B組なんだけどよ、アンタは見たとこ1年か2年だろ?」
「どうして分かったんですか……?」
「あー……。まあ、勘だな。そう、男の勘ってやつよ!」
「男の勘……?」
「まあ、気にすんな。……で、何年なんだ?」

少し後ずさりしながらファイツが自分の学年とクラスを告げると、ゴールドはしばらく唸った後に勢いよく頷いた。その動作に合わせて、彼の特徴的な前髪が大きく揺れた。

「2年B組……。ああ、確か担任はアロエって女の先生だろ。……どうだ、これでオレがポケスペ学園に通ってるって分かっただろ?」
「は、はい……」
「よっしゃ!あ、ちなみにオレの担任はヤーコンなんだよ。担当は地理でよ、いつも顰め面してるような教師なんだぜ」
「そ、そうみたいですね……」

お姉ちゃんと同じクラスなんだ、とファイツは思った。だけどそのことは口にしなかった。話してしまったら最後、色々訊かれてしまいそうな気がする。それでなくてもファイツは気が強くない上に、相手は先輩なのだ。はっきり断るなんてことは、とてもじゃないが出来そうもなかった。

「こんな遅くまで学校に残ってたのか?何部に入ってるんだ?」
「あの……。あたし、部活には入ってないです」
「マジで?なあ、サッカー部のマネージャーとか興味ねえ?ファイツみてえな子が入って来たら、オレはもっと頑張れるんだけど」
「え、ええと……。あたし、マネージャーはちょっと……」
「……そっか。ま、気が向いたらいつでも言ってくれや。……あれ、じゃあ帰宅部なら何でこんな時間まで学校にいたんだ?もしかして寮生とか?」
「えっと……。その、図書室で勉強してて……」
「勉強?……マジで?」
「う……。……はい」

ファイツは曖昧に頷いた。こういうタイプの人にはどうしても苦手意識を抱いてしまうのだ。

「マジでか……。まだ2年なのにすげえなあ。……ってことは、今は帰りか?」
「そうですけど……」
「んじゃ、良かったらオレが家まで送ってってやろうか?ゆっくり走るから、その辺は安心してくれていいぜ!」
「ええと……。それはちょっと……」

流石にその申し出を受け入れることは出来なくて、ファイツはやんわりと断った。悪い人ではなさそうなのだけれど、いくら何でも家まで送られるというのは怖い。「家はここの近くですから」と重ねて言うと、ゴールドは納得してくれたのか、首を縦に振った。はあと溜息をつかれたのには気付かない振りをした。

「あの……。本当にすみませんでした」
「あー、気にすんな気にすんな。じゃあオレはもう行くけど、暗えから気を付けて帰れよ!」
「は、はい……」

ファイツの返事に軽く手を上げてから、ゴールドは自転車を走らせた。見る見るうちにスピードを上げた自転車は、あっという間にファイツの視界から消え失せる。

(今の先輩の瞳……。綺麗な金色だったなあ……)

ファイツにとっては苦手なタイプの人間なのだが、自分を心配してくれた辺り、やっぱり悪い人柄ではないのだろう。怖い気持ちの方が強いものの、どこか温かみを感じさせられたのは確かだった。存在感があって、彼の周りがきらきらと光っているような気すら覚える。まるで、太陽みたいな人だと思った。
だけどそれでも、ファイツの心は温かくはなってくれなかった。瞳を閉じれば、すぐに自分を無視した幼馴染の姿が浮かんで来る……。

(あたし……。これからどうすればいいんだろう……)

そう心の中で呟いて、ファイツはそっと目を伏せた。