school days : 039
気付かない振りをする
自分がこれ以上この話を続ける気がないことを態度から察したのだろう、程なくしてプラチナは何も言わずにその場から立ち去った。そして、屋上にはラクツ1人が残される。手すりに寄りかかってラクツは校庭を見下ろした。風の音に混じって、幼馴染の声が耳に蘇る。ファイツは今朝、怯えながらも「おはよう」と言って来た。随分と久し振りに挨拶をされた所為で戸惑ったラクツは、つい「おはよう」と普通に返してしまった。彼女がわずかに振り向いて、そして嬉しそうに微笑んだのが確かに見えた。その笑顔を見て、何をやっているのだろうと自分でも思った。ファイツを無視出来ないのはもう仕方ないとしても、もう少し冷たい声で返すべきだったのではないかと悔やんでしまう。これからの彼女への接し方を今一度自分の中で整理しておきたくて、昼食をさっさと済ませたラクツは屋上へと足を運んだのだ。時々風が吹くおかげでそこそこ涼しい、わざわざこの暑い中屋上に来た自分にはありがたかった。
「……彼女が好きなのか、か」
プラチナが先程口にした言葉を、ラクツは呟いた。何故彼女がその考えを持ったのかは分からない、そんなに頻繁にファイツを目で追っていたのだろうか。彼女に疑念を抱かせる程、ファイツを長い間見ていたのだろうか。その自覚はまるでなかったのだけれど、観察眼が鋭いプラチナのことだからそれに気付いたのだろうか。そして好奇心からとおそらく自分に気を遣った為に訊いた、大方そんなところか。
ラクツはプラチナの問いに「さあ」と答えた、肯定も否定もしなかった。彼女が嫌いなのかと問われれば、きっと違うと答えただろう。だけど、好きなのかと問われたから。だからラクツは、「さあ?」とはぐらかすようにして答えた。我ながらずるい答え方をしたものだ。
「…………どうなんだろうな」
ファイツのことは大切だと思う、それは確かだ。大切に思うくらいだから、少なくとも好きではあるのだろう。けれどそれが恋愛感情かどうなのかは、自分でもよく分からないのだ。そういう意味では、彼女への返事もあながち間違ってはいないなと自嘲した。好きなのかと尋ねたプラチナの声が、まだ耳に残っている……。
「…………」
ラクツは顔を顰めて、額に手を当てた。この件について考えるのはもう止めようと自分に言い聞かせた。これからファイツに対してどう接するかを考える方が余程大事だと、無理やり思考を切り替える。今朝の例から推測するに、きっとあの娘はこれからも自分に挨拶をして来るのだろう。ラクツは幼馴染を無視出来ないから挨拶を返して、そしてファイツは嬉しそうに笑うのだろう。もしかしたら、これを機に自分に話しかけて来るようになるかもしれない。
(……それは、困る)
ラクツは、深く息を吐いた。ファイツが嫌いなわけでは決してないけれど、それでも彼女が親しげに自分に話しかけて来るような事態になっては非常に困るのだ。だからこそラクツは、ファイツに再会してからわざわざ冷たい態度で接するよう心がけて、実際そうして来たのに。彼女が自分から離れて行くように仕向けて来たのに。これでは、全てが水の泡になってしまう……。
「…………無視、するか」
そう声に出して、ラクツは顔を両腕に埋めた。そうだ、自分がファイツに応じるからいけないのだ。それならば無視してしまえばいい、そうすれば自分に苦手意識を抱いているであろう彼女はわざわざ話しかけようとはしないだろう。
ラクツがファイツを無視したことはこれまで一度もない、だけどそれでも無視をしなければいけないと思った。これ以上ファイツと関わるわけにはいかない。無視されたと分かったら、彼女はどんな反応をするだろうか。呆然と立ち尽くすのだろうか、それとも怯えたように逃げるのだろうか。
(これも、あの娘の為なんだ)
ラクツはそう声に出さずに呟いた。ずきんと強く痛んだ自分の心には、気付かない振りをした。