school days : 031

小さな憧れ
エメラルドは待ち人が来るまでの間、どうにも落ち着かなかった。別に2人きりでどこかに出かけるわけではない、ただ誕生日のプレゼントを渡すだけだ。そのついでに一緒に帰るだけ、ただそれだけだ。はあっと大きく溜息をついても、心臓の鼓動は先程から高鳴ったままだった。こんなに緊張するのは久し振りで、どうにか気を落ち着かせようと鞄から綺麗に包装されたプレゼントを取り出した。片手に収まる程の大きさだ。

(クリスタルさん、喜んでくれるかな?)

クリスタルが星形の小物を数多く持っていることは知っていた。だから散々悩んで、星形のイヤリングを贈ることに決めた。ハンカチにしようかとも思ったけれど、少し子供っぽいような気がしたから。多分どんな物でもきっと彼女は喜んでくれると思うけれど、エメラルドはそれは真剣に選んだ。提出物は期限までに出さないことも多々あるエメラルドだけれど、今回に限っては1週間も前に選んだのだ。女子ばかりがたむろするお店のアクセサリーコーナーであれでもないこれでもないと悩んで、誰の手を借りることなくこれにしようと決めた。ちなみに色は水色だ、これならクリスタルの綺麗な瞳によく映えると思った。

「エメラルドくん!」

待っていた人の声に、エメラルドの心臓はどきんと跳ねた。慌ててプレゼントを鞄に戻して振り替えると、クリスタルがこちらに向かって走って来るのが見えた。別に急がなくてもいいのに、それでも彼女は全力で走って来てくれた。クリスタルはいつだって相手のことを気遣う女の人なのだ。

(……優しいな)

はあはあと息を切らしながらもクリスタルは、エメラルドの顔を見て微笑んだ。

「ごめんねエメラルドくん。待ったでしょう?」
「いいえ、オレも今来たところですから」

エメラルドはそう言ったけれど、もちろんそれは嘘だった。授業が終わると一目散に校門に向かったので、かれこれ15分は待っていたことになる。けれど正直に言うと彼女は申し訳なさそうに謝ると確信しているから、エメラルドは嘘をついたのだ。

「本当に待ってないですよ?」
  
重ねてそう言えば、クリスタルは「そう?」と言ってまた微笑んだ。眉根を寄せた、どこかぎこちない笑みだった。多分エメラルドの嘘は呆気なく看破されたのだろう、けれどクリスタルは何も言わなかった。そんなところも優しいとエメラルドは思った。

「エメラルドくん、新しいクラスには慣れた?」
「ははは……。まあ、大分慣れて来たところです」

エメラルドのクラスは2年D組、担任はツツジだ。教師になったばかりというツツジはかなりの熱血教師で、毎日それなりの量の宿題を出すのだ。それでも自分が何とか課題をこなせているのは、絶対にこの人のおかげだとエメラルドは思っている。クリスタルとは中学3年生の時に通っていた塾で出会った。小さな、いかにも経営難であると分かる塾。その分授業料はかなり安かったので、迷わずここにしようと決めた。エメラルドは現在1人暮らしだけれど、中学校を卒業するまでは親戚の家でお世話になっていた。せめて自分にかかるお金はなるべく安く済ませたいと思ったからこそ、ぼろぼろの塾でもエメラルドは文句の1つすらも言わなかった。
その塾である日出会った、1人の少女。彼女を見た瞬間、エメラルドは心を奪われた。唯一の塾講師であるジョバンニに連れられて教室に入って来た彼女の姿に、エメラルドの目は釘付けだった。歳上だろうか、とにかく初めて見る顔だ。名前をクリスタルと名乗った彼女の授業は、それは丁寧だった。生徒の質問は分かりやすく丁寧に答えるし、ついでに字まで丁寧だった。クリスタルの授業を聞きながら、エメラルドはふと疑問に思った。何故彼女がこんな塾に来たのだろう?もしかしてアルバイトかもと思ったけれど、このジョバンニ塾は誰の目から見ても経営難であると分かる。果たしてバイト料は満額出るのだろうか?気になって仕方なかったので、エメラルドは授業が終わった彼女を捕まえて尋ねたのだ。緊張しながらアルバイトで教えているのかと訊いてみたところ、何とも驚くような答えが返って来た。クリスタルは『ボランティアなの』とはっきり答えた、つまり無償だ。
小柄なエメラルドの小さな身体に、大きな衝撃が走った。100%他人の為に行動出来る人間がいることを、エメラルドは知らなかったのだ。彼女がポケスペ学園に通っていると訊いて、迷わず自分の志望校もそこに決めた。何でもいいからこの人に近付きたいと思った。それまであまり真面目に勉強していなかったエメラルドだけれど、そう決意してから自分でも驚く程真面目に勉強するようになった。無事ポケスペ学園に合格が決まった時、クリスタルはまるで自分のことのように喜んでくれた。それからは時々こうして、自分と一緒に下校してくれる。それだけの小さなことが、だけどエメラルドにはものすごく嬉しいことなのだ。

「あの……。クリスタルさん」

クリスタルと他愛ない会話を続けながら歩いていたエメラルドは、分かれ道の前で立ち止まった。彼女はこの道を左に行ってしまう、プレゼントを渡すなら今しかない。

「なあに?」
「ええと……。実は、クリスタルさんに渡したい物があって。今日、4月30日ですよね?」

早口でそう言うと、ごそごそと鞄の中から目的の物を出した。そして、自分の短い腕を目いっぱい伸ばす。

「今日は、クリスタルさんの誕生日……だから」
「……これを、私に?」

自分を指差して尋ねる彼女に、こくこくと頷きだけで返す。普段は恥ずかしがることなんてあまりないのに、何故だか今はクリスタルの顔がまともに見れなかった。エメラルドは斜め前に立っている電柱に目線を移した。

「ありがとう!ここで開けてもいい?」

その問いにやっぱり頷きだけで返して、エメラルドは彼女の反応を待った。包装紙を丁寧に破いたと分かる静かな音がやけに大きく聞こえた。そのままじっと待ってみたものの、クリスタルは何も言わない。

(もしかして、気に入らなかった……とか!?)

自分としては買える範囲でこれしかない、という物を選んだはずだった。だけど、彼女の趣味には合わなかったのだろうか。エメラルドは焦った、これ以上にないくらいに焦った。

「ええと、すみませんクリスタルさん!オレ、センスなくて……。だから、その……!」
「ち……。違うわ、エメラルドくん!」

珍しく焦った様子のクリスタルの声が上から振って来て、俯いていたエメラルドは思わず顔を上げた。目が合ったクリスタルは、少し涙ぐんでいる。

「あまりに素敵なプレゼントだったから、何も言えなくて……」
「ほ、本当ですか!?ああ良かった、もしかして気に入らなかったのかと……。すみません、本当はもっと色々買えれば良かったんですけど。それだけしか買えなくて……」
「エメラルドくん」

クリスタルはそう言うと少し屈んだ。その顔は、勉強を教えてくれる時のように真剣な表情だ。

「こういうのはね、値段やセンスじゃなくて気持ちが大切だと私は思うわ。本当にありがとう、エメラルドくん。このイヤリング、大切にするね!」
「……はい!」

嬉しそうにお礼を言うクリスタルの笑顔につられて、エメラルドもまた笑った。喜んでもらえて良かったとホッと胸を撫で下ろす。その自分の耳に確かに小さな溜息が聞こえて来て、エメラルドは再びクリスタルを見つめた。先程まであんなに笑顔だったのに、今は少し曇った表情をしている。

「クリスタルさん?」
「あ、ごめんね。ちょっと、思い出しちゃたことがあって」
「どうかしたんですか?オレで良ければ、話だけでも聞きますけど」

クリスタルは少し迷っている様子だったけれど、結局は話すことを決めたらしい。彼女は「大したことじゃないんだけどね」と言葉を続けた。

「今のエメラルドくんを見てたら、ゴールドのことを思い出しちゃって」
「……ゴールド?」

怪訝な顔で呟かれた言葉を復唱する。ゴールドというのは人名だろうか?

「あ、隣のクラスの男子なんだけどね。問題事ばっかり起こすのよ」
「隣のクラスの人なら、放っておけばいいんじゃ……。だって、そのクラスにもちゃんと委A員長がいるんでしょう?」

クリスタルが3年A組のクラス委員長を務めていることは、本人から聞いて知っている。クラス委員長なんてのはエメラルドからすれば面倒極まりないものでしかない。だけど、彼女はきっと立候補したのだろう。そして隣のクラスである3年B組のクラス委員長は、誰かに押し付けられたのかもしれないと思いながら尋ねる。

「そうもいかないのよ。そいつはナンパもするんだけど、うちのクラスの女子にもそれで困ってる人がいるくらいだから。B組のクラス委員長も注意してるんだけど、苦情が出てる以上私も注意しないとね。……まあ聞いてくれた例がないんだけど」
「そんな……!大したことないわけないじゃないですか!」
「ありがとう。でも、もう慣れちゃったから。ゴールドがエメラルドくんくらいに素直だったらいいんだけどなって思ったら、つい溜息が出ちゃったのよ。聞いてくれてありがとうね、ちょっと愚痴を言いたかっただけだから」

そう言って笑ったクリスタルの顔は、やっぱり曇っていて。そんな彼女の顔を見たエメラルドの小さな身体に、熱い何かが湧き上がる。

「クリスタルさん。その人のこと、オレに詳しく教えてくれませんか?」

そう彼女に尋ねたエメラルドの声は、普段より低かった。