school days : 028
いてつくしせん
いつだって眉間に皺を寄せているヒュウだけれど、特に放課後練の直後はそれが顕著だった。とにかく、女子の黄色い声が鬱陶しいのだ。直前だって女子達はうるさいのだが、それでも練習が終わった直後に比べれば遥かにマシと言えるだろう。とにもかくにもきゃあきゃあとかかっこいいとか、まったくうるさいったらない!「あー、うるせえ……。お前もそう思うだろ、ペタシ!」
「え、何がだす?」
同意を求めて振り返れば、鼻をだらしなく伸ばした親友の顔が映る。それに何だかイラッとしたけれど、何とか踏み止まる。例え女に興味津々だろうと、ペタシはヒュウの親友なのだ。こんなことで殴るわけにはいかない。
「だから、あの女どもの声だよ!本当耳障りだよな、シジマ先生に訴えてみないか?うるせえから来るの止めさせろって」
「だども……。怒られる気がするだす」
「あー……」
ペタシの言葉に、ヒュウは何となく想像がついて黙り込んだ。剣道部の顧問であるシジマは部員に厳しいことで有名なのだ。むしろこちらが怒鳴られそうだ、これしきのことで情けないとか、軟弱者とか。他にも色々言われるかもしれない。
「確かにな。ったく、シジマ先生が最後までいてくれればまだいいのによ。さっさと帰りやがって……。少しはセンリ先生を見習えってんだ」
空手部顧問のセンリもまた部員に厳しいことで有名なのだが、彼はシジマと違って放課後練が終わることを知らせるチャイムが鳴っても帰らないのだ。空手部部員がぼやいていたのを小耳に挟んだのでそれを知っているヒュウは、ぼそりと悪態をついた。救いはシジマが放課後練が始まる前から剣道場に来ていることだ。シジマに怒られるのを恐れてか、彼がいる間は明らかに見学に来る女子の数が少ないのだ。しかし、練習が終わるとすぐにシジマは帰ってしまう。その為、何人もの女子がこの時間を狙ってやって来るというわけだ。その上今日は主将のチェレンがいないので、とりわけ声援がうるさく聞こえて来る。
「ヒュ、ヒュウ!聞こえるだすよ!」
「誰にだよ。こんなうるさくちゃ、オレの声なんてかき消されるだろうが。それに今日はチェレン先輩もいないんだぜ」
「そ、そうだすね……」
「……あいつら、本当飽きねえよなあ」
怒りが一周回ったヒュウは、今度は呆れ顔で呟く。面倒くさいから数えないけれど、見学に来ている女子は軽く10人は超えるだろう。その誰もが、たった1人の人間を見る為に来ているのだ。そのたった1人の人間であるラクツは、今日も今日とて1つしかない扉の前で大勢の女子に囲まれていた。ヒュウにとって救いなのは、ラクツの顔が隣にいるペタシのような表情をしていなかったことだ。あんな顔をラクツにされたら、多分思い切り殴ると思う。殴ってはいけないと分かってはいるけれど、それを忘れて殴るかもしれない。もっとも締まりのない顔をしたラクツなんて、ヒュウにはとても想像出来ないのだけれど。
「あ!テニス部の3人娘が来たっぺよ!今日は何だか遅かったんでねえか?」
「オレが知るかよ、そんなこと」
投げやりに答えたヒュウは、頭の後ろで手を組んだ。ヒュウは基本的に女子テニス部員とは仲が悪いのだ。別にヒュウが何かをしたわけではない、だけどいつからかヒュウは彼女達から悪態をつかれるようになっていた。特にテニス部の3人娘と呼ばれているユキ、マユ、ユウコとは仲が悪い。それでも、ユキとだけは前に比べれば話すようになったと思う。時々電話で会話するのだから、当然といえば当然かもしれないが。
(そういえば……。この前電話して来たっけ、あいつ)
「ラクツくんと登校出来たの!」なんて、ヒュウからすれば至極どうでもいいことをつらつらと話すユキの声はそれは嬉しそうで。ヒュウはいつもの通りにはいはいと流して、その電話は一方的に切られた。ちなみに時間にして30分程だろうか。まあ電話代はユキが負担するわけだから、その点に関しては気にしてはいないのだが。だから問題は料金より時間の方だったりするのだ。それでも30分で済んだのはまだマシだと思う。ユキとの最長通話時間は今のところ45分、この記録は現在も破られていないのだ。破られて欲しくもないけど。そしてそのユキは、ラクツと何か話していた。会話の内容は聞き取れないけれど、ヒュウにはユキの嬉しそうな顔が見えた……。
「……もう行こうぜ、ペタシ」
ヒュウはそう言って、ペタシの返答を待たずにずんずんと大股で歩き出す。未だにラクツに群がっている女子の前を強引に突っ切った。「ヒュウ最低!」とか何とか聞こえた気もするが、もちろんそんなものは無視した。目指すは剣道部の部室だ、いいかげんこの道着を着替えたい。
「ヒュ、ヒュウ!どうしたっぺか!?」
「何でもねえよ」
走って追いかけて来るペタシに、ヒュウは振り返らずに答える。何故だか分からないけれど、出した声はいつもより低い気がした。
「いいかげん女子どもの声がうざくなっただけだ」
「だ、だどもラクツは?」
「放っておけよ、その内来るだろ。先に部室で着替えてようぜ」
「今日は特に多かったから、ラクツも大変だすなあ……」
「けっ。そんなのいつものことだろ」
ヒュウはそう言って、足元の小石を思い切り蹴飛ばした。剣道場と剣道部の部室は少し離れたところにある。この角を曲がれば後はまっすぐ歩くだけだ。
「あれ?」
角を曲がった途端、ペタシが呟いた。転がって行く小石を眼で追っていたヒュウも、その呟きに顔を上げた。見ると、剣道部の部室の傍に誰かが立っているのが確認出来た。
「じょ、女子……!」
女の子と知るや否やいつものように挙動不審になったペタシをきれいに無視して、ヒュウはまたも大股で歩いた。1人ぽつんと立ちつくす彼女と目が合う。
「あ?何だお前」
「あ、あの……」
気圧されたのか、その女子はぎゅっと手を握った。深呼吸してから意を決したかのように話し出す。
「あ、あたし……!ラクツくんに用事があって……。彼は、どこ……ですか?」
そう言った女子の声は震えていた。こいつもラクツ目当ての女かよとヒュウは胸中で悪態をついたけれど、それでも答えてやる。もしかしたら先生とかに伝言を頼まれたのかもしれないし。
「あー。あいつは剣道場だよ。まだ女子に囲まれてる」
「えっと……。いつもそうなんですか……?」
その女子は数回瞬きをして、恐々と尋ねる。予想外の反応だと、ヒュウは少し意外に思った。
「んだよ。お前、もしかして剣道部に来たことねえのか?」
「う……。は、はい」
「ふーん……」
ますます意外だとヒュウは思った。嘘をついているのでなければ、この女子は見学にも来たことがないということになる。どうやらこの女子は、ラクツ目当ての女子達とは違うのかもしれない。ラクツに何か用事があって部室に来ただけなのだろう。
「じゃあ……。あたし、彼が来るまで待ってます」
「先生からの伝言か?オレが代わりに伝えといてやろうか」
そう言ってから、思わずヒュウはしまったと思った。何で自分は今、こんな申し出をしたのだろう。女にこんなことを言うなんて、まったくもって自分らしくない。
「あ、あの……。大丈夫です。あたしが自分で言わないと、ダメですから……」
ありがとうございますと丁寧に頭を下げたその女子の反応に、ヒュウは内心戸惑った。妹は別にしても、ヒュウが日頃関わる女といえば気が強い者ばかりなのだ。
(何つーか、調子狂うな……。あいつと同じ女とは思えねえ)
ユキと眼前の女子を比べて、ヒュウは息を吐いた。ユキは、間違っても自分にありがとうございますなんて言わない。例え天地がひっくり返っても、絶対に言わない。
「あ、あんた……。名前はなんて……?」
珍しく、本当に珍しく今まで黙っていたペタシが尋ねた。普段なら女子が近くにいるとフリーズする癖に、今は早くも立ち直っている。
「えっと、ファイツです……」
「ク、クラスは!?」
「2年B組ですけど……」
「ファイツさんだすかあ……。オラの隣のクラスだす……」
ぽうっとなったペタシをやっぱり無視して、ヒュウはその女子、ファイツをじっと見つめた。制服を着ているので多分運動部ではないだろうという察しはつく。もしかしたら早めに部活が終わって、それからずっとラクツを待っているのかもしれない。
「お前、いつからここにいるんだ?」
「えっと……。30分くらいです」
「30分も!?オラ、ラクツを呼んで来るだす!」
ぱっと駆け出したペタシを止めることなく、ヒュウはファイツと共に彼の帰りを待った。すみません、と申し訳なさそうに頭を下げたファイツを横目で見る。やっぱり何だか調子が狂うなと思った。部室に入って着替えたっていいのに、何故だかそうする気にならないのだ。何となく気まずいとも思った。
「あいつ、足は速いんだ。だからすぐにラクツを連れて来る」
ヒュウの予想通り、ペタシは程なくして戻って来た。そのすぐ後ろからラクツが歩いて来るのが見えたヒュウは、もういいだろうと部室の扉のドアノブに手をかけた。これでやっと着替えられる。
「じゃあ、オレは着替えるから」
そう言ってファイツの方をちらりと見たヒュウは、ふとあることに気が付いた。ファイツの身体がかたかたと震えているのだ。冬でもないのに、ある一点を見たままファイツは震えていた。いったいどうしたのかとファイツと同じ方向を見たヒュウは、驚いて目を見開いた。
(何だ?あいつのあの目……)
こちらを見るラクツは、恐ろしく冷たい瞳をしていたのだ。