school days : 026
兄姉達の憂鬱
いつものようにグラウンドを思う存分駆け回って来たブラックは、満足した顔で3年B組の教室に入った。挨拶をするクラスメイト達にブラックも応えて、鞄をドカッと自分の机の上に置く。そしていつものようにおはようと言ってくれる女の子に挨拶をしようとして、ブラックはふと気付いた。(なーんか……元気ねえなあ)
その女の子は頬杖をついて、窓から校庭を見下ろしていた。時折はあっと深い溜息をついている。どう見てもブラックが来たことなんて微塵も気付いていない様子だ。それがブラックには何となく面白くなくて、普段より少し大きい声を出した。
「おはよう、社長!」
けれど、こちらを見てくれるだろうと期待したブラックの予想は外れることとなった。相変わらず彼女は深い溜息をついていて、こちらに気付く気配すらない。まるで無視をされているかのようだと思うと、ブラックの心はモヤモヤとして晴れなかった。
(オレ、社長に何かした……のか?)
はっと気付いたブラックは、慌ててここ最近の行動を思い返してみる。最近は夢の誓いも周りに人がいれば自粛しているし、授業だって寝ないで真面目に受けていると思う。相変わらず担任のヤーコンにはゴールドと揃って怒られるけれど、それだって最初に比べれば随分頻度が下がったはずだ。
(もしかして、オレの所為で怒られた……とか?)
ホワイトはブラックからすれば優等生だと思う。今まで彼女が先生に怒られたところなんて見たことがない。だけどそれは自分が見ていないだけで、実は裏で怒られていたのかもしれない。彼女が怒られることなんて、自分に関する事柄しか思えない……。その考えに至ったブラックはさあっと青ざめた。脳裏に『キミの言動で少なからず迷惑を被っている人間がいる』と言った弟の言葉が浮かんだ。もしそれでホワイトの元気がないのだとしたら、それは間違いなく自分の所為だ。
「社長!」
大声を出した為にクラスメートの視線を一身に受けたけれど、そんなことはどうでも良かった。慌ててホワイトの席のすぐ近くまで走った。彼女が自分の方を見たのに気付いて、その肩を掴もうと伸ばした手をギリギリで止める。自分に気付かなかったら彼女の肩を掴んで揺さ振るつもりだったのだ。ブラックは行き場がなくなった両手を勢いよく合わせた。
「社長、ごめんな!」
「……何してるの、ブラックくん」
「悪かった、本当ごめん!……って、え?」
おそるおそる目を開けたブラックの視界には、呆気に取られた顔をしているホワイトがしっかり映っていた。何が何だか分からないという表情をしている。その声には非難の色はなく、とりあえずブラックはふうっと息を吐いた。
「社長、オレの所為で怒られたから元気がなかったんじゃねえの?」
「えっと……。何それ?」
「いや、だから!!オレが日頃から、その……色々とやらかしてるから。それでヤーコン……先生に怒られたんじゃねえかと思って、オレ……」
「ああ……。そういうことね。大丈夫よ、そんなことないから」
「本当か?それでオレを無視してるとか、本当にない?」
「やーねえ。無視なんて、そんなことしないわよ」
ブラックは、ホワイトのその答に長い息を吐いた。どうやら自分が無視をされているというのは勘違いだったらしい。そのことに何故だか心底安心したブラックは、ふと疑問に思った。
「じゃあ、オレの声に気付かなかったのは何でだ?」
「え?ブラックくん、そんなにアタシのこと呼んでたの?」
「ああ」
「やだ……!」
そう言ってみせると、ホワイトは恥ずかしそうにぱっと顔を覆った。
「社長?どうしたんだ?」
「えっと……。うん、何でもないの」
この話はこれで終わりとばかりにひらひらと手を振ったホワイトを怪訝に思いながらも、ブラックは頷いた。だけど、何故だか感じたモヤモヤは晴れない。何しろホワイトはどう見たっていつもの元気がないし、しかもその理由を自分はまだ教えてもらっていないのだ。
「で……どうしたんだよ、社長。何で元気がないんだ?」
「ブラックくん……?ブラックくんこそどうしたの?」
何か変よ、と告げられたブラックは腕組みをして考え込んだ。確かに彼女の言う通り、今の自分は何となくだけどどこかおかしいと思う。けれどそれをラクツのように筋道を立てて説明するなんて芸当、自分にはとても出来そうもないと思った。だから思ったままの言葉を口にする。
「んー……。上手く言えないけど、社長が元気ないのは変っていうか……。そう、しっくりこないんだよ」
「え……?」
「だからさあ、社長にはいつも笑ってて欲しいっていうか……」
「ストップ!ブラックくん、ストップ!!」
「……何だよ社長。オレ、何か気に障ること言ったのか?」
「そ、そうじゃないけど!でも、もうこの話は終わり!」
「……はあ?何だよそれ」
意味が分からないとブラックは訊き返したけれど、ホワイトはそれについて答えることはなかった。心なしか彼女の顔が赤くなっているように見えて、それも少し気になった。
「そ、それはもういいから!……で、アタシが元気がなかった理由を知りたいのよね?」
何だか上手くごまかされてしまったような気がする。少し不満に思いながらも、ブラックは無言で頷いた。
「アタシ、今2人暮らししてるんだけどね。具合が悪くなるまで無理して勉強してた家族がいたのに、アタシはそれに全然気付けなかったから。自分が情けないなって思って、どうしても落ち込んじゃうのよ。その子は今日休ませてるけど、やっぱり心配だし……」
「その子……?社長、弟か妹でもいるのか?」
「一緒に住んでるのは従妹なの。すっごいいい娘なんだけど、頑張り過ぎちゃうところがあってねえ……。もう無理しないって約束したんだけど、心配だわ……」
「なら、いいじゃん」
「……え?」
ホワイトはブラックの顔を見上げる。なるほど、確かに家族の具合が悪いとなれば心配になるはずだとブラックは思った。けれど、そっくりそのまま同意するのは変だとも思った。
「約束したんだろ?じゃあいいじゃん。そのコのことはよく知らないけどさ、社長との約束を破ったりはしないと思うぜ?だって、すげえいいコなんだろ」
「……うん」
「心配する気持ちも分かるけどさ。もっとそいつのこと、信じてやらないと」
「うん……。そうね、ブラックくんの言う通りだわ」
そう言うと、ホワイトは微笑んだ。やっと見せてくれたその顔を見て、ブラックは自分の心が晴れていくのを感じ取った。まるで今の空のようだ。
「……ねえ。ひょっとしてブラックくん、弟か妹がいたりするの?」
「ああ、弟が1人いるけど?」
「やっぱり!!何だかさっきの言葉がお兄ちゃんっぽく聞こえたから、もしかしたらって思ったのよ!」
「え。オレが兄貴っぽいって、今そう言った?」
ブラックは目を瞬きさせながら尋ねた。日頃弟に注意されることが多いブラックは、そんなことを言われたことがほとんどないのだ。
「ええ」
「よっしゃあ!そんな風に言われたの、本当久し振りだぜ!」
「そ、そうなの?」
「ああ!どっちっかっていうと、オレの方が弟みたいだって父さんには言われるからさあ。もっと弟を見習えとか言われたこともあるんだぜ」
「へー……。随分しっかりしてるのね、弟さん」
「んー……。まあ、そうかもな。何ていうか、落ち着いたやつだよ」
「ブラックくんの弟なんだから、ブラックくんをもっと元気にしたタイプの子だと思ってたんだけど……。何か、意外だわ」
「……社長、それ酷くねえ?」
ごめんごめんと謝るホワイトは、すっかりいつもの調子を取り戻したかのように笑顔を見せた。その姿を見たブラックは、やっぱり社長はこうでなくちゃと思った。