school days : 021

眠り姫
リビングに足を踏み入れた途端に眠っている少女が暗がりにぼんやりと見えて、ワタルは苦笑した。電気が点いていなかったのは外から見て知っていた、だからここには誰もいないと思っていたのに。電気のスイッチを押すと、テーブルに突っ伏してすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている彼女の姿がはっきりと見えた。もう少しこのままにしてやるべきかと少し迷ったものの、テーブルに置かれている物に気付いたワタルは彼女に近付いた。その肩を少し強めに揺さ振って、耳元で名前を呼ぶ。何しろこの子は、ちょっとやそっとじゃ起きないのだ。

「起きろ、イエロー」
「いけえ、ピカ……。10まん、ボルト……」

口は開いても、イエローの目は未だに閉じたままだった。ワタルには意味不明な寝言をしきりに呟いている。どうやらイエローは、まだ夢の中にいるようだ。

「ううん……。そこだピカ、100まんボルトォ……。……やった、ついにワタルを倒したぞ……」

自分の名前が聞こえて来て、ワタルは固まった。もう一度肩を揺さ振ってやろうと、イエローに伸ばした手がピタリと止まる。どうやら今のイエローにとって、夢の中の自分は敵らしい。彼女の夢に自分が出て来るのは微笑ましい気持ちになるけれど、それが悪役というのは何とも気に食わない。

(ピカって何だ、ピカって)

何かの生き物なのだろうか。しかも100まんボルトって何だ、先程の10まんボルトよりグレードアップしていないか?ボルトということはおそらく電気の技か何かだろう。もしかしたら夢の中の自分はその電撃をもろに浴びたのかもしれない。想像すると何とも痛そうだ。
そんなことを真面目に考えた自分に気付いて、またもワタルは苦笑した。所詮これは夢なのだ、真面目に考えたところで意味がない。今度こそイエローの肩を掴んで、さっきより更に強い力で揺さ振った。ついでに名前を呼ぶ声も先程より大きくしてやる。

「イエロー!」
「うーん……。あ、あれ……?」

イエローの目がすう、と開いた。ゆっくりと身体を起こして、ぼんやりとした瞳でこちらを見つめる。数回瞬きをした彼女はようやく状況を理解したのか、ふにゃりと笑った。

「ワタルだあ……。おはよう、ワタル」
「今はもう夜だ。とりあえず顔でも洗って来い」
「はあい……」

しきりにあくびをするイエローを洗面所へと行かせ、ワタルは自分の部屋に鞄を置いた。上着をハンガーにかけてリビングへと戻ると、先程より幾分すっきりした顔のイエローがそこにはいた。それでもまだ眠いのか、目をごしごしと擦っている。

(……無理もないか)

イエローは時々、こうして深い眠りに落ちてしまうのだ。酷い時は10分くらい揺さ振らないと起きないのだけれど、それでも今日はかなり浅い方だ。それにイエローは寝起きが悪くないので、そんなところも起こす身としては助かる。

「ごめんなさい……。ボク、ワタルを待ってたんだけど……。また寝ちゃった……」
「お前の所為じゃない」

申し訳なさそうに謝るイエローに、ワタルは首を横に振って言った。自分の意思とは関係なく眠くなってしまうのは、事実イエローの所為ではないのだ。のほほんとしているけれど、イエローはこれでも由緒正しい一族の出だ。本名はイエロー・デ・トキワグローブ。トキワグローブ一族は不思議な力を持つ者が存在する。その力というのは人間の心が読めるという実に不思議なものだった。トキワグローブというその名前に因んで、トキワの力と一族の人間が呼んでいる力だ。昔はトキワの力によってそれは絶大な権力を握っていたらしい。
けれど、時が流れるにつれて少しずつその能力を持って産まれる者の数は減って行った。それに比例するように、トキワの力自体も弱まっていった。トキワグローブ一族が権力を握っていたのはトキワの力があってこそで、今ではすっかりトキワグローブが持っていた名声は地に落ちている。今では昔とは逆転して、その力を持って産まれて来ること自体が稀になった程だ。事実、妹のイブキはそんな力なんてまったくない。ワタルはというと、時々ほんの少しだけ人の心が読める程度だ。そしてイエローは、そんなワタルより遥かに強い力の持ち主だった。
イエローが強いトキワの力を有しているという事実を知って、長老達は大層喜んだ。いわゆる昔を知っている人間だ。失った栄光を取り戻そうとでも画策したのか、物心つかない内からイエローは結託した彼らによって厳しい教育を受けた。それは教育を通り越して、最早虐待と呼べるものだった。ワタル達兄妹とイエローの親は病気で既にこの世を去っていて、だからそれをいいことに長老達は好き放題やっていたというわけだ。最低限の食事と睡眠だけは与えられたものの、それ以外の時間はほぼ全て自分の力をコントロールする為の訓練に宛がわれた。トキワグローブ一族はひっそりとした村に一族皆で住んでいて、それはまさに閉鎖された空間だった。自由なんてない、そんな日々が数年間毎日続いた。それにおとなしく従うイエローを、ワタルは見ていられなかった。イエローが自分より強い力を持っていると分かる前、ワタルだって同じ扱いを受けた。毎日毎日、人の心を何時間も無理やりに覗くのだ。だからこそ分かる、あれは訓練というより拷問だ。オレが大人になったらそこから救い出してやると、ワタルはイエローに事ある毎に言い聞かせた。トキワの力を使うまでもない、ワタルにはイエローの助けを求める心の声が聞こえていたのだ。彼女も彼女で、自分が嘘をついていないとちゃんと分かったのだろう。そう言い聞かせる度に、泣きそうな顔で何度も何度も頷いたのだ。
幸いなことにワタルはイエローより一回り歳が離れていたし、長老達はイエローの力を自由に操ることに夢中で今やワタルの動向などまったく注目しなかった。村の外と中を自由に出入りしても咎める者はいない。それをいいことにワタルは外の世界で堂々と職と家を見つけ、生活の基盤を着々と固めていった。そして成人したワタルは幼いイエローの手を引いて、同じくこの里に嫌気が差していたイブキと共に里を出た。イエローが8歳になる前のことだった。何とか引き止めようと邪魔をして来た長老達には書類を突き付けて黙らせた、自分が正式にイエローの親代わりになったことを示す書類だ。打ちひしがれる彼らを冷ややかに一瞥して、ワタルは前に進んだ。もうこの村の土を踏むことはない、永遠の別れだった。
村から遠く離れたこの地に越して来ても、イエローの心の傷は簡単には癒えてくれなかった。忌々しい長老達に男の子として育てられた所為か、イエローは自分のことをボクと言うし、あまり女の子らしい格好もしない。それは今でも変わらないのだ。おどおどとしたおとなしい性格なのも、もしかしたら幼い日々の出来事が起因しているかもしれない。今でこそ普通に笑いかけてくれるけれど、この地で暮らし始めた時は今以上にびくびくしていたのだ。
あの地獄の日々から数年経った今でも、心には確かに何かが突き刺さっている。今でこそある程度は自分の意思でコントロール出来るようになったけれど、どうしても無意識にトキワの力を使ってしまうのもそうだ。そしてその力を使い過ぎると、反動でこうして眠気に襲われるというわけだ。その反動にも個人差があり、頭痛に襲われる者もいればそれが吐き気だったりと様々だ。ちなみにワタルは反動が頭痛で表れるのだが、力がイエローより弱い分コントロールも容易な為にそこまで苦労していない。言うまでもなくイエローは眠気に襲われるタイプの人間だ。それでも外出先や入浴中ではどうにか我慢出来る辺り、確かな成長が感じさせられる。それに今日はちゃんと椅子に座っていた、前回の床に比べればその差は歴然だ。しょげるイエローに、ワタルは明るい話題を投げかけた。

「喜べイエロー、明日はイブキが来るそうだ」
「イブキお姉ちゃんが……?やったあ!」

イエローはイブキをお姉ちゃんと呼ぶ。ワタルも当初はお兄ちゃんと呼ばれていたのだけれど、むず痒くなって止めさせたのだ。自分は親戚であって兄ではないし、ちゃん付けが何とも気恥ずかしい。そういうわけでイエローは、ワタルだけは呼び捨てにするのだ。ちなみに敬語も止めさせた、やっぱり違和感が拭えないし。

「お姉ちゃん、何時に来るって?」
「そうだな……。道場が閉まってからだから、夜の8時辺りじゃないか?」
「わあ!……楽しみ!」

イブキは現在、空手道場で師範の仕事をしている。隣町なので職場に近いアパートで1人暮らしをしているのだけれど、頻繁にこの家にやって来るのだ。男勝りなイブキはイエローを大層可愛がっていて、2人はとても仲がいい。イエローはイブキに憧れて髪を伸ばしたくらいなのだ。るんるんと鼻歌を歌いながら、イエローはレンジで温めた料理を運んだ。テーブルに順序良く並べていく。

「悪いな、帰りが遅くなって。それに、料理をさせてすまない」
「そんなの当たり前だよ。だって、ワタルのおかげでこうして学校に通わせてもらえるんだから」
「そうか。スオウ大学はどうだ?」
「楽しいよ!いっぱい絵を描かせてくれるんだ」
「……そりゃあ芸術系の大学だからな」

絵を描くのが好きなイエローは、現在スオウ大学に通っている。この近辺では有名な芸術系の大学だ。ちなみにワタルはというと、教師をやっていたりする。幼かったイエローによく勉強を教えていた経験が活きたのだ。2人でいただきますと言って、食事に手をつけ始める。しばらく夢中で食べていたイエローが、ふと箸を止めた。

「そういえばボク、寝てる間に夢を見たんだけど……。嫌な夢だったよ」
「何の夢だ?」
「えっと、ワタルと戦ってたよ。ボクはワタルを止めようとしてて……。ワタルがボクの敵なんて、そんなことあるわけないのにね?……ああ、やっぱりまだ眠いなあ……」
「食い終わったら早く寝ろよ」
「うん!」

ふわあっと大きなあくびをした彼女はやはり眠そうだ。言い付けに満面の笑みで頷いたイエローを見て、ワタルはわずかに目を細めた。