school days : 018

ミスター・パーフェクト
通学路に大好きな人の後ろ姿を見つけた瞬間に、寝ぼけ気味だったユキの頭は一気に覚醒した。今日は朝から生憎の雨で、どんよりと憂鬱になっていた気分も吹き飛んだ。見間違えるはずがない、あれは絶対に彼だ。

(ラクツくんだわ!!)

彼は普段ヒュウとペタシと3人で下校していることは知っている、けれど今は朝なわけで、おまけに彼の周りには誰もいなかった。つまり、ユキとラクツのお邪魔虫はいないわけで。

(チャンス到来!!)

思うが早いが、ユキは駆け出した。高鳴る鼓動はいつにも増してうるさかった。大声を出さなくてもきっと彼は気付いてくれると思うけれど、声を張り上げずにはいられなかった。

「ラクツくーん!!」

その声に、ラクツがゆっくりと振り返った。その一連の動作でさえ、ユキは心底かっこいいと思った。もう何回思ったか分からない、だけどユキは彼を見る度にそう思ってしまう。更にうるさくなった心臓の音に負けじと声を出した。

「ラクツくん、おはよう!」
「ユキくんか。……おはよう」

ただの挨拶ですらかっこいいと思えてしまうのはフィルターがかかっている所為だろうか、それとも彼がただひたすらかっこいい所為だろうか。きっとそっちだわなんてことを考えながら、ユキはラクツに遅れまいと少し早足で歩いた。何しろ彼とこうして一緒に登校出来るなんて、ユキにとっては初めての体験なのだ。何度も夢に見た光景が、実際に今自分の身に起こっている。この貴重な時間は、ただの1秒だって無駄にしたくない。

「ラクツくん、剣道部はいいの?」
「今日は休みだからな」
「そっか!だからこんな時間に登校してたんだ。テニス部も今日は休みなの。ほら、生憎の雨だから」

現在時刻は午前8時15分、普段ならとっくに朝練が始まっている時間だ。それなのに何故この時間に彼が登校してるんだろうと思ったユキは納得した。一瞬遅刻した可能性も考えたけれど、ミスターパーフェクトの名前にそぐわないわよねと思ったのだ。雨でなければユキはテニス部の朝練に出ていたわけで、剣道部が休みでなければラクツもまた朝練に出ていたわけで。2つの偶然が重なって、こうしてユキは今大好きな人と登校しているのだ。
雨で本当に良かったとユキは思った。ちょうど今ユキが差している傘は下ろしたての物なのだ、しかもピンクのレースが付いた可愛いやつで。今日に限ってこの傘を差した自分を褒めてやりたかった。ピンクより青系の色がどちらかと言えば好きだけれど、やっぱり好きな人には可愛く見られたい。

(ユウコとマユに自慢出来ちゃう!)

よく行動を共にする2人もまた、ユキと同じテニス部に所属しているのだ。おまけに2人共ラクツのことが気になっているらしい。つまり、ユキも含めて3人仲良く彼に好意を抱いていることになるのだ。もっとも3人のみならず、ラクツはとにかく女の子に人気があるのだけれど。だけどとにかく、今日のこの体験だけでも他の女子よりかはリードしたと思う。唯一気がかりだったのはあのお嬢様との関係だけれど、それも友人でしかないとユキは知っている。

(……本当、良かった)

ラクツがプラチナとつき合っていないとヒュウから聞いたユキは安堵した、心の底からホッとした。もしつき合っているなんてことになったらへこむなんてもんじゃない。ヒュウがその答を口にするまで、ユキは携帯を握ったまま震えていたくらいなのだ。
ちなみに、ラクツがプラチナとつき合っていないという事実はほとんど広まっていない。理由はどうあれ、ユキにとっては追い風だ。マユとユウコですら少し前までの自分と同じようにあの噂を信じ込んでいるらしいけれど、ユキはわざわざ訂正するつもりはなかった。ライバルは少なければ少ない程いい。2人の気持ちを知っている身としては、少しだけ心苦しく思わないでもない。だけど、これだけはどうしても譲れなかった。

(だって、大好きなんだもの)

もっと女を磨いて、もっと彼に関する情報を集めて。そうして準備が整ったら、ユキは告白するつもりでいる。今はその為の準備期間なのだ。だから待っててねとユキはラクツの背中に向かって呟いた。雨だから急いでいるのか、彼との距離は先程よりも開いてしまっている。これは小走りでなければラクツに追いつけないと、ユキは息を吸った。

「……きゃあ!」

走り出そうとしたまさにその時、誰かに後ろからぶつかられたユキは悲鳴を上げた。ちなみにラクツの気を引こうと叫んだのではない、素で驚いたのだ。一言文句を言ってやろうと、ユキは振り向いた。ツインテールとお団子を合わせた髪型をした女の子と目が合う。確か、同じテニス部のワイと仲が良かったはずだ。陸上部の有名人と3人でよく一緒にいる姿を何度か見かけていた。

「ご、ごめんなさい……」

弱々しいその声に、ユキの怒りは少しやわらいだ。何となくおとなしい印象だと前から思っていたけれど、どうやらそれは間違いではなかったらしい。自分にわざとぶつかってきたのかとも疑ったけれど、その娘の様子からしてもそうは見えなかった。こちらが文句を言う前に謝ったのだからまあいいかと、ユキは水に流すことにした。

「ああ、いいわよ別に。ちょっとぶつかっただけだから」

そう言ってユキは笑いかけたけれど、その娘からの反応はなかった。「はい」とか「うん」とか、そう言った言葉も発さずに、その娘はただ前を見つめている。どこか呆然とした様子と言ってもいい。青い傘の柄をぎゅっと握り締めたのがユキの目に入った。髪色こそ明るい茶色だけれど、何ともおとなしくて地味な娘だとユキは思った。

「……どうしたの?」

怪訝な顔をして問いかけると、その娘ははっと我に返った様子でこちらを見た。その表情は、どことなく強張っていた。もしかして、イライラしているのが声に出ていたのかもしれない。そう思ったユキの耳に、「ごめんなさい」と再び謝った女の子の声が届いた。雨の音にかき消されそうな小さな声だった。
そしてその娘は、ユキが口を開く前に走り出した。何をそんなに急ぐのかと彼女の背中を呆気に取られて見送ったユキの視界に、ラクツの姿が映り込む。彼を見た瞬間に、ユキもまたはっと我に返った。

「あ!ごめんねラクツくん!」

待っててくれたんだ、嬉しい!そんなことを思いながら、ユキはラクツの元へ急いだ。

「ありがとう!」
「…………」

けれどユキの言葉にラクツはすぐに答えなかった。珍しいと思いながらも、彼の名を呼んでみる。

「ラクツくん?どうかしたの?」
「……いや」

今度はすぐに返事が返って来て、ユキはホッとした。踵を返したラクツに続いて歩き出す。先程より随分とゆっくりした速度だ。

(もしかして、ぶつかられたあたしを心配してくれてるのかしら?)

勉強も運動も出来て背も高くてかっこよくて、おまけに優しい。ラクツはまさに完璧だ。完璧とは彼の為に作られた言葉なのではないだろうか?やっぱり彼はミスターパーフェクトの名前に相応しい男の人だと、ユキは思った。