school days : 017
ねがいごと
玄関から聞こえて来た「ただいま」の声に、ソファーに座って雑誌を読んでいたシルバーは顔を上げた。続きが気にならないと言ったら嘘になる、けれど今は帰って来た人物を出迎える方が優先だ。そっと雑誌を置いて、シルバーはドアを開けた。「……お帰り、ブルー姉さん」
「ただいま、シルバー!ねえ、わざわざドアを開けなくていいのよ?」
苦笑しながら言ったブルーに、シルバーもまたいつもの台詞を返す。既にこれは習慣になってしまっているから、今更止めると違和感しかないのだ。
「いいんだ、オレが好きでしてることなんだから。コーヒー飲む?淹れるよ」
「ありがと!助かるわ」
テーブルの上に置いてあるポットのボタンを押して、お湯をカップに入れた。最初はコーヒー1杯淹れるのもぎこちなかったけれど、今ではすっかり慣れたシルバーは程なくカップを2つ持ってブルーの元へ向かった。ソファーにかけてテレビを点けたブルーに、青いマグカップを差し出す。名前の通り鮮やかな青色をした、ブルー専用のカップだ。
「はい、姉さん」
「ありがとう、シルバー。ああ、やっぱりシルバーの淹れてくれたコーヒーって美味しいわ」
「そうかな?」
「そうよ、パパとママも美味しい美味しいって絶賛してるのよ?で、そのパパとママは2人でまた買い物?」
「うん、仕事が休みになったからって。……隣、いい?」
「もちろん」
ほんの少しだけ間を空けて、シルバーもまたソファーに腰を下ろした。ブルーが最近はまっていると言う連続ドラマの再放送を、ぼんやりと眺める。どうやらこれは恋愛ものらしく、若い男女が雨に打たれながら抱き合っていた。普段こういった番組をほとんど見ないシルバーは何となくいたたまれない気持ちになった。
気を逸らそうと雑誌に手を伸ばしたシルバーはあることに気が付いた。数日前から何だかイライラした様子だった姉の表情が、今日は幾分やわらいでいるのが見えたのだ。あえて訊かなかったのだけれど、今なら答えてくれるかもしれない。ブルーが何かに悩んでいるというのなら、シルバーとしては何をおいてもその悩みを解決しなければならないのだ。
「姉さん、何があったの?」
「……やっぱりシルバーには分かっちゃうか。最初はただ呆れてただけなんだけど、あまりにあいつが鈍感だからちょっとイライラしてただけなの。でもシルバーのコーヒーを飲んだら少し治まったから。……気を遣わせてごめんね」
テレビの画面から自分に目線を移してそう言ったブルーに、シルバーは首を横に振って答えた。気を遣わせたなんて、とんでもないことだった。
「姉さんが気にすることはないよ」
ブルーは具体的に何があったのかは言わなかったし、ついでにその人物の名前も出さなかったけれど、彼女をよく知っているシルバーには誰のことを指しているのか理解出来た。ブルーがあいつと呼ぶのはよく行動を共にするあの2人だけで、その上鈍感となれば該当者は1人しかいない。もっとも、シルバー自身は彼をよく知らないのだけれど。
(姉さんは、少しイライラしているだけだ)
例の彼がブルーの気分を害している事実は何とも気に食わないけれど、少なくともブルーがそれで酷く悩んでいるということはなさそうだった。それが分かっただけでも、思い切って尋ねた甲斐があるというものだ。良かったと息を吐いたシルバーに、ブルーが明るく笑いかけた。どうやらドラマは終わったらしく、自分が先程まで読んでいた雑誌をパラパラとめくっている。
「この前言ってた雑誌ってこれのこと?」
「あ、うん。今日帰りに買って来たんだ、特集が組まれてたから」
「タウリナーΩ、だっけ。今度、アタシも見てみようかしら」
「本当か!?」
ぽつりと零された言葉に、シルバーは勢いよく反応した。タウリナーΩは戦隊物のアニメで、たまたま一目見たその瞬間シルバーは魅了されてしまった。音楽といい演出といい、何から何まで素晴らしい。今ではすっかりタウリナーΩの虜になったシルバーは、毎週日曜日の朝9時5分前にはテレビの前に陣取っているのだ。
「本当に面白いんだよ、これは!」
もしかしたら、ブルー姉さんとタウリナーΩの話で盛り上がれるかもしれない。そうなったらどれ程素晴らしいだろうと、シルバーは興奮気味に熱弁した。学校に同志はいないかと密かに観察してみたはいいのだけれど、期待も虚しく同学年で鞄にタウリナーΩ関連のグッズをつけている人間はいなかったのだ。まだ1年と2年が残っているだけ希望はある、だけどもしブルーが嵌ってくれたらどんなにいいだろう……。
「……良かった」
「え?」
「シルバーがそんな風に笑うの、久し振りなんだもの。そう思ったら、つい……ね」
「オレ、そんなに笑ってなかった?」
「そうね……。少なくとも、昔は全然笑ってなかったわね」
「そうか。オレ、おじさんとおばさん……。それにブルー姉さんには本当に感謝してるんだ。血の繋がらないオレを、こうして家族の一員として育ててくれて」
「シルバー……」
物心ついた時、シルバーに親と呼べる存在はなかった。自分の一番古い記憶は、薄暗い施設で日々を過ごしていた時の物だ。それが今はどうだろう、こんなにも明るくて暖かい所にシルバーはいる。それもこれも、自分を受け入れてくれた3人のおかげなのだ。だから、シルバーはこの3人が幸せになることを心から願っている。
「ねえ、見てこれ!タウリナーΩDVDセットを抽選で10名様にプレゼント、ですって。応募してみましょうよ、もし外れたらアタシが買ってあげる」
「え……。い、いいよそんな……」
「ダメよシルバー。シルバーはアタシ達に遠慮し過ぎなの。アタシ達は4人家族なんだから、もっと甘えたっていいのよ?」
「姉さん……」
「それとも何か別の物がいい?これが欲しいとか、ある?」
「……いや。出来れば、そのDVDがいいな」
「了解!じゃあさっそく出さないとね。アタシ、はがき買って来るから!」
「……ありがとう」
そう言って自分に背を向けた姉を、シルバーは見つめた。本当に自分が欲しいものの名前は言えなかったけれど、これからも言うつもりはなかった。自分の家族が、ブルーが、幸せになってくれればそれでいい。それでいいんだと、シルバーは自分自身に言い聞かせた。