school days : 016

叡智の瞳
食後の紅茶を静かに飲んでいる許婚を見ながら、向かい側に座るダイゴは彼女が話し始めるのをただ待っていた。何か訊きたいことがあるのは明らかであるはずなのに、彼女は一向に話を切り出そうとしない。こちらを見ながら口を開いては閉じてを先程から繰り返している。元来物静かな彼女だけれど、それでもはっきりと物を言うタイプのこの娘にしては珍しい。どうやらこれは相当言い出しにくい話のようだ。こちらから話を振らないと永遠にこのままかもしれないと思ったので、ダイゴは助け船を出すことにした。

「プラチナちゃん、ボクに言いたいことでもあるのかな?」
「は、はい……」

そう答えたプラチナは罰が悪いようなホッとしたような、複雑な表情を見せた。持っていたカップをソーサーの上に静かに置いて、コホンと小さく咳払いをする。

「あの、ダイゴさん。訊きたいことがあるのですが」
「何だい?」
「……恋とは、いったいどのようなものなのでしょうか?」

背筋を伸ばしてそんなことを口にするプラチナに、ダイゴは一瞬吹き出しそうになった。冗談かもしれないと思ったが、プラチナはまず冗談など口にしない。つまり彼女は至極真面目に尋ねているのだ。

(何かと思えば……。何だ、そんなことか)

身構えていたこちらとしては少々拍子抜けする思いだったけれど、真剣な顔をするプラチナに倣ってダイゴも気を引き締めた。

「恋、か。プラチナちゃんは、誰かに恋をしたことがないんだね?」
「はい。……すみません」

肯定したプラチナはそっと目を伏せた。そう尋ねたということは、つまり自分にもそのような想いは現在進行形で抱いていないということに他ならない。極小さな声で謝るプラチナに、ダイゴは笑顔を向ける。

「いや、いいんだよ。ボク達のことは親同士が勝手に決めたんだしね。ただプラチナちゃんが大学を卒業したら、ボクを好きになってもらえると嬉しいんだけど」
「…………はい」
「良かった。結婚するなら、やっぱりお互いの気持ちが大事だからね。お金だけ多くても、そこに気持ちがなければ虚しいだろう?」

声に出さずに頷いたプラチナを、ダイゴはじっと見つめた。大企業の社長の息子でもあるダイゴが、ベルリッツ家の1人娘のプラチナと出会ったのはもう数年も前のことになる。資産家が数多く参加するパーティ会場で、窓際に佇んでいたプラチナに声をかけたのが始まりだった。退屈しのぎに話しかけた相手が、自分と同じくらい宝石に詳しいと知ってダイゴは目を輝かせた。自分が一方的に話して彼女はそれに受け答えをするだけだったのだけれど、それでも一応会話が続いたことに変わりはなかった。その様子をベルリッツ家の誰かにしっかりと見られていたのだろう。
父親に話があると数日後に呼び出されたダイゴは、その内容に耳を疑った。どうせまた結婚をせっつかれるか、もしくは跡継ぎの勉強をしろとか言われるかと思っていたのに、言われた言葉はそのどちらでもなかったのだ。よくやったと嬉しそうな父親の姿を見るのは久し振りだなんて、そんなどうでもいいことをぼんやりとした頭の隅で思った。ベルリッツ家の1人娘が自分の許婚になったという事実は、どうやら夢ではないらしい。
その時は正直冗談じゃないとも思ったけれど、今ではプラチナとのことを受け入れている。父親がそれ程うるさくなくなったのは少なからず大きかったし、何より彼女は宝石に詳しい。代々学者を輩出して来たベルリッツ家の例に漏れず、プラチナもまた学者になることが決まっている。だからとりあえず、プラチナが大学を卒業してから大々的な式を挙げるつもりらしい。ちなみに嫁に行くのではなく、ダイゴがベルリッツ家に婿に入ることになるのだけれど、その点についても別に不満はなかった。

「恋とは何か、か……。うーん、ちょっと難しいなあ……」

ダイゴは自分の友人を思い浮かべた。情熱的な彼ならきっと愛について語ってくれるだろう。けれどプラチナの前で電話するわけにもいかない。何より彼は最近恋人と別れたらしく、今は絶賛傷心中なのだ。

「ボクもあまり偉そうに言えないけど……。そうだね、恋っていうのはつまり相手を見たり想ったりするとどきどきして、苦しかったり幸せになったりすることかな」
「……まあ!それでは、そのどきどきについてなのですが……」
「うん。……まあ、お手柔らかに頼むね」

プラチナは、それはもう好奇心旺盛な子なのだ。瞳を輝かせて質問を口にし始めた許婚に、ダイゴは苦笑しながらそう答えた。