school days : 015
まるで奇跡のような
「どうしたの?」顔色悪いね、と実に心配そうにミツルが口にする。昼休みに購買で買って来たパンを食べながらそんなことを言ったお人好しの彼に、野菜ジュースを飲み終えたルビーはにこりと笑ってみせた。自分の身体が弱い所為か、ミツルはこういった変化には非常に聡いのだ。
「大丈夫大丈夫。ただ、また姉さんからメールがね。……見てみる?」
ルビーがそう言いながら携帯の画面を見せると、覗き込んだミツルは驚きの声を上げた。ここ数日の間に、10件ものメールが同じ人物から送られて来ている。
「ル、ルビーくん!……ね、大丈夫?これ」
「うん。……まあ、ね。でもメールなだけまだマシな方さ、前は電話だったからね。だいたいこの時期になると送られて来るんだよ」
そうは言っても、この数はやっぱりちょっと鬱陶しい。ミツルを心配させまいと溜息こそつかなかったけれど、ルビーは憂鬱な気持ちで画面を見つめた。自分は寮でカガリは自宅、住まいが離れているからこそだとも思うけれど、ちょっと短気過ぎやしないだろうか。電話だった以前に比べれば、遥かにマシだけど。
(あ、また来た。カガリ姉さんもよくやるよなあ)
16歳の自分とはそこそこ離れた歳のカガリは現在OLをしている。多分向こうも昼休みなのだろうと当たりをつけて、ルビーは受信履歴一覧を眺めた。いっそのことこちらから返事をしてやるべきかとも考えたけれど、迷った末に結局無視が一番だという結論に至った。いくら姉でもまさか寮にまで乗り込んで来るとは思えなかった。
小学校卒業までは、ルビーはカガリと今とは逆に仲が良かった。ついでに父親のセンリとも今程仲が悪くなかった。ルビーとカガリが揃って空手を習っていたのだって、センリの言い付けを守ってのことだ。カガリは空手を今も続けているのだろうけれど、自分はもう空手をする気はない。おとなしく父親に従っていたのは過去のことだ。
「……ルビーくん?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事してたんだ、姉さんもよく飽きずに送って来るなって思ってさ。……本当、親子揃って頑固だよねえ」
やっぱり具合が悪くなったのかと心配してくれるミツルに、ルビーは肩を竦めてみせた。まったく本当にこの親子は頑固だとルビーは思う。娘は頻繁にメールか電話で、父親は時々面と向かって自分に「空手をしろ」と言って来るのだ。デザイナーになりたいのだというルビーの意向は無視して。家族の中でそれに反対しないのは母親くらいで、だからルビーは母親以外とはすっかり敬遠になっている。自然と家にも居辛くなったルビーは寮があるポケスペ学園を選んだ。
これで安泰だと思ったのも束の間、センリがポケスペ学園に赴任して来たと知った時は頭を抱えた。特に父親から離れたくてこの学校を選んだのに、これではまるで意味がない。これからの学園生活が地獄だと思ったけれど、どうやらセンリは担任に関しては自分の学年を受け持つのではないらしいことが分かった。それを知って、ルビーは心の底から安堵した。毎日顔を合わせないというだけでも、随分と気が軽くなる。センリとはこの校内でたまにすれ違うけれど、ルビーは挨拶もしなければ会釈もしない。
「ルビー、お前には才能があるだなんて姉さんは言うけどさあ……。ボクの気持ちも少しは考えて欲しいよ」
「……大変だね」
安い同情心からではなく本当に心配して言ったミツルに、ルビーは笑った。捻くれた自分とは違って、彼は本当に優しい。
「ボクに何か出来ることがあったら言ってね、ルビーくん」
「うん、ありがとう。こうやって愚痴を聞いてくれるだけで充分ありがたいよ。こんな情けない姿、サファイアにはとてもじゃないけど見せられないからね」
「サファイアさんとのこと、キミの家族に言う気はないの?」
「もちろん!これは母親にも内緒なんだ。ミツルくんと、サファイアの親友しか知らないよ。父親に知られると色々面倒だからね。まず間違いなく姉さんにも連絡がいくはずだし」
ルビーはサファイアとつき合っているのだけれど、学校ではお互い普通に接することにしている。サファイアが恥ずかしがるということもあるが、何よりもセンリに知られたくない。もう出来るだけ、父親とは関わりたくないと思っているのだ。
カガリに関しては、少なくともルビー自身は実はそれ程嫌ってはいなかったりする。メールや電話攻撃が鬱陶しいとは思うが、それでもルビーは受信拒否リストにカガリの名前を入れていない。それをいいことに容赦なくメールが送られて来るのには辟易するけれど、きっとこの先もルビーは姉を完全には嫌えないだろう。まだ父親が怖くて仕方なかった頃、幾度となく庇ってくれた記憶があるからだろうか。それももう随分と小さい頃の話だと、ルビーは思考を切り替えた。
「そういうわけでミツルくん、これからも内密に頼むよ」
「もちろん!絶対に言わないからね!」
「うん」
ミツルはこくんと素直に頷いた。誰に対しても誠実な態度のミツルは、病弱だけれど確かな人望がある。ルビーだって、ミツルがこういった約束を破らない人間だと知っているからこそ秘密を打ち明けたのだ。こんな素直な人間が自分の傍にいてくれることはまるで奇跡のようだとルビーは思う。
そしてそれはあの娘も同じだ。何もかもが可愛らしいあの娘と出会ったのも、恋仲になれたのも、本当に幸運なことなのだ。神様を信仰していないルビーだけれど、この点に関してだけは実に感謝している。
(今度2人きりになったら、抱き締めてあげたいな)
彼女は多分怒るだろうけれど、きっと文句を言いながらも許してくれる。遠くないうちに訪れるそんな未来を想像して、ルビーは笑った。