school days : 007

煌き
「ラクツさん」

少し大きめの声で名前を呼ばれて、ラクツは我に返った。顔を横に向けると、プラチナが心配そうに自分を見つめているのが視界に映る。ホッとした彼女の様子から、ラクツは自分が随分と考えに耽っていたことを悟った。ちょうど自分の幼馴染がそれは嬉しそうに廊下を歩くのが自分の目についたのだ。彼女を何となく目で追ってしまったのは、喜色満面の笑みを浮かべるあの娘が珍しかったからだ。誰に言うわけでもなく胸中でそう呟いて、ラクツはプラチナに向き直った。おはようございますと礼儀正しく一礼したプラチナの眉尻が少し下がっていた。

「……大丈夫ですか?どこか悪いところでもあるのですか?」
「おはよう。いや、どこも悪くない。……ただの考え事だ」
「そうですか」

そう言うとプラチナはそれきり口を噤んで、ラクツの隣の席に着いた。指定鞄の中から取り出した本をパラパラと捲り始める。自然と2人の間に沈黙が流れるが、ラクツが居心地の悪さを感じることはなかった。
プラチナは名家中の名家・ベルリッツ家の1人娘だ。授業中でも休み時間でも、立ち振舞いは常に堂々としている。ベルリッツ家の名前に恥じないようにと、幼い頃から厳しく躾けられていたらしい。いつだって凛としていて身体から気品が滲み出ているプラチナは、実はかなりの口下手だった。大人と話すのは慣れているからか平気だということらしいが、同年代の人間だとどうにもダメらしい。何でも何を話せばいいのか分からなくて、緊張してしまうのだとか。それをラクツは知っているから、無理に会話をしようとは思わなかった。彼女とは知り合ってまだ1年だが、性格はそれなりに把握している。
プラチナとは去年も特進クラスだった。同じクラスだったということもあって、プラチナとはそこそこ一緒にいたと思う。ラクツは、きゃあきゃあと甲高い声を上げるような女は好きではなかった。はっきり言ってしまえば嫌いで、正直耳障りだとさえ思っている。だから物静かであるプラチナと話すのは、ラクツにとって実に楽だった。
それが要因か、プラチナとつき合っているという噂がいつしか流れるようになった。今だってそうだ、ラクツがプラチナと話すと周りの生徒が何やらひそひそと話している声が嫌でも耳に入って来るのだ。お似合いだとか美男美女だから絵になるとか、そんな言葉が聞こえて来る。
だけどそれはあくまで噂しかない。ラクツがプラチナにそういった感情を抱いたことは一度としてないのだ。自分の中で、プラチナは紛れもなく友人の1人だった。ただ相手は女の子だったから、少し言動に気を付けただけのことだ。
自分がフェミニストだという自覚はある。そんな父親を反面教師にしようと決めた所為か、それとも別の要因か、ラクツは小さい頃から非常によくモテた。1歳上のブラックだってモテたが、ラクツはそれ以上だった。いつかのバレンタインデーには大きな紙袋にどっさり入る量のチョコを貰い、持って帰るのに困ったくらいだ。当然女の子から告白されたことも一度や二度ではない。同級生はもちろん歳上から歳下まで、既に数え切れない程の告白を受けていた。数えたことはないが、10人は優に超えるだろう。
けれど、今までの人生でラクツは誰かとつき合ったことはなかった。好きだと言ってくれるのは素直に嬉しい、好意を持ってくれるのはありがたい。そうは思うのだけれど、それ以上の感情は湧いて来なかった。どんなに頭が良くてスタイルがいい娘が相手でも、つき合う気になれないのだ。恋人がいないことを特に問題だと感じることもなかった。いかに相手を傷付けずに告白を断るかの方がむしろ問題で、彼女が欲しいと日々悩んでいるペタシに言わせれば、それは”随分贅沢な悩み”だということらしいが。

「……あの、ラクツさん」

黙って本を読んでいたプラチナが、小さな声で自分の名を呼んだ。彼女にしては遠慮がちなその声に少しだけ訝しんだが、何も言わずに顔だけ隣に向ける。

「何だ?」
「また同じクラスになりましたね。今年もよろしくお願いします」
「ああ。よろしく、プラチナくん」

再び軽く会釈をしたプラチナの、それは見事な青味がかった黒髪がさらりと揺れる。きらきらと髪が日光に反射して、その眩しさにラクツはわずかに目を細めた。