育む者 : 042
奇妙な誕生日
今日という日、つまり5月4日はラクツの誕生日だ。実際には産まれた日ではなく長官に拾われた日なのだが、この際それはたいした問題ではない。何しろ自分は物心つかないうちから国際警察に所属している身なのだ。事件が起これば誕生日だろうと年末年始だろうと関係なく、とにもかくにも任務を遂行するべく各地を駆け回る日々を送って来たわけで。調査対象に近付く為に他人の誕生日を利用したことは幾度となくあるけれど、自分のそれに関してははっきり言ってどうでも良かったのだ。「………………」
誕生日なんぞ他の364日と何ら変わりがなかったと言い切れるラクツはというと、現在進行系で困惑していた。しつこいようだが誕生日を祝われる習慣などありはしないのだ。つくづく妙な気分だと胸中で零したのも束の間、すぐに意識は眼前の娘へと移る。弁当を広げ終えたファイツがおそるおそるといった調子で唇を開く様を、ラクツは何も言えずに眺めていた。
「……ど、どう……かなあ?」
いつまで経っても無反応だった所為で痺れを切らしたらしいファイツがそんな言葉をおずおずと投げかけて来たが、ラクツはそれでも無言を貫き通していた。別に無視をする意図はなかったのだが、何を言っていいのか分からなかったのだ。朝一番に「誕生日おめでとう」と言われた。わざわざピクニックに誘ってくれた。更には弁当まで作ってくれた。何から何まで異例尽くめだ。ラクツは声に出せない代わりに”こんな誕生日は産まれて初めてだ”と胸中で呟いて、彼女手製の弁当を覗き込んでみた。
「………………」
それは、極普通の弁当だった。透明のタッパーの中には唐揚げにハンバーグや焼き魚、卵焼きにウインナーやらが所狭しと詰め込まれていた。そしてまた別のタッパーにはミニトマトにポテトサラダ、茹でたほうれん草にブロッコリーといった色とりどりの副菜がこれまたぎっしりと詰め込まれているのが確認出来た。更にはその傍らにハムとレタス、たまごサラダやいちごジャムを挟んだサンドイッチが存在するという気合の入りようだ。そんなファイツ渾身であろう弁当は、いかんせん量が多かった。それぞれ好き勝手に過ごしているポケモン達がいることを差し引いてもざっと5人分か6人分はあるのではないだろうか。そういえば今朝の洗い物がやたらと多かったこととバスケットが妙に重かったことを思い出したラクツは、どちらも手を貸してやるべきだったかと脳内で呟いた。いや、「あたしに作らせて」だとか「あたしが持つからね」と頑なに言い張ったのは彼女なのだが。
「えっと、あたしなりに上手く出来たと思ってるんだけど……。……その、やっぱりダメ……かなあ?」
「……いや」
こちらが何も言わない為なのだろう。彼女の中では既に失敗したことになっている弁当に目を落としたファイツが、沈んだ声で零した。その音はともすれば涙が入り混じっているように聞こえたラクツは、何も考えずにそう返した。まさにそれは反射的だった、自分には珍しいことだと思ったのはすぐ後だ。
「そういう意図で黙っていたわけじゃない。ただ、何と言っていいのか分からなかっただけだ。重ねて言うが朝一番に”誕生日おめでとう”と祝われたのも、わざわざどこかに出かけたのも、手料理まで振舞われたのも、正真正銘これが初めてだ。何せ任務か訓練漬けだったからな。……うん、キミと同居したからこそ体験したと解釈してもいいかもしれないな。実に貴重な経験だ」
「…………」
自分が彼女にどんな目で見られているのか気付かないラクツは、そこで言葉を切ると広げられた弁当を見下ろした。明らかにこの場で食べ切るのは難しい量だ。
「……しかし、これはどうしたものか……」
「や、やっぱり失敗してた!?」
「違う。夕食を作るつもりでいたが、どうもその必要はなさそうだと思っただけだ」
告げた途端、ファイツは身を強張らせた。この娘の反応が大袈裟なのはいつものことなのだが、どういうわけか目を合わせないところからしても彼女としては触れて欲しくなかった部分であるらしい。
「う……。その、やっぱり多いよね……?」
「まあ、そうだな。努力はするが、十中八九この場では食べ切れないと思うぞ」
「うう……。あれもこれもって思ったら、つい入れ過ぎちゃって……。……その、迷惑だった?」
「いや、迷惑とは思っていない」
前者はまだしも後者は肯定する必要性をまるで感じなかったラクツが首を横に振ると、ファイツはあからさまにホッとした様子で「良かった」と言った。まるで花が咲くような、それはそれは綺麗な笑顔で。
(……いい顔をしている)
花が咲くような柔らかな笑みだ。しかし、風に吹かれて小さく揺れているどの花よりも綺麗な笑みだ。上手く働かなくなったラクツの頭に浮かんだのはそんな言葉だった。この笑顔をもっと見ていたいと思うと同時に、見ていたくないと感じるのは何故だろうとも思った。矛盾しているのは理解しているが、本当に自分でもよく分からないのだ。
「……ラクツくん?どうしたの?」
「…………いや。何でもない」
今度の”いや”は明らかに何でもなくはなかったのだが、それを正直に言えるはずもなくて。そもそも軽薄な男を演じているわけでもないのだし、例えば”あの花よりもずっと綺麗な笑顔だね”なんてこの娘に告げる必要などどこにもありはしないのだ。そう思い直したラクツは素知らぬ顔で「いただくぞ」と話題を変えて、手当たり次第に紙皿に盛り付けた。卵焼きに箸を伸ばして、鮮やかな黄色のそれを口内に放り込む。
「…………」
目を閉じて咀嚼していたラクツは、出汁が溢れるそれを胃の中に収めると続けざまに自分の為に作られた料理に手を伸ばした。唐揚げにハンバーグ、茹でたほうれん草ににんじんの煮物。更にはハムとレタスのサンドイッチ。偶然かもしれないが、どれを食べても浮かんだ感想は悉く同じだった。つまりはかなり個性的な味の、はっきり言ってしまえば”本当に失敗している弁当”だ。それも、大失敗だと評しても過言ではない程の。
「…………ど、どう?その、見た目はいいと思うんだけど……っ!」
「……ファイツくん。キミも、食べてみるといい」
「う、うん……」
やっとのことでそれだけを言ったラクツは、こくんと頷いたファイツが言われた通りに箸を伸ばすのをじっと眺めていた。自分に倣ってかそうではないのか、卵焼きを口に入れた瞬間に彼女の眉間には深い皺が刻まれた。
「……何これええええ!?」
飲み込んだ途端、彼女の絶叫が草原中に轟いた。卵焼きは出汁が強過ぎて塩辛いし、ほうれん草は水分が出ているし、煮物は逆に味が薄過ぎるという有様だ。「ごめんなさい」と言って今にも泣き出しそうな彼女を見つめながら、ラクツはどうしたものかと思案していた。作ってもらった礼を言うべきか、そっとしてやればいいのか、はたまた気にするなと励ませばいいのか。自分の取る行動はどれが正解なのかが分からなかったラクツはとりあえず黙ることにした。口にはファイツの個性的な弁当の味が色濃く残っている。だけどこんな誕生日も悪くないとラクツは思った。